2 主な仕事は餌付け


 パウロニア城は様々な様式を織り交ぜ、ギリギリ下品にならない様に装飾されている。

 贅を尽くした豪華なエントランスから東西に延びる表の四棟は、桐生の執務室の赤の棟で奥と繋がる。表の棟は落ち着いた歴史を感じさせる渋い外観で、その背後に真新しい白亜の高層建築がそびえ立っている。

 立花の執務室は、桐生の部屋から城内のエントランスへ出て、横に伸びる棟の一つ、緑の棟にある。

 一般の文官は一階、立花のような役職者は二階だ。

 セキュリティが厳しいため棗は初めて入ったが、普段いる奥と呼ばれる建物とは全く雰囲気が違う。重厚な色合いの扉が並ぶ廊下は息苦しい。



「ここだ、俺の隊色はこの色だから覚えおいてくれ」

 棗の事などすっかり忘れていたような立花が突然話しかけてきたので少し驚いてしまった。


 立花が開けた扉にはピスタチオグリーンの縁取りがされていた。桐生軍は部隊ごとに色が決められており、隊の中でも明暗で色分けされている。


「どの扉も隊色で縁取りされているのですか?」

「そうだ」


 振り返りもせずに答えながら通された室内は、他の執務室と同じように机が向かい合わせにに二つ並んだ秘書の部屋だ。

 本当に使っている人がいるのか、と聞きたくなるような物のない机だった。


「とりあえず、ここに座って」

 促され椅子に座ると棗も使い慣れたモニターと端末が二つあった。

 覗き込まれないように調整されているのだろう。立花は棗の真後に立って説明する。


「モニターに用件が流れてくるから、担当に振り分けるだけなんだけど……。

 それは分からないだろうから、色分けされてない用件の内容をこっちの端末で入力してくれれば良い」


 立花とならんでモニターを見ているわずかな間にもどんどん用件が増えていく。

 五、六色に色分けされた中に確かに真っ白な用件がある。全体的の一割ほどだろうか。


「それだけですか?」

「悪いけど、今日は教えられる人がいないから、分からなければ呼んでくれ」

 そう言って立花は隣の部屋に行ってしまう。


 こんな簡単な事を手伝わせるのを渋っていたのかと思ったのは用件の内容を読むまでだった。

「何これ、意味わかんない」

 内容が複雑過ぎて全く出来る気がしない。


「これはダメね」

 棗は独り言ちて隣のドアをノックする。

 しかし返事がない。

 嫌がらせですか? 返事ぐらいしてよ!! 心の中で叫んで勢いよくドアを開けたが誰も居なかった、というかそこは応接室だった。

 立花の執務室は応接室と立花の机が別らしい。


 若干気まずい思いをしながら、応接室の別のドアをノックすると今度は普通に返事があった。


 こじんまりとした部屋に壁いっぱいの本棚、窓に向いた机、そこは書斎のようだった。

「どうした?」

 振り返りながら聞いてくる立花は相変わらず何の感情も読み取れない。


「すみません。書き方が分からなくて、見本とかありませんか?」

「ああ、そうか……」

 立花は少し考えているが思いつかなかったらしい。


「じゃ、一個作るから」


 棗を伴い秘書室まで戻る。

 棗がフリーズした物を一瞬見ると近くの紙にサラサラと書いていく。嫌味なほど美しい文字だ。

 こんな感じかな、といいながら棗に紙を渡し案件の並んだモニターを見ている。


「元々誰もやってなかったから溜まっても気にしないで、焦ることないから」

 申し訳なさそうにしている棗に立花は優しい言葉を掛けてくれるが、完全にお荷物になってる状態に、棗は自信を喪失してしまっていた。


 ここには味方はおろか話し相手すらいない。一週間とはいえ受付すらまともにできないのではスパイどころではない。


 俯いて固まってる棗の様子に大丈夫か? と立花は棗の様子を気にしする。

「立花様……」

「どうした?」

「少しお話しできませんか?」

 分かった、と思い詰めた棗の様子に驚いて答える。




 応接室に行くと立花がコーヒーを淹れてくれた。

 棗がやると言ったのだが気にしないでいいと返された。


「別にここは着替えの手伝いもお茶汲みも装飾もいらないから侍女の人に手伝ってもらうことはないんだよ」

「そうみたいですね……」

「うん。気にならないなら何もしなくていいんだよ」

 優しく言った立花は顔色が悪い。


「でも立花様はお疲れみたいですから、お手伝いしたいです」

 頑張らなければと思うが立花は苦い顔をしている。

「気を使うよな? 断れなくてごめんな」

 楓相手に頑張っていたのは、棗の為でもあったらしく、何となく気が抜けてしまった。立花は思ってほど悪い人ではないらしい。


「静かですね、ここは」

 そうか? と立花は微笑む。今まで立花ひとりしかいなかったのだから当たり前なのだが。


 棗の職場は華やかさを信条として、主の好みもあるが所狭しと飾りたて、その日の服装を一通り褒め合うのが朝の挨拶という賑やかな所だ。


 実はさっきから立花が全く棗のことに興味を持ってくれないので驚いている。普通は棗が蘇芳の妹だと聞いたら、似てないですね~から会話が始まる物なのだ。



「桐生様からは立花様を休ませるように言われているそうですが、どれくらい働いていらっしゃるのですか?」

 立花には雑談を持ちかけにくい雰囲気があるのでまずは無難な話をする。


「どれくらい……? 俺は自分で選べるから普通だけど、今回は色々重なったからで……」

 立花は少し考えてから答えになっていないことを答える。


「人手が足りないんですよね? 補充はしているのですか?」

「入れてはいるけど教える暇が無いから……今度のが終わればなんとかするつもりだ」

「それは城を開ける用事の事ですか? どんなお役目なんですか?」

 立花はうーんといいながら棗を見つめる。


 話していいのかどうか悩んでるのだろう。棗としても選定絡みと思って食いつき過ぎてしまった自覚がある。

 それにしても立花に見つめられるのは落ち着かない。


 そうこうしている内に時間が終わったらしく廊下が賑やかになってきた。


「もう、帰っていいよ。お疲れ様」

 立花はそう言って部屋に戻ろうとしている。


 不味い! 情報どころか雑談すら出来ていない。

「立花様! 夕飯はどうなさるんですか?」

 棗の言葉には思わず力が入ってしまっている。


「えっつ? いや、普通に……」

「私、表の食堂には行ったことがないんです。ご一緒出来ませんか?」

 棗は精一杯可愛らしく見えるように頑張って言う。人の気を引くのにこんなに頑張ったのは初めてかもしれない。

「分かった……」

 立花は勢いに押されたように了承してくれた。意外と押しに弱いタイプのようだ。




 パウロニア城内は三交代制で、常時誰かが働いている為それに合わせて食堂もやっている。メニューはさほど多くないが、日代わりで色々なものが食べられる。

 奥の華やかものとは違い、広い食堂には色々なテーブルが統一感なく雑然と並んでいて、気を張らずに落ち着けるようになっていた。



 立花と並んで食堂に入ってきた棗は、周囲の視線が気になる。

 侍女の服を着た者は他に一人も居ないから目立つのは当たり前だが、それだけでもないような気がする。


「好きなもの頼めば?」

 立花は全く気にした様子がない。

「立花様は何にするんですか?」

 全く考えていなかったというか、食べる気すらなかったように困っている。

 目立つ二人が固まっていると声をかけられた。


「あれ? 立花? 珍しいなこれから飯?」

「……海棠かいどうも?」

 食べるかどうかすら決めかねている様子の立花に、海棠と呼ばれた背の高いスラっとした男が近づいてくる。


 海棠は立花の同期で武官として有名な男、棗も知っているが実際に話すのは初めてだ。

 こちらは? と爽やかに棗に向かって微笑む。

 流石は女性人気ナンバーワンと言われる男、色気が半端ない。


「一ノ方様の侍女で、蘇芳さんの妹の棗さんだ。しばらく俺の手伝いをしてくれる」

 棗には全くの無感情にしか思えない立花の言葉だが、海棠は全てを悟ったように頷く。


「へえ、じゃあここは初めて? 俺が頼んでくるから二人は先に座ってなよ」

「いや、俺は別に……」

「いいから! あそこ席取ってるから!」

 強引に発言を却下された立花はよろよろと席に着く、だいぶお疲れのようだ。


 程なくして海棠が器用に三人分の食事を運んできた。

「すみません、海棠様のお手を煩わせるなんて……」

 棗が恐縮しているが海棠は気にした様子もない。


「気にしないで、蘇芳さんの妹君とご一緒出来るなら当然です」

 そう言って棗の真向かい、立花の隣に座る。

 全員同じ物にしたようだ。立花が不服そうに量が多いとぼやいている。確かに棗にも多めだった。


「普通です。立花は棗さんが余ったらそれも食べるように」

 無理だよ~と情け無い声で立花は答え、しぶしぶ食べ始める。


「いつから手伝って貰ってるの?」

「今日、さっき」

 海棠の問いに立花が答える。

「へ~、それは大変そうだな。蘇芳さんは何て?」

 何故か海棠は棗の兄の様子を気にする。


「いえ、突然だったのでまだ誰にも」

「ふーん。それにしても全然似てないね」

「はい、私は母に似たので。父に似なくて良かったです」

「そうなの? 蘇芳さんは厳つくてカッコいいと思うけど」

 なあ、と同意を求められた立花はもくもぐと食べならがら頷く。


 一生懸命食べている様子の立花の皿に、先程から海棠は自分の皿の野菜を入れている。嫌いなものをと言うよりは立花の好きな物を入れているようだ。


「お二人は仲が良いんですね」

「まあ、子供の頃からずっと一緒だったし」

 海棠は当然といった様子だ。


「なんだか兄弟みたいですね」

「棗さんとこは仲良いの? 蘇芳さんは面倒見良さそうだけど?」

「全然! いつもいじめられてました!」

 身内に有名人がいると大体人はその話をしてくる。そんな訳で棗は今まで会話を人に任せていれば良かったのだと気がついた。


「そう言えば、立花髪型変えたんだな〜」

 海棠は何か意味ありげに微笑んでいる。

「何と無く、気分だ」

 立花は気まずそうだ。


「なんか悲しいわ。

 別に前髪が有っても無くてもいいけど、むしろ有る方がお前には似合ってると思うけど、人に言われて変えるとかなんか裏切られた気分だ」

 立花は前髪を気にしながら海棠を睨んでいる。

「別にいいだろ、なんでも!」

 そうだけどね~と海棠は周囲を見回す。


 その様子に棗は思わず口を挟む。

「なんか、凄く視線を感じるのですが……」

「あー、立花がいると大体こんなもんだから、しかも髪型違うしみんな興味津々なんだろ?」

 なるほど、だから立花は気にしていなかったのかと納得する。


 食事を終えたらしい立花はコーヒーを飲み始める。

「もういらないの? これだけ食えよ」

 海棠はお肉を立花の口に運んでやる。立花は嫌そうな顔をしながらも大人しく餌付けされている。

 海棠に食べらせられた肉が大き過ぎたのか頑張って咀嚼している姿は、頬袋をいっぱいにしている小動物のように可愛らしい。

 ツンデレね、立花様はツンデレだったんだわ!

 棗が新しい発見に目を輝かしていると海棠が言う。


「それにしても、さっき会ったばっかりで立花を食堂に連れてくるなんて、棗さんは良い仕事するね」

「はい?」

「イヤ、立花は空腹中枢とか壊れてて胃が痛くなるまで絶食するから、誰かが見張ってないと心配なんだ」

「なんですかそれ?」

「んーまぁ、とりあえず、こいつに餌を食べさせるだけでもみんなに感謝されるよーって話かな? どうせ桐生様もそのつもりで頼んだんだろうし」

「子供じゃないんだから必要ない」

 立花は不満らしい。


「いや、子供だって一人で飯ぐらい食うから、なければ食べる努力するし、子供以下だお前は!」

 立花の渋い顔を一瞥した海棠は棗に言う。

「そんな訳で飼い主になったつもりで餌付け頑張って下さいね、棗さん」

「はぁ、そんなことでよろしいのですか?」

「うん、こいつの所はそれ以外ほっといても誰かやるから大丈夫」

「わかりました。それなら私にも出来そうです!」

 棗はどうにか自分にもできそうなことが見つかりほっとする。


 これなら立花様から情報を聞きだす事も出来るはず、と棗は心の中で拳を握る。相変わらず何を調べていいのかさっぱりわからないが、そのうち何とかなる、はず。




 棗がこれまでの経緯を報告し終わると楓は深い深い溜息をつく。

「とりあえず、棗は立花とも普通に話が出来てるみたいで安心したわ」

「どういうことですか?」

「あの子狐は差別が激しいから、人選を間違うと会話すら出来なくなるのよ。」

「差別……ですか」

「そう、後は立花の行動を調べて、特に交友関係とプライベートを」

 はい、頑張ります、と返事だけは威勢良く楓との会話を終えた。

 交友関係にプライベート? そんなものプロにでも頼んで! と思いながら。

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