第15話「お兄ちゃんの馬鹿!」
久しぶりの我が家。
ファルフェは喜々とした声を上げ、吹き抜けになったエントランスではしゃぎ回った。
3日前、唐突にヒュースがやってきて、釈放されることになったと告げられたときは、本当に嬉しかった。
そして、当日。
迎えにやってきたカーライルの胸に飛び込んだ。ファルフェは自宅へと帰る馬車の中で、いつも見ているはずの街の様子を見て、まるで初めて訪れたかのような新鮮みを覚えた。
それだけ外に出られることが嬉しかったのだろう
ファルフェは家にたどり着くなり、 大好きな母に釈放されたことを報告するために研究室に向かった。
途中、花壇の花に目がいく。ここにはカーライルが丹念に手入れをしているクロッカスとチューリップの花が咲いていた。
ふと一本だけアマリリスの花が混じっているのを見つける。
それはだいぶ前にアルマに苗をもらって、ヒュースと一緒に植えた花だ。いつのまにか花を開かせるほどに成長していたらしく、ファルフェの帰宅を歓迎するかのように咲ていた。
ファルフェは感嘆の声を上げて喜んだ。
両足をクロスさせた状態で右手を開いて顔を覆う。それから、もう片方の腕を真っ直ぐ伸ばすと、花に向かって人差し指を差した。
「貴様はまだ咲き誇っていろ。いずれ私がその芽を摘み取り、永遠に咲き続ける金色の花に生まれ変わらせてやる」
そう言って、花に背を向ける。
そして、ファルフェは「また会おうぞ」と捨て台詞を吐くと、裏庭の研究室に向かって歩き出した。
研究室に着くと、ファルフェは肌身離さず持ち歩いているカギを手にした。
すぐさまカギを使って、施錠された扉を開く――が、カギが合わない。
いつもすんなりと解錠できるはずなのだが、どういうワケか鍵穴の形状が変わっており、ファルフェが手にしているカギが入らなくなっていた。
ファルフェは何度も開錠を試みた。
しかし、いくら試しても、カギ穴に入ることはなかった。そこでようやくカギが新しいものに替えられていることに気付く。
「こんなことをできるのは一人しかいない」
そう思い、ファルフェは足早に屋敷へ戻った。
邸内に入ると、エントランスから2階に向かって走る。ところが大階段からカーライルが降りてきたことに気付き、立ち止まって声を掛けた。
すると、カーライルは慌てた様子のファルフェに「いかがなされましたか?」と問いかけてきた。
「カーライルよ、聞きたいことがある」
「なんでございしょう?」
「離れの小屋の鍵を取り替えたか?」
と言うと、カーライルは黙り込んでしまった。
それがなにを意味するのか――ファルフェにはすぐわかった。
わずかして、返答が告げられる。
「……申し訳ございません。あれは旦那様のご指示でして」
「そうか……やはりか」
それを聞き、ファルフェは顔をくもらせた。
予想通りの答えだったのだ。
なにもかもが自分の思ったとおり――。
それを知り、ファルフェはなにも言わずにカーライルの横を通り過ぎた。そして、カーライルにそうするよう指示した人物の元へ急いだ。
部屋の前に立ち、乱暴に扉を開ける。
室内では、ヒュースが机に向かってペンを走らせていた。提出するレポートをこなしていたらしく、とっさにこちらの存在に気付いて半身を振り返らせた。
いまの気持ちを表すかのごとく口火を切る。
「創世の刻より契りを交わせし、我がしもべよ。貴様に問おうッ!」
「──どうかしたか?」
「母様の研究室のカギを取り替えたのは貴様か?」
「そのことか……」
「答えよっ! カギを取り替えたのは貴様か!?」
途端にヒュースが机にペンを置く。
そして、わずかに口を閉ざすと重々しい口調で答えた。
「――そうだ、お兄ちゃんが取り替えた」
予想していた答え。
しかし、ファルフェにはその衝撃は大きく激しい動揺を来した。けれども、そこで負けるわけにはいかず、煮えたぎる思いを心の奥に押しとどめた。
「どういうことだ。なぜカギを取り替えた?」
「あそこには、もうなにもないからだ」
「なにもないだと……?」
「そうだ」
「なにもないとはどういうことだッ!」
「言葉通りの意味だ。兄ちゃんはオマエを助ける為に、ある人に母様の研究資料を渡した」
「そんな……っ!?」
現実が胸を貫く。
狼狽のあまり、無意識に身体が廊下の方へと引っ張られる。
同時にひどい目まいがして、全身の震えが止まらなくなった。その直後、ファルフェの目から涙があふれ出す。
「……なんで……なんで大切なモノを渡しちゃうの……?」
「ファルフェを助けるのに必要だったからだ」
「……必要だった……から……」
「おまえの気持ちを無視して、本当にゴメンな。兄ちゃんは、どうしてもオマエを助けることの方がなにより大切だったんだ」
「……なにそれ……」
「あの人も同じ状況に立ったら、そうしていたかもしれない。だから、兄ちゃんはオマエのためを思って、あの人の研究資料を渡したんだ」
「わかんないよ」
「頼むからわかってくれ、ファルフェ。兄ちゃんは、大好きな妹が犯罪者になんかなって欲しくなかったんだ」
「アレが母様のすべてだったんだよ? 母様のたくさんの匂いが染みついた書物だったんだよ」
「わかってる……。オマエがどれだけ母様を好きだったかは理解してるつもりだ。しかし、ああなってしまっては、どうしようもなかったんだ」
「そんなの信じられないよ」
「信じなくてもいい。だけど、兄ちゃんがオマエをどれだけ心配していたかという気持ちだけは信じてくれ」
「そんなの無理だよ」
「……スマン」
「ねえ、どうして? 私の宝物を簡単に他人に渡せちゃうの?」
「……ホントにスマン……」
「どうして、そこまで母様のことを嫌うの? いくらお兄ちゃんが母様が嫌いだからって、私に黙って母様の遺品を譲り渡すなんて信じられないよ」
「それがオマエの為を思って――」
「そんなのウソだ!」
「いまさらわかってくれとは言わない。けど、本当にどうしようもなかったんだ」
「どうしようもないなんて、そんな言い訳聞きたくない!」
もはやヒュースの言葉など聞きたくなかった。それどころか、すべてがどうでもいいように思えて、ファルフェの心はヒドく荒んだ。
わずかな沈黙の後、ファルフェがささやくように告げる。
「……もう……いいよ……」
「え……っ?」
「だって、そうでしょ? 私がどんなに待っていても来てくれなかったのはその人との約束を優先したからなんだよね?」
「違う。俺はオマエの──」
「――それなら、お兄ちゃんのものも壊れてなくなっちゃえばいいんだ!」
唐突に部屋の中で暴れ始める。
とうとうヒュースに対する怒りを抑えきれなくなり、ファルフェは部屋の中にあったあらゆるモノをなりふり構わず投げた。
母親との唯一の繋がりだった研究資料が失われたこと――それはファルフェにとって、母ロナを失うことと同義だった。
とっさにヒュースに身体を押さえ込まれる。
「おい、やめろ!」
そう言われても、ファルフェはやめなかった。
むしろ、その小さな身体で必死に抗った。
「放して!」
「言うことを聞け!」
「イヤだッ、母様の本を返して!」
「聞け、ファルフェ! それがオマエにとって一番良いと思ったら、お兄ちゃんはあの人の研究資料を手放すことにしたんだ」
「一番言ってなに? 私の気持ちなんかどこにもないじゃん!」
「オマエがあの人のことを慕っているのはわかっている。だが、もうどこにもいな――あの人はもうどこにもいないんだよ」
「そんなことないよ。母様は、私のそばにずっといてくれてるもん!」
「だから、そんなのどこにもいないんだって」
「それじゃあ、お兄ちゃんの言ってる『あの人』って誰?」
「それは……」
「私の母様は、母様だけだもん」
「……お……俺だって……」
「だったら、私の宝物を返してよ!」
「ファルフェっ! 頼むから、兄ちゃんの言うことを聞いてくれ」
「……イヤだぁ……お兄ちゃんなんか……お兄ちゃんなんか大嫌いだぁ……」
激しい濁流のような涙が流れる。
結局、ファルフェが大きな身体のヒュースに勝てるはずもなく、その腕の中で泣き崩れるしかなかった。
代わりにその日から部屋に引きこもることを選んだ。
それが唯一ファルフェにできる抵抗だった。
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