第24話 代理戦争
その夜。
街外れの大きな貸し倉庫に向かって、数十台の車が吸い込まれる様に走っていた。先頭の車両はトヨタ車のセンチュリーであり、その後ろを走っている車も、クラウンやシーマ、レクサスやプレジデントと言った高級車ばかりである。
その異形の車集団が、大きな貸し倉庫の前に着いた瞬間、貸し倉庫の前にいた数十人の男達に緊張が走った。
大きな貸し倉庫は、街外れの港沿いに建っていて、そんなに古くはない。鉄筋で作られた骨組みに、しっかりとした屋根と壁が備え付けられていて、貸し倉庫には見えないぐらいである。広さもかなりのもので、車で換算すると百台は駐車できるスペースがありそうだ。
貸し倉庫の前に、異形の車集団がゆっくり止まる。
先頭のトヨタ車センチュリーのヘッドライトが、貸し倉庫の入り口を明るく照らす。
貸し倉庫の前にいる数十人の男達は、その光を眩しそうに眺めながらも声を上げない。
そして、トヨタ車のセンチュリーから光が消えた。
エンジンを切ったようである。
貸し倉庫の前にいる男達がざわめき立つ。
がちゃり、と車の後部座席のドアが左右共にゆっくりと開く。
右側のドアからは、白いエナメルの靴がにゅっと降り立った。
左側のドアからは、黒い軍隊用ブーツがずしんと降り立つ。
そして。
左右のドアから、二人の男が降り立った瞬間。
貸し倉庫の前にいた男達はゴクリと唾を飲んだ。
それ程の衝撃。
それ程の光景であった。
右側のドアから降り立った男。
銀髪の長い髪を後ろで結んでいて、真っ白なスーツに金色のフレームの眼鏡をかけている。白いエナメルの靴を履いており、その動きは野生動物その物である。
身長百七十六センチ。
体重百キロ。
齢、四十歳。
戸倉一心である。
言わずと知れた裏社会の「暴武」部門のツートップの一人である。
またの名を、「ゴッドハンド戸倉」「暴力の絶対者」と言う。
そして。
左側のドアから降り立った男。
黒い髪はボサボサで顎髭も生やしっ放しであるが、その大きな体躯は目を見張るものがある。迷彩柄の戦闘服をぎゅっと着こなしていて、黒い軍隊用のブーツを履いている。その動きは、大きな体からは想像ができない程軽やかで、柔軟性と偉大さを感じさせる。
身長百九十二センチ。
体重百三十五キロ。
齢、四十歳。
郷田梅雲である。
言わずと知れた裏社会の「暴武」部門のツートップの一人である。
またの名を、「クラッシャー郷田」「破壊の帝王」と言う。
貸し倉庫の前にいた男達は、全身に大きな震えを感じた。
それはそうであろう。
日本裏社会の「暴武」部門の頂点に君臨する二人。
この二人が揃うことなど、滅多にないからだ。
さらに、トヨタ車のセンチュリーから、もう一人の男がゆっくりと地面に降り立つ。
顔の輪郭は四角形で、白髪の髪を短く整え、顎鬚も綺麗に生やしている。両目の眼光は鋭く、何か獲物を捕らえるハンターの様である。服装は、紺色の着物を着ており足袋を履いている。
齢は七十歳を超えようとしているのだが、背は高く体格もがっちりとしている。
名は、稲葉剛である。
この男こそ、日本最大の指定暴力団・稲葉会の五代目総裁であり、
全国に構成員約五万人、準構成員約二万人を持つ、日本最大の指定暴力団の頂点なのである。
この三人が車から降りた後に、後続車からもゾロゾロと男達が降りて来る。
その数、二十人程。
全員が、裏社会の「暴武」部門のルーキー達、いわゆる新人達である。新人と言っても、表の世界では暴走族でトップを張っていた者、ギャングチームのヘッドをしていた者、喧嘩で負けなしの強者など、一筋縄ではいかない猛者達ばかりなのである。
「さてさて、清水の兄弟はもう来ているみたいだのー」
稲葉剛は、ニヤリと笑って言った。
「お待ちしておりました!」
貸し倉庫の前にいた数十人の男達が声を揃えて叫ぶ。
稲葉剛は、戸倉一心と郷田梅雲を左右に引き連れて歩く。
その後ろには、今後の裏社会「暴武」部門を支えるべき二十人のルーキー達が付いて歩いているのだ。
その姿、圧巻。
こんな光景など、一生見ることができないのではなかろうか。
それ程の顔触れなのである。
貸し倉庫の前まで来た時に、郷田梅雲はチラリと戸倉一心を見た。
「プンプン臭いやがるのー」
郷田が小さい声でポツリと話す。
「ええ、まさしく」
戸倉も貸し倉庫の入り口扉を眺めて言う。
「一心、いつから気付いておった?」
郷田が横にいる戸倉に聞く。
「車を降りた時からずっとですよ」
郷田を見て言う。
「この倉庫の中に・・・とんでもない化け物がいやがるのー」
郷田が腕を組みながら言う。
「本当ですね。はてさて、見てみましょうか?その化け物とやらを」
戸倉はニヤリと笑った。
「ガハハ!ほんまじゃのー!」
郷田は大声で笑うと、貸し倉庫の入り口扉を先にゆっくり開けた。
貸し倉庫の入り口扉を開けると、数十人の男達の声が聞こえてきた。
倉庫内には、機械や荷物類がまったくなく、ガランとしている。ただ、倉庫の奥にボロボロの大きなバスが一台止まっていた。動かなくなって数十年経っているらしく、タイヤは空気が抜け、緑色の塗装はほとんど剥げている
倉庫の高さもかなり高く、十五メートルはあるだろうか。
その広い倉庫の中央付近に、数十人の集団が集まっていた。
そして。
その集団の中から、ヨイショと一人の男が出て来た。
頭は丸坊主で鼻の下に髭を生やしている。眼は大きくギョロリとしていて、唇が異常にぶ厚い。背は低く、その変わり横幅が異常に大きいのだ。服装は、ピチピチの黒いスーツを着ていたが、今にも破れそうである。
齢は、六十歳後半ぐらいではなかろうか。
名を、清水五郎と言う。
この男、日本の指定暴力団・清水組の会長であり、あの稲葉会に次ぐ二番目に大きな指定暴力団の頂点なのである。全国に構成員約三万人、準構成員約一万人を誇っている。
「おー!兄弟!久しぶりです!」
清水五郎は、満面の笑みで稲場剛に近付く。
「おうおう、本当に久しぶりじゃのー」
稲葉剛も笑顔で清水五郎に近付く。
お互いがゆっくりと近付き、お互いの体を軽く抱きしめ合う。
お互いが満面の笑み。
白い歯を見せてのスマイル。
だが。
両者共・・・目は笑ってはいない。
怒り、憎しみ、憎悪、全てのモノを表現するような冷めた眼光で、抱き合っているのである。
「さて、本題に入ろうか、兄弟」
稲葉剛がそう言って清水五郎の肩から手を離すと、清水五郎の回りにいた男達が数人動いて、パイプ椅子を二脚持ってきた。
「そうですね、兄弟」
清水五郎も稲葉剛から離れると、置かれているパイプ椅子に腰掛けた。
二脚のパイプ椅子の間隔は三メートル程である。
片方のパイプ椅子には稲葉剛が座り、その後ろには戸倉一心や郷田梅雲、日本裏社会「暴武」部門のルーキー達二十人が、ズラリと立っている。
もう片方のパイプ椅子には清水五郎が座り、後ろには二十数人の清水組の人間が立ち尽くしているのである。
「今日集まったのは言うまでもないが、都心の一等地にある商業高層ビル建設工事の件じゃ」
稲葉剛はゆっくりとした口調で話し始める。
「兄弟、わかっておりま。あれはこちらも絶対に欲しい仕事ですわ」
清水五郎は身を乗り出して答える。
大都市の一等地に商業高層ビルの建設計画が持ち上がったのが、一か月前。
地上三十階、地下五階。
総工費予算約三千億円。
土地床面積が約四十万平方メートル。
工期予想が約三年。
多くの建設業者が度肝を抜く計画が発表されたのである。
そして、まず建設工事関係の総元締めである、稲葉剛と清水五郎の耳に入ってきたのである。
どちらがその権利を獲得するのか?
この権利を獲得することで、数百億の利益を生むことができる上に、自分の組織をさらに大きく伸ばせる絶好のチャンスでもある。
特に、清水五郎にとっては好機である。それだけの利益を得ることができれば、稲葉会を超える規模の組織作りができ、日本一の指定暴力団になれる可能性まであるからだ。
不景気な建設業界でも大騒ぎになっていた。
稲葉会に付くのか?
清水組に付くのか?
今回の建設工事は規模がまったく違うのだ。この仕事を請け負うことで、会社の売上は通年の五十倍、利益は通年の十倍にもなりそうなのだ。
今まで稲葉会に付いていた建設会社も迷っていた。
それは清水組に付いていた建設会社も同じであった。
そして、今日。
この貸し倉庫の中で、答えが出るのである。
「このまま話をしていても答えは出ないからのー。いつものあれで決めるか?兄弟」
稲葉剛はそう言うと、ニヤリと笑った。
「そうですね。その為にここに集まったのですからね」
清水五郎もニヤリと笑い返す。
「ただ、兄弟。いつも負けてばかりのワシですが、今日はスペシャルゲストを用意していますからね!いつもとは違いますぜ!」
清水五郎はパイプ椅子から立ち上がると、稲葉剛を指刺して言った。
「ほう、見せてもらうおうかのー、そのスペシャルゲストとやらを」
稲葉剛はパイプ椅子を掴んで後方に引き下がる。
清水五郎もパイプ椅子を持って後方に下がると、後ろに控えていた数十人の組員の所に行き、何かボソボソと話をし始めた。
ここで、稲葉剛が発言した「いつものあれ」を説明しなくてはならないだろう。
いつものあれとは?
それは、お互いの組織から代表者を一名ずつ選出して、一対一の闘いで決着をつける代理戦争のことである。
ルールは、武器の使用は一切禁止であるが、それ以外は何でも有りの喧嘩そのものと言えよう。
そして、なぜこの様な代理戦争をすることになったのか?
それには大きな理由がある。
平成四年に成立した暴対法。通称、暴力団対策法。
これは、暴力団の構成員による暴力的な要求行為を規制し、暴力団の対立抗争による市民への危険を防止する措置を講ずることなどによって、市民生活の安全・平穏を確保することを目的として制定された法律なのである。
この法律が成立したことにより、日本の暴力団への締め付けが尋常ではないものになったのは言うまでもない。
国家権力の象徴・警察は、これを機会に、日本最大の指定暴力団・稲葉会、二番手に大きい指定暴力団・清水組を潰そうとしたのである。
ありとあらゆる余罪で追及し、家宅捜索し、逮捕し、尋問する。
小さな暴力団組織などは、瞬時に解散に追い込まれ、消されていく。
稲葉会も、一時は構成員八万人、準構成員四万人程いたのだが、この暴対法の影響で組員が半分になったのである。それは清水組も一緒であった。
暴対法がある以上、暴力団の未来は無に等しいのだ。
そして、警察の一番の望みは、稲葉会と清水組の抗争にある。
大きな組織同士が抗争することにより、お互いの構成員を傷つけ失い、資金源を渇望させ、弱体化することを望んでいるのだ。
弱体化してしまえば、後は簡単である。
警察が全権力を駆使して、一網打尽にすればいいのである。
だが。
稲葉会総裁・稲葉剛と清水組会長・清水五郎も馬鹿ではない。
これだけ大きな指定暴力団組織を育てあげた人物達である。
これでは駄目だ、と。
そこで、生み出されたのが代理戦争である。
稲葉会総裁・稲葉剛と清水組会長・清水五郎がお互いに話し合い、お互いの組織同士で揉め事や交渉があった場合は、代理戦争で決着をつけようと決めたのである。
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