二 巣穴

 北の果て。

 それは前人未到の地であり、そこには悪魔が存在するとも楽園が存在するとも言われている。一度旅立った者は決して戻ってこず、それには「帰って来たくなくなるほどの楽園である」と「皆何らかに襲われ、死んだのだ」と「蒸しパンが食べたいのだ」いう三つの理由が囁かれていたが、真偽を確かめようとする酔狂な輩はほとんどいなかった。

 旅立ちに際してツギハギが用意した七つの荷馬車にはプリンプリン博士が反陽子エンジンとウイングレット付きの翼を取り付け、悪路でも難なく走れるよう改造を施していたが、それはもう荷馬車と呼べる代物ではなく、そして走るというより飛ぶものになっていた。

「デップリ王国の北の国境線はあの山の斜面に生い茂る『盛り盛り森』の中にある。未だかつてあの森を抜けた者はいないという……だが、しかし!」

 アダムは集まった部下たちを見渡し、笑みを浮かべた。

「この錚々たる顔ぶれで、不可能なことなど存在しない。そうだろう」

 各々、顔を見合わせて頷き合った。各自が自分の専門分野には一家言ある者ばかりであり、つまりは自信と実力とを兼ね備えた者たちであったのだ。微分者と積分者の夫婦、発明家、常に喋り続けていないと息が詰まって死ぬアナウンサー、反発係数15という人知を超えた尻の弾力を持つグラビアアイドル、右手が三本ある寿司職人、一度も闘ったことのない武闘家、果物を一瞬でドライフルーツにする能力を持つ八百屋、足の指と指の間から花のような芳香を放つ男、七法全書を全て暗記しているが暗唱する以外のことは喋れない法律家、その他大勢が集ったこの集団ならば確かにどのような困難も乗り越えることができよう。

「では皆、この荷馬車、いや自走式車輪付きロケットに乗り込むがよい」

 七台に分乗し、アダムたちはとうとう出発の刻を迎えた。

「いざ行かん!」

 アダムは発射スイッチを押すと反陽子エンジンが爆音を上げて稼働し、最高出力で飛び出した。アンとポンとタンを抜いた四十七人を載せ、七台の自走式車輪付きロケットはわずか数秒で時速にして数千キロまで加速し、木々をなぎ倒しながら一直線に盛り盛り森へと突き進み、わずか三秒で到着し、山の斜面に激突、そしてあえなく大破した。

 爆発。

 しばらくして、瓦礫と木の枝と粉塵と枯れ葉の中から、残念そうなプリンプリン博士の呟きが聞こえた。

「少しオーバーパワーじゃったか」

 それを聞いた全員の口から「少し?」という疑問がこぼれ落ちた。

 どうやら瓦礫が緩衝材の役割を果たしたらしく奇跡的そして御都合主義的に全員無事であったが、もう荷馬車は使えなかった。瓦礫となって散らばるのは改造を施された荷馬車の成れの果てである。ここからどうやって進めばよいのだろう、これはトンデモナイ旅立ちになった、としばらく呆然としている皆を他所に大破した残骸を調べていたプリンプリン博士は、飛び上がって叫んだ。

「諦めるのはまだ早いぞ。ここにある残骸を使えば全員で乗れる荷馬車ぐらいすぐに造ることができる。次はパワー抑え気味にするから三日ほど待ちなさい」

 こうしてアダムたちは盛り盛り森に三日ほど逗留することになった。さて、この盛り盛り森の名前はその地面、至る所にぼこぼこと盛り上がった部分があったり穴が開いたりしているその様子から付けられたという。

 それは地中に棲むとある生物、その名もビラビラガマガエルの巣穴である。ビラビラガマガエルは全身がビラビラした飾りに覆われた卑猥な姿のガマガエルであり、そのビラビラからは常にずるずるとした潤滑液が分泌されており、地中を掘り進む際に摩擦を軽減する役割を果たしている。ビラビラガマガエルの見た目は少し書くのが憚られるような形であり、しかも体長は七十センチメートルを超え、粘着質の潤滑液に濡れててらてらと光るその姿は筆舌に尽くしがたいほど淫猥である。そのビラビラを見た者はそこから目が離せなくなり、やがてその揮発した潤滑液を吸い込むことで意識を失い、倒れてしまう。倒れた人間はビラビラガマガエルによって巣の中に引きずり込まれてしまうのだが、その後どうなるかを知る者はいない。おそらくは食われるのであろう。食われるより恐ろしいことになっているかもしれぬ。

 そして恐ろしいことに、博士が荷馬車を造っている三日間の滞在の間に、部下たちが数名減ってしまった。部下の一人、常に喋り続けていないと死ぬアナウンサーも行方不明である。おそらくビラビラガマガエルの仕業であり、荷馬車は完成したものの、部下がいなくては国は築けぬ。アダムは出発を延期して、奪われた人員の奪還作戦を決行することを決意した。

 喋り続けているアナウンサーがまだ生きていれば現在自分の置かれた状況を実況し続けているはずであるので、アダムは部下たちに「ビラビラガマガエルの巣穴に耳を近づけてアナウンサーの声が聞こえる穴を見つけ出す」ことを命じた。

 全員が地面に伏せ、耳をぴったり地面に付けるという珍妙な格好を強いられ、数時間の捜索の後、もともと高齢であった数名が腰の痛みを訴え始めた。そしてとうとう、部下の一人がアダムを呼んだ。

「この穴から聞こえます」

「成る程、では行ってくるぞ」

 アダムは一切の躊躇を見せずに穴へと飛び込み、姿を消した。

 部下たちは、危険を承知で人命救助のために穴に飛び込むことのできるアダムを褒め称え、これぞ真の王であると感動の涙を流し、改めてアダムへの忠誠を誓ったのである。

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