第44話  決戦 

某月某日。

時計の針は、夜の十八時五十五分を指している。

場所は、都内にあるジャパンサッカースタジアムである。

ジャパンサッカースタジアムは、日本国内では三番目に大きな総合競技場である。その大きさは、東京ドームの一・二倍に相当し、収容人数は約七万人を超える。

敷地内には、陸上用のトラックからサッカーの試合が出来るフィールドまで整備され、スタンドの内部や外部にまでいろいろな設備が備わっている。サッカーの試合で使用されるフィールドは、天然芝で覆われ、交際試合にも使用される程である。

夜と言うこともあり、ナイターの照明が競技場内を隅から隅まで照らしている。

そして。

そのジャパンサッカースタジアムのフィールド内に、二人の男が立っていた。

一人は、香川浩介である。

またの名を、「快楽の狂戦士」「サディスト香川」とも言う。

身長・百八十五センチ。

体重・百五キロ。

年齢・二十六歳。

頭髪は黒色で丸坊主だが、顔は目鼻口が整っていてハンサムで、どこかの雑誌のモデルにでも十分なれそうな外見である。首は太く、胸板は尋常ではないほどの厚さを誇っている。腕もかなり太く、血管が隆々に浮き出ている。

特徴は、左右の耳に付いている五個のリング型ピアスである。

日本裏社会の「暴武」部門のルーキー達の中でも、頭一つ飛び抜けた強さを誇っている。

服装は、上半身は派手なアロハシャツを着ていて、下半身は黒色の皮製のズボンを穿いている。

もう一人は、戸倉一心だ。

またの名を、「暴力の絶対者」「ゴッドハンド戸倉」とも言う。

身長・百七十六センチ。

体重・百キロ。

年齢・四十歳。

銀色の長い髪を後ろで束ね、金縁の眼鏡をかけている。

特徴は、その大きな掌であろうか。成人男性の二倍はあろうかと言う程の大きな掌を持っており、その握力は二百キロを軽く超えるのだ。

日本裏社会の「暴武」部門の頂点に君臨し、暴力の世界で彼を超える逸材は存在しないとまで言われている。

服装は、白いスーツに黒色のシャツを着ていて、ネクタイは真っ赤な赤色である。靴は白色のエナメル靴を履いている。

「しかし~よくこんな場所を~貸し切れましたね~」

香川浩介は、フィールドに敷き詰められた天然芝を蹴った。

「夜の数時間程度ですからね。簡単なことです」

戸倉一心は、軽く言ってのける。

「さすが戸倉さん~凄いっすわ~」

香川は、フィールドからジャパンサッカースタジアムをぐるりと一望する。余りの広さに心細ささえ感じる程だ。

「西牙の奴は~ちゃんと来ますかね~?」

香川は戸倉を横目で見た。

「彼は来ますよ。一番最初に会った時に、私に騙されていますからね。ああいう人間は、侮辱されることを一番嫌いますからね・・・」

戸倉はズボンのポケットに両手を入れた。

ゆるやかな風が、フィールドの天然芝を軽く撫でる。

競技場の二階スタンド辺りにある大きな針時計は、十九時を指した。

その時。

競技場の正面入り口に黒い人影が現れた。

選手達が試合に向かう時に出て来る入り口である。

黒い人影は背中にナイターの照明を一斉に浴びている為に、誰であるのかがまったくわからない。

そして。

その黒い人影の後ろに、もう一つ。

いや、もう一人の人影が同じ様に動き出す。

そう。

黒い人影が、全部で二つ現れたのである。

「ん・・・?!」

戸倉一心は顔を横に向けると、競技場の入り口に目を向けた。

ナイターの照明が強烈過ぎて、目を細める。

「誰だ~?あれは~?」

香川浩介も、同じ様に両眼を細める。

二つの黒い人影は、ゆっくりとした歩調で前進し、戸倉と香川のいるフィールドに向かって来る。

じゃりっ。

じゃりっ。

先頭を歩いている黒い人影に比べて、少し後ろを歩いている人影はかなり大きい。

じゃりっ。

じゃりっ。

徐々に近付いて来る二つの黒い人影。

ナイターの照明をを浴び、二つの人影から影がフィールドに伸びる。

「・・・・・」

戸倉一心は、じっくりとその二つの人影を見た。

「ん~?」

香川浩介も体を正面に向け、その二つの人影を見る。

そして。

戸倉一心と香川浩介は驚愕するのである。

「ば・・・馬鹿な・・・?!」

戸倉一心は両眼を大きく見開いて、口をあんぐりと開ける。

「な~な~何~?!」

香川浩介も両眼を大きく見開いて、驚きの表情を崩さない。

二つの人影。

一人は、言わずと知れた西牙丈一郎である。

身長・百八十二センチ。

体重・九十三キロ。

年齢・二十六歳。

顔は目鼻が綺麗に整っていて、肌は浅黒い。鼻頭には横1直線に深い傷があり、髪は茶色に染めてはいるがボサボサで、白い帽子を被っている。

特徴は、人間の常識を超えた身体能力と、怪物的な肉体の潜在能力である。その筋肉は野生の肉食動物を凌駕し、体脂肪率は二パーセントを切る程である。

服装は、黒色のトレーナーに黒色のジャージを着ている。靴は、動きやすいスポーツシューズを履いている。

そして。

もう一人の人影は。

何を隠そう、郷田梅雲である。

またの名を、「破壊の帝王」「クラッシャー郷田」とも言う。

身長・百九十二センチ。

体重・百三十五キロ。

年齢・四十歳。

髪は黒くボサボサで、少し長い。顎髭も適当に伸びしているのか整えられていない。眉は太く、両眼は柔らかく大きい。肌は褐色で、体の大きさに比べて動きがかなり軽やかである。

特徴は、その大きな体格から繰り出されるパワー攻撃であり、プロレスを基本としている為に、打撃から関節技まで全てを網羅しているのだ。

日本裏社会の「暴武」部門の頂点に、戸倉一心と共に君臨している猛者でもある。

服装は、上下の迷彩柄の戦闘服を着用している。靴は、軍隊で使用しているブーツを履いている。

じゃりっ。

じゃりっ。

西牙と郷田は歩を進める。

「な・・・なぜ・・・?」

戸倉一心は、郷田梅雲が西牙丈一郎と一緒にいることに動揺している。

「どういうことだ~?これは~?」

香川浩介も驚きを隠せない。

じゃりっ。

じゃりっ。

西牙丈一郎はニチャリとした笑みを浮かべると、フィールドの天然芝に足を踏み入れる。

郷田梅雲も同じ様に足を踏み入れ、天然芝を踏み付けていく。

「・・・・・」

戸倉は下唇を噛み絞めると、黙って郷田を見る。

郷田はボサボサの黒髪を右手で掻き毟り、居心地の悪そうな顔をして戸倉を見た。

じゃりっ。

じゃりっ。

戸倉一心と香川浩介。

西牙丈一郎と郷田梅雲。

じゃりっ。

じゃりっ。

お互いの距離間が縮まる。

競技場のフィールド中央部で、お互いの距離間が五メートルに達した時。

西牙と郷田は歩を止めた。

生温い風が、四人の体を舐める様に包む。

「ククク、どうした?戸倉一心」

西牙丈一郎は、ニヤニヤとした笑みを崩さない。

その笑みは、何をそんなに驚いているのだ?と言う含みを込めていた。

「これはどういうことですか・・・?郷田さん」

戸倉は、西牙の方を一切見ずに郷田に話し掛ける。

「ガハハ!」

郷田は大声で笑うと、戸倉と香川を交互に見た。

「まぁ、なんというか・・・コイツの下に付いただけのことじゃ」

ボサボサの黒髪を右手で掻き毟って、サラリと言う。

「な~な~何~?!」

香川浩介は両手の拳をぎゅっと握り締めた。

「・・・・・」

戸倉一心は、少し沈黙を続けた後。

「そうですか・・・。郷田さん、それがどういうことかわかっているのでしょうね?」

戸倉は立て続けに言葉を放つ。

「わかっとるわい。裏社会からは・・・今日限りで卒業じゃのー」

郷田梅雲はニコリと笑って言った。

「郷田さん~あんた~見損なったぞ~」

香川は、怒りの表情で一歩前に進む。

香川浩介にとって、戸倉一心と郷田梅雲は暴力の世界での憧れの存在であったのだ。

それがどうだ。

あの憧れの男が、自分と同い年のわけのわからない男の下に付いているのだ。

これ程の屈辱はあるのだろうか。

「こうなったら~俺が~あんたを~ぶち殺してやるぞ~」

香川はさらに一歩前に前進する。

「待ちなさい」

戸倉が、香川浩介の動きを左手で止める。

その表情は怒りで満ち溢れている。

両眼は大きく見開き、両眉は吊り上り、顔は少し紅潮している。

それはそうであろう。

一番怒っているのは、この男の筈である。

日本裏社会に入った時から、共に闘ってきた親友が、敵対する男の下に付いているのである。

それも、日本裏社会から脱退すると言うではないか。

日本裏社会から脱退すると言うことは、今後一切、裏社会とは関わりを持たないと言うことである。もし万が一、裏社会と関わりを持とうものなら、日本裏社会を深淵で牛耳っている「執行部」が動き、郷田梅雲を確実に亡き者にするであろう。

「わかりました・・・。それ程の決意なのですね・・・」

戸倉一心は、ゆっくりと西牙と郷田に背を向ける。

そして。

白色のスーツを脱いだ。

真っ赤なネクタイも首元から剥ぎ取ると、香川浩介に預ける。

西牙丈一郎は一歩前に出た。

「丈一郎」

郷田梅雲が、西牙を呼び止める。

「なんだ?おっさん」

西牙丈一郎はニチャリと笑う。

「一心は、俺よりも数段強いからのー。侮ると痛い目を見るぞ」

郷田は、西牙の横顔を眺めて言った。

「ククク、安心しな。全力で潰してやるからよ」

西牙はそう言うと、前を向いた。

戸倉一心は、シャツの首元にあるボタンを外す。

そして。

クルリと踵を返すと、西牙と郷田のいる方向に向き直った。

西牙丈一郎と戸倉一心。

ピリピリとした空気が、周りを漂う。

二人の距離間は約三メートル。

「西牙さん、とうとう闘えますね」

戸倉は静かな口調で話す。

「そうだな」

西牙も答える。

「やっと、本気で闘える相手に巡り合えたかもしれません。なので・・・」

戸倉は一息付く。

「なんだ?」

西牙は聞き返す。

「簡単には、死なないでくださいよ」

戸倉一心は、左右の口角を上げて大きく笑った。

その笑いは、全ての感情を凌駕していた。

嬉しさ、喜び、悲しみ、怒り、全ての感情を掻き混ぜて出来上がった様な異質の笑みなのである。

「それは、俺のセリフだろうが・・・」

西牙丈一郎がそう言った瞬間。

お互いが動いていた。

天然芝が波打ち、フィールドの土が抉れる。

戸倉は右手の掌を大きく振り、西牙の頭部を狙う。

バチィーーーーーン!

西牙はその攻撃を左手で防御し、前蹴りを放つ。

ズドォーーーーーン!

お互いの攻撃が炸裂し、衝撃音と打撃音が響き渡る。

西牙の前蹴りは、戸倉の左腕で受け止められている。

ズジャッ。

同時に後方へ飛んだかと思うと。

瞬時に、前方へ飛び跳ねる。

戸倉一心は、左右の掌を連続で放つ。

ドパパパパパパパパパパッ!

西牙丈一郎は、左右の蹴りを乱打する。

ガガガガガガガガガガガッ!

お互いの攻撃が相手の体に炸裂する度に、ジャパンサッカースタジアム内に爆音が響きわたる。

「えげつないのー」

郷田梅雲は、胸の前で両腕を組みながらポツリと呟いた。

「最高だぁ~」

(まさしく~怪物同士の闘いだぞ~)

香川浩介は長い舌をチロリと出して、二人の闘いを凝視した。

二人の激しい攻撃の為に、フィールド上の天然芝が大きく揺れる。

戸倉は、左右の掌を飛ばしながら、西牙の蹴りを両腕でブロックする。

ババババババババババッ!

西牙も、左右の蹴りを放ちながら、戸倉の攻撃を両腕で防御する。

ズドドドドドドドドドッ!

まさしく、一進一退。

お互いの力が拮抗している為に、全ての攻撃と防御が相打ちとなっている。

戸倉一心が横に動けば。

西牙丈一郎も横に動く。

お互いが吸い寄せられる様に近付き、攻撃と防御を繰り返す。

西牙は、ニチャリと笑う。

そして。

左拳に力を込めると。

大きく振りかぶり、戸倉の顔面に放った。

戸倉は、頭部をすばやく動かして、その攻撃を避ける。

だが。

西牙丈一郎の攻撃は、その動作よりも速かった。

カシャン!

戸倉一心が掛けていた金縁のメガネが、天然芝の上を走る。

戸倉一心の動きが止まる。

「そろそろ・・・本気出して来いよ」

西牙は、口角を大きく上げて戸倉を見た。

「それもそうですね」

戸倉は、天然芝に転がっている金縁のメガネを見ながら、上下の歯を食い縛った。

ギリギリ・・・。

気味の悪い異音が、フィールド内に響き渡る。

ギリギリ・・・。

(ついに、暴走モード発動かいのー)

郷田梅雲は、両腕を胸の前で組んだまま、戸倉を見た。

ギリギリ・・・。

(戸倉さんの~暴走モードが~来るぞ~)

香川浩介は、長い舌で自分の上唇を舐めた。

ギリギリ・・・。

歯と歯が擦れ合い、気持ちの悪い異音を奏でる。

歯軋りの音である。

「・・・・・」

(なんだ?!)

西牙丈一郎は、その異音を聞いて顔をしかめた。

ギリギリ・・・。

・・・・・。

気味の悪い異音が、ピタリと止まる。

戸倉一心がユラリと顔を上げ、西牙丈一郎を睨む。

その表情は、異形であった。

両方の眉毛は吊り上り、眉間には五本程の筋が入っている。両眼は見開き血走っている。

「おどれ・・・」

戸倉がドスの効いた声を発するや否や。

競技場のフィールドを、すでに蹴っていた。

天然芝が大きく抉れ、芝と土が宙を舞う。

「ぶち殺すぞーーー!ワレ!」

戸倉一心の関西弁が、ジャパンサッカースタジアム中に響き渡る。

(コイツ、豹変しやがった!)

西牙は後方に跳ねた。

戸倉一心の右掌が、空気を抉る様に横殴りで放たれる。

ボオオォッ!

異様な快音が響き渡る。

戸倉は、西牙との距離を縮める。

そして。

左掌を西牙の頭部に放つ。

ボオオォッ!

轟音と共に、西牙の頭部に大きな衝撃が走った。

「チッ!」

西牙は、右腕でその攻撃を防いだが、強烈な衝撃に体ごと横に滑った。

(チッ!さっきの攻撃よりも・・・速さも威力も格段に増してやがる!)

西牙は舌打ちすると、腰を落として前蹴りを放った。

「おどれこそ・・・本気ださんかい!」

戸倉は、その前蹴りを右掌で弾き返すと、体をグルンと回転させて、西牙の頬に左掌をぶち当てた。

バチイイィーーーン!

西牙丈一郎の頬に、戸倉一心の左掌が減り込む。

みちみちみちっ。

「・・・・・」

西牙は、その掌底を喰らいながらも両眼を大きく見開いている。

「最高じゃねぇか・・・お前」

西牙はニチャリと笑うと。

空中に跳ねあがった。

そして。

空中で一回転すると。

右足のかかとを、戸倉一心の頭頂部に落とす。

めきめきめききぃっ!

戸倉一心の頭頂部に、西牙丈一郎のかかと落としが炸裂する。

「あがっ・・・?!」

戸倉の全身がブルッと震えた。

後頭部で纏めていた銀髪の長い髪が、その衝撃でザンバラ状態になる。

「おどれ・・・」

戸倉は、頭部を左右に振って身構える。

成人男性の二倍はあろうかと言う掌を両方前に出すと、小指から順番に掌の内側に終いこんでいく。

小指。

みちりっ。

薬指。

みちりっ。

中指。

みちりっ。

人差し指。

みちりっ。

最後に、親指をその四本の指の上に乗せた。

最強の拳の完成である。

戸倉一心。

暴走モード覚醒。

さらに、両拳の解放である。

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