第17話「ファルフェがいない!」
激しい地響きと共に聞こえてくる無数の砲声。
その轟音から逃れようと人々が我先にと港に向かって走っていく。ヒュースはその中を市が用意した避難船へと急いでいた。
右手の先には、ファルフェがいる。
2人は仲直りしたわけではない。むしろ、喧嘩の真っ最中という感じで、互いに顔を見合わせようとはしなかった。しかし、ヒュースは妹の身を案じ、避難に際して自ら手を引いて連れ出したのである。
後ろからは、アルマが付いてきている。
カーライル必要最低限の荷物を持ち出すために屋敷に残らねばならず、その代わりを申し出てきたのだ。もちろん、アルマにも家族はいる。ヒュースはそちらと一緒に逃げるべきだと主張したが、同行するという硬い意志にはねのけられた。
すでに2隻の避難船が沖合に出ている。
その左側には2隻の軍艦が停泊しており、市街を暴れ回る魔導アーマーに対して、いつでも砲撃できるよう待機していた。
チラリと手の先のファルフェを見る。
屋敷を出てからずっと黙ったままで、ヒュースがチラリと覗き込んでも、目線を反らされるばかり。顔を合わせず、口を利いてくれる気配もない。何度も謝ろうと試みたが、固く閉ざされたファルフェの部屋の扉がその心境を物語っていた。
おかげで会話することができずにいる。
ふと誰かが叫ぶ。
「おい、空を見ろ!」
ヒュースはその声を聞き、立ち止まって後ろを振り返った。
彼方に見える空が部分的に陰っている――かと思いきや、急に黒い物影がその大きさを増しながら、こっちに落ちてくるのが見えた。
次の瞬間、ドーンという音と共にあたりがホコリにまみれた。
そのホコリにやられたせいか、目の痛みや咳が止まらない。やがて、周囲の視界が晴れ、同様に咳き込む人の姿が見え始めた。
刹那、女性の悲鳴を耳にする。
瞬時にその方向を振り向くと、散乱する血と肉片が視界に飛び込んできた。
それを見た瞬間、ヒュースは恐怖を覚えた――が、しっかりと握りしめていたはずの幼い手のぬくもりがないことに気付かされ、確認しようと目線を移した。
「ファルフェっ!?」
最愛の妹がいない。
とっさに慌てて周囲を見渡したが、ファルフェの姿はどこにもなかった。
(まさか、いまの爆発に巻き込まれたんじゃ……)
そんな思いが募る。
「どうしたの?」
すぐに様子がおかしいことに気付いたアルマが声を掛けてきた。ヒュースは、苦虫を噛みつぶしたかのような顔で答えた
「ファルフェがいない」
「ちょっと待って。アナタがしっかりと手を握ってたじゃないの?」
「それがいねえんだよ!」
おもわず声に出して、その苛立ちを表す。
周囲が阿鼻叫喚の事態に混乱してるせいか、注目を集めることはなかったが、ヒュースの苦痛の思いはアルマにはしっかりと届いていた。
「とにかく探してみましょう!」
すぐさまアルマから捜索の提案がなされる。
それに応じて、ヒュースはその場で叫んだ――が、返事はない。アルマが同じように叫んでみたが、一向に呼びかけに応じる気配はなかった。
「あの子、一体どこに……?」
「もう少しあたりを探してみようぜ。もしかしたら、まだ周辺にいるかもしれねえ」
「わかったわ。私はオスカーさんの工房の方を見てくる」
「頼む。俺は一度戻って、町の方を見てくる」
「──気をつけて。あんなバケモノとやりあっても勝てっこないわ」
「心配すんな。もし、見つけたら必ずここへ連れてきてくれ」
「ええ、もちろんよ。必ず探し出してみせるわ」
と言って、アルマが一人倉庫街へと掛けていく。ヒュースは、その背中を見送ると、町の方に向かって駆け出した。
※
逃げ惑う人々。
デュナンがその中を3人の警護員と共に走っていく。
「閣下、お早く!」
すでに波止場へと続く道には、たくさんの人間がごった返している。そのほとんどが貴族階級の者だが、中には商人らしき姿も見受けられた。
警護員がどうにかして避難船への道を作ろうとする。
しかし、我先にと急ぐ者の勢いに押されてか、一行に道を空けることが出来なかった。
「道を空けろ! 侯爵閣下のお通りだ」
その言葉には、苛立ちがこもっている。
だが、自分たちのことしか考えない連中には無意味な怒りだ。こんなときまで支配階級を重んじて、道を譲ろうとする者はどこにもいない。仮にあったとしても、それは偽善者か、ただ単にまだ間に合うと踏んでいる楽天家だけである。
そんな人間の心理を読み取り、デュナンは分け入ろうとする警護員の肩を掴んだ。
「ここは無理だ。倉庫街を迂回して埠頭に行こう」
「閣下、お言葉ですが――」
「言いたいことはわかる。しかし、彼らも必死なんだ。もし、私が非難されるようなことになったら、君もこちら側の人間として同じように非難されてしまうよ?」
「私は構いません。ですが、デュナン様にはなんとしても生き延びて欲しいのです」
「スマンが、これは私の我が侭でなく命令だ」
「デュナン様っ!」
「とにかく倉庫街へ回ろう。多少大回りになるかもしれないが、この状況ならやむえまい」
「……わかりました。お言葉に従いましょう」
「ああ、頼むよ」
そう言って、きびすを返して走り出す。
一人の警護員が先行、残った2人の警護員は後方へ。そうして、前後を守られる形でデュナンは道を急いだ。
途中、倉庫街の中を抜けた。
避難命令が出たせいか、倉庫街はゴーストタウンのように静かだ。
ここを抜ければ、避難船が停泊する埠頭に出られる。船の前にも大勢の人々が集まっていると考えられるが、船員に取りはからってもらえば、どうにか乗り込むことができるだろう。
デュナンは、ただひたすら道を急いだ――ところが、埠頭へ抜ける小道に入った途端、何者かが行く手を阻んだ。
同時に後ろから悲鳴が上がる。
振り返ると、後方にいた警護員の一人が別の襲撃者に斬り伏せられていた。さらに応戦しようとしたもう一人が倒され、デュナンは残った警護員と共に取り囲まれてしまう。
「君たちはいったい何者だ? 誰に雇われた?」
と、襲撃者たちに問いかける。
もちろん、男たちが名乗るはずがない。むしろ、「死人に口なし」と言わんばかりに襲ってくる。
対するデュナンは、とっさに身体を回転させて避けると男の腕を掴んだ。そして、剣を奪い取ると、反撃とばかりに斬り捨てる。
男がバタリと倒れ込む。
さらに気配を感じて、背後から近付いてきた男の刃を受け止める。デュナンは、相手を剣ごと後方に押し返した。
横目で襲撃者たちの人数を確認しようと目を見張る。
人数は、前に4人、後ろに5人の計9人。人数や場所を選んでいるあたり計画的犯行がうかがえる。
デュナンは、そうした事柄から黒幕の正体を推察して見せた。
そして、自嘲するような笑みを浮かべる。
「……なんとなくわかったよ。私が座る気もないイスを君たちのボスが必死に欲しがってるんだって」
「…………」
「どうやら、私はつくづく市長のイスに座らなければならないらしいね」
と言って、剣を手に敵を威圧する。
当然、襲撃者たちは隙を突くことができずに怯んだ。
しかし、現状が不利なのには変わりはない。このまま威圧し続けてもラチがあかないことは明白である。それだけに難局を切り抜ける策略が必要だった。
「貴様、誰だ!」
刹那、後ろからそんな声が上がる。
後ろを振り返ってみると、襲撃者の一人が悲鳴と同時に突風に煽られて倒れる姿が目に飛び込んできた。
デュナンは、とっさの状況の一驚を喫した。
いったいなにが起きたのか?
その状況が飲み込めずにいると、1人の少女がスーッとデュナンの前に現れた。しかも、現れた少女は背後にい男たちを奪い取ったらしい剣で、あっという間に倒してしまった。
「君は、確かベーレンドルフ将軍のご息女の……?」
と、名前を口に仕掛けた少女。
それは、間違いなく市長の公邸で会ったあの少女だ。
けれども、校庭で会ったときとは違い、少女は、いま返り血を浴びたキュロットを履いている。
さながら、『血濡れた男装の麗人』とでも言うべきだろうか――そんな少女が目の前に立っていた。
「アルマです、デュナン様」
「……君がどうしてここに?」
「ファルフェを捜していたら、偶然デュナン様を追う不審者たちを目撃したんです」
「それで助けに入ったと言うワケか……。しかし、助力には感謝する」
「お守りするのは当たり前です。とにかく、コイツらを倒してしましょう」
「ちょっと待ってくれ。君をこんな戦いに巻き込むわけにはいかない」
「どういう意味です? まさか私が女でだから戦っちゃ行けないと仰っているのですか?」
「そうだ。もちろん、私を助けてくれることには感謝している。だが、もし君に万が一のことでもあれば、ベーレンドルフ将軍に申し訳が立たない」
「デュナン様。私こう見えて、本気で軍人になろうと思ってる御転婆なんです」
「君は、この状況でいったいなにを言ってる……?」
「不思議にお思いなのも当然です。でも、私はデュナン様のお役に立つことだって可能なんです。まさかこうも言われて、女だから逃げろなんて言わないですよね?」
「いや、だがしかし――」
「お願いです、戦わせてください」
と制され、デュナンは困惑した。
先ほど目にしたアルマの実力は本物であることは間違いない。
だが、一方でアルマは女性である。そのことを考えると、戦わせるわけにはいかなかった。
けれども、当人は瞳に意志の炎をたぎらせて正視している。そうした様子に根負けして、デュナンは嘆息付いて返答をかえした。
「……わかった。誇りを持って、君に私の背中を預けよう」
途端にアルマがニンマリとした笑顔を差し向けてくる。それと共に奪った剣を天高く掲げ、「この身に変えても」と宣誓していた。
まさにその勇ましさは、戦場の女神のよう。
デュナンは、その心強さにひどく感銘を覚えた。同時にいま自分が本当に為すべきことをなさなければならないと思った。
剣を強く握りしめ、再び襲撃者たちに立ち向かう。
事件の黒幕を引きずり出すために――。
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