第4話

次の日からは毎日勉強になった。

教える文左衛門も大変だが、何しろ覚えなくてはいけないことが多い。

午前中は文左衛門から講義を受け、午後からは座談しながら気になったことを話しあっていく事に決め、講義の題材は文左衛門が決めた。

時間や日にちの数え方、物の長さや目方の単位、そしてお金の数え方など現代とは全く違う。

単位は置き換えれば済むところはあるが、時間と日にちはかなりアバウトの様な気がする。

由佳達が来た日は平成では2013年11月だったのだが、こちらでは旧暦なので十月になる。

何でも閏月が有る年は四月が二回あるらしい。

時間に関しても日の出と日の入りを基準にしているため、一刻の長さが異なり、数字も昼夜とも順に、六ツ、五ツ、四ツ、九ツ、八ツ、七ツ、六ツと数える。

こうなると置き換えてはかえってややこしくなるので、大体の感覚とお寺の鐘の音で判断していくしかない。

文左衛門は商人の割には、いや商人だからだろうか、とても教養が高く、平成の人の生活や出来事に関心を示した。

教え方も上手だし、話も面白い。後で聞いたのだが、本も書いているらしい。

ペンネームも聞いたのだが由佳も茉莉花も知らなかったのでがっかりさせてしまったようだ。

根岸肥前守の「耳袋」、松浦静山の「甲子夜話」または十返舎一九の「東海道中膝栗毛」のように後世に残る本を書くのが夢だと言っていた。

もし、元の時代に帰ったらきっと探して読んでみますね、と由佳が言うととても喜んだ。

お金の勘定の時、文左衛門が実際の小判や数種類のお金を見せてくれた。

「すごーい、この小判本物、触っていい」と茉莉花は言った傍から手を出している。

「ちょっと、やめなさいよ」と由佳が制したが、

「どうぞお手にとって見てください。これは慶長小判と言いまして、一両ですね。これは皆さん良くご存知です」と取り出してくれた。

金の価値は景気によって左右される。今、文化十一年の米の相場と由佳達が居た2013年の米の相場に照らし合わせて大体の換算をすると一両は七万二千円くらいだろうか。

それを基準に二分金、一分金で、二朱金、一朱金となり、銭はさらに細かく、一文銭、四文銭、十文銭で、一文大体十八円の計算になる。

茉莉花は筆算で計算している。

数学は嫌いだが金勘定は好きだと自分でも言っているくらいなので、真剣にやっている。

「さすが計算がお速いですな。未来の方々は教育が行き届いているようで感心いたします」

「そうですね、第二次世界大戦で日本が大敗した後、アメリカの指示で義務教育が整備され、その恩恵を受けていますからね」

「そのあたりの事も聞き及んでおります。大変なことで御座いました。しかし教育が行き届いたのは大きな功績でした」と複雑な顔をした。

戦争の話しになると、文左衛門は心が痛むようで、ちょっと空気が重くなる。

そんな気まずい雰囲気を壊してくれたのは茉莉花だった。

「あの、昔はていうか、今はソバの屋台とか流行っていたんでしょ、この辺も来るんですか」

「ほほほ、蕎麦の屋台はこの辺にはおりません、それはご城下の方に行きませんとね。商売になりませんよ」

「なーんだぁ、時代劇って言ったらソバの屋台だと思ったから。張り込みとか、盗賊の一味だったりとか」

「ほほほ、茉莉花さんは蕎麦がお好きですか、この辺りは自分で蕎麦を打ちますよ。なんならお昼は蕎麦にいたしますかな」と言ってくれたが、それを聞いた由佳は、

「あの、実は私は蕎麦にはアレルギーがあって食べられません」と伝えた。

「おお、そうですが、あれるぎーとは体に合わないことで御座いますな、それは大事なことをお聞きしました」

「すみません」と恐縮すると、

「何も謝ることではございません。今は分からなかったことが分かっただけでしょうからね。命にかかわるそうですから気になさらないでください」

さすがは薬種問屋で、病に関しても詳しく、物分りが良いと由佳は思った。

「さて話がそれました。蕎麦がお話に出ましたので、たとえにしますが、屋台の蕎麦は大体十六文です」

「そうすると、二八八円、大体三百円くらいだね。平成では屋台の蕎麦が無いので、お店の蕎麦だと四五十円くらいだからまあ、大体同じくらいと考えていいかもね」

由佳も久しぶりに筆算をしてみる。

「学食だとそんくらいだよ」

「そうだね。じゃ学食並みってことだ」

「へへ、ちょっと分かってきたかも」と茉莉花は嬉しそうだ。

「それでは、お金の話は大体この辺でよろしいですかな、ちょっと一息いれましょうか」

「やった、お茶にしたい」

時計を見るともう十時近い。まだまだ覚えることは多そうだが、なかなか面白い体験だと由佳は思い始めていた。


茉莉花と由佳が「時滑り」してから五日。

その日は茉莉花がお好み焼きが食べたいと言っていたので、文左衛門に頼んで鉄板を用意してもらい、うどん粉と干しえび、白菜や青菜等手に入る野菜と卵を混ぜて、「なんちゃってお好み焼き」を庭で焼くことになっていた。

ソースが無いので、色んな野菜くずを刻んで醤油で煮詰めてちょっと甘くしたものを代用する。

此処が海の近くならもっと具材が揃うと思ったが、まあ仕方ないと由佳はあるもので間に合わせることにした。

 庭に竈を作り、せっかくだからと、おふきの母親と長兵衛も呼んで、与助とお竹、文左衛門と由佳達でちょっとしたパーティになった。

両面を焼いて、「なんちゃってソース」を塗り、花かつおをかけて出来上がり。マヨネーズが無いのが寂しいと茉莉花は文句を言うが、由佳はマヨネーズの作りに自信がないから今回は無しとした。

初めて食べるお好み焼きに最初は恐る恐るだったが、皆気に入ったようでおかわりして食べていた。

女衆はすぐにコツを覚え、他に何を入れたらうまいかとか、話が弾んでいた。

文左衛門と長兵衛は来週行われる神社のお祭りで振舞ったらどうかなどと話をしていた。

そんな和気藹々の中、突然若様がやって来た。

今日は馬が三頭で、家来を二人連れていた。

以前来たときの様に蹄の音を轟かせての登場ではなかったので、由佳と茉莉花以外は皆あわてて庭に平低した。

若様は気さくにそれを制し、差し出された床机にすわり文左衛門に今日のこの集まりの説明を受けたかと思ったら、

「そのほう、それを予にももて」とお好み焼きを所望された。

二人の家来(一人は渋谷だが)がおやめくださいと制するが、ならばそちが先に食せと例のごとくひと悶着し、しぶしぶ渋谷が先に箸をつけた。皆が見守る中、渋谷の鋭い目は由佳を睨んだままだ。

「うっ」と唸った瞬間もう一人の家来が鯉口をはずした音がし刀に手をかけたのが見えた。

それを目で制した渋谷は若様に向き直り、

「どうじゃ」との問いかけに、

「初めて食す味では御座りますが、なかなか美味で御座います」と報告した。

一瞬斬られるのかと思った由佳と茉莉花は力が抜けて座り込みそうになったが、いち早く気を取り直したお竹が若様と他の家来の分も食材を用意してくれたので、焼かなくてはならない。

渋谷は焼きあがる最中も隣で睨みを効かせていた。不審な動きがあればいつでも斬り捨てるというのだろうか。

緊張の中焼きあがったお好み焼きではあったが、若様はいたくお気に召されたようで、二枚をペロリと食された。

「若様、本日は突然のお越しで御座いますが、何かありましたのでしょうか」とお茶を飲む若様に文左衛門が問いかけた。

「実はだ、このものが江戸屋敷より所用で戻ってまいったので、目通りさせようと思ったのじゃ。丸山、これへ」

「この二人が此度の時滑りで、楠田母娘である。このものは江戸下屋敷に詰め、江戸に住む時滑りの世話をしている者じゃ」と紹介してくれた。

紹介された侍は、

「丸山隆次に御座りまする。お二人が江戸へ参られることが御座りましたならば、私めがご案内させていただきます故、お見知りおきくだされ」と丁寧に挨拶をした。

渋谷より優しげな感じだと思いながら、

「楠田です。よろしくお願いいたします」先ほどお好み焼きを焼いてあげたが、改めて挨拶した。

「そろそろ教育も終わり、今後の事も決めねば成らぬと思っての、良い機会故つれてまいったのじゃ、首尾はいかがじゃ」と文左衛門に問うた。

「お気遣い誠に恐れ入ります。お二人とも勤勉にて明察であらせられますゆえ、ここでの暮らしにも大分お慣れになった様でございます」

「それで、楠田殿はいかがいたす。今後は川越か、江戸のどちらかで暮らしてもらうのだが、どちらが良いかの」と聞かれて由佳は困った。

実は由佳はまだ決めきれないでいた。

以前、文左衛門と話をしたときのこと、この時代の町の事を知らないといけないと思い、相談していたのだが、まずは、この名栗村の主な産業は林業なので現代人には到底無理だろうということと、特に女にはあまり仕事が無いことを考えると、名栗に留まる事は難しい。

そうなると、川越か、飯能か、江戸ということになるが、飯能には文左衛門の店があるが、川越や江戸にも懇意にしている薬種屋もあるため仕事の斡旋が出来るのと、町は人が多いので、変わった人間が居てもさほど目立たないから、飯能よりは川越か江戸を勧めるとの事だった。

今いる時滑りの五人のうち一人は川越、四人は江戸に住んでいるらしい。

「川越にお住まいのお方は私どもの知り合いの店の近くにお住まいで、材木問屋のお店で働いていらっしゃいます山本様です」と言う文左衛門に続いて、

「江戸には、寺子屋をやっている大蔵殿、飲み屋を営む安田殿、薬種屋で手代を勤める小山殿、絹織物の商いをしている横山殿の四人ですが、どなたも息災にて暮らしておられます」と丸山が話してくれた。

まだ仕事を何にするか決めていなかった由佳は、とりあえず娘と相談して近いうちに決めることを伝えると、出来れば一日二日で決め、連絡して欲しいと言われた。

住む場所の手配などがあるので、実際に引っ越すのは来月になるようだが、急にあわただしくなった気がした。

珍しく黙って話を聞いていた茉莉花が、

「あの、お願いがあるんですが」と恐る恐る若様に切り出した。

「なんじゃ、ゆうてみい」と若様は優しげに言う。

「来週近くの神社でお祭りがあるようなんですが、それに行ってもいいですか」ちょっと切羽詰まった声だが、そんなに大事なことだろうかと由佳はびっくりして茉莉花を見た。

「なんじゃ、そんなことか、そういえば妙見祭の時期であったな、文左衛門もそろそろ飯能に戻る時期であろう」

「左様に御座います。妙見祭が終わりますとこの辺りはめっきり冷え込みますゆえ、毎年その頃には戻りませんと、年寄りには堪えますゆえ」と笑った。

「よいぞ、行ってまいれ、ただしその格好ではちと目立ちすぎるな、竹に何とかしてもらって目立たぬよう、そして約束事も忘れぬようにな」

「はい」と許しを貰った茉莉花はうれしそうに返事をした。


そのわけは後で分かった。茉莉花がお祭りに行けないとおふきが遠慮して行かないからだった。

おふきは言い交わした相手と久しぶりに会えると言っていた。

そんな機会を自分のせいでふいにさせたくなかったんだろう。

二人はいつの間にかすっかり友達になっていたようだ。

「すっかり仲良くなったようだな」

「左様に御座います。やはり同じ年頃ですので」

「文左衛門はなんぞ面白き話か聞けたかの」

「はい、今までいらした方々とは又違ったお話が聞けました。特に茉莉花様は幕末を良くご存知で興味深い話で御座いました」

「そうか、それは良かったの。しかし、思っておったのだが、茉莉花とは変わった名前だの」

「そのお名前ですが、母御に聞きました所、マツリカというモクセイ科の花の事だそうです。何でも南国の香りの良い花だとかで、マツリカと書いてマリカと呼ばせているそうでございます」

「ほう、花の名前とは。それは日本にはまだ無い花なのであろうか」

「楠田様の話ではお茶や香料として使用するらしいのですが、私共の店では取り扱いが御座いません。興味が湧きましたのでちょっと調べてみようかと思っております」

「なるほど、その茶、世も飲んでみたいものだな」そう言いながら、若様は後片付けをしている茉莉花を眺めた。

若様に言われたように、祭りに行くのであれば着るものを何とかしなければならない。

最近の由佳達の服装は、もっぱら上は胴着で下は軽衫(カルサン)を穿いていて、髪はひっつめて縛っているだけだ。

文左衛門は着物を用意すると言ってくれたが、動きづらいということで着ることは無かった。

今日の茉莉花もそんな格好だが、お祭りには着物を着て行ってくれるのだろうかと由佳は思った。

お竹さんに髪も結ってもらおう。そんな姿の娘を見ることが出来るのかと思うと何だか由佳も楽しみになってきた。

 今後の段取りを文左衛門と相談して若様は早々に帰られた。

茉莉花は早速片付けを終わらせ台所に居たおふきの元へ行き、お祭り行きを許可されたことを告げ、お竹に当日は町娘の格好にしてくれるように頼んでいた。

お竹は「もうすぐ此処を出て行かれるのですね。寂しくなります」とはしゃぐ茉莉花とおふきを見て言った。

おふきの母親のおつたは、

「おふきも寂しくなると思います。茉莉花様には仲良くしていただきましたもので」と袖口で目をぬぐった。

「こちらこそお世話になりっぱなしで、ありがとうございました。まだ何処に移るか決めていないのですが、機会があれば戻って来ますので、皆さんお元気でいてくださいね」

「しんみりしてはいけませんね、お二人にとってはこれからが大変なんですから」とお竹は持ち前の気丈さで声をかけた。

「さあさ、そうと決まったからには明日から由佳様にもっと台所の事をやっていただきましょうかね。米の炊き方がまだまだですから」と笑った。

確かに、炊事は勝手が違いすぎて実はまだうまく使えないのだ。

何処に住むにしても今の世は火事を起こしたら一大事だから、ちゃんと仕込んでもらわないといけない。由佳は「よろしくお願いします」と頭を下げた。


夕食の後、楠田親子は文左衛門と話をした。

茉莉花はやっぱり江戸に住みたいと言った。由佳もそう思うのだが、これから暮れにかけて物騒なんじゃないだろうかと不安になる。

文左衛門の話では、江戸に住むことになっても下屋敷のある高輪あたりは比較的治安がいい場所だそうだ。

いずれにしても近くに時滑りの者もいるし、何かあればすぐに藩に連絡できるようになっているので、その点は安心出来そうだ。

問題は仕事をどうするかだ。最初の準備にかかるお金は藩で用意してくれるらしいが、それにも限度がある。

それを聞いて、由佳はそう言えばと、今日までここで世話になった分の食費とか、おふきの給金とかはどうなっているのだろうと、それとなく文左衛門に聞くと、そんな事は大した事ではないと言われた。

文左衛門にとっては、新しく得られる情報や、若様と親密に出来ることの方が重要でお金には代えられないそうだ。

それは藩にとっても同じで、だからこそ江戸に居ても川越に居ても情報交換の場所には出席しなければならず、思い出したことや、気がついた事はすぐに報告しなければならない。

それさえ守れば後は比較的自由に暮らすことが出来ると言う事だ。

茉莉花は江戸でご飯屋さんを提案した。文左衛門も今日のお好み焼きをやったらどうかと言ってくれた。高輪は海も近いし、材料は色々揃うらしい。

しかし、原価計算をしてみないとうまくいくかどうか分からない。

味にしても由佳達の時代の調味料が無いから品数がそろえられない。

もっとも心配なのは店で食べて貰って長い時間人と接するとボロが出たらと言う事だ。

時滑りとばれてはいけないのだから。

そう言うと、文左衛門は煮売り屋を薦めた。

いわゆる総菜屋さんだ。それならば少々無愛想でも何とかなる。

品数も除々に増やしていけばいい。

原価計算に関しては近日、文左衛門の店の番頭が用事でやってくるらしい。

その時一緒に相談に乗ってもらえばいいと引き受けてくれた。


 お好み焼きパーティから二日ほどたった日の朝、朝食を済ませた頃に飯能店の番頭がやって来た。

「お初にお目にかかります。私、大河原で番頭をやらせていただいております秀次郎と申します」と丁寧に挨拶された。

飯能からここまでどのくらいの距離なのか分からないが朝早く出てきたのだろう、文左衛門はお竹に茶漬けを頼んでいた。

時滑りにも慣れているのだろう、別段驚いた様子も無く、早速文左衛門に店の近況を話している。

由佳と茉莉花は文左衛門の用が済むまで台所でお竹の手伝いをして待つこととした。今日はうどんの作り方だ。

「はい、茉莉花様しっかり捏ねてくださいな。そんなんじゃ腰のあるうどんが出来ませんよ」とお竹に言われ、由佳と茉莉花は交代でうどん粉を捏ねていたら、すぐに文左衛門に呼ばれた。

とりあえず原価の話だろうから茉莉花を残し由佳だけ顔を出した。

文左衛門はテーブルの部屋ではなく、内廊下を挟んだ反対側の普段は生薬を置く部屋で呼んでいた。

この部屋に入るのは初めてだ。奥にはもう一部屋あって、文左衛門はその部屋で寝起きしている。

もしかして座敷を由佳達が占領してしまったからなのかも知れない。

そんな事を考えながら、なにやら書付を見ている文左衛門が口を開くのを待った。

書付を置き難しい顔をした文左衛門は、

「実は楠田様のお知恵をお借りしたい次第で御座いまして」と改まってひざを向けた。

番頭が相談に来た内容は、飯能には数件の薬種屋があるのだが、そのうちの一軒が出した流感よけの薬がすこぶる人気らしく、一つ売れ筋の商品があればついでにと他の商品も買って行くのが常で、同じ様な商品を扱っている場合他の店の売上はがた落ちしてしまう。

そうなる前に目玉商品が欲しいと、店を任せている文左衛門の息子からの相談だった。

「その流感よけは効き目があるのですか」と聞いたが、成分を言われてもピンとは来ない。

成分は従来の滋養剤とさほど違いは無いらしいが、名前が良いのか効く気がするのだろう。その薬は「退魔風神丸」と言って風神様の絵が付いた袋に入っていた。

「何だかご大層な名前ですね」と言ったが、受けは大事なのだろう。効き目よりもイメージと言うのは何時の時代も同じと言うわけだ。

この時代では風邪は万病の元であり、冬になると風邪で命を落とす人も多いらしい。

特に今年は秋口から性質の悪い風邪が流行っているらしい。

「何か良い案は御座いませんか」と文左衛門に聞かれ由佳はしばらく考えてみた。

現代なら風邪予防はマスクとうがいと手洗い。後は滋養強壮で、かかってしまったら暖かくして滋養を取って、それでもダメなら抗生物質だ。

でもこの時代に抗生物質は無いから、滋養を取ることを心がけるしかない。それと、乾燥が良くない。部屋の湿度を上げることも大事だ。

由佳は地理に詳しくないが、飯能や川越と言ったら川越街道、と言うことは宿場町も近くにあるのでは無いかと思った。

流感は旅人がもって来る場合もあろう。

宿屋にうがいと手洗いを徹底させるのは効果あると思い、薬種屋ではどんなものを売っているのか良く分からないが、煎じ茶はどうでしょうかと提案してみた。

お茶なら毎日何杯も飲むし、その中に体を温める薬草を入れれば良いのではないか。

成分は、緑茶、麦茶、玄米茶をベースに、体を温める薬草をいれ、

先ずは煎じて暖かいものを毎日のみ、冷やしたもので外出からかえってきたらうがいをするように勧める。

お茶なので、出来るだけ単価を下げ、年寄りから子どもまで服用できるように調合すれば、実質の売上は上がるのではないだろうか、と提案してみた。

文左衛門に薬草はどんな物が良いか聞かれたので、由佳は茉莉花を呼んだ。

「ねぇ、爽健美茶の歌覚えてる?」

「あれ、どくだみ、ハブ茶、プーアール、ってやつ?」

「そうそう、唄ってみて」そう頼むと、「えっと」と言いながらコマーシャルの歌を唄いだした。

番頭はその歌を書きとめて、唄い終わった茉莉花にあっているか確認した。

どうやら大半はこの時代に無いものらしい。

「もういい? まだうどん捏ねの途中なんだ」

「うん、ありがとう、よく覚えていたね」と茉莉花を台所に戻し、文左衛門に平成では手軽に飲めるお茶に薬草が入っているものがあり、ちょっと癖が有る物でも慣れれば皆飲むようになるし、

かえって癖があるものを選ぶ人もいる事を説明した。

文左衛門は考えていた。確かに薬湯は今までも商品として扱っているし、風邪以外にも数種類ある。

しかしそれらは効能を優先しているため苦く飲みづらいものだ。それが薬湯なのだが。

未来の医療は予防医療と言うものが進んでいると以前聞いた。痘瘡にしろ麻疹にしろ、わざと体に取り込ませ軽くかかることにより、大病にならず済むのだと言う。そう言った予防を日常に取り入れれば冬だけでなく、一年中の売上が見込めるかも知れない。

文左衛門は薬草の名前を数種類あげ、番頭に書き写させていた。

店に戻って息子に伝える為だ。役に立てばいいのだけれどと由佳は思った。

文左衛門と話をして、少し肩の荷が下りた番頭さんは、今度は由佳の相談にも乗ってくれた。

先日話をした後、メニューについて考えてみていた。

今手に入る調味料の範囲で由佳が作れる料理は実はそんなに多くない。

衛生面を考えて、火を通したものだけにしたいので、先ずは「お好み焼き」、「季節の煮物」、「焼きうどん」、「唐揚げ」、「卵焼き」、「天ぷら」だ、

必要な材料と、機材を書き出しておいた。

唐揚は鶏肉がめったに手に入らないので、魚やイカにしようと思っている事を伝えた。

お好み焼きに入れる具材も基本は野菜とイカにする。

お好み焼きの鉄板は注文しないと無いそうだが、それ以外は鉄鍋で出来る。

材料費も卵以外はそんなに高くないが、卵は高いので、卵焼きは店が軌道に乗ってからのほうが言いと番頭は助言をくれた。

お好み焼きの売値は蕎麦、うどんが十六文なので、それより安く一枚八文で作れるように算段し、鰹節や具材を抑えて行けば新し物好きの江戸っ子は飛びつくだろうと言ってくれた。

ただ、江戸っ子は「お好み焼き」なんて長い名前だとめんどくさがるので、「お焼き」でどうか、などと、色々助言をくれて、そろばん片手に儲けの算段もしてもらい、これなら親子二人食べて行くのに困らないだろうと太鼓判を押してくれた。

その後、文左衛門は今後の楠田親子の希望と仔細を書いた手紙を早速したため、川越にある若様のお屋敷まで届けるように渡し、番頭は茉莉花が捏ねたうどんを食べ、早々に引き上げて行った。

番頭に相談し、若様に手紙を書いたことにより、この時代での新しい生活が現実味を帯びてきて、由佳は不安と期待と入り混じった気持ちになった。











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