進撃の魔導アーマー
丸尾累児
プロローグ
序章「母の死」
少年が1人、ソファの上でうずくまっている。
暖炉のある十二畳ほどの部屋には赤いカーペットが敷かれていて、クリスマスが近いのか、部屋の隅に装飾が施されたモミの木が置かれていた。
だが、少年はそれに見向きもしない――楽しそうとも思わない。
むしろ、見たくもないというような表情で下を向き、うつろなにかを祈っているようだった。
そんなところへ、1人の男性が両開きの扉の片側を開けて入ってくる。
どうやら、医者らしい。
廊下との寒暖の差にやられたのか、激しく身を震わせている。そして、暖炉の前へとやってくると、そこにいた礼服の老人の前に立った。
「先生、奥様の容態は?」
老人が聞くのをためらうような声で訊ねる。
それに対して、医者も重苦しそうな表情を見せていた。しかし、職業柄そうしたことを告げねばらならない覚悟があるのだろう。
直後、医者がゆっくりと口を開いた。
「手は尽くしました。しかし、残念ながら……」
「――そうですか」
「まだ意識はあります。これが最後ですので、お会いになられた方がよろしかと」
「わかりました。坊ちゃまを連れて、すぐにうかがいます」
医者の言葉を聞いた途端、男性の背中が小さく震え上がった。
ことの成り行きを見ていた少年は、それで母親がどうなったのか、だいたいの検討がついた。
きっと良くないことが起きた――。
それだけはわかったが、まだ希望を捨てきれない。だから、少年はゆっくりと男性に近づいていった。
「カーライル、母様は……?」
と問いかける。
すると、とっさにカーライルと呼ばれた老人が振り向く。その顔は、とても悲しげで少年が理解できないような感情を抱いているかのように思われた。
刹那、老人の身体が少年に覆い被さる。
「坊ちゃま、よくお聞きください。奥様はもうすぐ天国に召されます」
「天国? 僕も母様と一緒に行けるの?」
「残念ですが、それは叶いません」
「どうして? どうして僕はいけないの?」
その答えにカーライルは黙っていた。
しかし、身体を伝って感じる震えが明らかに悲しみを表しており、ヒュースは自分も泣かなければならないのだというを知った。
「母様になにもしてもらってない……」
「どうか奥様をお許しになってあげてください。奥様はお家のために尽力なさっていたのです」
「それって、僕が嬉しくなることなの?」
「それは――」
カーライルの言葉が行き詰まる。
それを察してか、ヒュースの顔が陰った。
「母様と公園でアイスクリームを食べた思い出しかない。母様はいつもお仕事ばかりで、僕のことなんてちっとも見てくれなかった。それなら、もっと優しい母様の元に生まれたかった」
「坊ちゃま、そのようなことを言ってはいけません」
突然、カーライルが両手を握ってくる。
その手は岩のように堅くてしわしわだったが、いつもヒュースのことを離さずに見守ってくれる温かな手だった。
「参りましょう、奥様がお待ちです」
そう言われ、ヒュースはカーライルに連れられてリビングをあとにした。
暖かい部屋から出たためか、廊下がやけに寒く感じる。窓の外を見れると一面が白銀の世界に覆われいた。
加えて、粉雪がしんしんと降り続いている。
医者が暖炉の火を恋しくなるのも無理もない。天井や窓から外気が入り込むせいか、廊下はより一層寒く感じられた。
その中をヒュースはカーライルの手をぎゅっと握って、母が待つ寝室へと向かって歩いた。
そして、寝室の前にたどり着くと、カーライルが観音開きの扉をノックした。
すぐさま中から「どうぞ」という弱々しい声が漏れてくる。ヒュースは、カーライルに導かれるまま扉の片側から中へと入った。
部屋の中に入った途端、視界は廊下よりもぐっと見づらくなった。
唯一の明かりは、ベッドの脇の蝋燭のみ。その傍らでは、母がベッドの上で苦しそうに仰向けになっていた。
やせ細った顔に大量の汗。
美しいはずの顔は、水分を失ってハリとツヤがない。それどころか、老人のモノと見間違うほどにシワだらけになっている。
「僕の知っている母様じゃない」
枕元にたったヒュースはそう思った。
病床に伏せる母は、自分の知っている母とは違う。そんな拒絶感が嘆き悲しむ気持ちを呼び、話しかけることを戸惑わせた。
「ロナ様、おわかりになりますか? 坊ちゃまがいらっしゃいましたよ」
そんなヒュースをよそにカーライルが口を開く。
当然、その言葉にロナが反応を示した。
とっさに首を右に傾け、笑顔を差し向けてくる。しかし、その表情は明らかに苦しそうだった。
「……連れてきてくれたのね。ありがとう、カーライル。アナタには苦労ばかりさせて、本当に申し訳ないことをしたわ」
「とんでもございません。戦争ですべてを失ったわたくしにとって、ロナ様も坊ちゃまも誠の家族のようでございます。そんな方々の笑顔を拝見することが執事として、このうえない喜びだと、常々思っておりました」
「そう言ってもらえると助かるわ」
どうやら、母はこちらをハッキリと視認することができないらしい。ヒュースはベッドのそばで、押し殺していた感情をじんわりと溢れさせた。
「母様、天国になんか行かないで……」
死んで欲しくない――そんな感情が涙となって、止めどなく流れる。
そんなとき、ヒュースの目尻にフッと何が触れた。すぐに母の手だとわかって、ヒュースは腕を握ったが、その手は子供でも折れてしまいそうなほどに弱々しかった。
「ヒュース。ファルフェはどうしてるの?」
「お部屋で寝てる」
「……そう。私がいなくなってもしっかりとあの子を護ってあげてちょうだい」
「うん、わかった」
「それから、アナタもしっかりとカーライルの言うことを聞いて立派な大人になりなさい」
「頑張る。だから、母様死なないで」
「ゴメンなさい。母様はもう無理なの」
「どうして? ボク、もっと母様といたいよ」
「……ゴメンナサイ……ゴメンナサイ……ヒュース……ゴホッ、ゴホッ……」
唐突に母が苦しみ出す。
ヒュースはその表情に何度も体を揺すって呼びかけたが、母が応えることはなかった。
それから、カーライルに抱きかかえられ、無理矢理母の体から引き離された。
「坊ちゃま、お別れです」
「イヤだ、母様と離れたくないッ!!」
親子のやりとりを見ていた医者が苦しむ母の症状を見ようと割り込んでくる。
「お医者様、母様を助けて」
そんな叫び声を上げても、医者は「大丈夫です」とは返事をしなかった。
さらにヒュースの悲しみをあおられ、抱きかかえるカーライルからどうにかして抜け出して母の元に駆け寄りたいという気持ちを一層強くした。
しかし、カーライルの腕から逃れることはできなかった。
そのまま部屋の外へと連れ出される。そして、ヒュースは廊下でカーライルと向かい合うようにして立たされた。
「どうして? どうして、僕の邪魔するの!」
「坊ちゃま。そのようにわがままを言ってはロナ様も安心して天国に行けませぬ」
「イヤだッ! 僕はもっと母様と遊びたい」
「お願いです、どうかわたくしの言葉をお聞きください」
非情な言葉が投げかけられる。
その途端、ヒュースの目に涙が溢れた。何度も母の名を叫び、楽しい思い出をもっと作りたかったとわめき続ける。
しかし、そんな願いが叶うはずがなく、明朝に最愛の母ロナはこの世を去った――。
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