第4話  暴力の絶対者

夜の街。

ネオンがきらめく傍らで、夜の空は気持ちいい程の暗闇を映し出している。

光り輝く星達でさえも、街のネオンにはかなわない。

無数の色を輝かせるネオンの合間に、その居酒屋はあった。

小さな通りの角にあったが、経営者の夫婦の人柄なのか、お客の入りはいつも大盛況であった。

その居酒屋の奥の席に、二人の男がいた。

一人は、四十代前半の男で、長い銀髪を後ろで一つにまとめて、金色のフレームの眼鏡をかけている。服装は、黒と白のストライプのスーツを綺麗に着こなしている。

もう一人は、二十代後半ぐらいの男であろうか、黒い髪は短く整えられていて、眉は細く目は大きく、甘いマスクをしている。左右の耳には五個ずつのリング型ピアスが付いていた。服装は、派手な黄色の花柄のアロハシャツを着て、少し太めのジーパンをはいている。

「でも~戸倉さんもワルですね~」

二十代後半の男はそう言うと、テーブルに置いてある焼き鳥をもぐもぐと食べた。

「何がですか?香川君」

戸倉と呼ばれた男は、小皿に盛り分けられた野菜をお箸で取った。

「あの西牙って男を~ヤクザ事務所に行かせて~力量を試しているじゃないですか~」

香川と呼ばれた男は、さらに焼き鳥をモリモリと食べて言った。

「香川君も人聞きが悪いですね。あれぐらいの修羅場は、軽く乗り切ってもらわないと駄目ですからね。軽いテストみたいなものですよ」

戸倉は、お箸でつまんだ野菜を口の中に放り込んだ。

「あいかわらず怖い人ですね~」

香川という男は、短く整えられた黒い髪を右手でさすった。

香川浩介かがわこうすけ

二十六歳。

身長・百八十五センチ。

体重・百五キロ。

顔はハンサムで、どこかの雑誌のモデルにでも十分なれそうな外見である。

しかし、首は太く、胸板は尋常ではないほどの厚さを誇っている。腕もかなり太く、血管が隆々に浮き出ている。

「でも、あそこのヤクザ事務所には、黒川如水さんがいますからねー」

戸倉と呼ばれている男は静かに言った。

戸倉一心とくらいっしん

四十歳。

身長は百七十六センチ。

体重は百キロ。

その掌は大きく、成人男性の掌の二倍はあるのではなかろうか。拳の部分はボコボコと隆起していて、拳ダゴができている。

「え~!あの『仏の黒川』さんがいるのですか~?!」

香川はコップに入っているビールをゴクリと一気に飲んだ。

「そうなのですよ。あの『仏の黒川』さんがいるようですし、一筋縄ではいかないはずですよ、ふふふ」

戸倉はニコリと笑った。

「俺も~そんな奴と闘いたいですよ~。戸倉さんはいいよなぁ~、あの西牙って男と闘えるのだもの~」

香川は天井を見上げて言った。

「ふふふ・・・」

戸倉は、金色のフレームの眼鏡をクイッと指で上にあげた。

戸倉と香川は、そのお店に一時間ぐらい居座った後、お店を出た。

「戸倉さん~ごちそう様でした~」

香川は深く礼をした。

「いえいえ、そんなこと気にしないでくださいよ」

戸倉は、大きく笑った。

二人は並んで歩くと、大きな通りから細い路地に入った。細い路地は、大きな通りの光り輝くネオンに比べると少し薄暗く、空気が湿っていた。大きなビルとビルの間に挟まれてはいたが、路地の幅は五メートルもあった。

細い路地に入って二十メートル程進んだ頃、路地の反対側付近に何人かの男達がいるのがわかった。

人数にして、六人程だろうか。

戸倉と香川は話をしながら、どんどんと進んでいく。

反対側付近にいた男達は若者で、路地の壁の両脇にもたれかかって話をしたり、タバコを吸ったりしている。

服装は若者の流行なのか、大きめのズボンをだらしなくずり落とし、上半身は派手なシャツを着こなしている。

戸倉と香川。

六人の男達。

お互いの距離がどんどんと近付いていく。

五メートル。

じゃりじゃりとアスファルトを踏む音が聞こえる。

お互いの距離がさらに近付いていく。

三メートル。

空気が湿っているのがよくわかる。

二メートル。

それでも、戸倉と香川は話しに夢中になっているようだった。

そして、反対側にいた男達は、戸倉と香川の存在に気が付いたらしく、ジロリと睨んできた。

戸倉は、横を向いていた顔を正面に向けた。

「あ、すんません。ちょっと通らせてくださいね」

戸倉はそう言うと、手をひょこひょこと前に出した。

男達は壁に持たれかかりながら、戸倉と香川をじっくりと見ていく。

香川は六人の男達を舐めるように見た。

「すみませんね」

戸倉は、ペコペコと頭を下げると、男達の間をスイスイとすり抜けて行った。

その時。

「ちょっと待てよ」

男達の一人がニチャリとした口調で言葉を放った。

頭部をツルツルに剃り上げて、鼻と唇と耳に大きなリング型のピアスをしている。両腕には髑髏のタトゥーを入れていて、体格もかなり大きい。

街にいる不良。

それも、かなり喧嘩慣れしている雰囲気を醸し出している。

「はい?」

戸倉は動きを止めた。

香川は、ズボンのポケットに両手を入れてその男を舐めるように見る。

「お前じゃねーよ。後のお前だよ」

スキンヘッドの男は、香川を睨みつけると、ニチャリとした口調で言った。両目を大きく見開き、口角を上げる。

「なんだ~?」

香川はニヤリと笑うと、一歩前に出た。

じゃりっ。

地面の砂を靴がしっかりと踏み込んだ。

他の男達が香川を囲むように、壁際からジリジリと動き出す。

「素人が~調子に乗るなよ~」

香川はそう言うと、ズボンのポケットから両手をすばやく引き抜いて、スキンヘッドの男の頬を右手で掴んだ。

「この口が悪いのかぁ~」

そして、右手に軽く力を入れた。

めきっきっ。

「あがぁぁっーーーーーー!」

スキンヘッドの男は大声で叫んだ。

頬や顎、口内に凄い激痛が走ったのだ。

自分の両手で口元をまさぐる。両手に全神経を集中させて自分の顔面を触った。

(な・・なんだよ!どうしたんだよ!)

スキンヘッドの男は動揺した。

下顎は外れ、ダラリと垂れ下がり、口内の奥歯が数本折れているようだった。

痛み。

そう、顔面全体に寒気がする程の激痛が走る。

「あぁーーー!あぐっあーーー!」

スキンヘッドの男は、両目から水滴のような涙を流すと後方に下がった。

香川はその様子を舌舐めずりしてじっくりと見ている。

「少しは我慢しろよなぁ~。お前が倒れるまでの過程が大事なんだからよ~」

香川は軽く右足を動かした。

その右足は空気を切った。地面すれすれの空間を、弧を描くように綺麗に走る。

グチャッ!

スキンヘッドの男の股間に、吸い込まれる様に突き刺さる。

「ぐひつぅつーーーーーーー!」

スキンヘッドの男は、股間に突き刺さった香川の右足を静かに眺めた。

(な・・何するんだよぉーーー!)

そして、その後に蹴り足の放たれる音が響いた。

あまりの蹴り足の速度に、空気中の振動が追いついていないようだった。

香川はゆっくりと蹴り足を引き抜くと、地面に下ろした。

「・・・・・・・」

(じ・・・死ぬーーーーーーー!)

スキンヘッドの男は、股間から小便を大量に垂れ流すと、白目をむいて路地の地面にもんどりうって倒れた。口からは白い泡を吐き出して、体中をビクビクと痙攣させている。

「あ~最高だ~」

香川は、両目の焦点を空中に彷徨わせるとニヤリと笑って、戸倉一心を見た。

他の男達は唖然とその様子を見ていた。

いや、見ていたのではない。

動けなかったのだ。

「香川君、駄目じゃないですか。素人に手を出したら」

戸倉はポリポリと頭部を掻いた。

「こ・・・この野郎おぉーー!」

壁際にいた金髪の男が、ハッとしたように大声を上げると、戸倉の頬に向かって拳を放った。体中から湧き上がる本能的な恐怖で動いたのだろう。顔面が蒼白である。

戸倉は、ゆっくりとその拳をかわす。

まるでスローモーションを見ているようだ。

ゆっくりではあるがその動きに無駄がなく、紙一重の差で金髪の男の拳をよけた。

そして、その男の右手首を右手で掴んだ。

金髪の男は、自分の右手首をチラリと見た。

(な・・・なんだ?!これは?!)

驚愕した。

そう、驚きで両目を見開いた。

戸倉の右手の大きさが尋常ではなかったのだ。

普通の成人男性の手の二倍はあるのである。

あまりにも大きいのだ。

(人間の手じゃない!)

金髪の男は、体中から冷たい汗が出るのを感じた。

恐怖と怯えが交互に精神を蝕んでいく。

(あ・・・あ・・・)

ジリジリと右手首に激痛が走る。

金髪の男は、左手で戸倉の右手を掴んで必死に離そうとした。手足を動かして暴れた。

「いきなり殴りかかってくるなんて、駄目じゃないですか・・・?」

戸倉は静かに言った。

「駄目でしょ・・・?」

また同じことを言う。

金髪の男は、そんなことはおかまいなしに体中を動かして、なんとか戸倉の右手から逃れようと暴れる。

しかし、動かない。

戸倉の右手を中心に、金髪の男の体は動かなかった。

「少しは・・・」

戸倉の声が少し低くなった。

ギリ・・・。

「常識ってものを・・・」

奇妙な音が鳴った。

ギリギリ・・・。

異質な、何かと何かがこすり合った様な異様な音が鳴り響く。

ギリギリギリ・・・。

戸倉は顔をぐんと上げた。

「少しは人の話を聞かんかいーーー!おどれぇ!」

戸倉の声のトーンが急変した。いつもの優しい敬語口調から、関西弁のドスの効いた口調に急変したのだ。

そして、戸倉の表情も一変していた。

左右の眉は吊り上がり、眉間には縦に五本程の皺ができており、両目は大きく見開かれて血走っている。

鬼。

そう、まさしく鬼の形相である

金髪の男の動きが止まった。

「な・・・なんだよ・・・なんだよ、あんた・・・」

金髪の男は声を震わせて言った。

ギリギリ・・・。

異質な音はあいかわらず鳴っている。

それは、戸倉の口元から鳴っていた。

「あ~あ、戸倉さんを怒らせちゃった~」

香川はそう言うと、路地の壁に腕を組んでもたれかかった。

(『デビルハンド戸倉』の暴走モードが~始動したぞ~)

香川はそこにいる男達をゆっくりと舐め回すように見て、ニチャリと笑った。

他の男達もただ、その様子を眺めているようだった。

ギリギリ・・・。

歯軋りだ。

これは、歯軋りの音だ。

異様な音は戸倉の歯と歯がこすれ合う音であった。

戸倉一心が歯軋りをし、表情が一変したと言うことは、彼の暴走モードが始動したことになる。

戸倉一心の暴走モードとは、エンドルフィンと言う脳内麻薬を自分自身でコントロールして、体内に分泌させる行為なのである。

エンドルフィンとは、脳内で機能する神経伝達物質であり、モルヒネ同様の作用を示すことができる。基本的には、ランナーズハイや性行為などの時に多く分泌され、鎮痛剤の役割も担っている。

そして。

戸倉一心の凄い所は、その状態を自分自身のコントロールで、自由自在に引き出すことができる所にあるのだ。

戸倉は右手を軽く動かした。

べきっ。

小枝が折れるような低い異質な音が、路地中に鳴り響いた。

「・・・・・・」

金髪の男は顔を歪めた。

何が起こっているのかさえわからなかった。

右手首。

そう、自分の右手首が曲がっていた。

それも左側に百八十度、ぐんにゃりと曲がっていた。

「ああーーーーーーーー!」

金髪の男は泣き叫んだ。もう痛みなど感じなかった。あまりにもひどい視覚効果に叫び声をあげていた。

その瞬間。

戸倉は左手をゆっくりと空中で振ると、金髪の男の顔面を平手で叩いた。

轟音が路地の隅から隅まで鳴り響いた。

そして・・・。

信じられないことが起こった。

人間が飛んだ。

そう、金髪の男は空中を飛んでいた。

体重七十キロはあろうかという男が、空中をボールの様に飛んだのだ。

金髪の男は顔面を平手で叩かれると、空中を五メートル程飛び、路地の壁に背中を叩きつけられた。

「ぐ・・・はぁ・・・・」

背中に凄い衝撃が走って、呼吸ができなくなった。前歯は全て飛び散り、頬骨は粉砕骨折していた。鼻は右側にぐんにゃりと折れ曲がり、両目からは赤い血がしたたり落ちている。

(ははは・・・へへへ・・・)

金髪の男は何が起こっているのかわからなかった。いや、もう考えるのが怖くなり、心の中で夢を見ているのだと思い込もうとしていた。

金髪の男は、そのまま地面に崩れる様に倒れこんだ。

戸倉はゆっくりと他の男達を見た。

両目から放たれる光は、肉食の猛獣が草食動物を狙うがごときの光を持っていた。

他の男達は動けなかった。

手足がガクガクと震え、歯をカチカチと鳴らす者さえいた。

「おどれら、調子に乗りやがって・・・ぶち殺したる」

戸倉はそう静かに言うと動いた。

その動きは、人間のスピードを凌駕していた。

地面を両足が蹴ったと思った瞬間、一人の男の左腕を軽く折っていた。左腕の肘から骨や筋肉の繊維が突き出している。

「うひぃぐぶっーーーーー!」

その男は気持ち悪い程の叫び声を上げると、空中に飛んでいた。

戸倉の左手がその男の顔面を平手で叩く。

歯が飛び散り、両耳から血が吹き出る。

その男が地面に叩きつけられる前に、もう一人の男の叫び声が上がった。

「ぐぎっつーーーー!」

もう一人の男は、左右の手首をぐんにゃりと折られていた。

戸倉は右手を軽く振った。

男の顔面に吸い込まれるように掌がぶち当たる。

その男は、頭部を後方にのけぞらせ、地面に体ごと叩き付けられた。歯は砕け散り、鼻は折れ曲がっていた。

そして。

その男は地面にぶち当たるとバウンドした。

ありえるだろうか。

人間の体が地面に叩きつけられて、跳ね上がったのだ。

テニスボールを地面に落として、跳ね返ってくるのはわかる。それは、テニスボール自体が弾力性のあるゴムの要素を持っているからであって、人間の体が地面に叩きつけられて跳ね返ってくることなど、あるはずがないのである。

しかし。

それが現実に起こっているのである。

どれ程の力で叩き付けられたら跳ね上がるのだろうか。

どのぐらいの衝撃が人間の体を襲うのだろうか。

その男の体は、地面から跳ね上がるとまた地面に落ちた。両目は赤く充血して口をパクパクと開け、体中を痙攣させている。

戸倉の動きは止まらない。

左側にいた男の首を左手で掴み、そのままぶん投げる。

ありえない光景である。

体重七十キロはある人間が、首根っこを掴まれて軽く放り投げられるのである。

その男は、路地の壁に轟音とともに叩きつけられた。

その衝撃は尋常ではなかった。

壁の茶色のレンガブロックが、砕け散り飛び散った。

その男は地面に崩れ落ちると、目の前に戸倉がしゃがみこんで、自分を覗き込んでいるのがわかった。あまりにも早い行動である。

そして。

その距離。

実に、十センチ。

「ゆ・・・ゆるじてくだ・・さい・・」

その男は声にもならない小さい声で泣き叫んだ。鼻からは赤い血液を流し、口の端からは涎を垂らしている。

「今さら、遅いんじゃい・・・」

戸倉は関西弁でそう言うと、その男の顔面に力一杯、平手を当てた。

轟音。

車のタイヤがパンクしたような轟音が鳴り響く。

戸倉はゆっくりと立ち上がった。

その男は、後頭部を地面にめり込ませ、失神していた。鼻はぐちゃぐちゃに潰れ、前歯は全てなくなって口の中に散らばっていた。

戸倉は、ゆっくりと振り向く。

ゆっくりと。

ゆっくりと。

残りの一人の男を見る。

「す・・すみません・・・」

その男は、足腰をガクガクと震わせると哀願した。

その時。

「戸倉さん~」

香川はそう言うと、戸倉に近付いてきた。

「ひどいなぁ~、戸倉さんばっかり楽しんで~」

香川は戸倉の耳元に手をやって、小さくぼやいた。

「俺にも楽しませてくださいよ~。今日~ゆっくり眠りたいんですよ~俺~」

香川は口元を長い舌で舐め回した。

「おっと、そうですね。では残りは香川君に頼みましょうか」

戸倉は興奮が少し収まったのか、話し方が丁寧な敬語口調に戻っていた。

暴走モードの解除である。

彼らにとって幸運だったのは、戸倉一心が本気を出していなかったことだろう。

そう、一度も拳を握っていないのである。掴むか、平手での攻撃しかおこなっていないのである。

なんという幸運!

なんという幸せ!



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