第13話
約束の土曜日、目が覚めたのは午後三時だった。なかなか寝付けなくて、朝になってから寝たので、こんな時間まで寝てしまったのだ。
鏡を見たら少し目が腫れているが、寝たいだけ寝たのでいい気分だ。鏡の中の俺が、ニヤリと笑う。美奈との待ち合わせは六時だから、まだたっぷりと余裕がある。
歯を磨き、風呂に入り、着替えも済ませ、ベッドに腰掛けてCDを聴いていると、メールが届いた。時計を見ると、五時半だ。少し嫌な予感がする。
「清太さんゴメンなさい。急に用事が入って、八時過ぎじゃないと行けそうにない」
良かった。会えなくなったわけではないのか。
「俺は八時過ぎでもいいよ。でもどうしたの? 飯はどうする?」
「お母さんが急に用事が出来て、私がおばあちゃんの病院に届け物することになったの。ゴハンは遅くなっちゃうから、食べてて。でも、ほんとに八時過ぎで大丈夫?」
「大丈夫。会えることは会えるんだから、全然嬉しいし」
「ありがとう。ほんとにゴメンね。多分八時二十分着の電車になると思う。また変更あったら連絡するね」
俺はベッドにばたりとうつぶせて、うーーーーー、と長い声を出した。
◆ ◆
『そば政』で天丼とざるそばを食べて、二軒のパチンコ屋を覗き、『パーラーセブン』でスロットを少しと羽モノを打ち、駅構内のコンビニでパチスロ雑誌を立ち読みして、ようやく八時二十分になった。
改札を通った美奈が、小走りに駆け寄ってきて、ゴメンなさい遅くなっちゃって、と言った。俺は、いいよ全然、と言いながら、口元が勝手にゆるむのを自覚した。これは理屈じゃない。人体の動物的な反射作用だ。美奈は相手にそういう反射作用を引き起こさせる表情で俺を見たのだ。
駅構内を美奈と並んで歩いていると、すれ違う若い男が、三人、美奈を見た。二人組の若い女は俺を見た。いずれも、ちらっと見ると言うよりは、明らかに見た。男が美奈を見る気持ちはよくわかる。若い女が俺を見たのはどういうわけだろう。
と、また別の若い女が、俺を見て美奈を見た。ははーん、と俺は気づいた。カップルがどういう組み合わせなのか、観察してるんだろう。女連れで歩くと、こういう視線が来るとは知らなかった。
(そうだよな。俺たち、どう見ても付き合ってるように見えるよな)
俺は、もっともっと美奈をみんなに見せびらかしたい気分になった。美奈を見ると、ほんのりと笑った顔で見返してきた。思わずにやけてしまいそうになる。あわてて、飯さ、と言葉を発してこらえた。
「飯食ったの?」
「うん、夕方ごろ少し食べた」
「少し? じゃあ腹減ってる?」
「ううん。大丈夫」
「そっか。……何食ったの?」
「おでんと、マカロニサラダ」
「和と洋だね」
「うん。おでんはお母さんがお昼に作ってたやつで、マカロニサラダは私が作ったの」
「へえー、料理するんだ?」
ときどきだけどね、と笑った美奈の唇が、普段より赤い気がする。おそらく口紅を塗っているのだろう。
自転車を押して、美奈と高架下の道を歩く。頭の上で、電車がドトンドトンと、分厚いコンクリに音を吸い込ませて走った。
美奈の表情と話しぶりには、何の曇りもない。もし俺をフるつもりなら、こうは振る舞えないはずだ。
それに、口紅。いつもより気合を入れて化粧をするということは、俺にきれいに見られたい、ということだろうから、その背景に好意があるはずだ。
(……いや、でも、もしかすると口紅は、フる、という精神的にしんどい行為に臨む上での自分なりの決意表明なのかもしれない。武士にとっての鉢巻が、美奈にとっては口紅だとしたら……
……いやっ、でもそんなことをするくらいならメールでフればいいわけであって、わざわざここまで来たということは、やっぱりOKということじゃないか!……)
俺はまどろっこしいことは嫌いだから、よっぽど単刀直入に聞いてみようかと思った。でも、これだけ返事を引っ張ったということは、何か考えがあってのことかもしれないし、自ら言い出すのを待ったほうがいいはずだと思って言葉を飲み込んだ。
(この期に及んでじたばたしたってしょうがない。ゆったりと構えてればいいじゃないか)
思わず右目が細くなる。自信がみなぎると、なぜか俺の右目は少しだけ細くなるのだ。
高架下にある、『八郎だこ』というたこ焼き屋が見えてきた。ここのたこ焼きは、ふわりとした生地にダシが効いていて、ウマい。トロトロしすぎていないところが、俺の好みに合っている。
「俺、たこ焼き買うわ」
実を言うと俺は、最初からここに寄るつもりで歩いていたのだ。美奈に好きなたこ焼きを食べさせたら、喜ぶに決まってる。
「あっ、『八郎だこ』? 私もたべた~い。あっ、でも、3つか4つくらいでいいかなぁ」
「そんだけでいいの?」
「だってゴハンたべちゃったから」
「あとで食べたいって言っても、四個以上はあげないよ」
美奈は、困った子犬のような顔をして、いじわる~、と言った。
「ハハハハハ。ホントにたこ焼き好きなんだね。俺も相当好き」
十個入り二つくださいと言ったら、黒いTシャツを着た柔道部体型の店員が、はいよ、と手を動かしながら言った。
美奈が、そんなに食べるの、と言ったので、うん、と答える。
「ご飯食べてないの?」
「食ったよ」
「何食べたの?」
「天丼とざるそば」
「えーっ。ほら見て、ここのたこ焼き、おっきいよ。多いんじゃない?」
「余裕」
この前鍋をしたときに、美奈はたくさん食べる人が好きだと分かった。だから俺は大いに食べるという点をアピールするまでだ。むしろ大玉のたこ焼きこそありがたい。
俺は、たこ焼きってさあ、と言った。美奈が、うん、と答える。
「うまいよね」
美奈は、眉をひそめて、実感を込めた感じで、おいし~い、と言った。
後ろに人を乗せたときの自転車は、ペダルの重さが違う。特にこぎ始めに、ずしりとくる。俺の足に伝わってくるのは、後ろに美奈を乗せた、嬉しい重みだ。
それから、この、腰に回された美奈の手。おかげで俺のズボンの中では、ペニスが勃起して窮屈だ。
自転車をこぎながら、さっき、いじわる~、と言ったときの美奈の顔を思い出す。あからさまではないが、かすかにぶりっ子している感じがあった。俺の右目が、また少し細くなる。
振り向いて美奈の顔を見ると、美奈も黙って見返してきた。俺は前を向いて、ハンドルの硬いラバーグリップを握りしめた。
「清太さんってさあ、自分で料理作ったりしないの?」
「ほぼないね。外食か、買ったものだね」
「お金かかるでしょ?」
「やっぱり自炊よりはだいぶかかるんだろうね。きっちり計算してるわけじゃないけど、一日千円ちょっと使うから、三万何千だろうね」
「わぁ~、結構使うんだね」
「俺、食う量が多いからさ。弁当だったら二つ食うからね。味噌タルチキン弁当と、肉野菜炒め弁当とかさ」
「アハハハ、じゃあお金かかるね。でも、それでよく太らないね。うらやまし~い」
「でも、高校のときに比べたらちょっと太ったよ」
足元で、昨日空気を入れたばかりのタイヤが快適なクッション性を発揮してくれている。あとは俺が段差に注意すればいい。美奈の尾てい骨に快適な旅を提供しよう。
「美奈ちゃんさ、パスタが好きって言ってたよね。駅の近くの『ナポリ屋』行ったことある?」
「あそこはないけど、私の地元にあるとこには行ったことあるよ」
「えっ、あの店ってチェーンなんだ。うまいの?」
「行ったことない? おいしいよ」
「ふうん。パスタの中で、何が好き?」
「えー、何でも好きだけどなぁ。ナポリ屋行ったときは、明太子のやつ食べるよ。でも、カルボナーラもトマトソースのやつも好き。大体、好きだよ」
「リストランテ荒瀬っていうイタリア料理屋知ってる?」
美奈は、知らない、と言った。場所を説明してみたが、やはり知らないということだった。
◆ ◆
コーポ滝川の105号室。8畳のリビングに置いてあるのは、ベッド、小さなテーブル、ゴミ箱、安物の黒いソファ、胸ぐらいな高さの棚が二つと、その上のCDステレオと置き時計。それだけだ。カーペットもマットもない。
そのリビングに立った美奈が、え~!と言って、笑った。
「すっごいシンプルだね~。まだ引越してきたばっかりみたい」
「もう三年住んでるけどね」
「きれいにしてるね~。……本とCDがいっぱいだねぇ」
「これ、美奈ちゃんが来るから気合入れてきれいにしたんだよ。この間まですっげえ散らかってたからね。まあ、座ってよ」
美奈をソファに座らせて、俺はベッドに腰掛けた。テーブルを挟んで向かい合うような格好だ。
「でもさぁ、これだけモノがなかったら散らかりようがないんじゃない?」
「ハハっ。それが、鬼のように散らかってたんだよね。雑誌とか空き缶とかペットボトルとか、ゴミがね」
「へえ~、でも私のお兄ちゃんの部屋も、かなり散らかってるよ」
フッ、と、俺は笑った。
「悪いけど、多分ぶっちぎりで俺の部屋のほうが散らかってたと思うよ。多分見たら引いてたんじゃないかな」
こんなこと自慢するのも変だが、実際俺の部屋の散らかりようは凄かった。まあ、最近は大分ましになっていたが、学校を休んでいた一年半の間には、比喩ではなく、雑誌やゴミで足の踏み場がないという時期があった。あれは今考えると、精神状態の不健康さを如実に反映した散らかりようだった。あの状態から、よくここまで立ち直れたものだ。
あの状態。あのとき。故郷を遠く離れたこの地で、まわりには誰も頼れる人はいなかった。誰とも口をききたくなかった。友達も彼女もいらないと思っていた。寂寥感が氷のように心を固めてしまったのか、悲しいのに涙も出なかった。まれに、深夜にふとしたきっかけで正気に返る瞬間があって、そういうときだけは、涙腺が壊れたんじゃないかというぐらい涙が出た。拭いても拭いても追いつかないので、ぽとぽとぽとぽとと、暗い部屋で流れるままにまかせていた。
……その部屋に、今、美奈がいる。
俺はたこ焼きの入ったパックを白いビニール袋から取り出した。
「飲み物、何飲む? ウーロン茶か、リンゴジュースか、チューハイか、ビールがあるけど」
「清太さん何飲むの?」
「俺はビール」
「じゃあ私は、チューハイ飲もうかな」
俺は頷いて立ち上がる。美奈が飲むかもしれないと思ってチューハイを買っておいたのが、あっさりと役に立った。
冷蔵庫を開けて、グレープとモモとレモンと梅ソーダがあるけど何がいい、と聞くと、美奈は、レモンがイイと言った。おっ、と思う。
テーブルの上にビールとレモンチューハイの缶を置くと、美奈が言った。
「清太さんチューハイ飲むの? 甘いの飲まないんじゃなかったっけ?」
「飲まないね。レモンとかグレープフルーツのやつはたまーに飲むかな。でも、ホントたまーに、だね」
「じゃあなんでチューハイがあるの?」
俺は、ふふん、と笑って、ビールのプルタブに人差し指をかけた。
「もしかしたら美奈ちゃんが飲むかなと思って、買っといた」
言い終わると同時に、プシュっとふたを開ける。
「えー、そうなの? やさし~い。でも、私が飲まなかったらどうするつもりだったの?」
「どうもしないよ。無駄になるだけ」
美奈は、えー、と言って、たこ焼きのパックを開け、俺の前に割り箸を置いた。
パチスロでは、期待値という概念が、非常に大事だ。これは、投資に対してどれくらいの見返りがあるのか、という「見込み」を表す考え方だ。俺がチューハイを買ったのは、この考え方に基づいている。
実を言うと俺は、美奈がチューハイを飲む可能性は低いと思っていた。でも、可能性は低くても、もしそうなった場合には美奈の喜ぶ顔が見れるわけで、これは俺にとってはかなり大きな見返りだ。つまり、期待値が大きいんだから、数百円くらい無駄にしたって構わないという理屈だ。
ビールを飲んで、たこ焼きをほおばる。買ってから少し時間が経っているので、ちょうどいい熱さになっている。
「チューハイは、レモンが好きなの? 俺はてっきりグレープか梅ソーダ飲むのかなって思ってたんだけど」
「グレープも梅ソーダも好きだよ。でも今日はレモンの気分だったの」
「そうなんだ。いや、さすがだわ、俺」
「何で? 予想してたの?」
食べられない熱さでもないと思うのだが、美奈はふーと息を吹いてからたこ焼きを口に入れた。
「ううん。そうじゃないんだけどさ、競馬でたとえると、本命は梅ソーダかグレープだと思ってたんだよね。だって梅ソーダはこの前飲んでたし、好きな食べ物ブドウって言ってたし」
「うん。どっちも好き。いつもはグレープ飲む」
「でしょ? でさ、次がモモだったんだよね。この前『桃リッチ』飲んでたからさ。で、競馬では押さえって言うんだけど、念のためにレモンを入れといたんだよね。レモンは穴だったから、会心の当たりだよ」
「そんなに考えてたんだ。じゃあリンゴジュースもそれで買ったの?」
「ははっ、リンゴジュースは俺の好物だからもともとあっただけ。アルコールじゃなければウーロン茶だろ、って思ってたから、普通の飲み物は買わなかった。アパートの前に自販機もあるしね」
「清太さんって、競馬もするの?」
「いや、やったことない。一回やってみたいけどね。目の前で馬が走るの見ると、興奮すると思うんだよね~。でも、競馬って勝てないようにできてるんだけどね」
「ふうん。そうなんだ」
俺は、テラ銭や控除率について触れ、なぜ競馬が勝てないかを説明したかったが、美奈は興味がないだろうと思って、やめた。
ビールを喉に流し込んでテーブルに置こうとしたら、三個目のたこ焼きを口に入れた美奈と目が合った。見るともなしにその口元を見ていたら、美奈はピンク色のハンドタオルで口もとをおさえた。目元が、少し照れているように見えなくもない。
(いつ返事を言うんだろう。チューハイを飲んで景気をつけるつもりかな?)
俺は七個目のたこ焼きを食べて、ビールをごくごくと飲んだ。たこ焼きはいつも通りうまいんだが、こういう状況だから、味ばかりに集中してもいられない。
テーブルに置いてあったCDステレオのリモコンを取り上げ、再生ボタンを押す。ステレオのデッキには、あらかじめジェニファーブラウンのベスト盤を入れておいた。美奈と二人の空間に流すBGMには最適だと思って、あらかじめ選んでいたのだ。
最初の曲は、『You move me』にした。メロウでありながら甘すぎずダンサブルなメロディーが少し小さめの音量で流れ出す。初めてこの曲を聞いたのは中学二年のときで、場所は達矢先輩の家だった。あのとき受けた曲の印象は、今でも変わらない。南国のおしゃれなビーチリゾートの夕暮れ、という感じがする。歌詞は知らないが、なんとなくそういう感じなのだ。
「清太さんってこういう音楽聞くんだね」
「うん、聞くよ。パンクとかロックの速いやつが一番好きなんだけど、こういうR&Bみたいなやつも好きなんだよね。美奈ちゃんは、どんな曲で踊ってんの?」
「ヒップホップが多いけど、R&Bもあるよ」
「ウマイの?」
「えーっ、どうだろう。ウマいよ。……ウソウソ」
「踊ってみてよ」
美奈は持っていた割り箸を自分のほうに引き寄せるようにして、絶対やだッ、と言った。
「ハハハ、いいじゃん、誰も見てないんだし」
「清太さんがみてるじゃん」
「じゃあ俺目えつぶっとくから」
「それ踊る意味ないじゃん。フフフ」
俺が笑ってビールを飲むと、美奈もチューハイを飲んだ。
「でも、美奈ちゃんがどんな感じで踊ってるのか、見てみたいなァ」
「あッ、ムービーがあるよ。見る?」
美奈はカバンからケイタイを取出し、操作し始めた。俺は画面を見つめる美奈の顔と胸元のまるいふくらみを眺めた。またペニスが勃起してくる。さっきの二人乗りから何度も勃起しているので、先走りの液が出ている。
はい、と言って、ケイタイを渡されたので、俺はジェニファーブラウンの声を落としてから、ムービーの再生ボタンを押した。画面の中でダンスが始まった瞬間、ほっ、という言葉が出る。ダンスもすごいんだが、衣装がすごい。十人ぐらいで踊っている女たちはみんなへそが見えていて、そのへそを見ろと言わんばかりに、ステージの上で体を動かしている。
「すげえ。……これ、大学?」
「そう。学祭だよ。見てなかった?」
「うん。俺、学祭一回も行ったことないんだよね」
「えー! そうなの? 何で?」
「うん? ……あっ、美奈ちゃんいた。すげえすげえ! こんな感じなんだ。みんなうまいじゃん」
右から三番目に美奈がいた。髪をアップにして、真剣な顔で踊っている。
「エリナがいるのわかる?」
「うそ? いる?」
美奈は、いるよー、と言って立ち上がり、俺の隣にくっつくようにして座った。そしてケイタイを持っている俺の手を取ると、少し自分のほうに引き寄せるようにして覗き込んだ。
「あっ、ほらほら、これ」
「え? これエリナ? 全然わかんねー」
「うまいでしょ? エリナ」
確かにうまいのかもしれないが、美奈が接近したせいでそれどころじゃない。とりあえずビールをごくりと飲んだ。中近東のさ、と俺は言った。
「イスラム教国家でこんなダンスをしたら大変なことになるだろうね」
「アハハハ。そうだねえ。肌出しちゃってるもんね」
それだけじゃない。体をくねらす動きが妙に扇情的なのだ。俺はたこ焼きを口に入れて、もぐもぐと噛みながら動画を見た。
美奈が、ビール一本だけでいいの? と聞いた。もう飲まないの、と言っているかのように聞こえる。俺は一本でやめるつもりだったのだが、まだ飲むよ、と答えた。美奈はたくさん食べる男が好きだと言っていたから、酒も飲まないよりは飲んだほうがいいだろう。
「私が取ってきていい?」
美奈は立ち上がって、冷蔵庫のほうへ行った。向こうから美奈が、清太さーん、一味とマヨネーズ借りていい? と言った。
美奈が半分かじったたこ焼きの断面から、赤黒いたこの足先が覗いている。二列の吸盤が不思議なほど整然と並んでいる。
◆ ◆
結局美奈はたこ焼きを六個食べた。俺は十四個食べた。俺の二本目のビールは、三分の一ぐらいに減っている。
美奈が、もう一本チューハイ飲んでもいい?、と言った。
「おー、飲みなよ飲みなよ。そのために買ったんだからさ」
そう言ったものの、まさか二本飲むとは意外だった。腰を落ち着けて飲むつもりなんだろうか。
美奈は、冷蔵庫から梅ソーダのチューハイを持ってきた。
「次は梅ソーダなんだ」
「うん。清太さんが買ってきてくれた梅ソーダ」
美奈は梅ソーダの淡い空色の缶を両手でもって、自分の胸のあたりで抱くようにした。
思わず、ふふっ、と笑ってしまう。こういうとき、何と言えばいいんだろう。俺はただ、うん、という何の意味もなさない相槌を打った。
「もうたこ焼きなくなったけど、ツマミいらない?」
「うん。もう大丈夫」
にこやかな美奈の目が、じっと俺の目を見つめてくる。少し酔ってきたのだろう。
(今、この瞬間だ)
そう思った。ごちゃごちゃと浮いてくる雑念を振り払うように、そう思った。俺は立ち上がって、ジャミロクワイのサードアルバムをデッキにセットした。美奈と付き合えたら一緒に聞こうと思っていたアルバムだ。
(俺のやるべきことは、美奈と二人のこの一瞬一瞬を、心ゆくまで堪能することさ)
目の前に美奈がいる。一曲目の『Virtual Insanity』が、世界を洗うようなリズムで流れる。
俺はビールを飲んで、美奈の目をじっと見た。
美奈が、俺のビールの缶を持ち上げて、残量を確かめる。もう二口分も入ってはいない。
俺は、同じように美奈のチューハイの缶を持ち上げてみた。残り四分の一くらいになっている。美奈が、ふふふふ、と笑った。
「何で真似するの」
「何となく。結構飲んだね? 梅ソーダおいしかった?」
「うん。清太さんの愛情がこもってるからおいしいに決まってるじゃん。フフフ」
「ははっ、どうした? 酔った?」
「酔ってないよ」
「まあまあ酔ってるように見えるよ」
美奈はウフフフと笑って、チューハイの飲み口に唇をつけた。まるでリスがドングリを抱えるようなしぐさだ。顔が少しだけ赤くなっている。
「顔がちょっと赤いよ」
「赤くない」
「赤いって」
「清太さんは白いよ」
「これ生まれつき」
「ハハハ。清太さんも、もっと飲もうよ」
美奈が立ち上がろうとしたから、俺はいいよ、自分で取ってくると言って冷蔵庫へ向かった。ビールの三本ぐらいへっちゃらだが、今日みたいな日は、できるだけしらふに近い状態でいたい。棚からピスタチオの袋を取り出した。これをツマミにして酔いを少し緩和しよう。
リビングに戻ってみると、美奈がベッドの上に座って壁にもたれ、毛布を足にかけている。
「あっ、俺の席取られてるじゃん」
美奈はまぶたの薄赤くなった目で、俺を見た。俺がソファのほうに座ろうとすると、あ、そっち行っちゃうの、と言った。
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