二 女王の罠
さて、トンガリ王国の忠実な臣民であるメメロスはデップリ王国中から立ち昇る煙を目の当たりにして、ぎゃっと悲鳴をあげるとその場にひっくり返った。
「あの煙は戦の準備をしているに相違ないぞ」
もちろん魚を焼く煙であることなど知るはずもなく、メメロスは即座に王都へ知らせに参るべきだと考え、妹の結婚式を早めて終わらせてしまったあと馬小屋で眠り、正午きっかりに起き上がって走り出した。
さてその正午きっかりというのはもちろん女王が定めた出発時刻であり、ここデップリ王国の王都中央広場では男たちが鐘が鳴り終わった瞬間に我先にと駆け出し、そのあとからやる気のないアダムは少し気取ってムーンウォークでゆっくりとその後ろに付いていった。
実はこの女王、やや嗜虐性が強かったものだから夫が生きている頃は夫を縛り付けて鞭で打つことによって快感を得、夫であるマルマルフトッタ五世は縛られて鞭で打たれることで快感を得ていたのであるが、王国史編纂係などという役職に就いたばかりに聞きたくもない夜の生活についてさんざっぱら聞かされた私の苦労はここで記述するのは差し控えよう。思い出したくもないのである。その女王、夫が豚小屋に入って以来どうにも欲求不満を抱え、ここぞとばかりに男たちの慌てふためき泣き喚く様を眺めてやろうなどと密かに考えていたからさあ大変。男共が必死になって駆けていく様を見た女王はわくわくしながらそのときを待った。
さて、先頭の男が最初のカーブに差し掛かったときのことであるが、男の足元が突如として崩れ去り、足元には深い水を湛えた巨大な穴が現れたのである。もちろんそれは女王が命じて掘らせた落とし穴、団子になって転がり落ちる男の数およそ二十人、当然ながらこの二十人はここでUSBを濡らしてプレゼン資料データを紛失したことで資格を失い、穴の底でがくりと項垂れるその様を王城から見て女王は笑い転げた。なんとか立ち止まった後続の男たちもその更に後続の男たちに追突され、「はぎゅ」などという声を出しながら穴の中に落ちていった。穴の中では男たちが折り重なって呻いており、最終的にはここで五十人余りが穴の餌食となったのであるが、それを見た最後尾のアダムはこんなことなら最初から全力で走っておくべきだったと後悔し、ピッチを上げてムーンウォークのまま一躍トップに躍り出た。
穴を回避した男たちは更に走り続けるが、次に待ち構えていたのはオカメ鳥の群れであった。オカメ鳥というのは目が合った瞬間に笑わずにはいられないほど独特の醜い顔をした鳥であり、姿はダチョウに似ているが翼はあるし顔は大きい。翼を広げれば人間などすっぽりと覆い隠せるような生き物なのであるが、さてこのオカメ鳥、自分の顔を見て笑った人間には容赦なく攻撃を加えることで知られている。その攻撃というのは嘴で突いてその部分を舌で舐めることである。鋭利な嘴で突かれた部分は当然血を流すのであるが、そこを舐められるとオカメ鳥の唾液が体内に侵入し、その生物の遺伝子情報をオカメ鳥のそれに書き換えてしまうというこの上なく厄介な攻撃であるのだ。そもそも第一次人鳥戦争の発端はオカメ鳥の顔を笑った人間がオカメ鳥によってオカメ鳥に変えられてしまったことであり、その後はその人間の身内によってワクチンが開発されてオカメ鳥の再人間化が行われたことでその再人間化されたオカメ鳥の身内がオカメ鳥化された人間の再人間化にあたった人間をオカメ鳥化するというまさに人鳥入り乱れた泥沼のような様相を呈していたのであった。
さて、オカメ鳥とは第四次人鳥戦争の後に講和条約を結び(これはお互いに最大限の譲歩を見せてやっとのことで締結された条約であり、ナットー条約と呼ばれている)パンの中の世界の東半分をオカメ鳥、西半分を人間のものとすることで一応の合意を得た。オカメ鳥と人間どちらにおいてもその境界線を越えるときは届け出が必要であり、それを無視して侵入した場合は煮るなり焼くなりオカメ鳥化するなり、好きにしてよいことになっていた。
もちろんここに出現したオカメ鳥の群れは女王の許可を得てここにいるのであり、「オカメ鳥が人間をオカメ鳥化するところを一度見てみたいから」という極めて個人的な理由でそこにいるオカメ鳥は自分の顔を笑った人間についてはオカメ鳥化することが許されていた。このように、オカメ鳥と人間は少しずつお互いと共存する道を探っていっていたのである。
落とし穴を乗り越えて意気揚々と走っていた男たち、しかし先頭はムーンウォークのアダム。躍起になってアダムを抜かそうとするも、踊るような足運びによってアダムは依然として先頭集団を率いて走り続ける。さて、カーブを曲がると突然目の前に現れたオカメ鳥にアダム以外は頭は真っ白になり、しかし反射的に口角は上がり、ついつい吹き出してしまったためアダムの後ろにいた男たちは群れの数十匹から一斉に突かれたり舐められたりしてあれよあれよという間にオカメ鳥へと変貌を遂げてしまった。そのあとは悲劇の連鎖であり、カーブを曲がった男たちはオカメ鳥を見ては吹き出し、突かれ、舐められ、次々にオカメ鳥へと変わっていった。アダムだけはムーンウォークによって後ろ向きだったため、オカメ鳥の顔を見ることなく先へ進んだ。さすがのアダムもオカメ鳥にはなりたくなかったため、自分の後ろで起こっている悲劇を眺めて思わずほっとしながらも足はせかせか動かして首位を保っていた。
襲われた男の一人が「オカメ鳥だ」と叫び声を上げたので、それ以降の後続はオカメ鳥の顔を見ないように下を向いてそこを走り抜けたが、結局オカメ鳥の群れをくぐり抜けることができたのは最終的に八十一人しかいなかったのである。
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