第15話  電車

その夜。

一台の電車が市内の駅から郊外に向かって走り出していた。

時間にして、終電であろうことは間違いない。

車両の数と座席数に似合わず、乗車人数は余りにも少なく、ガランとしていてさみしかった。

最終車両には二・三人の人間が乗っていて、皆、座席に座って寝ている。

座席は、窓側に縦一列に並んでいるタイプで、車両内では座席に座ると相手と向かい合う形になる。

西牙丈一郎は、腕組みをして目を瞑り、座席に背を預けていた。

仕事の関係で市内に行っていたのだが、話が思ったより長くなり、こんな時間になってしまったのた。

電車はゆっくりと速度を緩めると、次の駅に吸い込まれる様に止まった。

1人のサラリーマンがその駅で降りる。

ドアがプシュッという音を吐いて閉まる。

ゴトゴトと最終電車が動き出し、次の駅に向かって速度をあげていった。

西牙は目を瞑りながら小さく言った。

「臭ぇなぁ・・・」

独り言。

いや、独り言ではない。

その様な声の大きさではないからだ。

そして、最終車両には、西牙丈一郎の他にもう1人乗っている男がいた。

最終車両の最後尾に座っているのが西牙丈一郎なら、その男は最終車両の最前尾に座っていて寝ていた。

「プンプン匂いやがる。お前の殺気って奴が・・・」

西牙は瞑っていた両目をカッと開けると、その男の方に目を向けた。

最前尾に座って寝ていて男は、ゆっくりと体を起こした。

「ありゃりゃ~、ばれていたのか~」

その男は大きく背伸びすると、首を大きく左右に回した。

西牙はじっくりとその男を見た。

(身長は百八十五・六、体重は百キロ程度か・・・)

髪は黒く短めで、両耳に五個ずつのリング型ピアスが付いている。

体格的な特徴は、首が太く、胸板は尋常ではないほどの厚さを誇っている。腕もかなり太く、血管が隆々に浮き出ている。

上半身は赤と白の派手なアロハシャツで、下半身は黒い革のズボンを身に付けている。

この人物は・・・。

そうである。

あの「快楽の狂戦士」・「サディスト香川」こと、香川浩介である。

「俺に何か用か?」

西牙は座席に座ったまま静かに言った。

「いやぁ~、本当はさ~あんたは戸倉さんの獲物だけどさ~。たまたま市内で見かけてしまったらさ~、俺~我慢できなくなってさ~。そして~後をつけたのだけどさ~やっぱさ~我慢できねぇ~」

香川はニチャリと言った。

まさしく、奇跡的な偶然であった。

市内をブラブラしていた香川浩介が、偶然にも西牙丈一郎を見付けたのである。

起こるはずのないことが起こる。

そんな出来事を経験したことのある方ならわかるであろう。

そして、ここで香川浩介が西牙丈一郎の後を追わなければ、それでよかったのかもしれない。

だが。

香川浩介は、それができなかった。

尊敬する戸倉一心が夢中になる男。

その男は、どんなものなのだ?と。

「ククク、獲物だと?そうかそうか、お前・・・そう言えば、あの時、喫茶店にいたな」

西牙は笑った。

「気付いていたのか~お前~」

「気付いていた?笑わせるなよ、お前。喫茶店であれだけの獣臭を放っていたら、誰でもわかるだろうが・・・カス野郎」

西牙は座席から腰を上げると香川を見た。

「カス野郎だと~?お前~。戸倉さんには悪いが~やっぱ~我慢できねぇ~。ぶっ壊してやるよ~お前を~」

香川は車両の天井にぶら下がっている吊り革を掴んだ。

「戸倉だと?」

西牙の表情が一瞬険しくなった。

少しの間、西牙は電車の天井を眺めた。

「そうかそうか、あの時のあの男が・・・戸倉一心か。裏社会の著名人・ゴッドハンド戸倉だったのか・・・。なるほど、いい味出していたわけだ、ククク」

西牙はニヤリと笑った。

香川は車両の天井にぶら下がっている吊り革を握ると、力一杯引っ張った。

バツン!

吊り革がぶち切れた。

いや。

厳密に言うと、吊り革とパイプを結んでいる接続部分のネジが、強力な力に耐え切れずに外れたのである。

そして、吊り革の設置されていたパイプがぐんにゃりと曲がっている。

なんというパワー。

そして、西牙のいる方向にある次の吊り革をまた掴む。

バツン!

またも引きちぎられる吊り革。

「泣き叫ぶまで~壊してやるよ~西牙~」

香川は長い舌をチロリと出して両目を見開く。

「お前にできるのかよ?ククク」

西牙は、黒いズボンのポケットに両手を突っ込んだまま香川を待ちわびている。

バツン!

次々と引きちぎられる吊り革。

最終車両の車掌室に乗っていた車掌は、目を疑っていた。

「な、な、なんだ・・・?あれは?」

車掌は、香川の行為に愕然としていた。

(ありえないだろ・・・。いくら、この電車の吊り革が古いからと言っても、それを引きちぎるなんて・・・)

どれ程の強度で作られているのかを知っている車掌は、額に冷や汗が出ているのを感じた。

(人間じゃないぞ・・・。あの男、あぶない薬をやっているに違いない!早く管理室に連絡しなくては!)

車掌は、震える手で車掌室にある無線機を取った。

その瞬間。

バリーーーン!

車掌室の窓ガラスが大きく割れた。

そして。

そこから太い腕がニュッと出てきて、無線機ごと根本から引きちぎられたのだ。

「あ、あ、あ・・・」

(殺される!殺される!)

車掌は腰を抜かして、小便を漏らした。

「おいおい、連絡は止めてくれよな。これから、楽しいショーが始まるのだからよ」

西牙はそう言うと、無線機を座席の上に放り投げた。

バツン!

香川は相変わらず、吊り革を引きちぎっている。

バツン!

その数、十個を超えた時。

香川の体が大きく前に傾き、車両の床を蹴った。

車両がグラリ揺れるほどの圧力であり、普通の人間ならば床に倒れていたはずである。

西牙は両手をポケットに入れたまま静かに立っている。

香川は、低い体勢で西牙に飛びかかった。

西牙はひゅっ!という声を吐くと、前蹴りを放った。

香川はその蹴りを紙一重で交わし、体を回転させた。

そして。

馬が後ろ足で物体を蹴り上げるように、香川の蹴りが西牙の体を蹴り上げる。

ズドン!

と言う音と共に、西牙の体が床から数十センチ浮き上がる。

九十三キロの人間が浮き上がる程の、香川のパワー。

西牙はポケットから両手を出すと、香川の両耳に飛ばした。

香川は、すばやく後方に飛び去った。

「あの蹴りで~倒れねぇのかぁ~」

香川はニチャリと笑う。

「ククク、来いよ」

西牙は、フワリと車両の地面に降り立つと低く身構えた。

「言われなくても~今から~行ってやるよ~」

香川はそう言うと、上半身を後方にゆっくり倒して。

両足に力を入れたかと思うと。

一気に前方に飛び出した。

いや、飛び出したなどと言う生易しい言葉では表現出来ない。

それ程の速度で西牙に向かったのである。

その瞬間。

西牙の目の前に、香川の顔が現れた。

(・・・チッ!)

西牙は、両腕ですばやく前方をガードした。

「遅いぞ~お前~!」

香川は左右の腕を振り回して、西牙の体に拳をぶち込んでいく。

ドドドドゴッ!

ガキッキッキッ!

ボゴゴゴゴッ!

香川の攻撃は止まること知らない機械の様に、ひたすら西牙の体に左右の拳を放っていく。

その速度は人間の領域をはるかに超えており、パンチの威力は人間の常識を逸脱している。

香川の攻撃を受ける度に、西牙の体が火花を起こしたように発色し揺れる。

香川の攻撃は止まらない。

腰の入った左右のパンチが、西牙の体にぶち当たり、異様な音を奏でる。

ゴゴゴゴツッ!

ドゴドゴドゴドッ!

バキバキバキキッ!

四・五十発の拳を放った時、香川は腰をぐるんと回転させ右足によるハイキックを放った。

バッチイィーーーン!

西牙は、左手でそれを受け止めると、掴み引っ張った。

「お~?」

香川の体がグイッと揺らいだ。

その時。

西牙はすでに空中に両足を抱えて飛んでいた。

そして。

香川の顔面に向かって左右の蹴りを連続で放った。

ガガッガガッガガガッ!

西牙の両足が香川の顔面に当たる。

七・八回は当たったのではなかろうか。

「ぐはっ~!」

香川の体が後方に揺らいで後退する。

西牙はゆっくりと後方に飛ぶと、香川を見た。

表情は先程とほとんど変わらない。しかし、鼻からは血を流してふらついている。

西牙はその瞬間を見逃さなかった。

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