第13話「出口なき迷宮」
「なぜですかっ!?」
市庁舎の一室に置かれた机を叩く。
ヒュースは必死になってファルフェの釈放を求めた。しかし、ヴァレンタイトは一向に応じようとはしない。
それどころか、冷淡にも顔色1つ変えずに言い放った。
「アーベル卿、ご心情はお察しします。しかし、私が司法に介入するわけにはいかないのです。ましてや今回の事件はフラウゼス市を壊滅させようとした重大事件なわけですから、ファルフェ嬢の身の上も保証しかねます」
「ファルフェは、アナタを助けた。その恩人の身の危険に対して、なんの策も講じないのは人として、貴族として、あまりにも無慈悲じゃないですか」
「仰るとおりです。ですが、今回の事件の大きさを考えると……」
「そこをなんとかするのが、アナタの仕事じゃないんですか!」
「お役立てできなくて申し訳ありません。恩人を助けたいのは、私も同じなのです」
「――わかりました。失礼します」
ヴァレンタイトに背を向けて扉の方へと歩く。
「アーベル卿!」
途端に引き留められる。
だが、失望したヒュースは「もういいです」と返事をして執務室をあとにした。
その後、すぐに庁舎の外で待つアルマに結果を伝えた。アルマも悲しげな表情を見せて「ならば自分が」と父親に掛け合ってみることを意気込んでいた。
けれども、アルマの父に助けを求めたところで、その話が耳に入る頃には裁判が終わってしまうだろう。
それにこれは国家反逆罪だ。
裁判が可及的速やかに行われることは目に見えている。
ならば、とにかく急がねばなるまい――ヒュースは屋敷に戻り、他に手はないかと死にものぐるいで考えた。
頭を悩ませながら、リビングに備えられた暖炉の前を右往左往する。
それを見て、アルマが落ち着かせようと話しかけてきた。
「大丈夫よ。お父様への連絡は急いで家の者を遣わすわ」
「そうは言ったってな……」
「アナタが心配なのはよくわかるわ。でも、いまは落ち着いて待ちましょ」
「んなの、落ち着いてられるか!」
「……ヒュース……」
「俺は妹が大変なときに役に立たない。残る望みはおじさまへの取り次ぎのみ。安心できるほどの望みがあれば、俺だって落ち着きてえよ」
「私だって……私だってそれは同じ気持ちよ!」
動揺した様子でアルマが言う。
落ち着かない気持ちが移ったのだろう――その顔は不安な表情に満ちていた。
あまりの表情にヒュースが驚く。
「……スマン。オマエを不安にさせるつもりはなかった」
落ち着けない自分にいら立ちを募らせる。
そんなときだった。
突然、扉を叩く音が聞こえてくる。すぐさまヒュースが応答するとカーライルが扉を開けて入ってきた。
扉の前に立つカーライルがヒュースに告げる。
「旦那様、お客様がお見えでございます」
「俺に客人?」
「グラディッヒ侯爵閣下でございます」
「デュナン様が?」
そう言うとヒュースはカーライルの案内されて早足にエントランスへと向かった。
エントランスには栗色の総髪の男性が2人の従者を従えて立っていて、ヒュースがやってくるのを待ちわびているようだった。
「どうも、アーベル卿。お忙しいところを失礼するよ」
「デュナン様。わざわざこんな寂れた屋敷までお越しくださるなんて……」
「いや、いい家じゃないか。それに、今日は君に用事があって来たのだからね」
「……俺に?」
「とにかく、少し話をさせてもらえないかな?」
「中へどうぞ。こんなところで、侯爵閣下に立ち話をさせるわけにはいきませんし」
「ありがたい申し出だが、私はここで平気だ」
「しかし、そういうわけには――」
「ヒュース。誰だったの?」
そんな話をしていると、2階の回廊からアルマが声が聞こえてきた。
ヒュースが上を見ながら答える。
「グラディッヒ侯爵閣下だ」
「侯爵閣下っ!?」
意外な人物の来訪によっぽど驚いたのだろう。
アルマが「ちょっと待って」と言って、慌てた様子で大階段を下りてきた。そして、デュナンの姿を認めるなり、履いているボトムスをドレスに見立て深々と一礼し始めた。
「お初にお目にかかります、侯爵閣下。私はアルマ・エディナ・フォン・ベーレンドルフと申します。市長のパーティでは、ろくなご挨拶もできず申し訳ございませんでした」
「気にすることはないですよ、アルマ嬢。アナタのお父上には、いろいろとお世話になってますし」
「とんでもございません。こちらこそ、いつも父がお世話になってます」
「早速で申し訳ないんですが、ここからは2人だけにさせてもらえませんか?」
デュナンが敬意を払って告げる。
すると、アルマは微笑んで応対してみせた。
「どうぞご遠慮なく。いずれまたゆっくりとお話しさせてください」
と会釈して屋敷を出て行こうとする。
しかし、ヒュースに言い忘れたことがあったのか、とっさに振り返った。
「お父様から連絡が来たら、すぐに使いをよこすわ」
そう言って、アルマは玄関の扉を開いて出て行った。
遅れて、デュナンの従者が散り散りに去っていく。そんな中、なぜかカーライルだけがデュナンに呼び止められていた。
ヒュースは、なぜ1人だけが呼び止められたのか不思議でたまらなかったが、
すぐさまカーライルが「なにか?」と言って振り返る。
「カーライルさんとおっしゃいましたよね?」
「……はい。わたくしはアーベル家にお仕えしております執事のファンベルト・カーライルと申します」
「もしかして、三十年戦争で『灼熱の道士』と恐れられた魔導士カーライルでは……?」
その言葉にカーライルのピクリと眉毛が動く。
しかし、カーライルはなにかを隠すように微笑みを浮かべて答えた。
「――人違いでございましょう」
「しかし、英雄の名前と同じ名前の人間にそう易々と出くわすなんてことがあるわけ……」
「閣下、それは偶然でございます。同じ名前で魔法が使える者を国中探し回れば、他にもいるやももしれませぬ」
そう言われては、デュナンも反論しようがなかった。
嘆息して、デュナンが謝罪する。
「そうだね。わざわざ引き留めて悪かったよ」
「いえ、ご納得いただければ幸いです」
と言って、カーライルは去っていった。
ようやくエントランスは2人っきりとなり、ヒュースは自分に対する用件を訊ねた。
「それで話というのは?」
「言うまでもないと思うが妹さんのことだ」
「ああ、やっぱり……」
「その様子だと市長には断られたみたいだね?」
「ええ、デュナン様がお見えになる前に断られました」
「やはりか……今日ここへ来たのは、その件に関してなんとかしてあげられなくもないということを伝えるためなんだ」
「ほ、本当ですか?」
ヒュースは突然の申し出に目を見開いた。
誰の手に委ねてもファルフェが無罪になるはずがない。そう思っていただけに心のろうそくに希望の火が灯った気がした。
しかし、火は言葉という名の小さな風に揺らめいた。
「ただし、条件がある」
「……条件? いったいなにをしろと?」
「いろいろと話は聞いてるんでね、単刀直入に言わせてもらうよ。君の母上が持っていた魔界文明に関するすべての研究資料を譲ってもらえないだろうか」
「なっ……」
「それが私の出す条件だ」
それを聞いて、ヒュースは考えた。
ロナの研究資料にはなんの価値もない。あるとすれば、教会に異端の烙印を押されるということだけだ。ヒュースにはそれ以外に利用価値があるように思えなかった。
しかし、なぜかデュナンはそれを欲している。
ヒュースは顔をしかめて問いかけた。
「あれをどうする気ですか?」
「私も仕事の最中だったからね。軍の連中が目撃したという動く砲台とやらを見たわけじゃない」
「魔導アーマーのことですか?」
「そうか。あれは魔導アーマーというのか」
「どうする気です?」
「もちろん、司法取引の材料に使うのさ」
「取引材料になるのですかっ!?」
「できなくはない。だが、その前に君に訊ねたい」
「なんですか?」
「あの魔導アーマーをどんな風に思った?」
「魔導アーマーをですか?」
「そうだ。アレは、古代魔界文明が生み出した負の遺産だ。教会の視点で見るならば、とても異端の代物だろう。だが、軍に大量に配備される兵器として見たとしたら、どれだけの利益が得られるんだろうね」
「……軍に……魔導アーマーを……?」
刹那、頭をよぎったイメージに身を震わせる。
それは身の毛もよだつ話だ。
デュナンの言わんとしていることは、魔導アーマーを軍に大量に配備して他国を圧倒しようとするものだ。
そうなれば、剣と魔法の時代は終わる――。
同時に魔導アーマーと銃によって多くの命が失われ、アインツガルト王国は圧倒的火力を持って世界の覇権を握るだろう。
実に正気とは思えない。
ヒュースは吹き上がるマグマのような怒りを覚え、デュナンを激しく罵倒した。
「アンタは狂ってるのかッ!」
爆発した感情の歯止めが利かない。心は怒りに震えきっており、どうにか冷静を保とうとするのがやっとだった。
対して、デュナンは顔色を1つも変えなかった。それどころか、ヒュースの怒りを何事も無かったかのように受け流している。
「別に狂ってるわけじゃない。確かに魔界文明は、人類にとって禁忌の代物だ。だが、私たち人間もまた持ちうる頭を使って深く考えて多様に進化してきた。それを考えれば、過去の遺物が持つリスクを減らすことは可能だと思わないかい?」
「思いませんよ、そんなもの!」
「そうだとしてもだ。君にとって、大切な妹を救うための手立てはコレしかない」
「……だからといって……」
「気持ちはわかる。しかし、冷静になってよく考えるんだ」
「…………」
「いま必要なのはなんだい?」
そう言われ、ヒュースは怒りを収めざるえなかった。
ファルフェを救う方法を得られる。
しかし、同時にロナの研究資料を渡さなくてはならない。それを考えると両方を乗せた天秤が心の中で激しく揺れ動いた。
どちらに最後の重石を乗せるべきなのか。
ヒュースは握った拳を振るわせながら、デュナンに問いかけた。
「……本当にできるんですか?」
「これを女王陛下にお見せすれば、充分に取引できるだろう。異端審問を主導する教会が相手となれば、なおさら国を味方に付けておくことは必要だよ」
「女王陛下に?」
「考えてみてくれ。妹さんを思う君ならこの取引の善し悪しがわかるはずだ」
そう言われ、ヒュースは黙るしかなかった。
手立てがない以上、デュナンの言葉は甘い蜜のようである。アルマの連絡を待つのもいっこうに構わなかったが、おそらくは期待できないだろう。
そうしたことを頭の中で思案し、ヒュースは口をつぐむしかなかった。
「良い返事を期待してるよ」
去り際、デュナンはそう言って出て行った。
家の扉がバタンと閉められ、ホールにはヒュースだけが残された。
ロナの研究資料の譲渡──もしそれでファルフェが助かるのならば、いくらでも譲り渡したい。しかし、その対価は自らの手で世界を大戦という名の業火に飲み込むということ。
それによって多くの命が死ぬ――戦争の世紀という名の危険な夜明けだ。
人間の文明は魔導アーマーという古代文明の遺産により、急速に発展するとともに大陸は血みどろの戦争の世紀を迎える。
ヒュースはその重みに耐えかね、嗚咽を漏らしてその場にうずくまった。
※
デュナンはアーベル邸へ行ったその脚で市街地におもむいた。
向かう先は市庁舎だ。
ファルフェを助けるという件は、すでにヒュースの返答待ちである。だが、それ以外にどうしても為さねばならないことがあった。
それをこれから済ませるために向かったのである。
市庁舎は壁を石灰岩を積み上げてできており、石が持つ色から来訪する者に純白で清廉なイメージを与えている。さらにエントランスを入ると、3階建ての庁舎のうち2階までが吹き抜けになっており、一階は各種手続きの受付カウンターが奥に向かって伸びていた。
そこから、直に2階へと上がれる階段をのぼる。
2階は回廊を巡って、会議室や休憩室などの大小様々な部屋に行けるようになっていた。
デュナンはその一角にある部屋の戸を叩いた。すると、扉越しに「どうぞ」という短い声が漏れてきた。
言われるがまま中へと入る。
室内には、ペンを握って執務に勤しむヴァレンタイトの姿があった。ヴァレンタイトは入室してきたデュナンの姿を認め、ニッコリとした笑顔を差し向けてきた。
入口の扉を閉め、軽く会釈をしてその場で会話を始める。
「市長、少々お時間をいただけませんか?」
「私になにかご用ですか?」
「──ええ、公金横領の件で」
途端にヴァレンタイトの顔つきが変わる。
晴れていた空にドンヨリとした雲がかかるかのごとく、重苦しい雰囲気が漂う。
デュナンはとっさにその空気を察して、獲物に狙いを定めた猛獣のような目つきで左右の壁の間を往復し始めた。
歩くたびに床板が「コツッ、コツッ」という音を立てる――。
その音に合わせるかのように、かけられた容疑について語り始めた。
「元々、私は市長選には乗り気じゃなかったんです。しかし、アナタの不正とあの巨大な遺物の存在が私自身に大きく舵を取らせてしまった」
「グラディッヒ侯爵、アナタはどこまで知っておいでですかな?」
「すべてですよ、ヴァレンタイト市長」
「……ほう」
「オーラン司祭長とアナタの関係は、アナタが王都ウェスペンで王室の宮廷魔道士として使えていた頃にさかのぼります。そこでも公金の横領が巧妙に行われていて、アナタは疑わる直前で退官なさっている」
「根拠はあるのですか?」
そう言われ、デュナンは手にしていた封筒を机の上に向かって放り投げた。
途端にヴァレンタイトの目が封筒に向けられる。それから、すぐに説明を求める視線が送られてきた。
デュナンは自身とも挑戦ともとれる微笑で在り在りと言った。
「わずかに残っていた横領に関する書類です。もっともアナタは処分したはずの書類がここに持ってこられるなんて思っていなかったでしょうね。そのうえ、なに食わぬ顔で市長のイスにも座っておられる」
「なるほど」
「それともう1つ」
「もう1つ?」
「ご存じのはずだ。アナタはフラウゼス市の公金を幾度も横領した際に告発しようとした人間を一人殺している」
「……んなバカな」
「いいえ、あってますよね? ヴァレンタイト市長」
「…………」
「名前はマンフレート・シュプランツェ。市の公金を寄付という形で教会へ仲介していた行商人です。目撃情報や生き残ったご息女への聴取が巧妙に書き換えられてますが、これもアナタが指示して行ったことでしょう?」
「そこまでお調べとは、さすがの私も驚きましたな」
「では、お認めいただけますか?」
「……それで、侯爵は私を王国府に訴えるつもりですかな?」
「ええ、本来ならばそうしています。ですが、こちらも処刑されそうな小さな命を助けないわけにはいきませんのでね」
「それを私に手助けしろと? それはアナタの方が上手くできますよ、侯爵閣下」
「いえいえ、私のような爵位だけの若造では王室は相手をしてくれないのです。そこでひとつ市長にご提案があります」
「なんでしょう?」
「横領を見逃す代わりにファルフェ嬢の釈放を求める動きに荷担してくれませんか?」
「ほぅ、それはまたどうして?」
「理由の詮索は感心しませんね。だが、アナタだって無傷では済まないでしょう。まあ、アナタにはあの少女に助けられたという事実がありますし。その大恩に報いるために市長職を辞してまで助けたということであれば、誰もが素晴らしい市長だと手放しに賞賛するでしょう」
「なるほど、世論ですか……ですが、私が辞めるだけで本当に取引に持ち込めますかな?」
「その為の材料は用意してあります」
「どのような?」
「それもお答えできません。アナタに潰されては元も子もありませんからね」
「私がアナタの謀略を疎外すると?」
「もちろんですよ、市長――ですから、どうでしょう? ここはひとつ私の話に乗っていただけませんか?」
「…………」
「決して悪い話ではないと思うのですけどね」
「……わかりました。その提案に乗りましょう」
ヴァレンタイトがうめくような低い声で話す。
すると、デュナンが机の前に立った。
それに呼応してヴァレンタイトが魔法を唱えるような素振りを見せる。しかし、それが握手を求める仕草だと理解して、デュナンは右手を差し出した。
「ちなみに、ここで私に魔法を使おうとしてもムダですよ。私も懐に銃を忍ばせてる」
「それは、参りましたな」
「……では、交渉成立ということで」
デュナンが背を向けて扉の方へと歩き出す。
途端に後ろから「若造め」という小さなつぶやきと共にイスを蹴る音が聞こえてきた。
間違いなく、ヴァレンタイトが起こした行動である。だが、デュナンは気に止めることなく、執務室をあとにした。
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