第36話  クラッシャー郷田

ユラリと。

西牙丈一郎の上着が砂利の地面に落ちる。

そして。

郷田梅雲は、西牙丈一郎の上半身を見て目を疑った。

「な、なんじゃい?その体は?!」

驚きの理由は二点ある。

一点目は、その肉体構造の凄まじさである。

骨格、筋肉の付き方、柔軟性、全てが常人の人間を遙かに超越しており、見た瞬間に理解できる程である。スポーツ選手が、それぞれの分野で必要な筋肉やバランスを身に付ける様に、彼の肉体は人を殺す為、人を壊す為だけに造られた肉体なのである。

そして、二点目は。

上半身にある無数の傷跡である。

切り傷、刺し傷、銃痕など、無数の傷跡が数百と全身のいたる所にあるのだ。

「・・・・・」

郷田はゴクリと唾を飲んだ。

「ククク、何も恐れることはないぞ、おっさん。俺の生きてきた世界とお前達の生きてきた世界が、余りにも違い過ぎただけだ」

西牙丈一郎は、両手を横に広げると右足の歩を進めた。

じゃりっ。

次に左足を進める。

じゃりっ。

ゆっくりと。

ゆっくりと。

郷田梅雲に近付いて行く。

「お前・・・」

(コイツは、どんな世界で生きてきたと言うのじゃい?)

郷田は近付いて来る西牙に向かって両手を構える。

(一心の言うとおり・・・表の世界にいる様な人間じゃねぇぞ。

いや、裏の世界でも滅多にお目にかかれない程の逸材じゃわい)

郷田は、西牙の禍々しい空気感をひしひしと体に感じていた。

じゃりっ。

西牙の体が近付いて来る。

じゃりっ。

「ふうぅんーーー!」

郷田梅雲は、大きく左拳を振り上げる。

西牙は両手をゆっくりと動かすと、飛んで来る郷田の左拳に触れる。攻撃の流れをゆっくりと変える様に、両手で軌道修正して、郷田の左拳を外に逃がす。

「ぬう!」

郷田は唸り声を上げて驚嘆した。

その瞬間。

バチイィーーーン!

郷田の顔面に光が走った。

体重百三十五キロの巨体が揺らぐ。

西牙丈一郎の左拳が、ノーモーションで放たれたのだ。

(まったく見えなかったわい・・・)

郷田は揺らぐ巨体を重い重心で支えると、体を大きく捩って右拳を飛ばす。

バチイィーーーン!

またしても、郷田の顔面に光が走った。

頭部が衝撃で後方に持って行かれそうになる。

西牙丈一郎の右拳が襲ってきたのである。

(なんという速さじゃい・・・)

郷田の右拳は空を切り、巨体がバランスを崩す。

「本当の地獄は・・・ここからだぞ」

西牙丈一郎はぽつりと言葉を吐いた。

その刹那。

西牙の体が大きく躍動したかと思うと。

バランスを崩している郷田の体に、無数の打撃を加えたのである。

バシバシバシバシィーーーン!

両手・両足による乱打撃。

バチバチバチバチィーーーッ!

一秒間に五・六発の猛攻撃。

ガガガガガッーーーッ!

郷田梅雲の体が、サンドバックの様に揺れる。

両足でしっかりと砂利の地面を踏んではいるが、一発一発の攻撃を受ける度に、ブルッと巨体が揺れるのだ。

(コイツ!まさしく・・・化け物じゃわい!)

郷田は、亀の様に両腕で顔面と胸を防御している。

西牙の蹴りは、ムエタイ選手のキックの様にしなり、郷田の体に傷跡を付ける。

バチバチバチバチイーーーッ!

怒涛の乱打撃は一向に収まらない。

ずるっ。

郷田の巨体が後方へ押しやられる。

ずるっ。

(信じられぬわ・・・。ワシの巨体が押し負けるなど・・・)

郷田は意を決した様に両腕のガードを解くと。

西牙の蹴り足を両手で掴んだ。

そして。

体ごと宙に飛び上がると、西牙の右足首を抱えたまま大きく回転する。

「チッ!」

(俺の膝を壊すつもりか?!)

西牙は掴まれた右足首を守る様に、郷田と同じ方向に体を回転させる。

どりゅっ!

お互いが空中で体を横に回転させて、砂利の地面に降り立つ。

「やってくれるじゃねぇか」

西牙は両拳を郷田の顔面に放つ。

ドパパパパアッーーーン!

無数の光が郷田の顔面を襲う。

赤い血が空中に舞い散り、砂利の地面にしたたり落ちる。

だが。

郷田は、西牙の右足首から両手を離そうとしない。

そのタフネスさは、昔にプロレスラーとして鍛えた賜物ではなかろうか。攻撃を受けることに関して、プロレスラーの右に出る者はいない。それ程のタフネスさを、プロレスラーは持っているのである。

「それじゃ、いかせてもうおうかのー」

郷田は、両眼を大きく輝かせる。

そして。

西牙の右足首を捩ろうとする。

がくん。

「ん・・・?!」

郷田の体が前のめりに揺れる。

(なんだ?!どうしたのだ?)

両手はしっかりと西牙の右足首を握っている。

がくん。

今度は郷田の体が後方に揺れた。

「なぬ・・・?!」

体重百三十五キロの巨体が前後に揺れたのである。

(な、な、なんだと言うのじゃい?!)

郷田梅雲は、ゆっくりと西牙丈一郎を見る。

そこには、ニチャリと笑った笑顔が存在していた。

「ま、まさか・・・?!」

郷田は、その時になって初めて悟ったのだ。

西牙丈一郎は、右足の筋力だけで、体重が百三十五キロもある郷田を動かしていたのである。

(ば、馬鹿な・・・?!なんという筋力じゃい・・・)

郷田は掴んでいる西牙の右足首を引っ張る。

だが。

ピクリとも動かない。

「ククク、残念だったな」

西牙丈一郎は、両腕を胸の前で組むと、左足一本で地面に立ちバランスを保っているのである。

右足に力を入れて、ゆっくりと体へ引き戻す。

「ぬう・・・」

郷田も負けてはいない。西牙の右足首を両手で掴んだまま、絶対に離そうとはしないのだ。

まさしく、綱引きの状態である。

そして。

その均衡を破ったのは、西牙丈一郎であった。

胸の前で組んでいた両腕を横に広げると、郷田の頭部に向かって放ったのだ。

バチイィーーーン!

「ぐぬっ!」

郷田は、両耳に激痛が走るのを感じた。

西牙丈一郎が両手の掌で、郷田の両耳を叩いたのである。

そして。

郷田梅雲が、痛みで一瞬気を抜いたのを感じると。

西牙は、左足を空中に振り上げて、郷田の顔面に飛ばした。

グシャアァッーーーッ!

郷田の顔面に、西牙の左足による膝蹴りが炸裂する。

空気中に大きな振動が鳴り響く。

西牙の膝が郷田の顔面にズボリと減り込み、赤い血が空気中に飛び散る。

西牙丈一郎は、その隙を狙って右足を力一杯引き抜いた。

ずるっ、と。

郷田の両手から右足が引き抜かれる。

(ククク、この程度か・・・)

西牙は、ニヤリと笑うと後方に跳ねる。

その直後。

目の前に、郷田梅雲の右腕が迫っているのを見た。

「何・・・?!」

西牙丈一郎は声を上げていた。

自分の首下に大きな衝撃を感じて、空中を回転していた。

後方伸身宙返りの如く、西牙の体が舞う。

郷田の右腕が西牙の首下に直撃したのである。

「恐ろしい程、強いのー」

郷田は、赤く染まった顔面で満面の笑みを作って、ふわりと宙に飛ぶ。

空中で回転している西牙に向かって重い蹴りを放つ。

(チッ!)

西牙は両腕でその蹴りを防御する。

バチイィーーーン!

大きな火花が散り、西牙の体が吹き飛ぶ。

砂利の地面に転がる様に滑る。

郷田も同じ様に地面に飛び降りると。

ゆらりと動く。

その巨体からは信じられない様な動きで、西牙の体にすばやく近付く。

西牙丈一郎は、砂利の地面に転がりながら、瞬時に両手で地面を押して立ち上がる。

だが。

目の前には、すでに郷田梅雲の両手が迫っていた。

郷田は両手で西牙の頭部を掴むと、右足を上空に飛ばす。

ボオツッ!

と言う爆音が響く。

空気を裂く音である。

メキメキメキイィーーーッ!

次の瞬間には、郷田の膝蹴りが西牙の顔面に突き刺さっていた。

「ガハッ・・・!」

西牙の頭部が揺れる。

それはそうであろう。

体重百三十五キロの巨体が放つ膝蹴りを、顔面にモロに喰らったのである。

さらに。

郷田は西牙の頭部を両手で掴んだまま。

今度は、左足を飛ばす。

ボオツッ!

またも、空気を裂く音が聞こえる。

メキメキメキイィーーーッ!

郷田の左膝蹴りが西牙の顔面に突き刺さる。

「グハッ・・・!」

西牙の全身がブルッと震える。

赤い血が、ボトボトッと砂利の地面にしたたり落ちる。

郷田の猛攻は、それでも止まらない。

左右の膝蹴りを交互に放つ。

怒涛の如く。

その巨体からは想像も出来ない程のスピードで。

バチイィーーーン!

西牙丈一郎は、両手でその膝蹴りを防ぐ。

メキメキメキイィーーーッ!

しかし。

余りの重い膝蹴りの為に、両手ごと持っていかれてしまい、結局は顔面に衝撃を喰らう。

「死んでもしらんでのー!」

郷田は大きい声で叫ぶ。

バチチイィーーーン!

メキメキメキイィーーーッ!

西牙丈一郎の体が衝撃でブルブルッと震える。

数十発の膝蹴りを放ち続ける郷田梅雲。

数十発の膝蹴りを受け続けている西牙丈一郎。

(なかなかに強かったわい、お主は・・・)

郷田は西牙を見る。

すでに全身の力が抜けており、両手で顔面を守っているに過ぎない。

(悪いが、お主にはここで死んでもらうでのー。お主が生きていると・・・いろいろと邪魔くさいことになるからのー)

郷田梅雲は、西牙丈一郎の頭部から両手をゆっくりと離す。

「さらばじゃ」

そして。

右足を地面に降ろすと、大きく円を描く様に振り上げた。

上段蹴りである。

両手で顔面を守っている西牙丈一郎の首を狙う。

首の骨を折って、殺そうとしているのだ。

轟音が空気中の粒子を震わせる。

バキイィーーーッ!

(決まったわい!)

郷田は、自分の右足が西牙の首にぶち当たった感触を感じた。

両手で顔面を守っている西牙丈一郎。

ぐらり、と。

そう。

普通ならば、ぐらりと体が地面に倒れるか。

ぐんにゃりと首が折れ曲がり崩れるか。

どちらかであろう。

しかし。

そうはならないでいるのだ。

(ん・・・?!)

郷田はゆっくりと右足を戻す。

西牙丈一郎は、両手で顔面を守ったままピクリとも動かないのだ。

「ククク・・・」

嫌な音声が建設中の駐車場に響き渡る。

「な、な、何・・・?!」

郷田梅雲は、ギョッと両眼を見開いた。

「ククク、いいねぇ・・・」

西牙は、顔面を守っていた両手をゆっくりと下方向に降ろす。

顔面は血で塗れていたが損傷は少なく、口を大きく開けてニチャリと笑っている。

「ば、馬鹿な・・・。ワシの攻撃をあれだけ喰らって・・・」

郷田は驚きを隠せないでいる。

「最高じゃねぇか、おっさん」

西牙丈一郎は、口の中に溜まった血の塊を地面にペッと吐いた。

両手を前に出すと、郷田の両手首を掴む。

「ん・・・・・?」

郷田が言葉を発した瞬間。

西牙丈一郎の右足が動いていた。

ズドオォーーーン!

郷田の腹部に、西牙の蹴り足が突き刺さる。

「あ・・・がぁ・・・!」

郷田梅雲は、巨体を九の字に曲げて、両眼を大きく見開いた。

(あれだけの攻撃を喰らって・・・倒れないじゃと?!)

郷田は、掴まれている両手首を引き抜こうと動く。

ズドオォーーーン!

今度は、左足が飛んで来る。

「あ・・・ぐはっ・・・!」

郷田梅雲の腹部に突き刺さる。

「さぁ、楽しませてくれよ」

西牙丈一郎はそう言うと。

郷田の両手首から手を離す。

そして。

右足を大きく動かした。

下段蹴りだ。

ズバアァーーーン!

と言う、轟音が鳴る。

その蹴りは、尋常ではない程の重量感と速度を兼ね揃えていた。

郷田の左足膝辺りに激痛が走る。

(なんという蹴りじゃい・・・。今までの蹴りとは別物じゃぞ?!)

郷田梅雲は後方に飛んだ。

西牙丈一郎は、ゆっくりと前方に進む。

「お主は・・・何者じゃ?」

郷田梅雲は両手を顔の横に上げて構えた。

「何者だと?人間に決まっているだろうが」

西牙は、血に塗れた顔面を両手で拭いた。

「そう言う意味じゃねぇ。お主の様な強者が、表の世界で生まれるわけがないのじゃ。常識的に考えてのー」

郷田は話す。

「だ・か・ら、言ったじゃねぇか。お前達とは生きてきた世界が違うと」

西牙は歩みを止めた。

「生きてきた世界が違うじゃと?」

郷田は問い掛ける。

「ククク、おっさん。特別に俺の生きてきた世界を語ってやろう・・・」


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