第2章 棗の棘 第1編

1 困難な要求


 うららかな日差しの降り注ぐ森の国レオモレア、商業都市パウロニア。

 その城内のある執務室で侍女のなつめはこの部屋の主、かえでと向かい合っていた。


「しばらく子狐の所で手伝いをしてもらいたいの」

 楓の艶のある話し方は単刀直入で独特の迫力がある。


 街を一望する窓を背にし、腰までの黒髪にロイヤルブルーのシンプルなドレス、拳ほどの大きさの宝石を身に纏う楓は相変わらず目に痛いほどの鮮やかだ。


「立花様のお手伝い、と言うと具体的にはなんでしょう?」

 一方で棗は小柄で可愛らしい顔立ち、侍女の制服にしては装飾の多いストライプのワンピースが大変よく似合っている。


「さあ? 受付とかお茶汲みとかなんじゃないの? 客も来なさそうだから楽よ、きっと」

 楓はだるそうに肘をついて片手でペンをもてあそんでいる。


「そんな楽なお仕事を何故手伝うのですか?」

 主の命令に意見するなどもってのほかだが、何も分からないままでは話にならないし、多少文句を言ったところで楓は気にしない。



 楓はレオモレアでは王族に次ぐ地位のこの国に三人しかいない将軍の一人、桐生の正妻である。しかし桐生が将軍になる前は侍女の経験もあり、面倒見が良く気安い人柄で姉御肌、子供も居ない為、お妃として大人しくしていることはほどんどない。



「手伝いって言うよりは休ませろってことね。旦那の話じゃ、あのガキ新しい部下に秘書の殆どをつけたみたいでまともに取次もできないらしいわ」

 本当に鬱陶しい、と吐き捨てるように付け加える。


 楓は子狐こと立花を良く思っていないので、この程度の発言はいつもの事だ。嫌いな筈の立花を何故楓の侍女の棗が手伝うのか、と言う疑問は残るが、流石にそんな事までは聞けない。



「これは桐生様からのご命令ですか?」

「命令って程でもないわ、でも今はどこも人手不足でしょう? 頼めそうなのは奥ぐらいってことみたいね、いいかしら?」

「はい、私でお役に立てるのでしたら喜んで」

「ありがとう、では早速行きましょう。旦那の所に居るはずだから」


 棗は楓の後について行きながら必死に楓の真意を考える。

 いくら夫の桐生の頼みとはいえ、怪女の異名を持つ楓が、何の思惑もなく嫌いな人物に手を貸すなどありえない。恐らくはスパイの真似事でもしろということだろうが、一体どんな情報を見つけてくればいいのかさっぱり分からない。




 立花と言う男は桐生が将軍に成ってすぐ召し抱えた市井しせいの出身者で、早くから文官をしている。

 二十歳と若いわりにその生真面目過ぎる性格で、口煩いと多くの者から煙たがられる存在だ。


 棗自身は桐生が将軍になる前から続く領主の家に生まれ、兄が桐生に武官として仕えている関係で十七歳になった、一年ほど前から楓の元で侍女の役目をしている。


 そのせいか立花の話は、侍女になる前からよく聞かされていた。殆どが愚痴ばかりだった所為で全くいい印象を持っていない。

 棗の立花に対するイメージは狐に例えられる様に狡猾こうかつで神経質、厚顔不遜こうがんふそんと、恐らくは世間一般と同じだ。

 実際、兄には不愉快な思いしかしないから出来るだけ立花には関わるなと言われていた。



 しかし楓の六人いる侍女の一人でしかない棗が立花と接する機会などそうはなく、初めて顔を見たのはつい先日の事だった。




  ▽▲▽




 しばらく待たせておけばいいと楓に言われた為、飲み物も出さずにいた立花を控室に迎えに行った時の事だ。

 所在無くソファに座って窓の外を眺めていた立花は、大変美しかった。


 顔立ちは全体的に小作りで派手な所はないが、バランスがよく端正で、姿勢も服装も折り目正しい。詰襟の軍服姿は堅苦しくはあるがとてもよく似合っている。


 思わず見とれてしまったのは絵画の中の様などこか寂しげな雰囲気の所為だったと思う。



「立花様」

 すぐに顔だけは良いと言われていたのを思い出し、冷たい声をかけた。棗の声に反応してこちらを向いた顔には、何の感情も浮かんでいない。


「お待たせしました。ご案内いたします」

 軽く会釈して立ち上がった立花は小柄な棗より頭ひとつ高いほどで男性にしては小柄な方だ。


 迂闊うかつにも見とれてしまった屈辱で一層硬い表情になった棗は応接室の扉を開け、立花を通した。

 棗を全く気にした様子もなく目の前を通り過ぎた立花からは、爽やかな良い香りがした。


 立花と楓が話している間にお茶を出し、側に控えながらなんとなくその様子を眺めていたが、お世辞にも楽しそうとは言えなかった。


 立花は城内の報告をしているが楓は立花の方を見ようともせず、話にも興味がなさそうにして聞いているだけだ。わざわざ立花が来て報告をする様な内容とも思えない。

 立花の話が終わると楓は本題を切り出した。



「ところで新王の選定はどうなっているの?」

 レオモレアの王は先月事故で崩御してしまった。棗はお目にかかったことすらないが、何十年と領土争いの続く乱世で、いい意味でも悪い意味でも存在感のあった王が亡くなり、国内はかなり混乱している。



 本来ならナンバーツーの首席将軍が新王になるのが一番簡単なのだが今回の事故の原因が、首席将軍が無理を言って王に援軍を頼んだことだった為に首席将軍は旗色が悪い。

 一方で楓の夫の桐生は天候の悪化を予測して警告したり、いち早く救助に向かったりと活躍した為に、対外的には新王の最有力とされている。


 しかし国の上層部は桐生を良く思っていない。立花と同じく市井の出自で、しかも親も分からない身分だからと言った理由で疎まれている。

 その上先王に気に入られて手柄を重ね、将軍にまで成ったので妬まれてもいる。

 しかも首席将軍にはなんかチャライからと言って嫌われている。

 簡単に言うと桐生は古参の幹部に嫌われ、新人の幹部に好かれているのだ。



 そんな訳でレオモレアは、新王の座をめぐる二人の将軍の静かな一騎打ちの真っ最中である。



「一ノ方様にもお願いした通り、他国に行かれている先王の妹君と弟君に心配りをお願いしておりますが……」

「妹君は無理よ、弟君の方は?」

「弟君は桐生様に着いて頂ける事になっています」

「そう、で? どうする気なの?」


「一度皆で集まって話し合うことは決まっておりますが……」

「はっきりしないわね! あの人が王になるかならないかで全然変わってくるのよ!」

「誠心誠意努力をしております……」

「全く、話せる範囲でいいから状況を教えて頂戴」


「はい。桐生軍は周辺国との講和が成立するしておりますが、首席は調整に時間がかかっているようです。最悪雨季にならないと話し合う事も出来ないかもしれません」

「その間は何をしてるつもりなの?」


「有力者の取り込みですが、選挙になると桐生様には厳しいかと思われます」

「どうして? 今回の功労者はうちでしょう?」

「あまり大勢人をを集めると問題が有ると人数を絞られると思いますので……」

「古参が集められたら無理ね、では選挙にはしないつもりなのね」

「お答えできません」

「ふん、まあいいわ。大体分かったから。それにしてもお前この私を随分待たせたわね?」

「申し訳ありません……」


 楓の威圧にも一切表情を浮かべず、何もかも淡々と話し終えた立花は丁寧に挨拶をして去って行った。この辺の態度が慇懃無礼と言われるのだろう。

 送り出した楓も疲れた様子で溜息をつく。



「本当に噂通りの方なんですね」

 棗が感心した様に言うと、楓は笑って答えた。

「まあ、期待は裏切らな男なのよ、色んな意味で」




  ▽▲▽




 そんな話しをしてから数日だ。やはり探るべきは新王選定のことだろうか? 棗が必死に頭を働かせている間に、桐生の執務室まで来ていた。

 中では桐生と立花が話しをしていた様だ。


「話は通してるのね?」

 相変わらず単刀直入に楓が桐生に話し掛ける。

 立花は場所を譲り、楓と棗に会釈する。


 行儀悪く机に腰掛けた桐生は、中肉中背と体格は普通だが金に染めた髪に華やかな表情と卓越した社交術で見る者の心を奪う。

 夫婦揃って服装はいつも派手だ。


「ん〜まぁ、立花、大丈夫だよね?」

 桐生は少し困った様な様子で立花に話を振る。

「しかし、手伝いと言われましても……教える暇もありませんので……」

 立花は顔を上げずに答える、全身で拒絶しているようだ。


「少し時間を作ればいいでしょう? この私を一日中待たせたんだから他も似たようなものでしょう?」

 立花のいかにも邪魔だ、お荷物だと言わんばかりの様子に楓は不愉快そうだ。


「ん〜、どうかな~立花? 誰かに時間作らせてさ〜頼むわぁ俺からも」

 言葉ほど頼んでない様子の桐生に立花はしぶしぶ答える。


「わかりました。来週城を空けますのでそれまでの間でしたら……」

「よし、一週間お手伝いをしてもらうってことで、決まりで~」

 桐生は話を早く切り上げたいのだろう。楓の意向も聞かずに決めてしまう。

 楓はそれが気に入らないのか露骨に舌打ちでもしそうな顔をしている。


「分かったわ。このは棗、蘇芳すおうの妹よ。くれぐれもよろしく。

 では、行ってらっしゃい」

「はい」

 棗は大人しく従うが立花は驚いた様だ。


「これからですか?」

「何か文句あるの?」

「いえ……了解いたしました……」

 楓に本気で睨まれた立花は流石に大人しく従った。




 楓に強引に押し切られ、立花の後をついて行くが、先ほどから立花は一切棗の方を見ない。

 歩きながら通信で誰かと話をしている様だ。


 可愛げのないと、棗は立花の背中を見ながら思う。

 主が気遣ってくれているのだ、どんな迷惑だって喜んで受け入れるべきだろう。それに受付やお茶汲みに教えなどいらない、棗はそう思っていた。

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