第17話  五連ピアス

西牙丈一郎は、香川浩介がふらつくのを見逃さなかった。

すばやく車両の床を蹴ると、香川の腹部に前蹴りを放つ。

ボッ!

重い上に速い。

しかし、香川はニチャリと笑った。

誘い。

そう、これは香川浩介の誘いであった。

わざとふらつき、西牙の攻撃をピンポイントで誘ったのである。

香川は、その蹴りをすばやく両手で掴む。

そして、ぐるんと体を回転させて西牙の体を反転させた。

「チッ!」

西牙は舌打ちをして香川を見る。

その瞬間。

香川は全体重をかけて西牙の体に覆いかぶさった。

ズドンという轟音。

そして。

なんと。

車両の床に二人の男が倒れ込んだ。

背中から倒れ込んでいるのは、西牙丈一郎。

その西牙の上に馬乗りになっているのが、香川浩介。

「ぐふふ~。とうとう捕まえたぞ~西牙~」

香川の両目がギラギラと輝いているのがわかった。

「クックックッ、それがどうした?」

西牙は香川を下から見て笑う。

香川は両太ももで西牙の腹部を挟み、足首を西牙のふくらはぎに絡ませてロックする。

「今から~お前を~とことんまで壊してやるぜ~。骨の髄までなぁ~」

香川は長い舌で自分の上唇をゆっくりと舐めた。その両眼はすでに焦点を少し失い、陶酔しきっている。

そして。

ぐぐっ、と。

力一杯に体を後ろに反り返らせると。

勢い良く反動を付け、右拳を唸らせた。

ドゴッツ!

右拳が西牙の顔面を襲った。

その衝撃は凄く、車両が揺れる程である。

西牙は両手でその攻撃を防ぐ。

しかし。

次には、香川の左拳が間髪入れずに放たれてくる。

ゴッツン!

西牙の頭部と体が揺れる。

両手で防いでも、その攻撃力は半端なく重いために、反動や振動が体中に響き渡るのだ。

「ぐふふ~、早く~お前の泣き叫ぶ姿が見たいぞ~西牙~」

香川は陶酔した表情で西牙を見下ろす。

快楽の狂戦士・香川浩介。

いや、サディスト香川と例えた方がいいのだろうか。

その力が今、本領発揮されようとしているのだ。

右拳を放つ。

そして、次は左拳。

その交互の攻撃が、数十回と西牙丈一郎の顔面を襲う。

しかし、西牙はその攻撃を両手で防ぎ、さばき、難を逃れているのだが、限度というものがある。

「まだかぁ~?もう我慢するなよ~早く楽になれよ~」

香川は容赦なく左右の拳を叩きつける。

拳が西牙の両腕にぶち当たる。

がぁつん。

どごぉん。

衝撃音が空気中に鳴り響く。

「泣いて懇願しろ~西牙~。そうすれば~許してやるぞ~」

香川はニチャリと長い舌を出して笑う。

そして。

西牙の両腕が少し赤く腫れ上がった頃。

ついに、西牙の両腕が床にゆっくり落ちた。

「ぐふふ~とうとう観念したか~。これからが~本当に楽しいストーリーの始まりだぜ~。じわじわと~壊してやるよ~西牙~」

香川は、両腕を床に置き顔面をさらけ出している西牙を見て言った。

西牙丈一郎は何も言わない。

だが、その両眼は光を失ってはいない。

その瞬間。

西牙の両腕が大きく動いて、香川の両耳辺りを叩いた。

パアーーーーーーーーン!

爆音が響き渡ったかと思うと、香川は無音の世界にいた。

(なんだ~?どうしたんだ~?)

何も聞こえない。

(鼓膜をやられたのか~?馬鹿なぁ~?)

香川は、両耳の奥から温かい液体の様なモノが流れるのを感じた。

血。

そう、これは血だ。

香川は、両耳から血が流れ落ちているのを感じた。

(音が聞こえない~?くそっ~!)

いや、時間が経つにつれて、じわりじわりと音が聞こえ始めた。

電車の走っている音。

そして、西牙の声が。

「いいね、お前。なかなかに美味じゃねぇーか」

西牙はそう言うと、両手を前に出してきた。

十本の指をゆらゆらと動かす。

挑発。

そうである。

これは、力比べの挑発である。

香川浩介の表情が一瞬変わった。

「この野郎~!舐めやがって~!」

香川はその両手に自分の両手を絡ませた。

指を交互に絡ませて、お互いが両手を合わせている。

まさしく、力比べである。

だが。

どう考えても、香川浩介の方が有利である。

なぜなら、西牙丈一郎は下で、香川浩介は西牙丈一郎の上に馬乗りになっている体勢だからである。

「その指ごとへし折ってやるからな~後で後悔するなよ~」

香川は両腕に力を込めた。

肩から全体重を乗せて、両腕に力を一気に溜め込んだ。両腕にはミミズが這った様な血管が無数に浮き出ていく。

ぎちぎちっ。

西牙も両腕に力を込めて押し返す。

みちみちっ。

「殺してやる~お前は許さねぇ~絶対に~。両腕だけじゃなくて~両足も壊して~いたぶってやるからな~」

香川は両耳の穴から血を流しながら言った。

「クックックッ、お遊びはここまでだ」

西牙は大きく息を吸い込むと。

腰を大きく上空に上げた。

香川の体が一瞬浮く。

西牙にとっては頭部と両足の裏で床を支えながらのブリッジ状態である。

そして。

なんと、その体勢から。

信じられないことが起こったのだ。

西牙は、香川の両手を押し返し、瞬時に上空に浮き上がってきたのである。

有り得ない。

そう、有り得ないのだ。

ブリッジの体勢から、上半身だけを立ち上がらせることなど皆無に近いのである。

それも、腹部に百キロ近い人間を乗せてなど・・・。

人間の常識を逸脱している行為。

どれだけの背筋力が必要なのか?

どれだけの腹筋力が必要なのか?

それすらもわからない。

いや、どれほどの背筋力・腹筋力があろうともできないのかもしれない。

常人の人間には。

しかし。

現実に、西牙は頭部を押し上げた。

「ば~馬鹿な~?お~お~お前~?!」

香川は額に冷たい汗が流れるのを感じた。

(こ~こ~こいつは~化け物か~?)

西牙の上半身が起き上がり。

そして。

ついに。

西牙は車両の床に立ち上がったのである。

今や、体勢は西牙が二本足で立ち上がっており、その腰に香川が両足でロックしてぶら下がっている状態である。

両手はまだお互い組合っている。

「お~お~お前は~何者だ~?西牙~?」

香川は下から西牙を睨むようにして見た。

戸倉一心の弟子として、裏の世界で数年間生きてきた香川浩介だが、この様な化け物には初めて出会ったのだ。

いや、戸倉一心を除いては。

規格外。

そう、規格外なのだ。

「俺が何者かだと?クックックッ、お前達は何もわかってはいない」

西牙はそう言うと、香川の両手をすばやく離し、腰に巻きついている香川の両太ももを両腕で掴んだ。

「何も~わかっていないだと~?表と裏の世界の狭間で生きている~中途半端なお前が~何を言っている~」

香川は左右の拳を下方から飛ばす。

西牙はそれらを軽く避けると、香川の両足を掴んで高速回転で振り回して、車両の扉に香川の体を叩き付けた。

ドゴーーーーーーーン!

轟音が最終車両に響き渡る。

「がはぁつっ~!」

香川の口から血がほとばしる。

西牙はそのまま、反対の扉に香川の体を同じ様に叩きつける。

そのスピードは人間業を超えていた。

ガコーーーーーーーン!

轟音がさらに響き渡る。

「ぐはあっ~!」

香川の体が、扉に叩きつけられた振動で揺れる。

西牙は香川の両足から手を離すと、崩れ落ちる香川を空中で蹴り上げる。

香川も負けてはいない。

その蹴りを両手で防ぐと、体を反転させて床に両足を付ける。

だが。

西牙の動きはそれ以上だった。

その香川に向かって、尋常ではない程の蹴りを放つ。

そのスピードはムエタイ選手の蹴りの数倍。

重さは空手家の蹴りの数倍。

ガガガガガガッ!

(ぐう~!化け物だ~こいつは~。戸倉さん以外で~これ程の化け物には~出会ったことがないぞ~)

香川は両腕でその蹴りを防御した。

ガガガガガガガガッ!

しかし、西牙の蹴り足の勢いは止まらない。

両腕が痛みで赤く腫れ上がる。

両耳からは出血、鼻からも出血、左目マブタからも出血。

両足も打撲のせいで、所々に内出血していることが感覚でわかる。

(これ程の男が~まだ~世界にいたというのか~)

香川は西牙を見た。

すると。

ピタリと攻撃の手が止んだ。

香川は小さく息を吐いて、西牙を見た。

「お前、最高だな。これほどタフな奴は久しぶりだ」

西牙は、上半身に身に着けていた黒いトレーナーを脱いだ。

その瞬間。

香川は両目を見開いた。

「な~な~な~なんだ~?その体は~?!」

香川は自分の目を疑った。

西牙の上半身は、人間の域を超えていた。

全身の骨格に最低限の柔軟な筋肉が付いていた。最低限と言っても、それは完全に絞られた筋肉であり、ボディビルダーが付けている様な見せるための筋肉ではなく、ウェイトリフティング選手が持っている一方方向のみの筋肉などではない。

筋肉の種類は、打撃系と寝技系の筋肉が均等に散りばめられていたが、その体付きは神をも凌駕する程の創りであった。

ギリシャ彫刻の男性よりも遥かに素晴らしく、相手を壊すために、殺すために、創られた完璧な肉体美であった。

そして、幾百数もの傷跡がさらに目を惹いた。

(・・・・・)

香川はゴクリと唾を飲んだ。

恐怖。

いや、それ以上のモノが香川の全身を包んでいた。

それが何かはわからない。

だが、体と心が危険を察知しているのは確かだった。

「この俺をここまで楽しませてくれた褒美に、少し本気を出してやろう」

西牙はそう言い放つと、両手を大きく広げた。

「本気だと~?馬鹿を言うな~」

香川は両手を前に出して体を斜めに向けて構える。

「お前は~何者だ~?お前ほどの奴が~表の世界にいる方が~おかしいぞ~」

香川はもう一度、口を開いた。

「ククク。お前達は、裏の世界の表面を見ているに過ぎない。卵で例えるのなら、お前達のいる世界は卵の白身の部分だ。わかるか?」

西牙は広げた両手をゆっくりと動かす。

「白身の部分だと~?」

「そうだ。裏の世界の奥深く奥深く・・・深淵には、まだまだお前達の想像すら出来ない世界があると言うことを」

西牙はニヤリと笑う。

「お前が~その一人だと~言うのか~?」

香川は西牙を舐める様に見た。

「さぁな。そんなことはどうでもいいだろう。それよりも、これからの自分の心配をしろ」

西牙はそう言うと。

動いていた。

いや、その例えすらおかしいかもしれない。

すでに、動き終わっていたのだ。

香川が瞬きをした瞬間。

西牙の顔は、香川の顔の三センチ程前に現れていた。

「・・・・・!」

香川は、慌てて両手を交差して顔面を防御する。

だが。

西牙の動きはそれを余裕で上回っていた。

右拳を遥か後方に引き伸ばし、そこからの助走を付けた爆拳。

香川の顔面に西牙の右拳がめり込む。

肉と。

骨と。

血が。

混じり合った異様な衝撃音が空気中を振動させる。

香川の頭部が後方に飛ぶ。

「・・・・・!」

そして、香川は自分の両耳に激痛が走ったことを感じた。

(な~な~なんだ~?!)

香川は、すばやく西牙を見た。

西牙は両腕を横に大きく広げていた。

そして。

その両手には、香川が見たことのあるモノを持っていた。

光り輝く銀色の物体。

右手に五個。

左手にも五個。

「・・・・・!」

香川は悟った。

そう。

それは、香川の両耳に付いている銀色の五連ピアスである。

西牙は右拳を香川の顔面に叩きつけた後、両手で香川の両耳に付いているピアスを合計十個、引き千切ったのである。

「クックックッ」

西牙はニヤリと笑うと、両手に持っていた十個のピアスを床に落とした。そのピアスは、全て血で塗れていて、異様な色を発色している。

「ぶっ殺して~やるぞ~」

香川の両目が怒りのためか血走っていく。

「こんなモノを身に付けている段階で、お前は裏の世界では生きていけないんだよ。弱点をさらけ出してどうするんだ?」

西牙は両手を横に広げて笑った。

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