第3章「妹は、贖罪する」
第12話「悲しみの坩堝」
夕暮れの森の中を馬車が走り抜ける。
その車内、ヒュースは考え込んでいた。
不意にまばゆい光が視界に飛び込んでくる。御者台の方をチラリ見ると、蒸気自動車が前照灯を照らしながら走ってくるのが見えた。
だが、ファルフェの件で思い悩むヒュースには、どうでもいいことだった。
頬杖を突き、窓の外を眺める。
すると、先ほどの自動車がガラス越しに通りすがった。
乗っているのは、口ひげを蓄えた中年の男。
それと、ローブ・ア・ラ・フランセーズ様式に作られた桃色のドレスを身に纏った一回りぐらい若い女性だ。
ボンヤリとその姿を目で追いかける。すると、2人を乗せた車は後方の窓の向こうの薄明かりの森の中へと消え去った。
その光景を見ながら、ヒュースはつぶやいた。
「認めなければよかった」
自責の念からだろう。
そう口にせずにはいられない。なにより、今回の原因は、自身のファルフェに対して甘さから引き起こした事件だ。
そう考えると、自分がファルフェのことを一番理解していないように思えた。
「カーライル、ここで降ろしてくれ」
とっさに御者台のカーライルに向かって話しかける。
すぐさま馬のいななきと共に馬車が止まり、カーライルが振り返った。
振り向いたカーライルの顔はとても驚きに満ちていた。もうすぐ世明かりも届かなくなるようなこんな道の真ん中で、降車など理解できないからなのだろう。
主の心中を察してか、不安そうに語りかけてきた。
「旦那様。なにもこんなところで降りなくても」
「いや、いいんだ。なんだか少し歩きたい気分なもんでね」
「し、しかし……」
だが、たじろぐカーライルを見ても、ヒュースの気持ちに変わりはなかった。
ここで降りたい――ここで降りて、自分の甘さを反省したい。ただ、その一心で自らの執事に真剣な眼差しを向け続けた。
やがて、負けたと思ったのだろう。
小さな溜息をついたカーライルが御者台を降りて、馬車の扉を開いた。ヒュースは、「すまない」と一言だけ謝罪すると、馬車の中から外へと降りた。
すぐにカーライルが馬車と共に去っていく。
置き去りにされたヒュースは、遠くなる馬車を見送りながら、心の中で何度も謝り続けた。
しばらくして、ヒュースは自宅へ続く道を歩き始めた――が、背後にアルマの存在に気付いて足を止めた。
どうして、ここにアルマがいるのだろう。
そう思って、ヒュースが振り返ると、カーライルと一緒に帰ったと思っていたお節介焼きの幼馴染みはニンマリとした表情で笑っていた。
怪訝そうにアルマを問い詰める。
「なんでオマエがここにいるんだよ?」
「別にいいじゃない」
「よくねえよ。オマエまで降りる必要なんてなかっただろ?」
「私は私で歩いて帰りたい気分なのよ」
「……好きにしろ」
再びアーベル邸へと続く道を歩き出す。
しかし、なぜかアルマが後ろからピッタリと付いてくる。
ヒュースは少しでも一人になろうと、わずかばかり早足で歩いた――が、それでもアルマは歩調を合わせて追ってくる。
しかも、話題にして欲しくない話に対して、同情するような言葉を言ってきた。
「アナタは悪くない」
「……うるせえ」
「ねえ、ヒュース。お願いだから聞いてちょうだい」
「黙って歩け」
「そうやって自分を責めないで。アナタはたった一人の妹の為に頑張ってきたじゃない」
「うるせえって、言ってんだ」
「……ヒュース……」
話すことを諦めたらしいアルマが立ち止まる。
ヒュースは鬱陶しい幼馴染みをこれ以上近づけまいと歩調を速めた。
けれども、アルマは追ってくる。むしろ、そうすることが自分の責務だと言わんばかりの足取りだった。
アルマに対して、不機嫌そうに怒りをぶつける。
「付いてくんなよ」
そう言って、段々と歩くスピードを上げていく――が、アルマはどこまでも付いてきた。
さらにこれでもかというぐらい乱暴に両足を動かす。
拒絶にしびれを切らしたアルマがわめく。
「待ちなさい、ヒュース」
「いいから付いてくんな!」
「そうはいかないわ。こんなときだからこそ、幼馴染みの私がそばにいなかったらアナタはどうする気なの?」
「なにもしねえよ。ただほっといてくれ。俺にはそれが一番なんだ」
「それもよくない!」
唐突にアルマが啖呵を切る。
さすがのヒュースもその言葉に我慢しきれなくなり、立ち止まって振り返るとアルマの方へと歩き出した。
そして、その手でアルマの肩を突き飛ばす。
「いいから付いてくんな……これは俺の問題だ」
と言って、しかめっ面で再び歩き出そうとする。
ところが「ヒュース」と名前を呼ばれ、反射的に振り返った――すると、予告もなしに左の頬を強く叩かれる。
なにが起こったのかはわからない。
ただ、続けざまにアルマが怒鳴り散らしていた。
「しっかりしろ、バカヒュース!」
「……オ、オマ……殴ったな……? カーライルにもぶたれたことねえのに」
「バカッ、鈍感ッ! 私がいないと、なんにも出来ない能なしが一丁前にアホなこと言っちゃってんのさ」
「言わせておけば、好き勝手言いやがって……」
「ええ、そうよ。それがどうしたって言うの? バカを治すには引っぱたくのが一番よ」
「バカじゃねえッ!」
「いいえ、バカよ。アナタは本当にどうしようもない大バカ。おかげで私がどれだけ損な役回りをしてるかも知らないくせに」
「んなの、知るかよ……」
「少しぐらいわかりなさいよ!」
突然、アルマの目に涙が浮かぶ。
それを見たヒュースは意外なアルマの涙に戸惑いを見せた。
ここに来るまでずっと我慢していたのだろう――いつもの強気な態度からは想像も付かない感情がその涙にはこもっていた。
幼馴染みの気持ちを知り、ヒュースは周りが見えなくなっていたことに気付かされた。同時に冷静になって、たくさんの心配をアルマにさせていたことを申し訳なく思った。
「だいだいヒュースは、なんでも一人で背負い込み過ぎなのよ……少しぐらい私を頼ってくれたっていいじゃない?」
「わるかったよ……」
「そ、それにアナタが立派な男になるまで、私がキッチリと世話するんだからね……?」
「――へ?」
「そうすれば、きっとヒュースは大勢の女の子にモテモテになるわ。もちろん、それはそれでなんとなく悔しいわよ……でも、アナタのためと思えば仕方がない。ううん、むしろそういう男になってこそ女性をエスコートできる素敵な男性になれると思うの」
「アルマ?」
「そうなってこそ、ようやくヒュースは私にふさわしい夫になれ……る……」
「え~っと……アルマさん?」
ヒュースはアルマの暴走するに困惑した表情を浮かべた。同時にアルマの顔を見ると焼けた鉄のように紅潮していた。
気まずそうな声で、ヒュースが問いかける。
「……とりあえず……言いたいことは言えたか……?」
「う、う、うん……」
アルマはゼンマイ仕掛けの人形みたいな動きで首を縦に振った。そして、次の瞬間には地面に小さく屈み込んでいた。
「なんていうかだな――まあ落ち着け」
「う、うん……あのさ、本当に聞いてないわよね?」
「……聞いてたけど?」
「聞いてたのっ!?」
「だから落ち着けっての。一応に聞いてはいたが、オマエが早口すぎてなにを言ってるのかよくわかんなかったんだよ」
「……そ、そう……よかったぁ~」
「いったいなにを言ったんだ?」
「た、大したことじゃないわよ!」
「……よくわかんねえけど、まあ別にいいか」
「そ、そ、そうよっ! 全然気にしなくて良いんだからね?」
「あ~もうなんか怒ってるのがバカらしくなちまった」
完全に気が失せたヒュースが地面に座る。
すると、遅れて座ったアルマが覗き込むように話しかけてきた。その顔には、なぜか満面の笑みが浮かんでいて喜んでいるようにも思える。
「もしかして、私のおかげ?」
「はぁ? なに言ってやがんだ、バァ~カ」
「だって、しかめっ面ばかりで全然人の話も聞かなかったじゃない?」
「事態が事態だけにしょうがねえだろ?」
「しょうがなくても、きちんと冷静になる必要はあると思うけど?」
「まあ確かにそうだが……」
「で、落ち着いた?」
「……ああ一応にな」
「よかった」
さらにアルマがニッコリと笑う。
その妙に年上ぶる仕草は、ヒュースの心になんとも言えない安心感をもたらした。
さっきとは真逆で鬱陶しさも煩わしさもない。それだけでヒュースはこれほど信頼できる人間はいないと思えた。
それから、立ち上がって大きく背伸びをする。
遅れてアルマが立ち上がる。しかも、なぜか嬉しそうに肩を並べてヒュースの顔を覗き見ていた。
「……な、なんだよ?」
「フフフッ、なんでもない!」
「わけわかんねえぞ」
調子が狂う。
ヒュースはそう思いながらも、機嫌が良さそうなアルマの表情に不思議と心が落ち着くのを感じていた。
不意にアルマが話しかけてくる。
「それより、これからどうするの?」
「明日、市長のところへ行ってみるつもりだ」
「行って、どうする気?」
「──わかんねえよ。けど、どうにかなるんじゃねえかと思う。政治と司法が別とはいえ市長にはファルフェに助けられた恩義があるしな。なんとかしてくれるんじゃないか」
「そうだといいわね。もしそれがダメだったら、お父様にも掛け合いましょ。私もどんな手を使ってでも、ファルフェを助け出したいもの」
「わりいな。オマエにまで、苦労掛けちまって」
「謝る必要なんかないわよ。ファルフェは、私たちの妹でしょ?」
ヒュースが再び歩き出す。
その横をアルマが並んで歩く。さきほどまでの険悪なムードはなく、2人はいつになく和気藹々とアーベル邸への道のりを歩いていた。
そして、必ずファルフェを助けようと心の中で誓い合った。
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