3 取り扱い注意生物


 翌日立花の執務室を訪れると、既に秘書官らしき女性が居て立花と話していた。


「棗、こちらはウチの補佐官だ。今日からは椿つばきに着いてくれ」


 立花は簡単に紹介だけするとさっさと消えてしまった。

 椿は目鼻立ちのハッキリした美人で、棗よりもひと回りほど歳上に見える。

 補佐官とは戦時に男達が出払った時の責任者になる居残り組のトップだ。

 そんな人に時間を作ってもらうなんて、なんだか申し訳ない。


「初めまして棗さん、とりあえず制服を持ってきましたから着替えて来てください」

 渡されたのは椿も着ている軍服と同じデザインで下がスカートになった物だ。

 言われるままに着替えてみると意外と可愛らしい。髪型も服装に合わせてハーフアップにした。今までの華やかな雰囲気から清楚な感じになったと我ながら思う。



「どうですか? 似合います?」

「そうね、きっと棗さんなら大丈夫だわ。いい? これから注意事項だけ先に説明するから、とりあえずこれだけは気をつけて!」

 椿は真剣だ。機密も多いのだから当たり前だが情報一つで人の生き死が変わってくる。


 棗は気を引き締めて頷いた。

「まず、立花様には不用意に近ずかないこと」

 確かに立花の周りは機密で溢れていることだろう。


「できるだけ感情的に話さないこと、甲高いヒステリックな声を出さないこと。

 後は突然大き声を出したり、驚かせる様な行動はしないこと、分かった?」

 何かおかしい、これではまるで人馴れしていない動物へ注意事項だ。


「はい……それは全部立花様に対してってことですか?」

「そうよ! あの方は女性恐怖症気味だから気をつけて! お願いよ」

 切々と椿は棗に懇願する。


「何かあったんですか?」

「語るのもおぞましい事が色々あった所為で、本当に可哀想だったの。あんな怯えた動物を見守る様な日々は二度と来てほしくないからね、これだけはお願い!」

「はい……」

「ありがとう。棗さんは一ノ方様の関係者だからとても心配だったの」

 良かったわ、と椿は微笑む。


 昨日の海棠にも思ったが立花に対して過保護過ぎだろう。

 もっとも棗に警戒心を抱くのは無理もないことだが。



 パウロニアには王宮ほどではないにしろ立派な城に、若干多すぎる将軍の妻が住んでいる。きっとこれからも増えることだろう。何故なら桐生は大陸一の女好きと言われ、周囲の国を平定する度に妻となる人が貢がれてくるからだ。

 一人の妻には多すぎるほど女性が集まれば派閥が出来る。将軍の妻達ともなれば権力があるだけに女達に止まらず、男達も絡んで凄まじい。


 一番の勢力は正妻の楓、レオモレアの風習で貴人の女性は夫以外に名前を呼ばれない為、一ノ方と呼ばれる。この派閥は将軍になる前から桐生に仕えていた者が多い。

 二ノ方は穏やかな性格の市井の出身で、取り巻きも同じ境遇の者が多い。派閥と呼べる程の権力はなく、精々が領主筋の者に差別されない為の自衛といった程度だ。揉め事を好まない二ノ方は楓の勢力下とも言える。

 楓に対抗しているのが三ノ方で、桐生が将軍に成ってから妻に迎えた正真正銘の元お姫様。

 大変気位が高く、奥で起こる揉め事には必ず三ノ方が関わっていると言われる。取り巻きは代々の領主筋が多く、桐生も苦労しているらしい。


 立花は市井の出身なので、もし派閥に属すとすれば、二ノ方経由で楓派になる筈なのだが、楓も三ノ方も立花の事を良く思っていないので、立花は奥の派閥には関わっていない。寧ろ敬遠しているぐらいだろう。噂では奥から様々な嫌がらせを受けているらしい。



 そんな理由で奥からの回し者、棗が立花の元にやって来たのは新手の嫌がらせと認識されている。棗にしてもスパイのつもりで乗り込んでいるのだ。それなのに何故過保護な人達に安心されているのかさっぱり分からない。


「あの、何故私は大丈夫なのでしょう?」

「だって棗さんは可愛らしいし、女性というより女の子って感じで……」

 なるほど、みんな棗の事を子供だと思ってるようだ。

 しかし立花とは二歳しか違わない。十八歳が子供なら二十歳だって子供だ。納得いかない。


「注意事項は分かりました。後は何をすればよろしいのですか?」

 棗は椿から昨日全くできなかった受付のやり方を一から教えて貰った。椿は物覚えがいいと褒めてくれたが、子供扱いされている様で複雑だった。




 夕方になり棗の担当時間が終わったが、結局立花を見たのは朝だけだった


「立花様はいつまで働いてるんですか?」

「今日も帰らないんじゃないかしら、この壁の向こうが仮眠室になってるから、眠くなったら休むでしょ」

「食事はされたんでしょうか?」

「さあ? どうかしらね?」

「私、海棠様との約束があるのですか……お声かけてもよろしいでしょうか?」

「ここに用意するならいいんじゃない? 食べに行ったりはしないと思うわ」

「分かりました、じゃあ買ってきます。椿さんもどうですか?」

「そうねえ、なんか面白そうだから頂くわ」

 椿は何故か人が悪い笑みを浮かべていた。


 棗が奥で人気のマフィンを買って執務室に戻ると椿がお茶を用意してくれていた。

 立花を呼んでくる様に言われ、声をかけたが返事がなかった。

 少しだけドアを開けると、話している様子はなかったので改めて声をかけて中に入る。

 立花はメガネを掛けて壁を見つめていた。メガネがないと見えない情報が映っているのだろう。


「立花様?」

「なんだ?」

「お忙しいですか? 海棠様との約束を果たしたいのですが……?」

「約束?」

 律儀な立花は案の定約束という言葉に反応する。

「はい、マフィンを買ってきました。一緒に食べましょう」


 有無を言わせず立花を応接室に連行すると椿がいい笑顔で迎えてくれる。

「お疲れ様です。立花様、ご用意出来てますよ」

 しぶしぶ腰掛けた立花にはコーヒーが用意されていた。

 一口サイズのマフィンをしばらく見つめていた立花は、恐る恐る齧ると、味わう様に目を閉じる。


「甘いもの苦手ですか?」

「いや……」

 立花はコーヒーで流し込むように食べきる。

「苦手なら言ってくださればいいのに」

 棗が怒ったように言うと立花は気まずそうだ。


「別に嫌いな訳じゃ……」

 椿が二杯目のコーヒーを渡しながら微笑んで言う。

「食べられる時と食べれない時があるだけですよね?」

「食べる前に分からないんですか? それ」

「……なんかごめんなさい」

 棗の言葉に立花は謝る。意外なほど素直だ。


「立花様は何が好きなんですか?」

「私も興味ありますわ~何を勧めても食べていただけないですものね~」

 椿はねっちこい言い方で立花を追い詰める。立花の餌付けで困っているのは事実のようだ。立花は気まずそうにしている。


「ところで立花様はいつからお家に帰ってないのですか?」

 椿に言われ、立花は少し考える様子の後、表情を曇らせる。


「そろそろ帰らないと、また強制連行されますよ」

「立花様は城内にお住まいではないのですか?」

 妻帯者以外は城内の寮に住んでいるのが普通だ。


「家庭の事情で……」

 立花は言葉を濁す。本当に秘密主義者だ。棗の立場も知らないで。

「今日はお帰りになったらいかがですか?」

「そうだな……」



 着替えてくると出て行った立花を待って、一緒に帰ることにする。そうはいっても寮住まいの棗が一緒に行くのは本当に途中までだ。


 上着だけ普段着に着替えた立花は軍服の威圧感が消え弱々しく見えた。

 棗が感想を言おうとするのも聞かずに歩き出した立花は、玄関ではなく裏口に向かう。何も言わずに着いていくと棗には馴染みのない施設があった。



「あれは、なんですか?」

「軍用犬の訓練所だ」

 立花は建物には入らずに隣接する林に向かって歩いていくと、その先から数頭の犬が走ってくる。

 棗が思っていた犬とは全く違ってかなり大きい。


 犬たちはそのまま立花を取り囲み嬉しそうにしている。棗は全く相手にされない。

 その中の一番立派な一頭が立花の前に来てお座りをすると、立花は見たこともないような穏やか笑顔でその犬を撫でる。


「ロブ、こちらは棗さんだ」

 ロブと呼ばれた犬は、ピンと立った耳の黒毛の短毛種で怪我でもしたのだろう、片方しかない目で棗を観察するように見つめ鼻をならす。


 立花は何が可笑しいのかクスッと笑う。

「じゃあ。俺は帰るから、棗さんもお疲れ様」

 立花はリラックスした表情で他の犬たちに挨拶するとロブを連れて帰ってしまった。


 犬達は立花を見送ると、初めて棗に気がついたようにこちらを見る。飛びかかってきたりはしないがなんだか怖い。


 見た事も無い大型犬に囲まれて怯えていると、建物から男の人が出てきた。

「おや? お嬢さんは立花のとこの人か?」

「ええ、そうです。昨日きたばかりで……この犬はどうしたら?」

「ああ、これ? 飛び掛ったりしないから普通に帰って大丈夫、危ないのは柵の中だから」

「あ、ありがとうございます」

 どうやらここの施設の訓練士のようだった。


「怖いなら送るよ、寮でいいのかな?」

「はっはい。心強いです」

 棗が喜んで返事をすると人の良さそうな男は可笑しそうに笑う。


「あはは、見た目怖いからな〜まぁ上司の好みだから我慢してやって」

「上司?」

「そう、立花は大型犬が好きでさ〜」

「さっきロブに会いました」

「へえ? じゃあ立花も居たのか? 気が利かねぇなぁ、あいつは」

 立花の事を上司と言いながら辛辣に言い放つ感じは大分仲が良さそうだ。


「ロブは立花様の犬ですか? 怪我してましたけど……」

「そうだ。ここのボスだな、あいつは凄いぞ~立花にしか懐かないけどな」

「むしろ立花様が懐いてるように見えました」

「そうか? あはは、そうかもな〜ロブの方が親みたいだしな」

「ロブはいつも立花様と一緒なのですか?」

「外行く時は必ずな、朝は運動がてら遊んで行くし。毎朝来てるから寄ってみれば?」

「えっつ?」

 訓練士の言葉に思わず驚いてしまう。


「お近付きになりたいんだろ、立花と?

 あいつはガード固いからな、それに鈍いし、こんな可愛いお嬢さんを犬の群れの中に置き去りにするなんて嫌がらせだよなぁ」

「やっぱり、嫌がらせですか? 私嫌われてます?」

「さあ? 嫌がらせのつもりはないと思うけど? 犬を怖がる奴がいるってのを忘れるみたいだな」

 あんなに頭いいのにバカだよなーと男は笑う。その様子は知人の子の話でもしているようだった。


「立花様は好かれてるんですね」

「君も噂を聞いてきたタイプ?

 まあ、全く的はずれではないよ。規律に煩いし、薄情だし、でも君の見たままだよ。

 別に呼び捨てにしても悪口言っても怒らないし、悪意も悪気もないけど人に嫌われるんだよなぁ。本当不思議」

「可愛げがないです」

「はは、そうかなあ? 懐くと可愛いんだけどな、一人で頑張って無理してるところとか、プライドが高いから見せられないんだろうな。可愛いけどなぁ」

 そのあとも男は立花に対して可愛いを連発しながら棗を送ってくれた。


 そして思い出したように棗の事も可愛いと付け足してくれた。

 別に気を使わなくてもいいと思ったが、立花は棗の制服姿にもスルーだったため少しだけ自信を取り戻した。

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