第27話  ボクシング  

郷田梅雲は両腕を顔面の前に持っていき、背中を丸めた。

マイケル・フォーは、左右のステップを踏む。

そして。

二人が同時に歩を進めた時。

郷田の目の前で光が走った。

ズパアァァン!

両腕に痛みが走り、爆音が轟く。

マイケル・フォーの左ジャブである。

ボクシングにおいて、ジャブとは、フックやストレートほどには腰を使わず、力をあまり入れずに放つパンチのことを言う。使用頻度が非常に高い攻撃であり、かつ最も重要視される基本テクニックの一つだ。

だが、マイケル・フォーのジャブはその様な生優しいモノではない。ヘビー級の身長と体重から繰り出されるジャブは、中量級ボクサーのストレートに匹敵するのだ。

(おいおい、冗談じゃねぇーぞ)

郷田は、両腕の隙間からマイケル・フォーを見る。

(こんなパンチを打たれ続けたら、俺の腕が持たねぇわい)

郷田はじりじりと左に動く。

マイケル・フォーは、キュッキュッと左右のステップを踏むと、左ジャブを放つ。

ズパアァン!

重い音が倉庫内に響き、郷田の体全体が揺れる。

「ひゃっはっはっ!最高!最高!あの郷田梅雲が手も足も出ないじゃないですか!兄弟!」

清水五郎は、笑いが止まらない。

稲葉剛は苦笑いをして、その様子を見る。

「おいおい・・・」

「なんなのだ、あのパンチ力は・・・?」

日本裏社会「暴武」部門のルーキー達は、マイケル・フォーのパンチ力に驚きの声を上げた。普通の一般人であれば、その左ジャブを防御できずに、顔面に喰らって終わりであろう。

郷田梅雲だからこそ、防ぎ切っているのである。

マイケル・フォーは、何かしら声を上げながら左ジャブを繰り出してくる。

ズパアァァン!

ドパパアァン!

郷田の両腕に重い衝撃が走る。

「行け!行け!ぶち殺せ!」

「マイケル!お前は最高だ!」

清水組の組員達は、マイケル・フォーの強さに感嘆し、大声をあげて叫ぶ。

郷田はゆっくりと左方向に動く。

だが、マイケル・フォーはそれを逃さない。

ズドオォンl

と言う轟音と共に、郷田の背中が大きく丸まった。

「ぐっ・・・!」

郷田は後方に跳んだ。

横腹に強烈な衝撃を感じたからだ。

マイケル・フォーの腹部による左フックである。

フックとは、目標に対して自身の体の外側から内側へ向かう曲線的な軌道を描く横からのパンチを指し、ジャブの数倍の威力を発揮する。ただ、攻撃までに時間がかかる為に、読まれやすいという欠点もある。

マイケル・フォーの攻撃は止まない。

じりじりと郷田を追い詰め、左ジャブと左フックを放つ。

上下の攻撃を加えることで、揺さぶりをかけていることは明確であった。

「この野郎・・・」

郷田は、両腕で顔面を防御していたが、ボディを狙われると両腕を下げなければならない。だが、両腕を下げると顔面がガラ空きになり、頭部への攻撃を許すことになる。

マイケル・フォーはニヤリと笑う。

「老体に無茶をさせるんじゃねぇーよ」

郷田はピタリと動きを止めると、両腕を下した。

「・・・?!」

マイケル・フォーはポカンとした表情になる。

郷田は右手を前に出すと、かかって来いと言わんばかりのゼスチャーをした。

挑発である。

その瞬間。

マイケル・フォーの表情が憤怒した。

元世界ヘビー級王座統一チャンピオンを愚弄した行為。

マイケル・フォーは数発の左ジャブを放った後に。

すばやく左右の足で地面を蹴り、右肩を動かした。

光が走る。

まさしく、電光石火である。

郷田の頭部が後方に飛ぶ。

体ごと持って行かれる様な衝撃。

マイケル・フォーの右ストレートである。

ストレートは、構えたままの状態からそのまま真っ直ぐ相手に向かって繰り出すパンチのことで、相手に大ダメージをあたえる一撃必殺のパンチともいえる。

郷田の体が後方に反り上がり、地面に崩れ落ちる。

と。

思った瞬間。

みちっと、郷田の体躯が止まる。

全ての空間が一時停止したかの様な空気が流れる。

地面には崩れ落ちない。

みちっ。

みちみちっ

ゆっくりと郷田の体躯が前方に起き上がる。

「これが世界レベルのストレートかいのー。強烈過ぎるわい」

郷田は顔を上げると、ニヤリと笑った。

鼻の穴から流れ出る赤い血を舌で舐め取る。

「ファック!」

マイケル・フォーは大声を上げた。

ガラ空きになった顔面に、渾身の右ストレートを放ったにもかかわらず郷田梅雲は倒れなかった。普通の人間ならば地面に倒れて意識を失っていてもおかしくないのだ。

戸倉一心は腕を組んで郷田梅雲を見た。

(またいつもの悪い癖が出ましたね。これは死ぬか生きるかの戦いですよ。なぜ、相手の攻撃を受けようとするのですかね、あなたは)

戸倉は呆れた表情をした。

「キル・ユー!」

マイケル・フォーはそう叫ぶと、再度右ストレートを放つ。

郷田は顔面を両腕で防御する。

また、光が走った。

ズドパアァン!

重い衝撃と爆音が倉庫内に響き渡る。

郷田の頭部が、両腕と共に後方へ押し返される。

あまりにも強烈なパンチ。

「プライドを傷付けてしまったかいのー」

郷田は、頭を左右に振った。

マイケル・フォーは、左右のステップを踏みながら巧みに攻撃を仕掛けてくる。ジャブ、フック、アッパー、ストレート。ボクシングの技術を全て注入して、郷田梅雲を倒そうとしているのだ。

郷田は防戦一方である。

左側に回って、左ジャブと左フックを回避しようとしているが、マイケル・フォーもそれは逃がさない。

ズパアァン!

ドパアァン!

郷田の体が揺れ、両腕に激痛が走り始める。

(さすがにこれだけ喰らい続ければ、俺の太い腕も悲鳴をあげるわい)

郷田は大きくて太い両腕でガードしながら思った。

「梅雲め、何をしておるのじゃー」

稲葉剛は貧乏揺すりを始めながら言った。

「総裁、気になさらずに・・・」

戸倉一心は稲葉剛に答える。

「彼の悪い癖ですよ。相手の攻撃をわざと受けてしまうのは」

(だが、マイケル・フォーの攻撃力は尋常ではないですよ、郷田さん。いつまでも喰らい続けていたら、さすがのあなたでも体が持ちませんよ)

戸倉は、マイケル・フォーを見る。

左右のステップは華麗で、大きな体躯からは想像すらできない程である。だが、現役から退いて数年経っているのも事実で、両肩が大きく揺れて息が上がってきているのがわかった。

郷田梅雲も馬鹿ではない。

マイケル・フォーが肩で息をしていることは感じていた。

しかし。

郷田は頑固に自分の格闘スタイルを崩さない。

この戦いは決闘であり死合なのだ。

立ち技が得意な相手には、関節技・寝技・投げ技が有効なのは、誰が考えてもわかることである。その逆も然り、グラウンドが得意な相手には、立ち技のパンチやキックが有効なのはわかりきったことである。

普通ならば、相手の得意とする分野での勝負はさけるべきである。

だが。

郷田梅雲は違うのだ。

相手の攻撃を全身全霊で受け止め、そして、反撃する。

その格闘スタイルはまさしく・・・。

いや、今は語るまい。

郷田梅雲とは、そう言う男なのだ。

郷田は、マイケル・フォーの呼吸を読んだ。

ゆっくりと体を左右に動かして、マイケル・フォーに近付く。

マイケル・フォーも郷田から目を離さない。

ズドオォン!

ドパアァン!

と、左ジャブと右ストレートを放つ。

郷田はその攻撃を両腕で受け止めると。

ゆらりと動いた。

その動きは、大きな体躯から繰り出されるべきではないものだ。

めきめきめきいっーーー!

衝撃音が鳴り響く。

車と車がぶつかり合った様な轟音。

「え・・・?」

清水五郎は両目を大きく見開いた。

周りにいる清水組の組員達も唖然とする。

郷田の大きく振りかぶった左拳が、マイケル・フォーの顔面に突き刺さる。

「グオッ・・・!」

マイケル・フォーは後方にぐらりと体を揺らした。

口と鼻からは赤い鮮血が飛び散っている。

(見えなかった?今のパンチはなんなのだ?)

マイケル・フォーは頭を左右に振った。

(この俺様が、ジャップのパンチを食らうなど・・・有りえないのだ!)

マイケル・フォーの顔が、怒りで赤く燃え上がる。

郷田はじりじりとマイケル・フォーに近付く。

ズパアァァン!

ドパアァァン!

マイケル・フォーのパンチスピードも徐々に上がる。

郷田は両腕の隙間から、じっくりとマイケル・フォーを見る。

(さすがに一発では倒れないか・・・。さすが元世界ヘビー級チャンプだわい)

郷田はマイケル・フォーの呼吸を読む。

そして。

ゆらりと動く。

マイケル・フォーは、危険を察知してバックステップを踏む。

二人の間に光が走る。

めきめきめきいっーーー!

郷田の振りかぶった右拳が、マイケル・フォーの側頭部に減り込む。

「アガガッ・・・!」

マイケル・フォーは右耳から血を吹き出し、声を上げる。

(また見えなかった?いや、あれは打ち下ろしのパンチに間違いない!)

マイケル・フォーは軽い脳震盪を起こしたのか、目の前の景色が歪んでいるのを感じた。

体全体がフラフラと揺れている。

「え・・・?」

清水五郎は驚愕していた。

郷田梅雲の剛腕にである。

日本裏社会「暴武」部門のツートップであることは知っていたが、まさかこれ程の剛腕だとは思ってもいなかったのだ。

戸倉一心の戦いは見たことがあったが、郷田梅雲の闘いは今回が初めてであった。

(くそっ!元世界ヘビー級チャンピオンでも勝てないのか?!)

清水五郎は地団駄を踏んだ。

だが、マイケル・フォーも負けてはいない。

体を丸めて下方向からの右アッパーを放つ。

ズパアァァン!

「がはっ!」

郷田の顎に右拳が当たり、頭部が吹き飛ぶ。

だが、郷田の肉体は揺れるだけで、崩れる気配が一切ない。

みちみちっ、と体を起こし、マイケル・フォーに近付く。

「シーーーット!」

マイケル・フォーは左ジャブを数発放つ。

ズパアァァン!

パアァァァン!

郷田の両腕が赤く腫れ上がる。

「そろそろ、俺のスタイルで行かせてもらおうかのー」

郷田梅雲はそう言うと、両腕を大きく左右に広げた。

「ファック・ユーーーー!」

マイケル・フォーの怒りは頂点に達していた。

また、両手を広げて無防備な状態で誘っているのである。今だかつて、アジア人にここまで馬鹿にされたことはなかったのだ。

渾身の右ストレートを飛ばす。

郷田の顔面に吸い込まれる様に走る。

そして。

爆撃音が鳴る瞬間。

郷田は紙一重でその右ストレートを避けた。

「・・・!」

マイケル・フォーは唖然とした。

渾身の右ストレートを避けられたのだ。

だが、郷田にとってそれは実に簡単なことであった。

攻撃が「顔面」に来るとわかっているパンチ程、避けやすいモノはない。タイミングさえ掴めば、これ程容易いモノはないのだ。

郷田はゆらりと動いた。

マイケル・フォーの後ろに回ると。

腰に両腕を回し、そのまま持ち上げて後方に瞬時に回転した。

どごおぉおぉん!

大きな物体が地面に叩きつけられる音だ。

プロレスの投げ技、ジャーマン・スープレックスである。

後方から相手の腰に腕を回しクラッチしたまま、後方に反り投げ、ブリッジをしたまま相手のクラッチを離さずそのまま固めてフォールする技だ。

「ガハァッ・・・!」

マイケル・フォーは後頭部から地面に打ち付けられ、口から血を吐いた。何が起こったのかさえわからない程の回転力で投げ付けられたのである。

郷田はマイケル・フォーの腰から両手を離す。

マイケル・フォーはよろめきながらも、地面から立ち上がる。

後頭部を強打しているのか、目の焦点が合っていない。

郷田はゆらりと動くと、またマイケル・フォーの後ろに回った。

そして。

もう一度、ジャーマン・スープレックスである。

円を描く様に投げられるマイケル・フォー。

巨体が軽い物体の様に宙を舞う。

どごおぉぉぉんーーー!

重低音の衝撃が地面を駆け巡る。

「グフッ・・・!」

後頭部から地面に叩きつけられ、口と鼻から血を吐き出す。

(何が起こっているのだ?俺はどうしたのだ?)

マイケル・フォーはゴクリと唾を飲んだ。

首も強打しているのか、体中に痺れが襲ってきた。

郷田は、マイケル・フォーの腰から手を離すと、ゆっくりと立ち上がる。

「痛みは、全て受けてこそなんぼやからのー。逃げるんじゃねぇぞー」

郷田はニヤリと笑った。

「プロレス技だと・・・?」

清水五郎は顔面を引き攣らせて叫ぶ。

「とうとう、本気になりよったかい!梅雲め!」

稲葉剛はガハハと笑う。

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