第16話

 俺には、大学に全く顔を出さなかった期間が一年半ある。

きっかけは友達の竜二とのトラブルだった。俺は竜二の顔を見たくなかったし、初めて味わった裏切りじみた行為に傷ついてもいた。もともとあまり真面目なたちでもないので、学校をサボったり途中でフケたりするその加速ぶりは、自分でもあきれるほどだった。


 大学に行かない一年半の中でも、特に最初の頃は、寂しいのに人と関わりたくないという矛盾した心が、のた打ち回るように不安定だった。人との会話が極端に少ない毎日で、コンビニや飲食店の店員、もしくはパチンコ屋の店員や常連客と、ほんの何言かの会話をするだけ、というのが常だった。

 不安定な心のバランスを取るかのようにパチスロに没頭していた俺だが、家に帰ってからは、うそ暗い寂寞の時間を埋める必要があった。そんなとき頼りになるのが、テレビだった。人が映っていて、話したり笑ったりする様子を眺めるという、ただそれだけのことを俺は渇望していた。

 夜11時から深夜2時半にかけてが俺の主なテレビタイムで、水金土には、時が過ぎるのが惜しいくらい楽しい番組があった。


 そうして、パチスロやテレビで気を紛らせながら日を過ごしているうちに、少しずつ最悪の状態からは脱していった。大飯を食ったり、テレビを見たり、音楽を聴いたり、オナニーをしたり、本やマンガを読んだり、11時間眠ったり、落語を聞いたり、海を見に行ったり、旅行をしたりしているうちに、一日、また一日と月日は流れていった。


 大学にまた通うことを考えると、嫌で嫌でしょうがなかった。しかしかと言って大学を辞めてしまうと、今まで6・3・3の計12年も学校に通ってきたのが無駄になるし、両親や祖父母の悲しむのは目に見えてるし、他に何をするあてもない。俺はずるずると結論を先延ばしにしていたが、最終的にはまた通う決心をつけた。


 久しぶりの大学は思った以上に辛かった。朝が起きられないし、些細なことにイライラしてしまうし、そういう肉体的な辛さが、常につきまとっている感じだった。  

 竜二のことはもうそんなに気にならなかったのだが、大学にいると、友達がいないこと、単位を落としまくっていることを、常に痛感しながら過ごさなければならない。見栄坊な俺にとって、大学に通うということは、自分の惨めさを宣伝して回るのと同義だった。プライドはズタズタのボロボロになって、気が狂いそうだった。そんな中では、まともに勉強などできるはずもなく、講義が頭に入ってこない。

 俺と同期で入学した学部内の面々は、男女いずれもずいぶんと打ち解けていて、かつてはさえなかった者があか抜けていたり、恋人ができたらしい者も少なくなかった。それがまた俺の疑心に火をつけて暗鬼を生じた。 


 苦しい日々の中で、俺はその苦しみの本体を突き止めようと考えていて、あるときふと気づいた。

 結局俺の苦しみは、人と比べることによって発生しているのではないか。もし仮に、大学にいる人間が皆落ちこぼれの独りぼっちだったとしたら、俺はこんなに苦しんではいないだろう。ということは、人と自分を比べることをやめて、「人は人、自分は自分」と切り離して考えたらいいのではないか。

 以来、俺は「人は人、俺は俺」という言葉を自分に言い聞かせたり、よほど辛いときには手のひらに小さくペンで書いて眺めた。


 とはいえ、いくら「人は人」と思っても、楽しそうな学生たちの様子が目に入れば羨ましくもなる。どれほど「俺は俺」と思っても、独りぼっちの寂しさや落ちこぼれの大変さに涙したくもなる。俺は自分の情動が鬱陶しかった。

 そもそも、人を羨ましいと思う気持ちや、自分が人より惨めだと思ってしまう根本はどこにあるのだろうか。本能のようなものかもしれない。だが、例えばアフリカのマサイ族でライオン狩りが上手い男は羨望の的になり、下手な男は劣等扱いされるというが、日本にはそんな価値観は無い。つまり、羨望や劣等という感情は本能かもしれないが、その価値観は後天的に形成されるということだ。


 俺は、自分の価値観を、自ら形成しなおそうと考えた。何年にもわたって体にしみ込んでいるものを無理に変えてしまうと、人格に変調をきたすかもしれないと思ったが、仕方がなかった。苦しみに押しつぶされて人格が破綻するよりはましだった。

 そういう観点で行くと、テレビは楽しいが、しかし、俺にとって最も有害なものではないかと気づいた。当たり前のことだが、テレビ番組の出演者の多くは、世間一般の価値観を持っている。番組によっては、知ってか知らずか、ある特定の価値観が正義だと主張するかのような場面も出てくる。俺のように、他人とのつながりが希薄な人間にとって、そういうことの集積が、何に羨望し何に劣等するかという価値観を形成すると言っても過言ではない。


 俺がテレビをブン投げたのは、八つ当たりであり、決意であり、もがきだった。

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