2 勧誘
「客?」
来客の予定はなかったので、当然知り合いではない。
鬱金が全ての仕事を止め、三十代の若さで
鬱金は金の軍団長などと勝手に呼ばれたりもする少しは名の知られた軍人だ。
その鬱金がただのニートなどしているはずがないと探られているのか、ニートはもったいないと思われているのかは知らないが、とても鬱陶しい。
「そういう奴は断れと言ってあるだろう」
鬱金は手にした釣り道具を片付けながら、声をかけてきたメイドに顔も向けずに言う。
長い付き合いだ、多少ぞんざいな言い方をしたところで気にもされない。
「それが、私がお断りするのは……」
メイドは困った様な顔に、含みのある視線で鬱金を見上げる。
「分ぁかった、待たせておけ」
昼寝を楽しむつもりだった鬱金は朝早くから釣りに出掛けていて眠いこともあり、話を聞く前から不機嫌だ。
「で? 客の名前は?」
「はい、
メイドはねちっこくすら感じる声で答えると静かに部屋を出ていく。
この地の領主が訪ねて来ていては追い返す訳にも行かない。面倒相手に、鬱金は溜息をつくと準備に取り掛かった。
▽▲▽
鬱金は生まれ育った小さな国の王に仕えていたが、戦争で国を失い隠居の道を選んだ。仕官先はいくらでもあったのだが全てを断り、引退した。
鬱金最後の戦争の相手が立花の国、レオモレアだ。別に敵に恨みはないし、戦った相手というのは味方よりも評価してくれることが多いので、元敵方に仕官している者も少なくない。
ここレオモレアでは数か月前に大きな事故があり、王と王族に次ぐ地位にいた三人の将軍の一人を失った。
残る二人の将軍の内、次の王の最有力が立花の主、
このくらいの情報は鬱金でも知っている。そうでなくともこの立花という男は良くも悪くも有名だ。
▽▲▽
鬱金はのんびりとシャワーを浴び、しかし綺麗とはいい難い格好で客間に現れた。
洗いざらしのTシャツにゆったりしたボトムス、無精ひげの上に適当に乾かしただけの髪と、まさに休日のお父さんの格好だ。
とてもこれから領主様に会うような姿ではないが、これぐらい気の抜けた小汚い服装の方が迫力満点の容姿をもつ鬱金には似合っている。
もしもこれが目の前の立花のように、詰襟の軍服を基本通りに着て、乱れのないオールバックに固めた髪型だったら、初対面の者は緊張で話もできないだろう。
「お待たせして申し訳ない」
ソファに座ったまま唖然としている立花に声をかけると、立花は慌てて立ち上がり綺麗な動作で頭を下げた。
「こちらこそ突然お邪魔して申し訳ありません、立花と申します。レオモレアの桐生将軍に仕えておりまして、先日こちらの領主になりました」
若干高めの声で少し早口の、いかにも”神経質です”といった話し方だ。
しかし話し終えて向かい合った顔は少し微笑んでいて、口元も緩んでいる。メイドが含みを持たせるのも分かる美少年だ。
「領主様にわざわざ御出で頂いてお待たせするとは、本当に申し訳ない。遊んでばかりいると何も分からず……。
ここは今までは桐生様の領地だったはずだがいつの間に変わられたのです?」
全く悪びれもせず礼も取らず、鬱金は今まで立花が座っていた斜め向かいのソファに腰掛ける。
「まだ一ヶ月も経っておりません。しかも領主らしいことは何も出来ていませんので鬱金様がご存知ないのも無理ないことです」
「立花様がお忙しいのは自分でも知っていますからそんなものだと思いますよ」
いえ、と立花は首を振るが謙遜しているようには見えない。本気で忙しいとは思っていない様子だ。
「やはり噂は当てになりませんね」
鬱金の声には笑いが混ざっていて、立花にもどんな種類の噂のことを言っているのかよく分かったらしい。
「お恥ずかしい限りです」
うつむいてつぶやいた声はザラついていて、嫌みが通じた事に鬱金は満足する。
「立花様と言えば、神経質で傲岸不遜とか、人を人と思わないとか言われておられるが、実際は自分が遅れても無礼な振る舞いにも寛大でいらっしゃる。自分はお待たせしたことを叱責される覚悟でしたよ」
むしろそうしてくれなくて残念だ、と言う鬱金の真意を読み取って立花は顔を上げる。
「鬱金様のお気持ちも分かるのですが、まずは話だけでも……」
「仕事に未練はないのです。いまは遊びが楽しくて仕方ない」
「俺に仕えてほしいなどとは申しません。どうかご助力頂けませんか?」
鬱金を見つめる立花の眼差しは真っ直ぐで駆け引きなどは全く感じない。
「そういったお話はお断りしている」
「話だけでも聞いていただけませんか?」
「それは……どう言った話ですか?」
鬱金の拒絶は条件の問題ではない。今まで色々な士官の話を聞いて来たが、心動かされるものはなかった。
どんな条件なら仕官してもいいのかと聞かれても、欲しい物もやりたいこともない。鬱金は他人の下で働くことに疲れてしまったのだ。
少し考える様子をみせた立花はそれを振り切るようにきっぱりと言う。
「俺が、困っていると言う話です」
その思い詰めた様子は立花を追い返す算段をつけていた鬱金の笑いを誘った。
「困っているから助けが欲しいということですか?
それはそれは、話だけでも聞いて差し上げないと可哀そうですね。ただし、本当に聞くだけですよ?」
念を押すように付け加えると立花は反射的に頷く。
その様子が小動物のように可愛らしく、堪えきれなくなった鬱金は部屋に響くような声で笑う。
気難しい表情が消えた鬱金の顔は優しそうで親しみやすい。
笑い声で主人の機嫌を察したらしいメイドが茶菓子を持ってやってくると、良かったねといった様子で立花に目配せする。それに目礼で答えた立花は恥ずかしそうに顔を真っ赤にしている。
その様子がおかしくて鬱金は笑いながら思った。
何この子すげー可愛い、と。
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