第35話 破壊の帝王
ある日曜日の昼間。
街は、休日を堪能する人間達で賑わっていた。
人々は、日頃のうっぷんを晴らすかの様に、ショッピングや食事、カラオケやアミューズメントパークでストレスを発散する。
街中には、たくさんの商業施設が連なり、人間達は自分の好きな店や場所を求めて、縦横無尽に動き回っている。
その様な街中に、一人の男がいた。
白い帽子を深々と被り、黒いシャツに黒いズボンを着用している。
肌は浅黒く、首や腕は太く、胸板はかなり厚い。
顔は目鼻が綺麗に整っていて、鼻頭には横一直線に深い傷がある。
身長・百八十二センチ。
体重・九十三キロ。
街中にいる人間達とは完全に異質な存在である。
その男が道を歩くと、周りにいる人間達が自然と道を開け、目を逸らし避けていく。殺気を放っているわけでもなく、ただ普通に道を歩いているにもかかわらずである。
その男は、白い帽子を少し上にずらして空を見た。
雲一つない晴天である。
その男こそ、
西牙は、目の前にある百貨店に入った。
十五階建ての百貨店は、入り口から混み合っており、お年寄りや女性達がエレベーターに乗り込む為に、順番待ちをしている。
西牙は、黒いズボンに両手を入れたまま、上に階に向かうエスカレーターに飛び乗る。
一瞬、なぜかグラリと揺れたが、その様なことで壊れるエスカレーターではない。
西牙は二階フロアには見向きもせずに、エスカレーターで三階に向かう。
三階のフロアに着くと、ショップや飲食店には目もくれずにどんどんと歩いて行く。
そして、フロアの一番端に到着した。
そこには壁一面に大きなガラスがあった。
高さ四メートル、横幅五メートルのガラス面が、横に連なって五枚並んでいて、その光景は圧巻である。
フロアからは、信号待ちで待っている人間や怪しい勧誘をしているキャッチの人間、待ち合わせをしている人間や喧嘩をしている恋人同士など、百貨店の中から外の様子を見ることができる空間になっているのだった。
「・・・・・」
西牙は、黙ったまま外の様子を見ている。
その時。
壁一面の大きなガラスに、黒い影が映し出された。
人影である。
それもかなり大きな人影だ。
身長二メートル弱はあるだろうか。
西牙丈一郎の真後ろに立っているようである。
その人影が、ぐわんと動く。
大きな両腕を横一杯に広げると、目の前にいる西牙を左右から押し潰す様に放つ。
西牙丈一郎は、その場で上空に跳躍すると。
目の前の大きなガラスを右足で蹴り上げた。
バシシシツッ!
高さ四メートル、横幅五メートルのガラス面が一枚、轟音と共に粉々に砕け散る。
飛び散ったガラスの破片は、百貨店の外側と内側にスローモーションの様に崩れ落ちる。
そのフロアにいた人間達は、その衝撃音に耳を疑い、何が起こったのか理解していない。両眼を見開いている者や口をポカンと開けている者、手に持っていた缶ジュースを床に落とす者や腰を抜かして床に倒れる者。
いきなりの出来事に、呆然としているだけである。
それは、百貨店の外側にいる世界でも同じことであった。
上空から、粉々に砕け散ったガラスの破片が降ってきたのである。
百貨店の目の前を歩いていた人間達は、バラバラと降ってくるガラスの破片にきょとんとした。
雨にしては音が違う上に、重みも違うからだ。
地面に落ちたモノを確認して、初めて驚愕するのである。
え?ガラス?
百貨店の目の前を歩いていた人間達は、慌てて上空を見る。
そして。
さらに、驚愕した。
粉々になったガラスの破片と共に、人間が降ってきたからだ。
え?!人間?!
誰もが驚き、声を失っている。
人間が上空から降ってくるなど、誰が想像できるであろうか?
その人間は、百貨店の前に止まっている一台のタクシーの天井に飛び降りる。
どこおぉぉん!
車と車が衝突した様な轟音が響き渡る。
タクシーの天井部分は大きくへこみ、その上に人間が立っている。
西牙丈一郎である。
タクシーの運転手は、何事が起きたのかと運転席のドアを開け、タクシーから飛び出した。
その瞬間。
上空が一瞬暗くなる。
そして。
もう一度、先程よりもさらに大きな轟音が響く。
どごごおぉぉぉん!
今度は、タクシーのボンネットに人間が飛び降りてきたのだ。
ボンネットはぼっこりとへこみ、いびつな形を保っている。
もう一人の人間は、体格がかなり大きく、髪は黒くボサボサである。
タクシーの運転手は、腰を抜かしてその場にへたり込んだ。
百貨店の前を歩いていた人間達も、全員が呆然としている。
「粋なことしてくれるじゃねぇーか?」
西牙丈一郎は静かに言う。
「がはは、ワシも不意打ちは好きじゃないが、あれ如きでやられる様な奴じゃ意味がないからのー」
郷田梅雲は、ボサボサの黒髪を右手で掻いた。
「お前、何者だ?」
西牙丈一郎は、ふわりとタクシーの天井から飛び降りた。
「ワシは、郷田梅雲ってもんじゃ」
郷田梅雲も、タクシーのボンネットからふわりと飛び降りる。
「ククク、そうかそうか。お前が、あの有名な郷田梅雲か」
西牙は、ズボンのポケットに両手を入れるとニヤリと笑った。
百貨店の前には、大勢の人だかりが出来ていた。
だが、誰一人として声を上げない。
いや、あまりにも異様な光景で、声すら上げれないのである。
西牙は踵を返すと、ゆっくり歩き出した。
「どこへ行く?」
郷田は問い掛ける。
そこには、逃がさないぞ、と言う大きな圧力がかかっている。
「ここで俺とやるのか?」
西牙は、ゆっくりと首を曲げて郷田を振り返って見る。
「・・・・・」
郷田はじっくりと西牙を見返した。
「ククク、俺はここでもいいんだぜ?」
その言葉に嘘はない。
郷田は全身から発していた殺気を消した。
西牙は頭部を前方に向けると、百貨店の前にいる大勢の人間達を無視するかの様に、平然と百貨店の横にある細い道に入って行く。郷田も西牙の後をゆっくりと付いて行った。
その様子を、静かに眺めている人間達。
ざわざわとしているが、誰一人として声を上げない。
二人の男が細い道を進み、左折して姿が見えなくなった瞬間に、全員が一斉に騒ぎ出した。
「警察だ!警察を呼べ!」
「ガラスが!俺の頭の上にガラスが!」
「ひいぃぃーーー!」
「なんなんだ!なんなんだ!あれは!」
極度の緊張から解き放たれた人間達は、関を切った様にあちらこちらで叫び始めたのである。
西牙丈一郎は、後ろを振り返らずに歩いて行く。
郷田梅雲も、大きな体を揺らしながら西牙の後をゆっくりと付いて歩く。
闘いにおいて、敵の背後を取ることは絶好のチャンスである。
だが。
郷田梅雲は、その様な男ではなかった。
卑怯なことが大嫌いな上に、男義のある人物なのである。
それでは、先程の百貨店での攻撃はどういうことなのだ?と思われる方もいるであろう。
あれは違う。
あれは、西牙丈一郎を試したのである。
あの程度の殺気すら感知できない人間であるならば、正々堂々と闘う資格すらないからだ。
(この男、一心が夢中になるのもわかるわい)
郷田は、西牙の後姿を眺めながら思った。
前を向いて歩いているにも関わらず、正面同士で向き合っている感覚を味あわせてくれる。さらには、どの様な攻撃も交わして反撃をする態勢が出来ているのである。
(この前の李宗民と言い、まだまだこの世は広いのー)
郷田はニヤリと笑顔を作った。
「ワシが、お前の後を着けていたのは、何時から気付いておったのかいのー?」
郷田が西牙に話し掛ける。
「ククク、そんなもの、街に出た時からビンビンに感じていたぜ」
西牙はニチャリと笑いながら言う。
「なるほどのー。それで、わざと百貨店にワシを誘い込んだってわけかい?」
郷田は、してやられたと言う表情をした。
「普通の人間は、人混みでは絶対に攻撃はしてこないものだからな。だが・・・おっさんは規格外だったぜ。容赦なく攻撃してきやがったからな、ククク」
西牙は、喜びを抑えきれない様な笑い方をした。
「追い込んだつもりが、こっちが一本取られたってことじゃのー、ガハハ!」
郷田も黒いボサボサの髪を右手で掻き毟る。
西牙は、細い道を何度も左折したり右折したりすると、大きなビルの工事現場前で足を止めた。十階建てマンションの建築現場らしく、一階はかなりの広さの駐車場が出来るスペースになっているようだ。
「ここでどうだ?」
西牙は郷田を見ると親指を立てた。
「ええのー。ここで決まりじゃ」
郷田は、大きなビルの工事現場を眺めた。
西牙は、工事現場の入り口を封鎖してある鉄柵をふわりと飛び越える。高さ二メートル程の鉄柵であるが、西牙にとっては何の障害にもならない。
郷田も大きな体をゆっくりと弾ませると、その鉄柵を飛び越えた。
人間の領域を超えている化け物達にとっては、意味のない障害でしかないのである。
二人の男がゆっくりと工事現場の砂利を踏む。
ジャリ。
ジャリ。
大きなビルの工事現場は、かなり広範囲に建築途中で、一階の駐車場スペースには、まだまだたくさんの建築資材が所狭しと置いてあった。
地面も塗装されておらず、砂利のままである。
西牙と郷田の動きが止まる。
かなりの広さを誇る駐車場スペースに二人の男が対峙する。
通称「壊し屋」。
齢、二十六歳。
身長・百八十二センチ。
体重・九十三キロ。
ボサボサの茶色い髪をまとめる様に白い帽子を被っている。
顔は目鼻が綺麗に整っていて、どこかの雑誌のモデルにでもなれそうなルックスである。鼻頭には横1直線に深い傷があった。両眼は猫科の動物の様に鋭く肌は褐色である。
対して。
通称「クラッシャー郷田」「破壊の帝王」。
齢、四十歳。
身長、百九十二センチ。
体重百三十五キロ。
髪は黒くボサボサで、少し長い。顎髭も適当に伸びしているのか整えられていない。眉は太く、両眼は柔らかく大きい。肌は褐色で、体の大きさに比べて動きがかなり軽やかである。
「さてと、戦う前に一つ提案があるんじゃがのー」
郷田はニコリと笑う。
「ククク、なんだ?おっさん」
西牙はそれに答える。
「おいおい、おっさんはないじゃろうが。ワシはまだ四十歳じゃぞ」
郷田はガハハと大声を上げて笑った。
「ワシが勝てば、戸倉一心とは、今後一切関わりを持たないで欲しいのじゃ。そうだのー、すぐにでも日本から出て行ってもらおうかのー」
郷田は黒いボサボサの髪を右手で掻く。
「戸倉一心だと?」
西牙は少し不思議そうな顔をした。
「そうじゃ。お前と一心が闘うことで、日本裏社会の執行部が動きよるでのー。そうなると、いろいろとややこしいのじゃい」
郷田はゆっくりと西牙に近付く。
「おっさん、お前はあの男の為に俺と闘うと言うのか?」
西牙は静かに言った。
「まぁ、そういうことになるわなー」
郷田はニコリと笑う。
「他人の為に、自分の命を懸けるか・・・。面白いおっさんだな」
西牙は郷田を真正面から見た。
「だが、そういう人間・・・嫌いじゃないぜ」
西牙丈一郎は、白い帽子を脱いで地面に投げ捨てる。茶色のボサボサの髪がふわりと風になびく。
「その条件、喜んで飲んでやるよ」
西牙もゆっくりと前に進む。
「だが、おっさんが負けたらどうする?」
西牙丈一郎と郷田梅雲の距離は、二メートル程に迫っている。
「俺が負けたらか?ガハハハ!」
郷田は大声を出して笑い、数歩前に出た。
負けることなど有りえないと言う笑い方である。
「何が望みだ?」
郷田は西牙の顔を覗き込んだ。
二人の距離は一メートルを切っている。
「そうだな・・・」
西牙丈一郎はそう言うと。
ゆっくりと。
ゆっくりと。
郷田梅雲の顔に、顔を近付ける。
そして。
郷田梅雲の耳元まで顔を近付けて、ボソボソと何か言葉を発した。
「・・・・・?!」
一瞬。
郷田梅雲の両眼が大きく見開き、表情が一変した。
喜びでもなく、悲しみでもない。
怒りである。
驚きである。
だが。
すぐに、普段の郷田梅雲に戻った。
「ガハハ!わかったわい!ワシも男じゃ!その約束、守ろうぞ!」
郷田は大声を上げて笑う。
そして。
それが合図かの如く。
お互いの攻撃が瞬時にして放たれた。
郷田梅雲の右拳が唸る。
西牙丈一郎の右上段蹴りが走る。
バチイィィーーーン!
工事中の駐車場内に爆音が響く。
お互いがお互いの衝撃により、二メートル程後方に飛ばされている。
「いいねぇー」
西牙は上唇を舌で舐めた。
「えげつない攻撃じゃのー」
郷田は両腕を前に出して構える。
十日前のマイケル・フォーとの闘いで痛めた両腕は、すでに完治していた。腫れはひき、万全の体勢なのである。
じりじり。
郷田はゆっくりと右に回る。
西牙もそれに同調するが如く、右に回る。
「思う存分楽しめそうだな、ククク」
西牙はそう言うと。
両手を大きく横に伸ばした。
その隙を郷田は見逃さなかった。
大きく右足を踏み込み、左拳を放つ。
その拳は、周りの空気を全て巻き込み、轟音と共に西牙の顔面を襲う。
バシイィーーーン!
西牙丈一郎は、その爆拳をすばやく両手で受け止める。
しかし。
強烈な衝撃の為に、西牙の上半身は後方に反りかえり、後頭部が後方に飛ぶ。
それ程の拳圧なのである。
だが。
西牙丈一郎も、普通の人間ではない。
その反動を利用するかの如く。
両手を地面に付けて、逆立ちの体勢になると。
両足をぐんと伸ばして、郷田の顔面に飛ばす。
ガツゥーーーン!
郷田は、その蹴りを右手で防ぐと、西牙の腹部に前蹴りを放った。
その時には、西牙丈一郎は動いている。
地面に両手を付いたまま、逆立ち状態で横に二回転すると。
空中に飛び上がっていた。
そして。
郷田の腹部に飛び蹴りを放つ。
バチイィーーーン!
郷田は、前に出していた蹴り足をすばやく戻して、その飛び蹴りを防御する。
「ククク、さすがはあの有名な郷田梅雲だな」
西牙はそう言うと、地面にフワリと舞い降りた。
「お世辞などいらぬわ」
郷田は、西牙をじっくりと見ると大きく笑った。
黒いボサボサの髪を右手で掻き毟ると、西牙丈一郎に近付いていく。その動きは、巨体には似つかわしくなく、繊細で静かである。
ゆらり、と動く。
下半身を低く落とし、上半身をなびかせる。
郷田は両腕を前に伸ばすと、西牙の腰に飛び付いた。
西牙丈一郎も馬鹿ではない。
その攻撃を瞬時に悟ると、後方に飛び身構える。
だが。
郷田梅雲の動きは、その上をいっていた。
西牙丈一郎の腰に両腕を回すと、左右の指を絡ませて固定する。
「そりやあぁーーーい!」
そこからの動きは速かった。
郷田は、大声を上げると下半身を跳ね上げ、上半身を反らせた。
西牙丈一郎の体を持ち上げて、地面に頭部から叩き付け様としたのである。
「チッ!」
西牙は、両腕を伸ばして頭部が地面に叩きつけられるのを防ぐ。
畳やマットの上ならまだしも、砂利とは言え、固い地面の上である。一発喰らっただけで、再起不能になるのは目に見えているからだ。
衝撃が両腕に響く。
西牙は、その衝撃をさらに和らげる為に、両肘を曲げる。
そして。
体を郷田の中でぐるんと回転させて向かい合う状態になると、両膝を内側に滑り込ませた。
力一杯に背筋を伸ばす。
「ぐぬう!」
郷田梅雲は、両手で絡めている指が外れそうになるのを必死で堪える。
(なんという身体能力じゃ。この様な外し方を実践するとは!)
郷田は、両腕にさらなる力を込める。
西牙丈一郎は、逆立ちをした様な状態で、両手を地面に付けている。両膝を腹の前に押し付け、背筋と足の力で郷田の腰に回った両腕を外そうとしているのだ。
郷田梅雲は、体全体を大きく反らせてブリッジの状態になりながらも、西牙の腰に両腕を回して締め付けている。
みちっ。
郷田の腕が叫ぶ。
みちみちっ。
西牙の背筋が唸る。
だが。
西牙丈一郎の背筋と足の力が強力なのか、徐々に郷田の腕が悲鳴を上げる。
みちみちっ。
(こ、此奴・・・、なんという力じゃ・・・)
郷田は有りえない力に驚きを隠せない。体格も大きく、腕力や力には絶大なる自信があったはずなのに、いとも簡単に外されようとしているのだ。
みちっみちっ。
西牙は、一気に背筋に力を入れると、郷田との体に少しの空間を作った。
地面に付けている両手をぐるんと回転させる。
それと同時に、体も横に回転させる。
西牙丈一郎は、そのまま地面に腰から落ちると、郷田の両腕から逃れる様に、両腕に力を込めて地面を押す。
ザザザザッ!
西牙は、腕立て伏せをした様な状態のまま、地面を滑る。
「逃がしたか!」
郷田は、頭の頭頂部分を地面に付けると、三点倒立をして跳ね起きる。
ずざっ!
郷田梅雲の体が宙に浮き、地面にふわりと降り立つ。
西牙も、両腕に力を込めて、腕立て伏せの様な状態から、上半身を空中に押し上げ立ち上がる。
ずじゃりっ。
西牙丈一郎と郷田梅雲。
まさしく、人間の皮を被った化け物である。
「ククク、なるほどなるほど」
西牙丈一郎は、郷田の先程の攻撃で一つ悟ったことがあった。両手の指を広げ、また閉じる。指の関節からボキボキと気持ちのいい音が鳴る。
「おっさん、プロレスラーか?」
西牙はニヤリと笑う。
「ほうほう、よくわかったのー。まぁ、元プロレスラーだがのー」
郷田は両手を顔の前に出して構える。
「ククク!そうか!プロレスか!」
西牙は地面の砂を靴先で蹴る。白い煙が舞い上がり、空気中を雲の様に漂う。
その笑いは、冷やかしや馬鹿にした様な笑いである。
「何がおかしいのじゃい?」
郷田は両眼をギラリと光らせて問う。
「おかしいだと?ショーマンシップに溺れたプロレス如きで俺に挑むだと?笑わずにいられるか?ククク!」
西牙丈一郎は、両手の掌を胸の前で上空に向けると、首をかしげて呆れた表情をした。
「・・・・・」
郷田は顔の前に上げていた両手をゆっくりと降ろすと。
顔面を地面に向けた。
一瞬の沈黙。
西牙丈一郎は、ククク!とまだ笑っている。
「おい・・・」
郷田梅雲の声のトーンが少し低くなる。
ゆっくりと。
ゆっくりと。
顔を上げる。
その表情は、怒りで満ち溢れていた。
両眼は大きく見開き、太い眉は吊り上っている。口元はぎゅっと引き締められていて、いつものニコリとした笑いが一切ない。
太い両腕で、着ている上着を紙クズの様に引き千切ると、砂利の地面に投げ捨てた。
その肉体は異常な程大きく、筋肉の上に厚い脂肪が綺麗に乗っていて、プロレスラーに相応しい体造りなのである。
「俺を馬鹿にするのはかまわんがのー」
郷田の体がゆらりと動く。
「プロレスを馬鹿にする奴は・・・許さんぞ!」
その瞬間。
郷田の左拳が轟音を放った。
西牙はすばやく頭部を下げて、左側に避ける。
チチッ!
西牙の茶髪を、郷田の左拳がかすめる。
「ぬうりやぁーーーっ!」
郷田は、左側に避けた西牙を追いかけると右拳を放った。その拳は風を起こし、空気中を振動で響かせる。
「クッ!」
(力任せだけじゃねぇ。しっかりと狙ってやがる!)
西牙丈一郎は、両手を交差すると、その攻撃を受け止める。
その衝撃力は半端ではない。
西牙の体が一瞬宙に浮く。
郷田梅雲は、放った右拳を引き戻すと。
上空で左手を組み合わせて、西牙の頭部へ振り落す。
西牙丈一郎も負けてはいない。
右足の踵を上空に力強く振り上げて、その攻撃を止める。
だが。
郷田の体重と腕力が組み合わさった攻撃力は、西牙の防御を軽く弾き返した。
バチイィーーーン!
西牙の足が弾き返されて地面に戻る。
郷田の左右の掌を組み合わせた上空からの振り下ろしは、まだ死んではいない。
そのまま、西牙丈一郎の頭部へぶち当たる。
「カハッ!」
西牙の体が、いや頭部がブルブルッと揺れる。
その衝撃は、頭部から首へと走る。例えるのなら、車に跳ねられた時とほとんど一緒ではなかろうか。
「プロレスを甘くみるんじゃねぇわい!」
郷田はその場で大きく飛び上がった。
身長、百九十二センチメートル。
体重、百三十五キログラム。
その様な巨体が空中に舞う。
両足を揃えての全体重を乗せた両足による飛び蹴りである。
プロレス技で言う「ドロップキック」だ。
西牙は、目の前が一瞬暗くなるのを感じた。
瞬時に危険を察知して、両腕を顔面の前で交差した。
ドゴオォーーーーーン!
「ゴハッ・・・!」
西牙丈一郎の両腕に、郷田梅雲の重いドロップキックが見事に炸裂する。
郷田は、ふわりと地面に降り立つと、吹き飛ぶ西牙を見た。
プロレスリングは、たしかにショーマンシップだ。子供や女性、お年寄りやプロレスファンを楽しませる為に、全てが有ると断言しても過言はない。
試合では負けることもある。
だが、本気で闘えば、どのような格闘技にも負けはしない。
俺はずっと、プロレスが格闘技のジャンルで最強だと思っている。
プロレス界からは足は洗ったが、今でもそれは変わらないのだ。
立ち技もあれば、寝技もある。
投げ技もあれば、関節技もある。
だから。
どのような格闘技にも負けはしないのだ。
(プロレスを馬鹿にする奴は許さんぞ!)
郷田梅雲は、吹き飛んでいる西牙丈一郎を睨む。
西牙の体は後方へと吹き飛び、駐車場の中にある一本の柱にぶち当たる。その柱はまだ完成途中なのか、コンクリートが薄く塗り込められているようで、西牙の背中が力強く当たっただけで、大きく崩れ落ちた。
「ガハッ・・・」
西牙丈一郎の体が一瞬バウンドする。
そして、地面に崩れ落ちようとする。
郷田梅雲は、すでに動いていた。
崩れ落ちようとしている西牙の腹部に、大きく振りかぶった右拳を飛ばす。空気が震え、風が鳴く。
どごおぉーーーん!
西牙の背中が大きく曲がる。
「グハッ・・・!」
西牙は、地面に崩れ落ちることさえも許されずに、次の攻撃を喰らったのだ。
「お前が悪いのじゃからのー。プロレスを馬鹿にした、お前が!」
郷田はさらに踏み込むと。
左拳を発射する。
大きな轟音が響き渡り、空気中を振動させる。
その狙いは、西牙の顔面である。
ごぱあぁーーーん!
郷田の左拳が、西牙の右頬に突き刺さる。
その勢いは凄まじく、西牙の頭部が回転したかと思うと、体もそれに釣られて回転する。
空中で体を三回転させて地面に落ちる西牙丈一郎。
「ふん!」
(ワシに本気を出させおって・・・)
郷田梅雲は、地面に崩れ落ちる西牙を眺める。
(だが・・・)
「まさか・・・この程度じゃあるめぇな」
郷田はニヤリと笑った。
地面に崩れ落ちる西牙丈一郎は、両足を綺麗に揃えると地面にゆっくりと着地した。
そして、笑う。
「最高じゃねぇか・・・おっさん」
西牙丈一郎は、首を左右に振って右頬を右手で撫でた。口の端からは赤い血が流れ出る。
「ガハハ!頭部を振って、ワシの攻撃を逃がしたか!やりおるわい!」
郷田は大声で笑った。
「おっさんが本気を出すなら・・・俺も少しは本気を出して応えないとな・・・」
西牙丈一郎はそう言うと、上着を脱いだ。
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