第15話
精液を美奈の尻の上に吐き出してティッシュで事後処理をしたら、体じゅうを満たしていた熱っぽいものは次第に抜けていった。
横たわった半裸の美奈。脱ぎ捨てた衣類。テーブルの上のビールの空き缶。美奈のケイタイ。空になったタコ焼きのパック。そこに投げ入れられたピスタチオの殻。そういうものが、何を訴えるでもなく視界の中にあった。
美奈がこっちに顔を向けたのが分かったが、俺はそのままじっとして視線を動かさなかった。
「どうしたの?」
俺は、ん、と声だけで答えた。視界の端に、ぼんやりと美奈の顔が見える。
無言の時間が膨らんで、パチンとはじけたかのごとく俺は正気に返った。美奈の顔を見ると、もう一度、どうしたの、と聞かれた。
「どうもしてないよ。ぼーっとしてただけ」
「つかれた?」
「全然」
「なんか、……今日すごかったね」
俺はおかしいやら照れくさいやらで、はっ、と息を吐いた。
「何が?」
「ウフフフ。ねえ、布団とって」
美奈は布団を胸までかけた。俺も同衾し、枕に頭をのせる。顔と顔とが向き合うと、美奈は俺の胸をつついて、激しかったね、と言った。
「ハハッ」
「電気も消してくれないしさぁ」
「うん」
「なんでなの? なんかあった?」
「別に、何にもないけど」
「フフッ。ね清太さん」
「何?」
「今日泊まっていい?」
俺は、ああ、いいよ、と答えた。
女の子を家に泊める、というのは、大学入学当時の俺の、やってみたいことの一つだった。俺の胸を占めたのは、美奈が泊まるそのこと自体の嬉しさと言うより、一度は諦めていたことが今こうして現実となっている不思議さだった。
美奈が俺の脇腹を指先で撫でて、いたずらっぽい顔で俺を見た。それはまだ大丈夫だったのだが、マニキュアを施した硬い爪でちろちろと触られて、俺は思わずピクリと体を引いた。
「アハハ。くすぐったい?」
美奈の服の裾から手を入れて、直に乳首を触り返した。美奈の目は、じっと俺を見ている。
どんな感じ、と俺が聞くと、美奈は笑って何も言わなかった。
俺は起き上がり、リビングの電気を消した。台所の明かりだけがリビングに入り込んで、ちょうど良い薄暗さになった。
美奈が、何で電気消したの、と言った。
「俺いつも家いるときはこの明るさなんだよね。明るすぎるとなんか落ち着かなくてさ」
「えー、何それぇ。じゃあさっき消してくれればよかったのに。意地悪ぅ」
「ははっ。でも、どっちみちセックスするには明るすぎるんじゃない?」
「ん、まあ、そうだけど。さっきのは明るすぎだよ」
実を言うと、さっきまでは気持ちが昂ぶっていたから平気だったのだが、事が終わってみると、明るいところで美奈と顔を突き合わせているのが照れくさかった。
俺がベッドに腰掛けてタバコをふかしていると、背中から美奈が、私のケイタイ取って、と言った。
「家に連絡しとかなきゃだから、ちょっとメールするね」
「お母さんに? 何て言うの?」
「エリナの家に泊まるって言うよ」
「ウソじゃん」
「フフフフ。ウソだよ」
「美奈ちゃんのお母さんってどんな人?」
「写メあるよ。見る?」
美奈の母親は、ケイタイ画面の中で、白い猫を抱いてソファーに座っていた。ふざけているのか、わざと澄ましたような顔を作っている。
「あー、こんな感じなんだ」
「演歌の長山洋子に似てるでしょ?」
「ハハハハ。似てる似てる」
美奈がメールを打つ音が、コチコチコチ、と鳴っている。火のついたタバコの先端はちろちろと明滅しながら、少しずつ蝕まれるように灰になってゆく。煙がうっすらと部屋を覆っていくように、薄い倦怠が俺を支配した。
急に、さっきの獣じみた自分の性行動が、苦々しく思い出されてくる。
(俺は欲望最優先の人間だ……)
考えてみれば昔から、俺は欲望をコントロールできないところがあった。
6歳で友達のオモチャを盗み、9歳で親の金を盗んでミニ四駆を買った。いずれも悪いことだと重々承知したうえでの犯行で、欲しいという欲望をおさえることができなかった。
中学生になると、中畑商店という婆さんがやっている店でエロ本を盗みまくったし、バイクを盗んで乗り回しもした。高校では、水泳部の片柳晴香の水着と陸上部の糸田杏奈のランパンを盗んだ。授業中にクラスの女子生徒の足や顔を見ていて、どうにも我慢できなくなって早退してオナニーしたことが何度もある。
自分が強欲なのかそれとも自制心が弱いのか、もっと内省して確かめたかったのだが、美奈はメールを打ち終わったらしく、話しかけてきた。
「清太さんっていつもこんな感じで音楽聞いて過ごしてるの?」
「うん。あと、本とかマンガ読んだり」
「だり?」
「パチスロ雑誌で解析見たり、パチスロのデータをまとめたり。ケータイしたり」
「したり?」
「うーん。もうそれくらいだけど。あ、落語も聞くか」
「落語ぉ?! フフフ。聞いたことなぁい。面白いの?」
「死ぬほど面白いよ」
「ふーん、そうなんだ。ねえ、何でテレビ置かないの?」
俺は、あー、と言って、以前テレビを置いてあった部屋の隅を見た。
「前はあったんだけどね。捨てた」
ドガシャーン、という音と、きな臭いような機械のにおいが、一瞬脳裏に蘇る。
「何で?」
「ムシャクシャしてぶっ壊したんだよね」
「えー! ホント? ってか、どうやって壊したの?」
「アパートのゴミ捨て場のコンクリートにね、思いっきりブン投げた。……ハハっ」
自嘲的なつもりが、意外なほどカラッと乾いた笑いが出た。美奈も少し笑って、何でそんなことしちゃったの、と聞いた。
「うーん……。説明が難しいんだけど。まあ、人生の壁をぶっ壊す、みたいな感じかな」
「なに、それ~」
「いや、割とマジなんだけどね。そんとき俺さ、……頭が、おかしかったんだよね、ちょっと。病んでたっていうかさ。……何て言うか……学校やめようかどうかとか、……他にも色々、……考えすぎて頭がいっぱいいっぱいでさ。……ハハッ、まあだからってテレビブン投げる意味が分かんないと思うんだけどさ」
「そうだったんだ。それ、いつごろの話?」
「八か月くらい前かな」
「フフフ。リモコン投げる、ならわかるけど、テレビ投げるってなかなかないよね」
「ハハッ。………アハハハハハハハ。だよね。あんなに重いもんブン投げるって、……ハハハハハ。いや、ホントにその通りだよ」
「あ、リモコンはどうしたの?」
「……実は、リモコンはね、まだとってある」
美奈が、ええウソでしょ意味分かんない、と言って笑った。
しかし、リモコンをとってある、と言ったのは、冗談の出まかせではなく、本当の話だ。トイレの上の、ペーパー類を置く棚に、置いてある。
なぜリモコンを捨てずにとっているか。そもそも俺は何にムシャクシャし、テレビをブン投げたのか。それは話すと長くなるし、仮に長い時間をかけて話したところで、うまく伝えられる気がしない。
鼻がつんとしたので見ると、灰皿の中で消したつもりのタバコがくすぶっている。焦げ臭いような、口の中がうす苦くなるような煙。ギュウギュウと押し付けるように力を込めて再度もみ消した。
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