第3話顧問探し

「お願いします!滝川たきかわ先生しかいないんです!」

「…いや、急に言われてもね。」

「お願いします!」

「藍原君、とりあえず頭を上げてくれないか。それと、立ってくれたら嬉しいな。」

滝川は困ったように頭を掻いた。


生徒のことを良く理解し、教え、導くことの出来る教師。それが滝川良二たきかわりょうじの理想であり、そうなるべく尽力してきた。

それでも、幾ら滝川が熱意ある教師とはいえ、悲しいかな、その溢れる熱意に実力がついていなかった。

基本的なこと―授業や進路相談といったことなどは問題は無い。だが、その他の―イレギュラーに弱いというのが滝川良二という男であった。

経験が全く足りなかったのである。特にこのような状況では。


滝川は視線を下方へと落とす。

目の前の生徒のことは名前しか知らない。担任として藍原隆人と接してきたが、二週間という短い時間で全ての生徒のことを理解するなど不可能だ。言い訳に聞こえるだろうが自分が受け持つクラスの生徒の名を覚えるので精一杯だった。

もし、彼が問題のある生徒だったなら学年主任からどやされないよう注意しただろう。現にそういう子を一人受け持っている。その生徒のことは主任にしつこいほど口酸っぱく言われたため、必死に覚えた。

藍原君はその点、全く問題の無い人物だ。そう伝えられている。

中等部から送られてきた書類の中に赤い文字で『秘』と書かれた文書がある。それは生徒の能力、成績、家族構成、性格などが事細かく書かれた教師しか見ることの出来ない裏の成績表だ。

秘されている理由は個人情報が漏れないためだけでなく、教師達の誰にも言えなかった本音が書かれてあるからだろう。注意事項から悪口まで範囲は広い。特に悪口が書かれた欄は何十行にも及ぶ。同じ教師としても軽く引いてしまうぐらい書かれた生徒もいた。

では、藍原隆人はどうなのかというと『落ちつきは無いがやれば出来る子』だ。

授業態度は良くは無いが成績は良い。まあ、良いといっても平均以上というだけだ。

彼の交友関係は広い。女子生徒人気は壊滅的と言っていいほど無いが男子生徒からは人気がある。友人、話し相手としては申し分無いということだろう。

ピョンと立ち上がったアホ毛が気にはなるが、滝川から見ても印象は良い。何故、手が腫れ上がっているのかが非常に気にはなるが、今はとりあえず置いておこう。

このような姿勢だろうと藍原の印象は悪くない。いや、このような姿勢だからこそ―かもしれない。


滝川の視線の先、日本式平伏謝罪体勢をとる隆人を見る。

見事な姿勢だ。丁寧に折り畳まれた足、床に平行に伸びる背筋。全てにおいて見事な姿勢だ。

茶道には総礼という礼があるが、それに匹敵する品があるのかもしれない。素人目だが。

そう、それが土下座だとしても。


「先生が顧問になってくれるまで上げるつもりはありません。」

「そう言われてもね…。」

せめて場所を考えての行動をしてくれないか。と心で悲痛に呟く。

ここは職員室なのだから。

放課後とはいえ、教師には時間など関係無い。仕事は山のようにある。いつまでもこのような些事に時間を取られたくは無い。

それは滝川以外の教師達も同様で、今でも十人ほどの教員が忙しく机に向かっている。

滝川にも今日中に終わらせなければならない仕事があるのだ。今すぐにも取り掛かりたい。


滝川は助けを求めるように視線を彷徨わせる。見苦しいから、無駄だから諦めろ、と誰でもいいから藍原を注意をしてくれないものかと希望を込めて。

だが、誰一人として滝川と目を合わせようとはしない。チラチラと窺う者、目が合うと顔を勢いよく逸らす者までいる。誰も関わる気はないようだ。援軍は望めない。

「じゃあ、とりあえず部員を集めてから、もう一度来てくれ。話は、それからということで―」

「部員は揃ってます。」

藍原は滝川の発言に食い気味に言い放つ。そのまま顔を上げ、一枚の用紙を取り出し滝川に手渡した。

「それが愛好会の全会員です。人数の点では問題は無いと思いますが。」

「へ~。……そうなんだ。」

会員名簿と書かれた紙には上から下まで、びっしりと名前が書かれてあった。 滝川は引き攣りそうになる顔を意思の力で押さえ込み、なんとか言葉を吐き出した。

(このやろう。用意が良いじゃないか。)

ざっと目を通してみるが、別におかしい点は見当たらない。書かれてある名前に全くの見覚えが無いことから一年の生徒と思われた。受け持ちの生徒の名前は全員覚えているから、他のクラスだと思われた。

二週間でここまで多くの会員を集めるほどの才が藍原にあるとは知らなかった。生徒の才能の一つを知れたことは教師として喜ぶべきことだろう。

「……人気者なんだね。」

「それはもう!」

滝川は藍原のことを言ったつもりだったが、愛好会、もしくはゲームのことと勘違いしたらしく嬉しそうに笑っている。

ゲーム《それ》しか頭にないようだ。彼は何かしらに集中すると極端に視野が狭くなるらしい。


ふいに後ろの方からブフッと吹き出すような息が漏れた。

滝川は椅子を軋ませつつ肩越しに音の主を睨む。滝川と声の主の視線が交差するが、それも一瞬のことで直ぐに顔を逸らされ、何事も無かったかのようにパソコンを叩き始めた。

こちらと関わる気はないらしいが、聞き耳はしっかり立てているらしい。

「これで、問題はありませんよね?」

「まあ、そうだね。だけど、俺の方の都合も考えてくれないかな? 」

「えぇっ。部員を集めたらいいって言ってたじゃないですか!」

「いや、確約した覚えは無いからね。」

「お願いします。先生に迷惑は掛けません!」

滝川の視界の端のほうで、頭を机に伏せ小刻みに震えている教師が写った。逃げれない様が面白くて仕方ないようだ。他人事とはいえ、笑うとは酷いと思う。

滝川は再び頭を下げる藍原と会員名簿を交互に眺める。

教師たるもの生徒を応援するべきだとは思う。だが、この決断は彼のためになるだろうか。

『ゲーム・漫画愛好会』とは読んで字のごとくゲームや漫画を愛する会のことだろう。

同好会ではなく愛好会としている点から考えるとこだわりというか、熱意は伝わって来る。ゲームをあまりしたことがない滝川はそこまで熱くなる理由がわからないが。彼にとっては譲れない一線だとはわかる。

「あのさ、これって、わざわざ部を…違った、愛好会を作る必要あるのかな?」

滝川が言いたいのは、別に愛好会を作らなくても教室で集まれば良いのでは?だ。

滝川は生徒の良い理解者、教師でありたいと常に思っている。教師を志した日から、その思いは変わっていない。

夢を追う生徒なら応援しよう。目標に向かって努力する生徒なら手助けをしよう。

だが、それがゲームとは、如何なものか。

「ゲームなら、家で出来るだろう?」

滝川はそのまま続ける。

「…学校は学舎なんだ。ゲーム遊びで使われるより、ちゃんとした部に部室を渡すべきじゃないか?」

滝川の視線の先で藍原の肩がピクリと跳ねた。

正論過ぎて何も言えないか。滝川がそう思い勝ち誇ったときだった。

勢いよく藍原の顔が上がり、睨みつけるような鋭い視線が滝川に注がれる。

「先生はゲームの素晴らしさがわかっていらっしゃらないようですね。」

「はぁ?」

滝川はつい出てしまった言葉を誤魔化すように咳払いをする。

「いや、所詮ゲームだろう?」

「…これだから素人は。そこから教えないといけないのか。」

藍原は吐き捨てるかのように呟くと勢いよく立ち上がる。

「たかがゲーム、されどゲーム!」

「いや、言ってる意味がわからな―」

「インディゴ・T・プレイン博士曰く『ゲームは人の欲求全てを満たす究極の娯楽である。』」

「はい?」

藍原は興奮のまま続ける。

「今や日本経済の中心となったゲーム業界。収益は我が国の軍事予算を優に越え、日本の油田と言えるほどの富を産み出し続けています。日本はゲーム収益に支えられていると言っても過言じゃない!そして、二次元という壁を越え三次元化した仮想現実での圧巻のグラフィック!その素晴らしさを言葉で言い表せないほどのリアル体感!ドームという閉鎖的隔離空間で抑圧され膨張を続ける欲求をゲームによって消化出来てるんです。ゲームは我ら人類全てに無くてはならない存在となっているんですよ!」

「……そうなんだ。」

滝川は、圧倒されつつもなんとか相槌をうつ。

話は半分以上耳に入ってこないが、そんなことなど藍原には関係ないらしい。

「―確かに、ゲームをすることで子供の教育に悪影響になってしまうという研究結果は確かにあります。しかし、それはゲームをする側に問題があるのであってゲームに非は無いんです!そもそも何を持って悪影響とするかは研究者の個人的観点で勝手に決めていると思いませんか? それに――」

「知らんわ」と つい、癖でツッコミそうになりつつ滝川は必死に耐える。生まれもったツッコミの性がこれほど辛いと思ったのは上京してから初めての経験だ。

そんなことを考えている間にも藍原は熱弁を振るう。

「―教育の場にもっとゲームを浸透させるべきでしょう。 経営シミュレーションに育成、生育実習などパソコン一つで経験出来るほどテクノロジーは進化し続けているんです!文として読むだけではなく実際に見て、体感するべきではないでしょうか!」

どこからともなく「おおっ」と小さな感嘆の声が上がった。 少数だが、遠慮がちな拍手も上がる。

藍原の意見を肯定している者達は、教務の負担軽減を望む者達だ。

滝川にもその気持ちはよくわかった。

ほとんどの教師が日々の忙しさに追われ、休日すら仕事に充てている状況だ。

それでも仕事は溜まっていく一方で、教務の一部を減らしたいと考えても、仕方ないことだろう。


では実際に授業に取り入れるか、と問われれば滝川は迷わず「NO」と答える。滝川は機械化反対派である。

理由は至極単純なもの、教師だからだ。

師として教える者。それが教師だ。教えるという行為を無機質な機械に任せるというのは嫌だった。

それに、機械は人間を超えることは出来ない。機械工学は得意では無いので、詳しくはわからないが、機械で対応しきれない限界というものはあると思う。教師としての能力のみ、人工知能なんかに絶対に負けない自信がある。


それにもう一つの理由、職を失うからだ。

何も教師に限ったことではないが、機械に職を奪われてしまう可能性がある。現に製造業を中心に人間の強制解雇が行われ、社会的に問題になっている。

このまま完全機械化が進めば、全世界が失業者で溢れてしまうだろう。

滝川が、いつか必ずやってくる完全機械化の波に怯えているのに一部の者達は人の気も知らず呑気なものだ。

「ゲーム・漫画愛好会と言っても、全てが遊びでは無いんです。まず、企画造り。これはゲーム作成に関わらず、あらゆる分野で必要とされる技能です。そしてプログラミングを学んだり、クリエイトツール作成などの機械化工学に電子工学。人を魅せる芸術に心踊らせる音楽。ゲームと一言に言っても、これだけの技術や理想を実現させる能力が必要とされるものなんです!決して遊びじゃありません!」

藍原は音が漏れるほど、大きく息を吸い込み熱量をそのままに続ける。

「とにかく、僕たちには語り合い、互いを高め合う場が必要なんです!滝川先生、どうかお願いします!」

「……えーっと、その、あれだ。…あの。」

どうにか藍原の攻撃を躱そうとしていた滝川の肩がポンと叩かれる。

「教頭先生……。」

笑い皺がくっきりと浮かんだ顔で教頭は優しく頷く。

「滝川先生、良いじゃないですか。彼は本気のようですし。」

「しかし…。」

ニコニコと笑みを受かべる教頭は優しい眼差しで藍原を見た。

「君の熱意、感動したよ。今の子供達はどこか冷めたような子が多いからね。君のような子がいてくれて嬉しいよ。」

「ありがとうございます!」

「えっ?」

教頭と藍原。二人の間では話は完結しているらしい。

「私の方から活動再開の申請をしておこう。早く、お友だちに知らせてあげなさい。」

「はい。よろしくお願いします!」

藍原は深く一礼して、その場を後にした。その背中へと伸ばされた滝川の手が空を切るほどの速さで。

藍原が退室すると教師達から小さな笑いが零れた。それは見世物を見終わった観客の笑いだった。

「…いやいや、笑い事じゃないですよ。」

頭を抱えた滝川に教頭は笑い掛ける。

「大丈夫ですよ、滝川先生は若いから。やっていけますよ。」

中年が頻発する全く根拠の無い持論に苦笑いを浮かべつつ滝川はとりあえず、相槌をうった。

「まあ、他に手持ちの顧問ものも無いですし、とりあえずは様子見ということにしましょう。」

「では、滝川先生。書類提出お願いしますね。」

「えっ!?」

「お願いしますね。」

にこりと笑みを浮かべ、教頭は自身の席へと戻っていった。


「……こうなると思たわ。」

滝川がポツリと呟いた声はもたれ掛かった椅子が上げた音によって掻き消された。

滝川は休止画面になったパソコンを起動させ、テキストを邪魔にならないよう隅へと追いやる。

本当は顧問などしたくは無い。藍原の心意を聞いて、ますますそう思ってしまう。

彼らは本気だ。それなのに工学知識が皆無な人間が顧問になって良いわけがない。才能を伸ばすも潰すも指導者の能力しだい。悔しいが滝川が彼らに教えられることは何も無いのだ。

それでも―

顧問となったからには、微力とはいえ協力はしたい。

いまからでも、遅くはない。学べばいいのだ。努力すればいいのだ。

『ゲーム 作り方』とタイピングし、検索する。山程ヒットした検索結果を前にして先程の決意が早くも揺らぎつつあったが、『初心者向け』と書かれた見出しをクリックした。






隆人は職員室の扉を閉めて、足を進める。当然、向かう先は『ゲーム・漫画愛好会』の部室だ。

足早に進み角を曲がると、壁に背を預け腕を組む佐伯の姿が見えた。隆人は構わず進む。全く意に介さない様な態度で。

「流石…だね。」

佐伯の前を通り過ぎた辺りで隆人は足を止め振り返った。

「……大したことはありませんよ。」

「謙遜は止してくれ。私には出来なかったことだ。」

佐伯はフッと笑うと、眼鏡のブリッジを中指で持ち上げる。するとレンズが光を浴びて不気味に反射した。

その眼鏡にダメージの面影は無い。おそらくスペアだと思われる。

「そっちはどうなんですか?」

「完璧だ。塵一つ無い。」

隆人に浮かんだ疑念が表情にまで出ていたのか、佐伯は笑いながら「本当だからね」と付け加えた。

(まだ、一時間ぐらいしか経って無いだろ。どんだけ手際良いんだ!?)

隆人は心の中で感嘆の声を上げた。

狭い部屋とはいえ、あれだけ汚れきった部室を一時間で掃除し尽くすのは並大抵のことではない。

隆人があの部室を掃除するとしたら最低二時間、いや、それ以上必要かもしれない。掃除は苦手なのだ。

実際に確認するまで掃除の程度はわからないが、嘘では無いはずだ。つく理由も意味も無い。佐伯は見栄を張るような男では無いはず。どちらかというと真摯な男だろう。

だが、なんとなく浮かんだ敗北感が―少しだけ、いや、ちょこっとだけだが、悔しかった。

「それは良かった。」

とにかく、部室が綺麗なのは良いことだ。これから長く御世話になる部屋なのだから綺麗に越したことはない。

「ところで…是非、教えてくれないか?」

佐伯が何を聞きたいのか、即座に理解した隆人は笑顔で答える。

「簡単ですよ。こちらの意思を伝えて、頭を下げてお願いしただけです。」

「僕もそうしたのだけど、全く聞いてくれなかったね。……君と何が違ったのか…。」

顎に手を当てて、ぶつぶつと呟き始める佐伯。

「まあ、担任だったから甘くなったんじゃないですか?」

「釈然としないが…まあ、気にしてもしょうがないな。」

とりあえずは納得したらしい佐伯は部室へと踏み出した。

隆人も追従するかのように遅れて歩き始めたため、その顔に邪険ともいえる笑みを浮かべていることに佐伯は気付かなかった。



担任だから甘い――理由はそれだけではない。

滝川という教師のことは中等部のころから耳にしていた。悪評から好評、性格や出身地、家族構成まで隆人は知っている。

これは別に、隆人がわざわざ調べたわけではない。勝手に耳に入ってきたのだ。


専ら、女子達の間で行われる懇親会という名の男品評会が休憩時間、授業中問わず行われる。

あるとき、ひとしきり男子生徒の話題が出尽くした後、滝川という教師の話が話題に上ったことがあった。そのとき、たまたま耳にしたのだ。

聞き耳を立てていたわけでは無い。教室のど真ん中、さらには、メガホンを通したかのような大声で行われるソレは聞きたくなくとも強制的に耳に入ってしまうものだ。

隆人は女子にどう思われようとも気にはしなくなっていたが、そうではない男もいるのだ。中には何気無い顔つきで自分の名がでないかと耳を立てている者も少なくはなかった。

大体の者が思うような好評を得られず、肩を落とす結果になったのだが、夢ぐらい見ても良いだろう。そうでないと悲し過ぎる。

かなり騒がしく、鬱陶しいとしか言えない品評会だが、隆人はそれなりに重宝させてもらっていた。

女子の相手を見抜く審美眼というか、炯眼にはいつも驚かされている。

そう。恐ろしいことに女子が言う男子評論は大体当たっているのだ。隆人が友達付き合いをして初めて知り得た情報を、彼女らはその人物の普段の行動から想像出来うる情報を導き出してみせた。隆人の目の前で推理ショーが繰り広げられたときには、怖気が立った。

彼女らの話を耳にする―その度に思うのだが、彼女らはその能力をどこで身に付けているのだろう。生まれ持ったもののようにしか思えないのは自分だけだろうか。生きる上で身に付けていくスキルなら、なおのこと恐ろしい。ぜひ前者であって欲しいものだ。


彼女らの協力もあり、滝川良二攻略法は穴の無い完璧さとなった。

まず、彼は人情派だ。現代には珍しいタイプの熱い人間。それが教師として相応しい人格かはわからないが、情に訴えかければ落とせる確率は高い。だが、どのようなことでも許すような馬鹿では無く、納得させるにはそれなりの理由や条件等が必要となる。

色目は通じないらしく、派手な生徒と静かな生徒を平等に扱うため、一部の女子からは嫌われている。それ以上に生徒支持率は高く、味方に付ければいうこと無しだ。比較的静かな生徒で知られている隆人だからといって、門前払いとはならないはずだ。

滝川の性格上、話し合いは可能だ。問題は滝川をどう納得させ、顧問になってもらうかだが―その点も問題は無かった。

というのも、滝川はゲーム知識は皆無らしく、その手の物はしたことがないと断言出来るほどらしい。

ゲームをしない、好まない者はある種の偏見を持ち合わせているものだが、それの対処法は幾度も練習することが出来ていたのだ―主に美尋を相手に。

知識の無い人を相手にする場合、それらしい文句を幾つか並べてやれば良い。

例え嘘八百でも、バレなければ何も問題は無い。詳しい者なら、先程の隆人の言葉がどれほど薄っぺらく、知識の欠けた物か即座に理解出来ただろう。

正直に言うと、隆人はゲーム製作に興味は無い。どのように作られたのか、キャラクターが出来上がる等の製作過程には少なからず興味はあるが、それも気に入ったゲームのみだ。製作才能が無かったのも一つの要因だが、作るより、遊びたいのだ。

隆人はゲームを楽しむ側の人間―生粋のプレイヤーだった。

残念ながら、隆人の言では、美尋の牙城偏見を崩すまでは至っていない。それどころか傷一つ付けれていないだろう。

どれ程言葉を紡いでも「あ、そう。」の一言で切り捨てられるのだ。ならば、実際にプレイすれば面白さがわかると言っても「そこまでじゃない。」と一蹴される。

美尋は質問するくせして人の話を聞こうともしないのだ。―思い出したらムカついてきた。


とにかく、美尋と違って滝川は話が出来る人間だ。隆人にその気は全く無いが、将来を見据えた会。遊びではないのだと伝えられれば充分に勝算はある。とにかく熱意溢れる様を演じればいい。

交渉にするにあたって、場所は非常に重要となる。前提として逃げられないような場所を選択すべきだ。

職員室なら人目があり、頭ごなしに叱られる心配も少ないのではないだろうか。

騒ぎが大きくなれば、周りの教師が滝川に圧力をかけてくれる可能性だってある。

滝川という生け贄が逃げ出せたなら、白羽の矢が立つのは他教師自分かもしれなくなる。

顧問手当ても雀の涙。ほぼサービス労働だ。そのくせ、問題が起こればしっかりと責任は取らされる。

そのことから、他の教師達も快く隆人に協力してくれることだろう。たとえ協力しなくてとも、邪魔さえしなければ、それでも良い。

滝川を孤立させ、遊軍に背中から撃たせる。

これが、女子が語ってくれた情報を元に隆人がまとめ上げた滝川良二攻略法だ。



隆人は鼻を小さく鳴らす。思い通りに事が運び、成功を収めた。本当に気分が良い。

滝川には同情を覚えなくもないが、必要な犠牲と割り切れる。

ふと、窓を見れば、いつのまにか射し込む光の角度が低くなっている。今月は日が長く設定されているが、五時を過ぎればそれなりに陰るものだ。

見せ掛けの光とはいえ、日が落ちていく様は何処と無く寂しさを感じさせた。いつもの騒がしさが無い静まり返った校内も、寂しさを増す要因だ。

「隆人君、早く来たまえ。」

声のした方へ顔を向けると、いつの間にか佐伯と距離が離れてしまっていた。

「今、行きますよ。」

隆人は足早に佐伯の隣まで進む。二人はしばらく他愛の無い話を、主にゲーム関連の会話を楽しみつつ『ゲーム・漫画愛好会』へと向かった。




何やら楽しそうな佐伯に促され、隆人は椅子に座ると部屋を見回す。

ほんの一時間前の埃にまみれた部屋だったとは思えないほど綺麗になっている。机は木目が見えるほど磨き上げられ、蛍光灯に照らされた白い壁紙がその姿を現していた。

「すごく綺麗になりましたね。」

隆人からの賛辞に佐伯は照れたように笑う。

「いや、それほどでも無いよ。もともと掃除をしようと思って忍び込んだわけだし。それに、副会長殿には我が聖域を披露したかったしね。」

「……ああ、はい。」

佐伯の話すトーンが変わる。

まだ、佐伯の突然のキャラ変換には慣れない。今のも何かのキャラクターの言動かも知れないが、それが何のキャラクターなのかは隆人にはわからなかった。

これから、少しずつ耐性を付けていくかないだろう。

「それで、隆人君はどうして来てくれたんだい?」

「どういう意味ですか?」

佐伯は机に肘を置き顔の前で両手を組む。姿勢も少し前屈みだ。

「いや、なんとなくね。君ならわざわざ愛好会に入る必要は無いだろう?早く家に帰ってゲームでもした方が有意義だと思うのだが…。」

「ああ。そういうことですか。」

佐伯の疑問も尤もだ。聞けば会員の幾人かも、そう言って顔を出さなくなったらしく、隆人もいつかはそうなってしまうのでは、と不安になったのだという。

隆人も本当なら、今すぐに帰ってゲームをしたかった。だが、そうできない理由があった。

隆人愛用機オメガ君。正式名称はX-station type Ω 某メーカーの一世代前の機種だ。

隆人のゲームプレイを一手に担っていたオメガ君は、酷使し過ぎた為か度々ストライキを起こすようになり、容量の大きいゲームは全く出来なくなってしまった。

オンラインゲームの途中で強制排出されてしまうならまだ良いほうで、今ではログインすら出来なくなった。

DMMO-RPG等のログイン型オンラインゲームは恐ろしい量のデータ量で知られる。食い潰しと呼ばれるソレらは下手をすれば一作で既存の容量を奪い去っていく。

そのため、大抵の人間はデータ容量の多いプランに変更したり、容量が限界に達する度に買い足していた。

隆人には、財力は無い。一介の男子高校生に課金するほどの余裕は無く、プレイしたいゲームの為に、泣く泣く今までのゲームデータを削除していた。

いずれバイトを始めようとは思っているが、その許可が出るまではゲームに金をかけない。女手一つで隆人や美尋を育ててくれた母の為、こっそりと貯金している最中なのだ。いつか母に最高級のマッサージチェアをプレゼントしたい。

『Arcadia』の存在を、というかフィリア・ハーストンに一目惚れしてから急ぎインストールした。だが、ログインが全く出来ない。

オメガ君を買い換える金も、修理費に回す資金も無い。プレゼント貯金を崩す気など考えられなかった隆人は、高等部の部活動に思いを馳せた。

パソコン部、AV《オーディオビジュアル》部と言った部活動があるはずだ。自分勝手だとは思うが、その隅で構わないからパソコンをちょっと拝借して『Arcadia』を出来ないかと画策していたのだ。

AV部とは畑が違うので断られるかもしれないが、パソコン部ならどうにか―と考えていた矢先、『ゲーム・漫画愛好会』のいう見出しを見つけたのだ。

まさに天恵。ここしか無かった。



隆人が一頻り説明を終えると佐伯は満足そうに笑った。

「なるほど、Arcadiaか。あれは初心者には難しいからね。」

「ええ。なので、会長の手を借りたいと思いまして。」

先程の隆人の功績を考えると断られる可能性は低い。だが、『Arcadia』はかなりの容量を食う。それを理由に断られることもあり得るのだ。

もしも断られたら、と負の感情が頭を過る。

ここが駄目なら、一体何処でゲームをすればいいのか。

佐伯は隆人の感情を読み取ったらしく、安心させるように話し始めた。

「実は僕もArcadiaのアカウントは持っているんだ。レベルは27と決して高くはないが、ある程度は手伝えるんじゃないかな。」

「本当に良いんですか?結構食われますよ。」

隆人は不安そうにテーブルに置かれたパソコンを見つめる。

何世代か前の機種だ。既存のデータ量はどれぐらい残っているかわからないが、『Arcadia』をプレイしたら他のゲームは出来なくなるのではないだろうか。

「ああ、心配しないで大丈夫。他にすることも無いしね。むしろ使ってくれたほうが良いんだ。」

佐伯はパソコンを起動させ、そのまま続けて言う。

「とりあえず、Arcadiaをダウンロードしておくから、直ぐに…あ、でも、そろそろ下校時間だね。明日二人で出陣しよう!」

「ありがとうございます。」

グッと親指を立てて笑う佐伯に隆人は深々と頭を下げた。

今、隆人の心の中はかつてないほど満たされていた。佐伯という友人に出会えたことを心からフィリア・ハーストンに感謝した。

彼女に出会わなければ、部活動に勤しむこと無く、アルバイトに精を出していただろう。そうなれば、佐伯と出会うことは無かったはずだ。

なので、心からの謝罪を送ろう。本当に、殴ってゴメン と。

「あ、良かったら、一人誘いたいやついるんですけど。」

「新入部員かい!?」

ずいっと身を乗り出してきた佐伯に隆人は圧されながらも、はっきりと「違う」と否定する。

佐伯は残念そうに椅子に戻ると大袈裟なため息を吐き出した。


シンは他の部には入らないだろう。怪我で野球の練習が出来ないにも関わらず、何か出来ることがないかと毎日、顔を出しているのだ。

だが、怪我人は怪我人らしく休息すべきだと隆人は思う。

早く怪我を治すことがチームの為になる。シンの気持ちはわかるが、このままいけばチームメイトから疎まれてしまうのではと危惧した。

実際、野球部員が「人の言うことを聞かない」「休めといっても休まない」とボヤいていたのだ。

休息にはならないかもしれないが、家で一人になるよりも有意義だろう。一人になれば色々と考えてしまうだろうし、本当に休むかわからない。

あの野球馬鹿シンのことだ、もしかしたら筋トレをするかもしれない。


「じゃあ、もう一台必要だね。僕の予備のを持ってこよう。」

「何から何までスミマセン。」

「構わないさ。僕は君が来てくれて本当に嬉しいんだ。君がいなければこの会は再起しなかっただろうし。これは、いうならば僕からの感謝の証だとでも思ってくれ。」

もう一度頭を下げると、佐伯は照れ臭そうに手を振った。

「いいから。今日はもう帰っていいよ。戸締まりはやっておくから。」

「お願いします、佐伯会長。」

「任せてくれたまえ。藍原副会長。」





その後―

帰宅した隆人は、真っ赤に腫れた手を見て悲鳴を上げた母親から説明を求められることとなった。

人を殴ったとは言えない隆人は何とか誤魔化そうと試みるも、勘違いをした母は「息子が苛められている」と泣き始めた。

誤解を解くのに数時間を費やした隆人は、その日――泥のように眠った。



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