第14話「唯、決意を持って」

 ファルフェの逮捕から5日が過ぎた。

 ヒュースは、デュナンとの取引に未だ応じるかどうかを迷い続けている。

 どうにか釈放してやりたい気持ちに変わりはなかったが、ロナの研究資料を渡すことは一朝一夕で決められるモノではなかった。

 そんな折、カーライルからお使いを頼まれた。

 普段なら「それは使用人である自分の仕事」と他人に任せるはずがないのだが、どういうわけか低頭して強く懇願された。

 断る理由もなかったため、ヒュースはオスカーの工房へと出かけていった。

 工房へたどり着くと、途端にひどい油の匂いと騒ぎ立てるような機械音が響いてきた。



(相変わらず、ひでえ場所だ)



 ヒュースはそう思いながらも、中へと押し入ってとオスカーの名を叫んだ。

 しかし、反応がない。

 これだけの轟音が鳴り響かせていれば、聞こえないのも無理はないだろう。ヒュースは嘆息付いて諦め、工房の奥へと探し回ることにした。

 そして、8畳ほどの小さな部屋にオスカーの姿を認める。どうやら、ヒュースの背丈よりも大きなエンジンをいじっていたらしい。

 人一倍けたたましい音が周囲に響く。

 それに負けじと、ヒュースはありったけの声を振り絞って叫んだ。

 ところが、まったく聞こえていないようだった。それほどにエンジンが激しい音を立てて、喚いているのだろう。

 再度、大きく息を吸って叫ぶ。

 すると、ようやくオスカーは気付いた。途端にエンジンが止められ、会話できるほどの静けさが宿る。



「……なんだ、ヒュースか」

「なんだじゃないですよ。この騒音はどうにかならないんですか?」

「まあ相手が機械だからな。多少のうるささには目をつむらんと働いてくれんよ」

「なんだかなぁ……オスカーさんって、本当に朝から晩まで機械いじってますよね?」

「夢のためだからな。すべては人が機械に乗って、手軽に遠くへ行けるようになるための土台作りだと思えば、私は楽しくて仕方がないよ」

「夢ねえ……」



 ヒュースが自嘲するようにつぶやく。



「ところで何か用があったんだろ?」

「……ああ、これをカーライルに頼まれたんだった」



 持ってきたサンドイッチをオスカーに差し出す。ヒュースがバスケットを開くと機械油の匂いに混じって、パンの美味しそうなにおいが立ち上ってきた。



「おおっ、コイツは美味そうだな!」



 とっさにオスカーがサンドイッチを手に取る。

 ヒュースはその食べっぷりを見ながら、使いを懇願したカーライルの意図がわからず、オスカーに向かってぼやいた。



「よくわからないんですが、なぜか俺が持って行くよう頼まれたんですよね……」

「――そんなもの、理由があるに決まってるだろ」

「え?」

「オマエさんがファルフェのことで悩んでるから、ここへよこしたんじゃないのか?」



 そう言われると、確かに合点がいく。

 ヒュースがデュナンから提案された話を誰かにしたことは一度もない。

 しかし、あの場に直前までいたカーライルならば、なんとなく事情を察していてもおかしくはないだろう。

 わずかに黙りこくって、オスカーに悩みを打ち明ける。



「……グラディッヒ侯爵閣下にファルフェを釈放する代わりに母様の研究資料をすべて女王陛下に献上するようにと言われました」

「ほぉ、ソイツはまたエラいことになったな」

「まだ決まったわけじゃないですよ」

「つまり、オマエさんはロナの研究資料をどうすべきか悩んでる――そんなことろだな?」

「ええまぁ……」

「確かに私もあんなモノを見せられたあとで献上しろなんて言えん」

「……そう……ですよね……」

「しかしだな、ファルフェはオマエさんの大切な妹だろ? いつも可愛がって面倒見てたオマエさんがそうたやすく見放すわけにもいくまい」

「だから、困ってるんですよ」

「まあ、そう焦るな」

「それじゃあ、どうしろっていうんですか?」



 と言った途端、突然オスカーが動き出した。

 向かった先は、隅にあった木製のチェストボードである。その一番上の引き出しからなにかを取り出すと、オスカーはヒュースの元へ戻ってきた。

 すぐさま『なにか』を手渡される――手紙だった。

 しかも、封筒に差出人の名前がない。さらにしっかりと封蝋が貼られており、ペーパーナイフを使わなければ中身を確認できそうになかった。だが、押された刻印が青銅の盾の上で交差した杖を前脚で支える天馬であったことから、差出人がアーベル家の人間であることは間違いなかった。

 ヒュースは、この手紙の主を問いただした。



「これは?」

「ロナからの預かりもんだ」

「母様の……?」



 予想外の差出人に驚かされる。

 ヒュースは狼狽えながらも開封しようとした――が、とっさにオスカーから「待て」と制され、開けることを禁じられてしまう。



「ウチに帰って読め。ここでしみったれた顔をされた日には敵わん」



 どうやら、そういう内容のものが書いてあるらしい。

 ヒュースは詳しく手紙の中身が知りたいと思い、オスカーに訊ねた。



「これって、どんなことが書いてあるんですか?」

「知らんよ。ただ、いつも無表情なロナが悲しそうな顔で持ってきたからな。おそらくは、オマエさんに関わる重要なことが書かれてるんだろう」

「……わっかんねえなぁ……なんで今頃こんなものを……」

「まあ、そう言うな。もしかしたら、存外いいことが書いてあるかもしれんぞ?」

「そうだといいですけど」

「とにかく、帰ってから読め。どんな内容かはしらんが、男が泣く顔など見たくもない」



 オスカーが追い出すかのような言葉を言う。

 あきれたヒュースは着ていたコートの内ポケットに手紙をしまい込んだ。



「――わかりましたよ。ウチに帰って読むことにします」



 なんとなく冷たい。

 そう感じたが、オスカーなりに気遣ってくれていることだけはわかった。ヒュースは礼を言うと寄り道せずに真っ直ぐ帰った。


 聖堂の礼拝所と同じぐらいの広さを持つ地下研究室。

 この場所を嫌悪しながらも、ヒュースは一人黙々と調べ物をしていた。理由は、先日ここで見つけたファルフェの出生に関する記述を確かめるためである。

 平行して、デュナンへの返答を考えなくてはならない。

 山積みの書類を読みあさりながら、ヒュースの脳裏にあのときの言葉がよぎった。



「――考えてみてくれ。妹さんを思う君の気持ちが本当ならば、この取引の善し悪しがわかるはずだ」



 デュナンの提案は、すぐにでもファルフェを釈放できるだろう。

 しかし、支払われる対価もまた計り知れない。ヒュースは戦争の道具にされてしまうようなモノを譲り渡すことをためらっていた。

 だが、1つだけ気がかりなことがあった――それは、なぜロナは魔導アーマーに関する資料を持っていたかという事だ。



「もしかしたら、ファルフェを生み出す行程で必要だったのかもしれねえ」



 とヒュースは仮説を立てて、自ら魔導アーマーの召喚を試みた。

 けれども、魔法の才能を有さない者が召喚できないのか? はたまたファルフェが呼び出したこと自体が偶然だったのか?

 ペンダントはなんの反応も示さなかった。

 あきらめてひたすら研究資料を読み続ける。しかし、時間が経過しても欲しいような情報は見つからなかった。

 ヒュースは段々と出口のない迷路を延々とさまよっている気がした。

 そんなときだった――。



「お困りのようやな」



 どこからともなく聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 それは地下室の壁に反響して多重の音を生み出し、姿が見えないことも相まって、より不気味さを醸し出していた。

 テーブルの上のペーパーナイフを音を立てないよう静かに手に取る。

 そして、周囲を警戒しながら、左手で稜威油ランプを持つ。さらに身体と頭をその場で回転させて声の主を探し回る。

 けれども、その姿はどこにもなかった。

 不審に思いながらも、その場で一回りして、再びテーブルの方に身体を向ける。

 すると、突然テーブルに置いたペンダントが発光し、刻印の部分から赤い小人のような姿をしたモノが現れた。

 それは倒したはずのグレムだった。



「そんなに警戒せんでもええがな」



 グレムがテーブルの上を歩いて、ヒュースの前へやってくる。

 しかし、一度敵となった者を信頼できるはずもなく、ヒュースは警戒感からペーパーナイフの切っ先をグレムに突きつけた。



「なぜオマエがここにいる?」

「まあ落ち着きなはれや。ひとつ言えることは、僕はもう実態がないっちゅうことや」

「どういう意味だ?」

「僕は一度死んだねん。せやけど、僕の意識を魔導アーマーが勝手にコピーしとったらしくて、いまの自分はあやつり人形みたいなものなんや」



 グレムが刃先を退け、テーブルの上に座り込む。

 そして、懐かしい思い出に浸るように生きている秘密を語り出した。



「ええか? 僕はあんときアンタに殺されたのは間違いない。けど、問題はそのあとや。僕が目が醒めたら、そこは魔導アーマーの中やってん」

「魔導アーマーの中?」

「せやねん。まあ脱出しようと思ったんやけど、どういうワケかあんまり遠くに行けへんようになとった。つまり、ここに居てるんは魔導アーマーのパーツになったちゅうことやな」

「オマエが魔導アーマーの心臓部だとでも言うのか?」

「う~ん、心臓部っちゅうより専属の御者みたいなもんやな」

「じゃあどうしてこんな所にいる?」

「そりゃあ、アンタ。僕はここで魔導アーマーごと呼び出されたんやで?」

「ということは、魔導アーマーは近くにあるのか?」

「もちろんや。そして、それはアンタの持っとるペンダントの中やねん」



 グレムの足下のペンダントをチラリと見る──にわかに信じがたいが、ペンダントに魔導アーマーが納められているらしい。

 ヒュースは机の上にナイフを置いて、近くにあったイスに腰を掛けた。



「1つ聞きたい」

「なんや?」

「この前、去り際にオマエが見ていたものはなんだ?」

「あれか……あれはこの研究の結果が書かれた書類や」

「研究の結果? どういうことだ?」

「つまり、アンタが見たのは途中までの実験結果が書かれた資料や。僕が見たんはその資料よりもさらに新しい資料だったんや」



 告げられた事実に耳を疑う。

 ヒュースが読んだ資料の中にそんなものは存在しなかった。ところがグレムが見たという資料はいままで見たものとは違っていたらしい。

 さらにグレムを問い詰める。



「その資料はどこにある?」

「ここには、もうあらへんで。なんせ、僕が魔導アーマーの中にしまい込んだからな」

「じゃあ、ここにはねえのか?」

「――せやな。けど、資料に書かれとった内容は覚えとるで」

「本当か……!?」



 小人のように小さくなった身体に飛びつく。途端にグレムが苦しそうな表情を見せ、「放してえな」と訴えかけてきた。

 すぐさま解放して話の続きに耳を傾ける。



「アンタ、思い違いしとるで」

「なにを?」

「嬢ちゃんはアンタのおかんが作った生き物やない──あれは正真正銘の人間や」

「……言ってる意味がよくわかんねえよ」

「簡単な思い違いやったんや。まず魔王はんの血肉が残っておったとして、そんなもんを他の生き物に突っ込んだら、生まれてくるモノは所詮は模造でしかあらへん。それにできたとしても僕の予想が正しければ、子供は魔王はんそっくりに生まれてくるはずや」

「オマエさ、魔王の顔を知ってんだよな?」

「よう覚えとるで。せやから、嬢ちゃんの顔と魔王はんの顔は似ても似つかない別人だということもわかっとるんや」

「……なら、なんでファルフェは魔導アーマーを動かせた? なんでファルフェに魔法の才能がある?」

「それは必然やったんや。アンタの一族は魔法の才能を持つ子孫を残そうとして、何世代にも渡って沢山の子供を産んだ。才能がある血族同士を掛け合わせたこともあったが、上手くいかなかった事例もある。そんな中で嬢ちゃんはある1つの特殊な因子を掛け持った子供やったんや」

「なんかいまひとつわかんねえな……」

「つまりや。アンタのおとんとおかんには、その因子があった。そして、その条件となった因子っちゅうのが僕の主である魔人の血や」

「魔人の血……だと?」

「そうや。アンタの一族の中に魔人の生き残りが混じってた可能性があるっちゅうことや」



 なにもかもが信じられなかった。

 グレムの言うことは、ロナの研究資料に書かれていたことだという。しかし、それが失われている以上、グレムの狂言の可能性もある。

 半信半疑のヒュースはいままで調べた内容を頭の中で照らし合わせ、グレムの言うことに偽りがないかを確かめて言った。



「ウチの家系に魔人の血ってのは、どういう理屈だ? それなら、第一にして俺にはなぜ魔法の才能がねえんだ?」

「アンタの場合、受け継ぎ損ねただけとちゃうか? ホンマのところはわからへんけど、ただアンタのおかんの血統にはそういう血があって、おとんの方にも魔人の生き残りの血が流れてたっちゅうなら優れた魔導士が生まれる可能性はあるで」

「なら、尚更なぜファルフェに受け継がれた?」

「たまたまとちゃう? 資料によると魔人とエルフ人の間に生まれた子供は魔法が使えんらしいわ。せやけど、先祖に魔界人の血の混入することがあったら、家畜や愛玩動物の掛け合わせた際に起きるサイアーエフェクトと同じように魔法の才能を持った子供ができるみたいやな」

「……よくわからねえが、つまりそういうことなのか?」

「難しく考えることでもないけど、まあ落ち込むことでもあらへんね。けど、そうした事情を知ったアンタのおかんは最後の望みとして嬢ちゃんを産んだっちゅうことやろな」

「じゃあファルフェは……」

「間違いなく人間の子供やね」



 その言葉にヒュースは、肩の力が抜けていく気がした。

 心に抱く母に対する恨み辛み――。

 それら身体の中に溜まっていたヘドロのようなものが、あっという間に浄化されたかのようだった。汚染されていた心は清められ、ヘドロの中から埋もれていた本当の気持ちが発見される。

 それと共に笑いがこみ上げた。

 ヒュースは降って沸いた感じたこともない感覚、感じたこともない気持ちに戸惑った。

 しかし、自分の中に眠っていた純粋な気持ちを思い出し、笑い収めると同時に自嘲するように言った。



「……それって、結局ダメだったってことじゃねえか」



 つまり、ロナは失敗していたのだ。

 それを知って、抱いていた思いを発散することができたのだろう。胸ポケットにしまっておいた開封済みの手紙を手に取り、グレムの前に放り投げた。



「なんやの、これ?」

「読んでみろよ」

「……なになに……」



 手紙を渡されたグレムが声に出して読み始める。

 そこには、母の気持ちが綴られていた。

 ヒュースへの愛、カーライルへの感謝の気持ち、家族としてどう思っていたか、母としてどうなって欲しかったか。そして、末文には未来のファルフェに伝えて欲しい言葉が熱く語られていた。

 ヒュースはグレムに代読させながら、その一語一語を確かめるように思い出を重ね合わせた。

 グレムが読み終えたあと後、ヒュースはあきれた表情でグレムに聞いた。



「どうだ? 滑稽だろ?」

「……ヒュースはん、これって……」

「そうだよ。その手紙には俺を愛してるだの、ファルフェのことをよろしくだの。いまさら母の顔した文面が並び連ねてやがる」

「でも、それはアンタのおかんも別にアンタのことを嫌ってたってわけやなかったんやな」

「ああ、わかってるよ…………わかってたんだよ」

「ヒュースはん……」

「ふざけんなぁぁッ!」


 ヒュースが拳を机に叩きつける。それから、目の前にあった研究資料をテーブルごと投げ飛ばす勢いで床に落とした。

 とても受け入れがたい内容だった。

 ロナの一方的な愛はヒュースに届くはずがなく、むしろ焚きつけるようなものだ。それだけに一度失った憎しみが息を吹き返したように大火となって燃えさかったのである。

 両手を額に当て、苦しそうなヒュースが言葉を紡ぐ。



「……勝手に研究して、勝手にファルフェを産んで、勝手に死んじまったヤツがどうして文面で母面してんだよ。どうして俺を愛してるなんて言えんだよ!」

「少し落ち着きなはれや」

「うるせえ! なんでいまごろになってこんな手紙よこした?」

「そんなん僕に言われても困りますがなぁ」

「……ああ、くそッ! オマエが関係ねえことはわかってる。でも、そんな気持ちを今頃になって知らされても、ソイツを理解しろだなんて無茶苦茶なんだよ」

「手紙を読んでみて、その気持ちはわからんでもないわ。せやけど、そんなに自分を責めん方がええ」



 とっさにヒュースが膝を突いてその場に崩れ落ちる。

 バカらしくも愛のある母の手紙を受け入れられない自分にどう対応すればいいのかわからなくなったのだ。

 あふれる涙をこらえ、軋む心を必死に押さえ込もうと抗う。

 それから、ヒュースはずっと口を閉ざした。だが、しばらくしてなにか堅い決意のようなモノを胸に秘めると、熱がこもった口調で口を開いた。



「……わかったよ、母様。俺はアンタを誤解してた」

「ヒュースはん、いったいどないする気や?」

「グレム」

「な、なんやの?」

「ファルフェを助けるぞ」



 吹っ切れた表情を見せるヒュース。

 その顔はすべてを知って、為すべきことを見出した男の凛々しさが垣間見えた。

 すべては大っ嫌いだったはずの母のおかげ。そう思うと凄く複雑な思いがしたが、それでも母の思いに答えなくてはならない。

 もう悲しみを抱かないために――。

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