第38話  赤龍

中国裏社会組織「赤龍せきりゅう」の縄張りは、市街から少し離れた中華街である。

市街から離れていると言っても、電車で三十分もかからないので、人の賑わいは多く、大きな繁華街と左程変わらない。

中華街には、中国系の飲食店や雑貨店がひしめき合い、地方から大量の観光客が押し寄せてくる繁盛振りなのだ。

それだけの人間が集まり、大量の資金源が動く場所には、絶対にいろいろな問題が起こるのも確かであり、その問題を全て解決しているのが、日本在住の中国裏社会組織「赤龍」なのである。

「赤龍」の正式な呼び名は「チーロン」であり、リーダーの李宗民リ・ジョンミンで三代目になる。一代目は李宗民の祖父であり、二代目は李宗民の父が継いでおり、李家が代々継いでいるのだ。

赤龍のメンバーは、総勢数百人とも言われている。はっきりとした人数は、警察でも把握されておらず、基本は在日中国人が人員の中核を占める集団なのである。

赤龍のアジトは、中華街の真ん中にある五階建ての大きなビルで、一階は飲食店になっていたが営業をしておらず、観光客は誰一人として近付かない。

その反面、中華街に住む人間達は、いろいろな事件や問題が起きたら、気軽にそのビルに出入りした。中華街と「赤龍」の関係は、主従関係ではなく、むしろ家族であるからだ。日本人同士とは違い、中国人達の結束は仲間と言う枠を遙かに超えていた。日本で生まれたにも関わらず、自分達が日本人なのか、中国人なのかもわからないまま育ち、大人になってもその答えすらも与えてもらえない環境。そのやり場のない怒りを理解してくれるのは、やはり同じ境遇の人間だけなのである。そして、その助け合い精神が、今の中華街と「赤龍」の強固な関係を生みだしているのである。

その五階建てのビルに、二人の男が入ってきたのは、夕方の五時を過ぎた頃だった。

一階の飲食店は営業されていなかったが、昔に営業されていた名残なのか、テーブルや椅子がそのまま残っていた。そこに、「赤龍」のメンバーがいつも数人いて、中華街で起きる問題に対処しているのである。

入り口の扉がゆっくりと開いた。

一階の飲食店にいた赤龍のメンバー数名が、開いた扉の方向に目を向ける。

大柄な男が二人、静かに店の中に入って来る。

一人は白いタンクトップに革のズボンを穿いており、もう一人は白いスーツを綺麗に着こなしている。

「・・・・・」

赤龍のメンバーは、その二人の男を見た。

どうやら、中華街関係の人間では無さそうである。

「この店は、営業していないネ。他行くネ」

飲食店と勘違いした観光客が、間違って店に入って来たと判断した赤龍のメンバーは、片言の日本語で言った。

二人の男は、その言葉を聞いたにも関わらず。

ゆっくりと歩を進めると。

入り口付近の椅子に座り、テーブルに肘を置いた。

「・・・・・」

赤龍のメンバーは、その二人の男を静かに見る。

「この店は営業していないネ。早く出て行くネ」

自分の発した言葉がうまく聞き取れなかったと思ったのか、もう一度言う。

二人の男は、その言葉を発した男を見た。

だが、その言葉を聞いても二人の男は椅子から立ち上がろうとしない。

飲食店にいた赤龍のメンバー達が、ゆっくりと椅子から立ち上がり、二人の男ににじり寄って行く。

その人数、五名。

「聞こえないのカ?すぐに出て行くネ」

赤龍のメンバーの一人が凄んで言う。

二人の男は、その男をじっくりと眺める。

「おいおい~出て行けだと~?」

二人の男の内の一人が、特徴のある話し方で言葉を発した。

そして、ゆっくりと椅子から立ち上がる。

体格がかなり大きく、赤龍のメンバーを見下ろす形になる。

身長・百八十五センチ。

体重・百五キロ。

顔はハンサムで、どこかの雑誌のモデルにでも十分なれそうな外見である。首は太く、胸板は尋常ではないほどの厚さを誇っている。腕もかなり太く、血管が隆々に浮き出ている。

特徴は、左右の耳に付いている五個のリング型ピアスである。

この男こそ、日本裏社会「暴武」部門のルーキー達の中でも、一番危険とされている男・香川浩介かがわこうすけである。

またの名を、「サディスト香川」「快楽の狂戦士」とも言う。

「俺達は~ここに用事があって~来ているのだ~」

香川浩介は、両眼を剥いて長い舌をチロリと出した。

「・・・・・」

赤龍のメンバー達も、香川浩介の異常な表情に度肝を抜かれている。

「ここに、李宗民さんはおられますか?」

もう一人の男が静かに問いかける。

その男は金色のフレーム眼鏡をかけて、長い銀髪を後ろで束ねている。

身長は百七十六センチ。

体重は百キロ。

その掌は大きく、成人男性の掌の二倍はあるのではなかろうか。拳の部分はボコボコと隆起していて、拳ダゴができている。

そう、戸倉一心とくらいっしんである。

日本裏社会「暴武」部門の頂点に君臨する男であり、またの名を「ゴッドハンド戸倉」「暴力の絶対者」である。

「李兄に?」

赤龍のメンバーの一人が言い返す。

彼らは、李宗民のことを尊敬の言葉を込めて「李兄」と呼んでいた。

「いるのだろう~?早く出せよ~」

香川浩介は、目の前にいる赤龍のメンバーの顔を覗き込む。

その時。

奥の部屋から、一人の男が出て来た。

体格は大きく、上半身裸である。両肩から両肘にかけて、鮮やかな龍の刺青が彫られており、黒い髪は綺麗に整えられている。

「何か用カ?お前ら?」

その男はゆっくりと歩くと、香川浩介に近付く。

身長は香川浩介と同じぐらいで、体重が百キロを少し切るぐらいだろうか。

「兄貴・・・!」

赤龍のメンバー達が一斉に、その男に近付いだ。

どうやら、赤龍のメンバーの中でも格上の存在の様である。

身長は百八十五センチ。

体重九十九キロ。

体からは、異常な程の殺気が溢れ出ており、かなりの強者であることがわかる。

「何か用かだと~?李宗民を早く出せよ~」

香川浩介は、刺青の男を睨み付ける。

「李兄を出せだと?お前殺すゾ・・・」

その男はそう言うと、香川の額に自分の額を押し付けた。

赤龍のメンバー達は、テーブルの下に隠してある包丁を取り出すと、一斉に構えた。

戸倉一心がゆっくりと椅子から腰を上げた。

「勘違いしないでもらいたいのですが・・・。私は、あなた達の組織には興味はありません。ただ、個人的に李宗民さんに会いたいのです」

戸倉はそう言うと、両手を上空に上げた。

敗北のポーズである。

「李兄はいないネ。早く出て行けヨ」

刺青の男は、香川の胸を右手で強く押した。

香川浩介の長い舌がピタリと止まった。

「お前~死ぬか~」

香川はそう言うと、刺青の男の首を真正面から右手で掴んだ。

そして押す。

刺青の男も負けてはいない。

同じ様に、右手を出すと香川浩介の首をガシッと掴んだ。

お互いがお互いの首を掴んでじりじりと押し合う。

みちっ。

みちちっ。

刺青の男の周りにいる赤龍のメンバー達は、その様子を、包丁を握りながらニヤニヤと笑いながら見守っている。その笑いは、余裕の表れであり、刺青の男が負ける筈がないと言う自負である。

「てめぇは~何してくれているんだぁ~?」

香川は長い舌をチロチロと出す。

右腕に力を込めて押していく。

「お前殺すゾ・・・」

刺青の男も、それに負けじと右腕に力を込めて押していく。

「やれやれ・・・」

(香川君を連れて来ると、絶対にこうなりますね・・・)

戸倉一心は、上空に上げていた両手をゆっくりと下に降ろした。

香川浩介と刺青の男の力比べ。

ぎちぎちっ。

みちみちっ。

お互いの力が、お互いの首を絞め付け、押し合っていく。

赤龍のメンバー達は、あいかわらずニヤニヤと笑っている。

それ程、刺青の男の強さに自信を持っているのだ。

均衡が崩れたのは数分後であった。

じりじりと、香川浩介が押し始めたのである。

「・・・・・」

刺青の男の首が締まり、頭部がゆっくりと後方へと移動する。

「・・・・・!」

赤龍のメンバー達は驚愕して、香川浩介を見た。

刺青の男は、赤龍のメンバーの中でもかなりの猛者なのだ。今までに起きた中華街での修羅場を、いくつも潜り抜けて勝ち続けてきた男なのである。

その刺青の男が、わけのわからない男に力で負けているのである。

「兄貴・・・!」

赤龍のメンバー達は、刺青の男が力で負ける姿など、ほとんど見たことがなかった。

「どうした~?お前の力は~こんなモノか~?」

香川は、長い舌で上唇をニチャリと舐めた。

刺青の男の頭部がじりじりと後方に下がる。

完全に力負けしているのだ。

「この野郎ガ・・・」

刺青の男は、右手に力を込めて押し返す。

だが、香川浩介の力が凄まじく、ビクリともしない。

刺青の男の首が徐々に締まり、背中が弓なりに曲がっていく。

「ぐ・・・ぐ・・・」

刺青の男は唸り声を上げる。

そして。

香川浩介が力強く刺青の男の首を押した。

どすん。

と言う音と共に、刺青の男は尻から床に倒れた。

香川浩介は、長い舌を出しながら笑っている。

「あ・・・あ・・・」

赤龍のメンバー達は、顔面を蒼白にして刺青の男と香川浩介を交互に見た。

刺青の男も、香川浩介を見上げながら唖然としていた。

それはそうであろう。

今まで、力で負けたことなどほとんどなかった人間が、いきなりやって来たわけのわからない人間に、簡単に力負けしたのである。

「お前・・・死んだネ」

刺青の男の顔色が一気に変わる。

両眼は血走り、顔は赤く紅潮している。

ゆっくりと立ち上がり、右腕を大きく振り上げた。

「やるのか~?」

香川は、まだ長い舌をチロチロと出して笑っている。

刺青の男の右拳が唸りを上げる。

ずばばあぁぁん!

香川の左頬に、刺青の男の右拳がぶち当たる。

と。

香川はその衝撃を利用して、体全体をぐるんと回転させると。

左腕を大きく横に振った。

そして。

刺青の男の顔面に左拳を放った。

どごおぉぉん!

爆音と共に、刺青の男の体が吹き飛んだ。

入り口から順番に並んでいたテーブルを全てなぎ倒し、一階フロアの端に飛んでいく。

「あぁ・・・」

その光景を見た赤龍のメンバー達は、口をあんぐり開けた。

香川はズカズカと前に進むと、目の前にいる赤龍のメンバーの顔面に拳を放つ。

ぐしゃっ!

一人。

めきっ!

二人。

ぐちゃっ!

三人。

面白い様に、人間が空中で回転し、舞い上がる。

手に持っていた包丁は、使用されることなく飲食店の床に音を立てて落ちていく。

「お前ら~皆殺しだぁ~!」

香川が四人目の男に向かう所で、フロアの端から煙が上がった。

大きな風が巻き起こり、その中から右拳が飛んで来る。

香川浩介は、その右拳を紙一重で避けた。

白い煙の中から、刺青の男が飛び出て来る。

その男の鼻は折れ曲がり、上唇が切れている。

「強烈なパンチだネ・・・」

そう言うと。

両手で香川浩介の両手首を掴んだ。

そして。

頭部を後方に力一杯引き伸ばすと。

腰から反動を付けて、前に飛んだ。

ぐしやあぁぁーーー!

刺青の男の頭部が、香川浩介の顔面に減り込む。

「ぐはっ~!」

香川浩介は、鼻頭に強烈な激痛が走ったのを感じた。

だが、香川も怯まない。

鼻から出た赤い血を長い舌で舐め取ると。

同じ様に頭部を後方に引き伸ばし、力一杯前に飛ばす。

ぐしやあぁぁぁーーー!

今度は、香川の頭部が上半身裸の男の顔面に減り込む。

「ウグッ・・・!」

刺青の男は、顔面に激痛を感じたが、香川の両手首からは手を離さない。

そのまま両足を空中に上げて飛ぶと、香川の腹部に蹴りを放つ。

どごおぉぉーーーん!

刺青の男の全体重が乗った蹴りを、腹部に喰らう。

「ちっ~!」

香川の体が後方へ三メートル程飛んだ。

刺青の男は首を左右に振ると、香川浩介を睨み付けた。

赤龍のメンバー三名が床に倒れてピクリとも動かない。残りの二名は、包丁を握って刺青の男の後ろに陣取っている。

「やってくれるじゃねぇかぁ~お前~」

香川の両眼は怪しく光っている。

長い舌をチロチロと口内から出すと、すばやく引っ込めた。

「お前達は何者ダ?」

刺青の男は、口の端から出ている赤い血を右手で拭き取った。

(この男・・・只者じゃないネ)

今までであれば、自分の攻撃を数発喰らえば、ほとんどの人間が面白い様に倒れていたのだが、この男は違うのである。

刺青の男は、香川浩介に李兄と同じ臭いを感じていた。

表の社会では到底生きていけない人間。

そして、非常に危険な人間であると。

裏社会で生きているが、その中でも群を抜いてレベルが違うと言うことを。

(だが、李兄には絶対に会わせられないネ!)

刺青の男は床を蹴った。

香川浩介の腰に飛び付く。

香川は両手を上空に上げると、刺青の男に腰を掴ませた。

倒れない様に上半身を前方に傾けると、上空に上げていた両腕を刺青の男の腰に巻き付けて、ぐるんと回転した。

どおすうぅん!

大きな男の体が二つ、空中で回転して床に落ちる。

刺青の男が下になり、香川浩介が馬乗りになった状態だ。

「お前には~お仕置きが必要だなぁ~」

香川浩介はそう言うと、両足で刺青の男の腹部を挟み込み、足首を絡ませて固定する。その両眼は怪しい光を放ち、黒目の部分が異様に大きく肥大している。快感が増してきている証拠である。

刺青の男は左右に体を動かして、香川から逃れようとするが、ピクリとも動かない。

「この野郎ガ!」

下方向から、左右の拳を放つ。

香川はそれらを軽く両手で抑え込む。

「これから~楽しいショーの~始まりだ~」

香川浩介は、長い舌をチロチロと出すと、刺青の男をジトッと見る。その眼はすでに焦点を失っている。

「ぐっ・・・・!」

(気持ち悪いネ・・・!コイツ!)

刺青の男は、背中に冷たい悪寒を感じた。

香川は、刺青の男の両鎖骨に両手を上から差し込むと、下方向に力一杯押し下げた。

ボキボキボキッ!

「グクッ・・・!」

刺青の男が呻き声を堪える。

左右の鎖骨を枯葉の如く折られ、刺青の男は両眼を大きく見開いている。とてつもない激痛が走る。

「我慢強いなぁ~お前~」

香川は、刺青の男の体に覆い被さる様にして、両手で両手首を抑え付ける。

「ぐ・・・クソッ!」

刺青の男は頭部を上空に振り上げる。

バチチッ!

香川の顔面に自分の額をぶち当てる。

香川の鼻から出た赤い血が、刺青の男の頬にポタリポタリと落ちる。

「いいね~なかなかの抵抗振り~最高じゃねぇか~」

香川はすばやく両手を動かすと、刺青の男の右手首を両手で掴んだ。

そして。

力一杯捩る。

みちみちみちっ。

「ぬぐうっ・・!」

刺青の男は、あまりの激痛の為なのだろうか、左右に体を動かしてもがく。空いている左腕で、香川の顔面にパンチを放つが、下方向からの打撃なので威力がなく、効き目がほとんどない。

軽いパンチを数十発受ける香川浩介。

鼻からは赤い血がポタリポタリと落ちていく。

「もっと~俺に快感を~味あわせてくれよ~」

さらに力を込めて、刺青の男の右手首を捩っていく。

めちめちめちっ。

「クソ野郎ガアァーーー!」

刺青の男は体を上下に動かして逃れようとするが、香川浩介がガッチリと固定している為に逃れることができないのだ。

「いくぞ~いくぞ~いい声で鳴いてくれよ~」

香川は両眼を大きく見開くと、大きく息を吸って最後の力を振り絞った。両腕の血管が大きく膨れ上がり、パワーが両手に全て伝わっていく。

ぶちぶちみちみちつっーーー!

「グゥツ・・・!」

刺青の男は、全身を震わせながらも痛みに耐える。

なんという忍耐力と精神力であろうか。

普通の人間であれば、大声を上げて涙を流しているか、あまりの痛みの為に失神していてもおかしくないレベルである。

香川浩介は、刺青の男の右手首から両手を離すと、両手を上空に上げて天井を見た。その表情は恍惚としており、快感で全身を震わせている。

「最高だ~最高だ~」

香川浩介は全身をぶるっと震わせると、口の端から透明な涎を垂らした。

「殺してやるネ!お前を!ぶち殺してヤルネ!」

刺青の男は自分の右手首を見て叫んだ。

有りえない光景がそこにはあった。

自分の手首が、百八十度ぐんにゃりと捩れ、骨や筋肉の繊維が飛び出ているのだ。

「グ・・・クッ・・・」

刺青の男は頭を左右に振った。

(これは何ネ・・・?これは夢ナノカ・・・?)

口をパクパクさせて、香川浩介を見る。

赤龍の残りのメンバー二人も、刺青の男の右手首を見た瞬間、胃から胃液が込み上げてきたのか、その場で異物を嘔吐している。

「最高だ~この痛みにも動じないとは~最高だ~」

香川は全身をぶるっと震わせると、刺青の男の顔を覗き込む。

長い舌をチロリと出して、自分の鼻から流れ出ている赤い血をゆっくりと舐める。

「いつ~お前の心が壊れるか~楽しみだぜ~」

香川は、刺青の男の右手首を再度掴む。

「何度やっても同じネ・・・。俺達は絶対に・・・仲間や家族は売らないネ!」

刺青の男は、ぐちゃぐちゃになった右手首を掴まれているにも関わらず、二ヤリと笑顔で言った。

「こんな状態なのに~お前の指は~痛みを感じるか~知りたくないか~?」

香川は長い舌で、刺青の男の右手の人差し指を舐める。

「・・・・・」

(コイツ・・・頭がおかしいのカ?こんな状態の右手にまだ何かする気なのカ・・・?)

刺青の男の表情が一瞬歪んだ。

香川は両眼を怪しく光らせて、刺青の男の人差し指を左手で包み込む様に掴んだ。

ボキキッ!

「グフッーーー!」

刺青の男の頭部が上空に飛び上がる。両眼は大きく見開き、歯を食い縛り耐える。

「お~だんだんと~いい反応をしてきたぞ~」

香川の表情は恍惚としている。

刺青の男の人差し指は、手の甲に向かってぐんにゃりと折れ曲がり痙攣している。

「これでわかっただろう~?そんな状態になっても~痛みは感じるものだと言うことが~」

香川浩介は、上から刺青の男の顔を見る。

「殺してヤル・・・クソッ・・・!」

刺青の男は、香川を睨み返している。

「なんだ~その目は~?」

香川は、刺青の男の右中指と右薬指を左手で掴む。

刺青の男の表情が一瞬曇る。

「いい表情だ~もっといい表情を~俺に見せてくれよ~」

香川は、与えられたおもちゃを楽しんで壊す様に、容赦なく潰していく。

メキメキメキッ!

「グハアァァーーー!」

刺青の男から、とうとう叫び声が上がる。

今まで、ずっと叫ぶことを耐えていたのだが、ついに限界がきたのであろう。

赤龍の残りのメンバー達は、足腰をガクガクと震わせて動けない。

香川浩介と言うあまりにも異常な人間の行動に、ただただ傍観しているしかないのだ。

「最高だぁ~いいぜ~お前~」

香川は恍惚の表情を浮かべて、刺青の男を見下ろす。

「殺してヤルーーー!」

刺青の男は、左拳をぶんぶんと振り回し攻撃する。

だが。

香川はその攻撃を馬乗りになって避ける。

「まだ~お前には痛みが~足りない様だな~」

香川はそう言うと。

刺青の男の左腕を両手で掴む。

「今度は~左腕を~壊すぞ~」

香川は両眼の焦点をフラフラとさせると、長い舌をチロリと出した。

「こ・・・この野郎ガ・・・!」

刺青の男は体全体を左右に動かして、なんとか香川浩介から逃れようとする。

だが。

香川浩介からは逃れられない。

蜘蛛の巣に引っかかった虫の様に、絶対に逃れることができずに、じわじわと体力を奪われて、喰い殺されるしかないのである。

みちみちみちっ。

香川は太い両腕に力を込めると、刺青の男の左腕を捻じっていく。

みちみちみちっ。

肘の辺りから異様な音が聞こえる。

骨と筋肉と神経細胞が悲鳴を上げている声だ。

「グギイイッ・・・!ヤメロ・・・」

刺青の男は小さな呻き声を出した。

みちみちみちっ。

「お~?どうした~?」

香川はうれしそうな表情をする。

ぶちぶちぶちっ。

細い繊維や筋肉が千切れ、異質な物音が空気中を駆け巡る。

「いくぞ~思いっきり捻って~ぶっ壊してやるからな~」

香川は声のトーンを上げて言う。

その時。

「ヤ!ヤ!やめてくれエーーーー!」

刺青の男は、顔中から大量の汗を吹き出して大声で叫んだ。

両眼からは溢れるほどの涙を流し、歯をガチガチと鳴らしている。

完全なる敗北。

敵に対する懇願である。

人間の想像力程、壮大なものはない。

幸せな未来や、勝利への渇望に想像力が使われることには、なんら問題はないであろう。

だが、その反面。

悪い未来や、絶望への思想に想像力を働かした時には、その壮大な想像力が仇になるのだ。

その想像力で、自分の両腕がぐちゃぐちゃに壊された状態を描いた瞬間、刺青の男は恐怖で全身が縮み上がる思いを感じた。

この両腕が一生使い物にならなくなったらどうするのだ?

全身から異様な程の冷や汗が出る。

今後、両腕が使えない状態で、俺は生きていけるのか?

ゴクリと唾を飲む。

この苦痛から逃れたい。

その為には、香川浩介に許しを請うしか方法がないのである。

左右の鎖骨を折られ、右手首の破壊。

さらには、右手の人差し指と中指と薬指を無残に圧し折られているのである。

このまま、左腕まで破壊されたら、刺青の男は二度と立ち直れなくなるに決まっているのだ。自分の強さに絶対の自信を持っている男が、強さを失くしてしまったら、何を糧に精神を保つことができるのであろうか。

心が壊れる。

そう、叫んでいるのだ!

「俺様に懇願か~?いいのか~お前~」

香川は刺青の男の顔を覗き込む。

「あぁ!あぁ!許してくれネ!」

刺青の男は首を縦に振って懇願する。

「いや~駄目だね~。お前が許しても~俺が許さねぇ~」

香川浩介はそう言うと。

全腕力を使って、刺青の男の左腕を捻じった。

ぼきぶちみちちっ!

飲食店のフロアに気持ちの悪い異音が鳴り響く。

「ギイヤアアァァァァーーーーー!」

刺青の男は大声で叫ぶと、過呼吸気味に息を吸い込んだ。

それは、常識を通り越した激痛だった。

今までに味わったことのない痛みが左腕を襲っているのである。

「あアァーーー!あアァーーー!」

刺青の男は涙を流しながら、自分の左腕を見る。

そこには、見るのも避けたくなるような異常な光景が広がっていた。

肘から上部が百八十度捩じ曲げられ、肘の部分からは骨や筋肉の繊維、数十本の神経細胞が飛び出している。

「ヤメテ・・・もう、ヤメテ・・・」

刺青の男は、顔面を蒼白にして小さく叫ぶ。

赤龍のメンバー二人は、刺青の男の両腕を見ながら呆然としていた。

なんなのだ?あの腕は?

もう一生、使い物にならないのでは?

一人は腰を抜かして床に倒れ込み小便を漏らした。もう一人の男も、香川浩介を眺めながら震えてしゃがみ込んでいた。

「いい表情に~なってきたじゃねぇ~か~?」

香川は、両手を上空に上げると、恍惚の表情で刺青の男を見下ろして笑う。

自分の快楽の為だけに、相手を人形の様に壊す。

まさしく、快楽の狂戦士である。

「グフッ・・・グフッ・・・」

刺青の男は、泣きながら嗚咽を上げている。

その時。

コツ。

コツ。

一階フロアから二階へ上がる階段から、足音が聞こえてきた。

その歩調は軽やかであり、だが力強さを感じる。

二階から一階に降りてきているようである。

コツ。

コツ。

そして。

一人の男が、階段から一階フロアに降り立った。

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