第2話
深い切り傷に対する応急処置として、傷口を焼く、という表現を、
火あぶり事件(潤はこの一件をひそかにそう呼んでいる)の直前、潤はわき腹に傷を負っていた。彫刻刀で切られたのだ。切ったのは、クラスメートの男子生徒と、その先輩だという男三人(制服を着ていなかったので、詳細は不明だ)。放課後、帰り支度をする潤を、数人の男子が旧校舎の美術室まで引きずっていき、そこでやられたのだ。
「こいつ、気持ち悪ぃ!」
『先輩』たちは、潤を裸にすると、その身体を傘でつつきながら笑った。ほっそりとした肢体と、水無によく似た中性的な相貌は、少女を思わせる。皆口々に、カマ野郎だとかホモだとか、下卑た言葉で潤をなじった。
潤は、ひたすら下を向いて耐えていた。いつも背を丸めて過ごす潤は、大人しくて何をしされても怒らないやつだと認識されていた。そのため、こういったことは、彼としてはたまに起こる面倒事のひとつだと考えるようにしていた。
大概は満足したころに、適当に外へ放り出されるのだが、その日は違った。相手も人数が多く、気が大きくなっていたためか、誰かが突然、彫刻刀を取り出したのだ。
「ほらほら、何か喋ってみろよ」
潤の二の腕に、彫刻刀の先が当たる。潤はびくりと身体をこわばらせ、息を呑んだ。
そのまま刃が横に滑ったが、うまく切れなかった。すぐに、こいつが動いたせいだと声が上がった。
すると、先輩のひとりが、クラスメートにあごで指示を出した。クラスメートは、はい、と言って、あわててスマートフォンを取り出した。この状況を写真に撮って、脅す算段のようだ。果たして、カシャっと音が鳴った。スマートフォンが全員の手に渡り、大きな歓声が上がった。そして、
「これ、拡散させられたくなかったら、絶対動くんじゃねえぞ」
ああ、やっぱりこうなるのか。潤は無言でうつむいた。
それから、潤の身体は彫刻刀で切られ続けた。胸から太もものあたりまで、無数の切り傷が付けられた。わき腹には、ひときわ大きな切り傷が付いた。痛みに息が漏れた。
最初はひたすら身を固くしていた潤が、痛みに震えはじめるころ、旧校舎に校内放送が鳴り響いた。春先とはいえ、長くなった陽も落ちかかっている。何をしても無反応の潤を切り刻むのにも飽きたらしい彼らのうちの一人が、良いことを思いついたと言い出した。彫刻刀を片手に持ったまま、潤の太ももを強くつかんだ。その意図を察した潤がひっ、と声を上げた時だった。
「まだ誰か残っているのか」
廊下から教師の声がした。クラスメートと先輩は、手早く荷物をひっつかんで、窓から外へ逃げ出した。潤はひとり、裸で教室に残された。ここで見つかると、何かと厄介だ。潤は思考をめぐらせ、部屋続きになっている美術準備室の机の下に隠れた。教師は美術室に入ると、窓が開けられているのを見て、すぐに窓の外へ身を乗り出した。そして、クラスメートたちを見つけたのか、こら、と叫んだ。そして、ため息をついて窓を閉めると、潤に気づくこともなく出て行った。潤は教師の足音が遠ざかるのを確認してから、素早く服を着ると、先ほど閉められた窓を開けて、外へ飛び出した。
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