第33話  西牙丈一郎誕生

丈一郎はゴクリと唾を飲んだ。

「あ、あ、あんたは・・・あの時の・・・」

記憶の中で、忘れようとしても忘れられない出来事が、丈一郎の脳内を駆け巡る。

初めて参加した戦場。

初めて人間を殺した戦場。

そうである。

その戦場には、ミスター・サイガ以外に四人の男がいた。

体躯の大きな黒人。

眼鏡をかけたひょろりとした白人。

背の低い中国人。

髪の長い韓国人。

「あんたは・・・」

丈一郎はもう一度呟いた。

そして。

大きなソファに座っている「背の低い中国人」を睨んだ。

「これはこれは。なつかしいですね」

背の低い中国人はニコリと笑うと、丈一郎をじっくり見た。

「なぜ・・・?あんたが・・・?」

丈一郎は問いかける。

「お前は、ミスター・サイガのチームメイト、仲間ではなかったのか?」

さらに言葉を飛ばす。

「なぜ?それは愚問ではないでしょうか?戦場において、私達傭兵は、金さえ頂ければ誰であろうと殺すのが仕事なのです。チームメイト?仲間?何を甘いことを言っているのですか?ははは!」

背の低い中国人は身振り手振りを加えて話し出す。

「金の為だと?」

丈一郎の黒髪が、怒りで逆立つ

「だが、今回は違います」

「違う?」

丈一郎は唇を噛んだ。

「ええ。今回のことは私個人の私怨です」

「私怨だと?!」

丈一郎の顔が怒りで硬直する。

「私はね、ミスター・サイガが憎くて憎くて仕方がなかったのですよ。私も、傭兵になる前は、中国の軍隊でかなり有名な人間だったのです。ところがどうですか?傭兵になって、戦場でミスター・サイガに出会った時、私は彼には勝てないと心から実感したのです。あの恵まれた体格と容姿、身体能力と怪物的な強さ。私にはないモノをすべて持っている。そして、戦場での彼のカリスマ的な人気と評価ですよ」

背の低い中国人は、丈一郎を見ながら話を続ける。

「私がどれ程落胆したかわかりますか?体格の恵まれない私でも唯一評価される場所、強ささえあればのし上がれる場所。この世界なら一番になれるかもしれないと飛び込んだはずなのに、それすら叶わないのですよ。その時、私は思ったのですよ。いずれは、ミスター・サイガを殺して、その名誉と地位を奪ってやろうとね」

話はまだまだ続く。

「ただ、ミスター・サイガと共に戦うことが多かったのですが、どれだけ私が我慢していたのかわかりますか?ミスター・サイガへの嫉妬・憎しみ・怒りを、私はこの数年間ずっと心の奥底に抑え込み、必死で耐えてきたのですよ!」

背の低い中国人は顔を真っ赤にして言葉を放つ。

「そして、ミスター・サイガを捕まえた時は本当に安堵しましたよ。だって、それまでに他の人間に殺されでもしたら、私の長年の夢が海の藻屑と消えますからね。赤の他人に、この権利を奪われること程、屈辱的なことはないですからね!」

声のトーンが一段と上がってくる。

「だから・・・私はミスター・サイガの仲間の振りをして、彼を助け、彼を守っていたのですよ、長い間ね!本当に美味しいメインディッシュは・・・最後に取って置くものですから!」

「それが・・・ついに叶ったのです!どれ程の達成感!どれ程の高揚感!あなたにはわかりませんか?!あのミスター・サイガを殺した男と言うビッグネーム!名誉と地位!そして、金と女!全てが私の下に面白い様に転がり込んで来ることでしょう!これからは!」

背の低い中国人は、ソファから立ち上がると両手を高々と天井に上げた。

その表情は恍惚としており、一種の不気味ささえ感じる程だ。

「それだけか・・・?言いたいことは・・・?」

丈一郎がぽつりと言った。

全身が怒りで大きく震えている。

そして、両手に持っているサバイバルナイフを力強く握った。

「おっと、そこから動いたらハチの巣ですよ」

背の低い中国人は、両脇にいる二人の男にライフルを構える様に顎で合図を送った。

丈一郎と背の低い中国人との距離は約十メートル。

どれだけ丈一郎が俊敏な動きをしようとも、この距離ではライフルの餌食になることはわかりきったことだ。

「お前を絶対に殺してやる・・・絶対に」

丈一郎は歯ぎしりをする。

「あと一つ」

背の低い中国人は、ソファにふわりと腰を下ろすと、短い脚を組んだ。

「あのミスター・サイガがなぜ簡単に捕まったのか、知りたくないですか?」

背の低い中国人は、ソファの横に置いてある煙草ケースから煙草を一本取ると、ライターで火を点けた。

白い煙が上空に舞う。

「・・・・・」

丈一郎は体中を震わせている。

怒りで今にも爆発しそうである。

「実はですね・・・」

背の低い中国人はニタリと笑った。

「あなたが武装集団に捕まったと言ったら、すぐさま駆け付けてきましたよ!ハハハ!無防備な状態でね!」

気味の悪いかん高い声で笑う。

「・・・・・?!」

丈一郎の両眼が大きく見開く。

(まさか・・・)

(俺を助ける為に・・・あなたはこの様なことになったと言うのか?!)

「さすがに、ミスター・サイガに接近戦で戦っても勝ち目はないですから、大型動物に使う麻酔銃で眠ってもらいました。ただですね・・・、眠るまでの間に大暴れされまして、私の仲間が五人殺されましたけれどね。ミスター・サイガ、まさしく化け物ですよ」

背の低い中国人は、煙草を美味しそうに吸った。

ピリピリとした空気が部屋の中を駆け巡る。

「さて、あなたをどうしましょうかね?」

背の低い中国人は、丈一郎を静かに眺める。

「・・・・・」

丈一郎は両手にサバイバルナイフを握りながら、攻撃態勢を崩さない。

背の低い中国人の両脇にいる男達も、ライフルの照準を丈一郎に合わせて微動だにしない。

一触触発。

いや、丈一郎にとっては、断然に不利な状況である。

その時。

いきなり。

部屋の窓から大きな衝撃音が響いた。

窓のガラスが砕け散り、一人の男が部屋に飛び込んでくる。

「・・・?!」

その部屋にいる全員が、その方向に目を向ける。

砕けた散ったガラスの破片と一緒に、ファイティングナイフを両手に握った男が飛ぶ。

長い髪の韓国人だ。

ライフルを握った二人の兵士達は、丈一郎に合わせていた照準をすばやく変えようとする。

だが。

髪の長い韓国人の動きはさらに速かった。

空中で両手を動かすと、手前にいた兵士の喉をファイティングナイフで切り裂いた。

「あ・・があぁ・・・っ!」

その兵士は呻き声を上げると、首から噴水の様に赤い血を撒き散らす。

「・・・!」

(馬鹿な?!なぜ・・・コイツが今ここにいるのだ?!)

背の低い中国人は、驚きの表情で髪の長い韓国人を見た。

「・・・・・?!」

(なぜ・・・?お前が・・・?)

髪の長い韓国人も同様に驚きの表情を見せた。

そして、床に両足で着地すると、右手に持っているファイティングナイフを大きく横に振る。

背の低い中国人は、大きく息を吸うと上半身を屈めた。

空中に、吸っていた煙草が残る。

まるで静止画の様である。

大きく振られたファイティングナイフは、空を切った。

いや。

空を切った様に見えた。

だが、違うのだ。

そのファイティングナイフの刃は、背の低い中国人の後ろにいた、もう一人の兵士の喉を切り裂いていた。

「あが・・・あうっ・・・!」

頸動脈を切り裂かれた兵士は、赤い血を噴水の如く飛び散らせて暴れ回る。

バババババババババッ!

手に持っていたライフルを天井に向け数十発発射するが、大量に飛び散る自分の血が怖くなったのか、ライフルを床に捨てて、両手で血の吹き出している部分を押さえた。

そして、そのまま床に倒れる。

髪の長い韓国人は、丈一郎の姿を発見するとすばやく走り寄った。

「大丈夫か?丈一郎」

「はい・・・」

「ミスター・サイガは発見したのか?」

「はい・・・。でも・・・助かるかどうかわかりません・・・。それほどの・・・状態でした・・・」

丈一郎は髪の長い韓国人を見る。

その眼は、悲しげでもあり、怒りで満ち溢れてもいた。

部屋の中に、一瞬静かな空気が流れる。

「まさか・・・お前だったとはな・・・王」

(だから・・・俺の情報網に引っかからないわけか・・・)

髪の長い韓国人が、両手に持っていたファイティングナイフを握り直し、背の低い中国人を睨む。

「これはこれは・・・お久しぶりです。劉さん」

背の低い中国人は、大きなソファの後ろに陣取ると、丈一郎と髪の長い韓国人を見る。

「お前が・・・ミスター・サイガを捕えたのか?!」

髪の長い韓国人は声を荒げる。

少しの沈黙の後。

背の低い中国人は言葉を放った。

「そうですよ。私がミスター・サイガを捕まえ、半殺しにしたのですよ、ふふふ!」

「なぜだ!?なぜなのだ?!」

髪の長い韓国人の怒号が響き渡る。

「なぜ?また説明しないといけないのですか?」

背の低い中国人は、丈一郎に話した内容を、もう一度ゆっくり話し始めた。

その言葉を聞く丈一郎と髪の長い韓国人。

丈一郎の表情が怒りで再度紅潮する。

それは、髪の長い韓国人も一緒である。

淡々と話す、背の低い中国人。

手振り身振りで話し、時には笑い、時には言葉を荒げる。

そして。

背の低い中国人の話が終わる頃。

髪の長い韓国人の目付きは鋭さを増し、怒りで体中の血が沸騰しているようであった。一歩前に出て、両手に持っていたファイティングナイフを構える。

「しかし・・・劉さん。あなたが来るとは誤算でした。まさか、参戦している戦場を捨ててまで駆け付けるとはね・・・」

背の低い中国人は、髪の長い韓国人を睨む。

「ミスター・サイガは俺の唯一無二の親友だ。彼に何かあれば、駆け付けるのは当たり前のことだ!」

髪の長い韓国人が、床を蹴って前進しようとする。

すると。

丈一郎は、左腕をその前に出して動きを止めた。

「どうした?」

髪の長い韓国人は、丈一郎を見る。

「頼む・・・。コイツは、俺に闘らせて欲しい」

丈一郎は歯ぎしりをした。

怒りで全身が震え、歯茎からは食い縛り過ぎたのか、出血をしている。

「丈一郎・・・」

髪の長い韓国人は、静かに丈一郎を見た。

そして。

両手に持っているファイティングナイフを下に降ろすと、丈一郎の左肩に手を置いた。

「わかった。だが、あの男を舐めるなよ。俺らと一緒に闘っていた頃は、情報収集を専門としていたが、昔は中国の軍隊に在籍していた強者だからな」

髪の長い韓国人はボソリと言った。

「ほう?あなたが相手ですか?死んでも知りませんよ!」

背の低い中国人が言う。

またの名を、王子文おうしぶん

昔は、中国の軍隊に在籍し、幾多の戦場を勝ち抜いてきた歴戦の強者なのである。

王子文は上着を脱いで、腰にぶらさげていた二本のナイフを握る。

その上半身は、背が低いにもかかわらず筋肉隆々であり、贅肉がほとんどない。

丈一郎は、サバイバルナイフを両手に握ると、ゆっくりと歩を進める。

じりじりっ。

王子文も、両手にナイフを握り前に進む。

じりじりっ。

どちらが先に動くのか?

じりじりっ。

刃物での闘いになると、最初に致命傷を負わせた方が、断然に有利なのだ。

じりじりっ。

先に動いたのは、丈一郎であった。

「ぶっ殺すーーーっ!」

左右のサバイバルナイフを交差させると、大声を出して床を蹴る。

「きゃっはっはっはっ!」

同時に、王子文も大声を上げて床を蹴った。

ぎゃりっ!

ぎゃりりっ!

お互いのナイフが刃先で火花を散らして、弾き返される。

左右の腕を巧みに動かして、手首で軌道修正する。

じゃりりっ!

ぎゃりりりっ!

刃先と刃先が擦れ合う音が鳴り響く。

上下左右にナイフを振り回して、相手の体を切り裂こうとするが、お互いのナイフが衝突する。

ぎゃりっ!

ぎゃりりっ!

火花を散らせながら、丈一郎と王子文は真横に走る。

「てめぇは、絶対に許さねぇーーー!」

丈一郎は左右のサバイバルナイフをぶん回す。

その速度は尋常ではなく、それを防御している王子文もまた、強者である。

ぎゃりっ!

ぎゃりりっ!

丈一郎の左頬に赤い線が入る。

血が鮮血の様に飛び散る。

(素晴らしいですね!あの時の小僧が、ここまで成長するなんて!)

王子文は、左右のナイフを巧みに動かして攻撃する。

(しかし・・・このレベルが限界でしょう)

王子文はニヤリと笑う。

左右に駆けながら、お互いの体に向かってナイフを走らせる。

ぎゃりっ!

ぎゃりりっ!

丈一郎の腕や体に、赤い線が無数に刻まれていく。

王子文の放つナイフの傷跡だ。

(あなたは、よくがんばりましたよ!)

(でも、そろそろ死んでもらいましょうか!次の相手が待っていますからね!あの劉伯達が!)

髪の長い韓国人。

名を、劉伯達りゅうはくたつと言う。

青年時代に、韓国でアジア最強と言われている海兵隊に所属し、兵長まで昇り詰めた歴戦の強者である、接近戦で彼と互角に闘える傭兵は皆無に等しく、あのミスター・サイガでさえ苦戦する程である。

(問題はあの男・・・劉伯達です!あいつの強さは異常!強過ぎますからね!)

(さて、どうするか?まともに闘っても勝ち目はないですからね!)

王子文は、両手に力を込めると、左右に握っているナイフを大きく振り上げた。

「・・・・・」

その時。

風間丈一郎がボソリと言葉を放った。

「何・・・?!」

王子文は、両眼を大きく見開いた。

(今なんと言ったのだ?)

王子文は信じられない様な言葉を聞いた。

(いや、そんなことはない・・・)

(私の聞き間違いに決まっている!)

自分の攻撃が一瞬止まったのを感じた。

ぎゃりっ!

ぎゃりりっ!

「もう一度言ってみろ!」

王子文は、ナイフを走らせて、もう一度聞き返した。

「その程度か・・・?」

風間丈一郎は、少し語尾を強めて言った。

「何だと?!」

王子文の表情が一気に険しくなる。

やはり。

聞き間違いではなかったのだ!

「この・・・ガキが!俺に圧されているクセに生意気な!」

王子文は、左右のナイフを振り回す。

その速度は、先程の二倍以上である。

ぎゃりっ!

ぎゃりりっ!

お互いのナイフが交差して火花を散らす。

ぎゃりりっ!

ちゅいぃぃん!

「チッ!」

王子文は、丈一郎が自分の攻撃を全て防いでいるのに驚愕した。

(馬鹿な?!このスピードだぞ?!)

(ずば抜けた身体能力と潜在能力を持ち合わせているというのか?!このガキは?!)

ぎゃりっ!

ぎゃりりっ!

王子文は、両手のナイフを交互に振り回す。

だが。

逆に。

徐々にではあるが、丈一郎の攻撃が王子文を追い詰めていた。

王子文の右頬に赤い線が深く入った。

「クッ・・・!」

王子文の強さは、普通の傭兵達よりもずば抜けていたであろう。

しかし、風間丈一郎の強さはその上をいっていたのだ。

それは、生まれ持っての身体能力なのかもしれない。

もしくは、ミスター・サイガを半殺しにされたことへの、怒りの力なのかもしれない。

「うおおおぉぉぉーーー!」

丈一郎は大声を出しながら、サバイバルナイフを縦横無尽に振り回す。

ぎゃりっ!

ぎゃりりっ!

「コ、コイツ・・・!」

(こんな馬鹿なことがあっていいのか?!)

王子文は、自分が競り負けていることを感じると、後方にすばやく飛んで態勢を整えようとした。

しかし。

風間丈一郎は逃がさない。

サバイバルナイフを左右で交差すると、王子文の左腕に狙いを定めて、回転させた。

二本の刃が王子文の腕に突き刺さり、二回転する。

「グッ・・・!」

王子文は、自分の左腕の皮膚が、大根の桂剥きの様に削られるのを凝視する。皮膚は二枚に分かれ、空中で舞った後に地面にべちゃりと落ちた。

赤い血が吹き出し、王子文の左腕を真っ赤に染め上げる。

「ぶち殺すーーー!」

丈一郎は動きを止めない。

左右のサバイバルナイフを王子文の体に走らせる。

(くそっ!油断したのが間違いだった!あの時の貧弱なガキだと勘違いしたのが!)

王子文は、すばやく自分の左腕に口を近付けると、真っ赤な血を吸い上げた。

そして。

丈一郎の顔面に向かって吹きかける。

「ブブブツッッーーー!」

赤い血は霧状に空中を舞い、丈一郎の顔面に吹き付けられる。

「クッ!」

丈一郎は、目の前の視界が一気に曇ったのを感じた。

だが、怯まない。

曇った視界の中、両手に持っていたサバイバルナイフを王子文の両足に投げ付けた。

サバイバルナイフは、王子文の太腿に垂直に飛んで突き刺さる。

「グクッ・・・!」

王子文は小さな呻き声を上げる。

「だが・・・!」

(馬鹿な奴だ!血迷ったか?!ナイフを捨てると言うことは・・・敗北を認めたことと一緒だぞ!)

王子文はニヤリと笑うと、両手に持っていたナイフを丈一郎の首下に走らせた。

丈一郎の両眼が大きく見開く。

両手の掌を大きく広げると、そのナイフに向かって覆い被さる様に掴みかかった。

「な、何?!」

王子文は目を見張った。

丈一郎の両手にナイフが突き刺さり、掌から甲へと突き抜けているのだ。

王子文は、慌てて両手に握っているナイフを引き抜こうとする。

だが。

ビクとも動かない。

なぜなら。

風間丈一郎の掌が、王子文の両手をナイフごと包み込みように握っているからだ。ナイフの刃は、丈一郎の掌を突き刺し、反対の甲へ突き出ている。

「これで、逃げられないぞ・・・てめぇは!」

丈一郎は憤怒の表情で王子文を睨む。

「・・・?!」

(コイツ?!まさか、最初からこれが狙いだったのか?!)

王子文は両手に力を込めて大きく暴れた。

「ぶっ殺すーーー!」

その時には、丈一郎の頭部が後方へ撓ったかと思うと。

一気に爆発した。

ぐしやあぁぁぁん!

丈一郎の額が、王子文の顔面に突き刺さる。

「おぶえぇごおっ!」

王子文は、気味の悪い呻き声を上げる。

その衝撃は凄まじく、鼻は折れ曲がり、上唇は切れて流血し、左右の眼底も骨折した様だ。

丈一郎の動きは止まらない。

再度、すばやく頭部を後方へ引き下げる。

そして。

一気に爆発する。

ぐちやぁああぁん!

丈一郎の額が、王子文の顔面に減り込む。

「うげえごおぉえっ!」

王子文の体がブルッと震える。

顔面から赤い血が飛び散り、白い歯が無数に空中に舞う。

(このままでは・・・危険だ!)

王子文は、左右の手を力一杯動かすが、ビクともしない。

「てめぇは・・・許さねぇぞ・・・」

丈一郎は、王子文の両手を力一杯握って離さない。

自分の手の甲からは、ナイフの刃が突き出ているが、まったく気にしていない。

頭部を何度も後方へ引き戻すと。

王子文の顔面に向かって放つ。

ぐちやああぁつぁっ!

骨と肉と血の三重奏が響き渡る。

ぐしやああぁぁっっ!

左右の頬骨も骨折し、顔面が異様な形に変形していく。

「うごお・・・おぶつっ!」

王子文の叫び声も、徐々に気持ちの悪い物へと変化する。

それでも。

止めない!

さらに。

速度を上げて。

自分の額を、王子文の顔面にぶち込んでいく丈一郎。

「あ・・・ぐあがあっ・・・!」

王子文の体が小刻みに震え出す。

ごしやゃああぁぁつっ!

それでも止めない。

「ぶち殺すーーー!」

丈一郎の顔面は、王子文の血で真っ赤に塗れている。

ぐちやあぁぁぁつっ!

「お・・ぶっ・・・!」

王子文の顔面は、見るも無残な状態になっていた。

最初の頃の面影などほとんどなく、両眼は打撲で瞼が腫れて塞がり、鼻は陥没して折れ曲がっている。左右の頬骨は骨折し、唇は上下共に切れて流血している。そして、顔面は全体的な打撲の為なのか、倍近くに膨れ上がっていた。

「や・・・やべて・・・ぐれ・・・」

王子文は、か弱い声で哀願する。

両手をナイフごと握られて、床に倒れることすら許されないのである。

「てめぇは・・・許さねぇ・・・」

だが、丈一郎は攻撃を止めようとしない。

さらに、後方に頭部を引き下げる。

「それぐらいでどうだ?」

丈一郎の右肩に手が置かれた。

動作を止めて、横目で声のする方向を見る。

髪の長い韓国人・劉伯達である。

「それよりも、ミスター・サイガが心配だ・・・」

劉伯達は、静かに言葉を投げかけた。

その言葉を聞いた瞬間に、丈一郎は両手の力を抜いた。

(ミスター・サイガ・・・)

丈一郎は悲しそうな表情をすると、劉伯達を見た。

王子文の体は、糸の切れたマリオネットの様に床にぐしゃりと崩れ落ちた。全身を痙攣させて意識を失っている様である。

「行きましょう・・・。ミスター・サイガの下に・・・」

丈一郎は、部屋の出入り口に向かって歩き出す。

劉伯達も同じ様に動いた。

その時。

二人の背後に、ユラリと人影が現れた。

なんと。

血に塗れた王子文である。

意識を失っているにも関わらず、本能で立ち上がり両手にはナイフをしっかりと握っている。

そのナイフを横一線に走らせる。

狙いは、風間丈一郎と劉伯達のうなじであろうか。

「・・・・・?!」

背後に気味の悪い殺気を感じた丈一郎が、慌てて後方を振り返る。

バシュバシュバシュッ!

真っ赤な血が、空中を縦横無尽に飛び回る。

風間丈一郎のモノでもない。

劉伯達のモノでもない。

王子文の体内から飛び出た血液である。

何が起こったのか?

それ程、劉伯達の動きは速かった。

王子文がナイフを横一線に走らせた時には、すでに王子文の目の前に迫っていた。両手に持っていたファイティングナイフを物凄い速さで王子文の首元に飛ばす。

バシュバシュバシュッ!

ファイティングナイフの刃が、王子文の首を数十回と貫き通す。

その速度は、人間の行える動きを遙かに凌駕していた。

「う・・・ぶっ・・・」

王子文の首からは大量の血が飛び散る。

劉伯達は、右手のファイティングナイフを王子文の顎から脳天にかけて突き上げる。顎の下から口内を抜け、大脳を通り過ぎ、頭がい骨を破壊する。

バグウゥーーーン!

ファイティングナイフの刃の部分全てが、王子文の頭部にズッポリと埋まる。

王子文の体がぶるぶるっと震えた。

劉伯達の動きは止まらない。

左手に持っていたファイティングナイフを真横から走らせて、王子文の右耳に突き刺した。その刃は、王子文の右耳から鼓膜を突き破り、聴神経を破壊して脳を横切る。そして、左耳から外に突き出ると止まった。

左右のファイティングナイフの刃が、王子文の頭部の中で十字を切っているのだ。

じょぼじょぼじょぼっ。

王子文の下半身からアンモニアの臭いが立ち込める。小便を漏らした音と臭いである。

「このゲス野郎が・・・」

劉伯達はそう言うと。

王子文の頭部に埋まっていた左右のファイティングナイフを一気に引き抜き、踵を返した。

真っ赤な血が空中に飛び上がる。

(この人もまた・・・怪物だ)

丈一郎は、劉伯達の物凄さを初めて実感した。

王子文の体はぐちゃっと床に倒れ込んで、ピクリとも動かなくなった。即死である。

「丈一郎、行くぞ」

劉伯達はそう言うと駆け出した。

「はい・・・」

丈一郎も掛け出す。


「ミスター・サイガ!」

丈一郎が声を掛ける。

「大丈夫か?!」

劉伯達も声を掛けて、しゃがみ込む。

ミスター・サイガは部屋の床にぐったりと寝転がっている。

体中に切傷があり血で塗れていた。両眼の焦点はすでに合っていなく、唇も青紫色に変色していて呼吸が浅い。

「これは・・・手遅れだ・・・。もう、助からないだろう・・・」

劉伯達は、数々の戦場でたくさんの人間が死ぬのを見てきたのだが、この様な状態で助かった人間は皆無であることを悟っていた。

「嘘だろ・・・?劉さん・・・」

丈一郎は劉伯達の両肩を掴んで揺さ振った。

「いや、本当だ・・・。あまりにもたくさんの血を流し過ぎている・・・」

劉伯達は、血の池と化している床を見た。

「う・・・うっ・・・」

丈一郎は眉間に皺を寄せると、悲しげな表情をして涙を流した。

その涙が水滴の如く、ミスター・サイガの頬に落ちる。

「あ・・・がっ・・・」

ミスター・サイガの口から呻き声が聞こえる。

「ミスター・サイガ!」

丈一郎と劉伯達が同時に叫んだ。

二人はミスター・サイガの上半身を起こして、体を揺さぶった。

「ミスター・サイガ!意識はあるのか?!」

劉伯達は、ズボンの後ろポケットに入っている四角い容器から、モルヒネの入った注射器を取り出した。

モルヒネは、アヘンに含まれるアルカロイドで、チロシンから生合成される麻薬の一つである。医療においては、癌性疼痛をはじめとした強い疼痛を緩和する目的で使用され、軍事用途でも、戦闘により負傷した場合、強い疼痛を軽減する目的で、主に注射剤の形で使用され続けている。

「まさか・・・その声は・・・」

ミスター・サイガは、頭部を少し左右に揺らした。

「・・・丈一郎なのか?」

血塗れの右手で丈一郎の左頬を触る。

「そうです・・・俺です・・・。丈一郎です・・・」

丈一郎は嗚咽を上げる様に涙を流して、それに応える。

「劉もいるのか・・・?」

ミスター・サイガは両眼が見えていないらしく、焦点の合わない表情で天井を見る。

「ああ・・・。すまない・・・。もっと早くに駆け付けていれば・・・お前を救えたかもしれぬのに・・・」

劉伯達は悔しそうな顔をして、ミスター・サイガの腕に注射器でモルヒネを打った。

(残念だが・・・ミスター・サイガはもう助からない・・・。せめて・・・この痛みから解放してやらねば・・・)

「くっ・・・!」

劉伯達は下唇を噛んだ。

「がはっ・・王にしてやられたわ・・・」

ミスター・サイガは、全身に大きな寒気が襲ってくるのを感じてガクガクと震え出した。体温がどんどん低下しているのだ。

「大丈夫だ。王の奴は、さっき始末してきたぞ」

劉伯達は、ミスター・サイガに話し掛ける。

「そ・・・そうか・・・」

唇が徐々に青紫色に変色していく。

「俺は・・・もう駄目だ・・・」

ミスター・サイガの声質がどんどんと弱くなっていくのがわかった。

「ミスター・サイガ!」

丈一郎は、涙をボロボロと流しながら声を掛ける。

「丈一郎・・・強くなれ・・・。そして・・・早く傭兵を止めて・・・日本に・・・帰るのだ・・・」

「ふざけるな!あんた言ったじゃないか!俺の面倒を最後まで見ると!」

丈一郎は大声で話し掛ける。

「約束・・・守れなくて・・・すまなかった・・・」

ミスター・サイガはそう言うと、両眼から透明の涙を流した。

「ぐっ・・・ぐっ・・・」

丈一郎は右手で自分の顔を拭う。涙と血でぐしゃぐしゃになっていたが、そんなことは関係がなかった。

「劉・・・俺の最後の願いを・・・聞いてくれないか・・・」

ミスター・サイガは全身をガクガクと震わせて、言葉を奏でる。

「何だ?」

劉伯達は耳を近付けた。

「丈一郎・・・を・・・頼む・・・」

ミスター・サイガの両眼が大きく見開き、全身が大きく震えた。

「わかった。その願い・・・この命に懸けても守ってみせよう」

劉伯達は、下唇を強く噛みしめたまま、ミスター・サイガを凝視した。

「あ・・り・・がと・・・」

その言葉を言い終わる寸前。

ミスター・サイガの体はピクリとも動かなくなり、頭部を支えていた首の力が一気に抜けた。

死。

それは、人間の死である。

「あ・・・ぐ・・・嘘だろ・・・?」

丈一郎は慌てて劉伯達を見る。

劉伯達は首を横に振った。

その目には涙が溢れている。

「嘘と言ってくれ・・・?ミスター・サイガ・・・」

丈一郎は、ミスター・サイガの両頬を左右の掌で包んで温める。

「返事してくれよ・・・?なぁ?」

大粒の涙がポロポロと、ミスター・サイガの顔面に落ちる。

「ちくしょう・・・ちくしょう!」

丈一郎は体中を震わせて泣き叫ぶ。

劉伯達はゆっくりと立ち上がると、部屋の窓際に静かに進んだ。

そして、屋敷の庭を軽く見渡した。

(人の気配がする・・・。それも、かなりの人数だ。屋敷の外にいた奴らが・・・異変に気付いた様だな・・・)

「行くぞ、丈一郎」

劉伯達は、丈一郎に声を掛ける。

「行く・・・?どこに?」

丈一郎は怒りの形相で、劉伯達を睨む。

「ここにいたら、敵の思うツボだ。この屋敷から脱出するぞ」

劉伯達はゆっくりと歩くと、部屋の入り口に向かう。

「ふざけるんじゃねぇ・・・。このまま、ミスター・サイガを置き去りにしていくのか・・・?!」

丈一郎の声が怒りを帯びていく。

「そうだ。ミスター・サイガの遺体を運んで、この屋敷を脱出するなど、絶対に不可能だからな」

劉伯達がその言葉を言い終わるや否や。

丈一郎は大きく飛び跳ねて、劉伯達の顔面に拳を放っていた。

ズドオオォォォーーーン!

劉伯達の左頬に、丈一郎の右拳が突き刺さる。

だが。

劉伯達の体は倒れない。

左頬に右拳を喰らったまま、ビクリとも動じないのだ。

「どうした・・・?その程度か?」

劉伯達は両眼の眼球を動かして、丈一郎を睨む。

その眼光は、恐ろしい程の殺気を漂わせており、丈一郎の体に恐怖を与えるのには十分であった。

「ぐっ・・・」

丈一郎の体が一瞬怯む。

バチイイィィーーーン!

次の瞬間には、丈一郎の体が宙を舞っていた。

劉伯達の平手が、丈一郎の左頬を襲っていたからだ。

「ガハッ!」

左頬に強烈な衝撃を受けた丈一郎は、体をもんどり打たせて部屋の床に倒れ込んだ。

劉伯達はその場にしゃがみ込む。

「丈一郎、お前は生きなければならない・・・。そして、俺は命を懸けてお前を守ると・・・ミスター・サイガに約束したのだ!」

劉伯達の体からは、揺るぎのない決意が漂ってくる。

「うぐっ・・・」

丈一郎は叩かれた左頬を左手で触った。

「まずは、ここから脱出しなければならぬ」

劉伯達は両眼をギラギラと光り輝かせて言う。

「しかし・・・」

丈一郎はゆっくりと起き上がる。

「ミスター・サイガの遺体は、俺が責任を持って後日回収する。それでいいな?」

劉伯達は、両手にファイティングナイフを握ると、部屋の入り口に向かって動き出した。

少しの沈黙が二人の間を包む。

「わかった・・・」

丈一郎も両手にサバイバルナイフを握って歩き出す。

その時。

カチッ。

靴が何か固い物を踏んだ。

血に塗れた床に、固い小さな物体が落ちている様である。

丈一郎は、しゃがみ込んでその固い物体を指で撮んだ。

そして、持ち上げる。

血で塗れてはいるが、銀色のペンダントのようだ。直径四センチ程であろうか。

「・・・・・?」

丈一郎は、そのペンダントを恐る恐る指で押し開けた。上蓋がカチリと音を立てて開く。

(・・・・・?!)

そこには。

白黒色の写真が埋め込まれていた。

成人男性と少年が一緒に映っている。

表情は二人共、笑顔だ。

ミスター・サイガと風間丈一郎である。

ぶわっ。

その写真を見た瞬間、丈一郎は涙が込み上げてくるのを感じた。

「ぐっ・・・ぐっ・・・!」

両眼に溜まった大量の涙が、丈一郎の視界を悪くする。

だが。

風間丈一郎は立ち上がり、銀色のペンダントを閉じてズボンのポケットに入れた。

両手にサバイバルナイフを握り歩き出す。

「丈一郎!行くぞ!」

劉伯達は声を掛けると、一気に走り出した。

「はい!」

風間丈一郎もそれに応じて走り出す。

(ミスター・サイガ、あなたのことは絶対に忘れない!)

大粒の涙が、空中に舞い降りる。

(俺を本当の息子の様に愛してくれたあなたを!)

下唇を強く噛む。

(俺をここまで鍛えてくれたあなたを!)

嗚咽を堪え、力強く走る。

(今度は、俺があなたの期待に応える番だ!)

丈一郎の答えははすでに決まっていた。

それは。

この戦場で生きていくことを!

そして。

ミスター・サイガの魂を受け継ぐことを!

(尊敬を込めて・・・あなたの名前をもらう。今日から俺は・・・西牙丈一郎だ!)

ここに、西牙丈一郎誕生である。


この後、日本に帰還するまでの約九年間。

西牙丈一郎は、全世界のあらゆる戦場で死闘を繰り広げることになる。

その戦闘力は凄まじく、数年後には「戦場の殺戮生物」と呼ばれて畏怖される程であった。

さらに、西牙丈一郎と共に闘う仲間達も化け物揃いであった。

髪の長い韓国人、劉伯達。

青年時代に、韓国でアジア最強と言われている海兵隊に所属し、兵長まで昇り詰めた歴戦の強者である、接近戦の強さはアジア人最強と言っても過言ではなく、刃物を握らせたら右に出る者はほとんどいない程である。

大柄な黒人。

元デルタフォース(アメリカ陸軍特殊作戦部隊分遣隊)に所属し、二十歳の時に曹長へ昇進して、アメリカ陸軍史上最年少の曹長になった猛者である。

その巨体から繰り出されるパワーは、人間の領域を遙かに凌駕しており、彼を力で捻じ伏せることができる人間など皆無に等しいであろう。

眼鏡をかけた華奢な白人。

元スペツナズ(ロシア軍参謀本部情報総局特殊部隊)に所属していたロシア人で、狙撃手である。

狙撃の腕は超一流で、百メートル先にいた敵兵を一分間で三十人程仕留めたことがあり、まさしく怪物中の怪物である。

この三人は、ミスター・サイガの元仲間であった。

しかし、ミスター・サイガ亡き後、ミスター・サイガの魂を受け継いだ西牙丈一郎を、全力でサポートすることになるのだ。

そして、戦場ではついに、彼らを雇った陣営が絶対に勝利するとまで言われる程の怪物的軍団にまで成長するのである。


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