第5話始まりの地

「ようこそ!Arcadiaへ!!」

隆人は声の先―扉の奥から現れた少女へと視線を移した。

少女は裸足のまま隆人へと駆け寄ってくる。

その歩みは、どこか危な気で転んでしまうのではないかと心配してしまうほどだ。

しかし、少女は難なく隆人の元まで来た。

光を反射し、輝く金髪。化粧に依らない生まれながらの桃色の頬。大きな瞳は青く、その表面に隆人が写っているのが見えた。

白いワンピースに包まれ、幸せそうに笑う少女を隆人は知っている。


Arcadiaの案内人 リリア だ。

彼女はArcadiaへダイブするプレイヤーの案内人だ。先ほどの門扉アイアンゲートを通ると必ず現れるキャラクターだ。

実際に会うのはこれが初めてだが、Arcadiaの情報全てを頭に入れている隆人からすれば知人のようなものだ。

何故、案内人役が少女なのかはわからないがArcadiaでは上位人気を誇るキャラクターだ。

つまりは――まあ、そういうことなのだろう。



「初めまして、私はリリア。では、貴方のお名前を教えて下さい。」

この台詞も知っている。この質問の返答でArcadiaでのプレイヤー名が決まるのだ。

「俺は藍原隆人。よろしくな、リリア。」

「あいはら たかと様ですね。」


リリアはブツブツと呟きながら、自らの紅葉のような手の平へ視線を移した。

「えーっと…あ、そっか、そうだ。」

(もしかして…カンペか?)

リリアの掌にミミズが這ったかのような、文字らしきものが書かれてある。難解すぎて解読出来そうに無いが、カンペであることは間違いないだろう。

隆人が覗き込むように体を傾けていると、リリアは隠すように手を引っ込める。

そして非難の目で隆人を睨みつけてきた。


よほど、見られたくはなかったらしい。

隆人としては、しっかりしてくれと言いたくなるし、台詞ぐらい覚えておいて欲しいとも思う。短文なのだから。

リリアが次の台詞をカンペの中から見つけ出すのを待ってあげるのが良心的たろうが、この様子だと、当分、話は進まない。

話を進める為にも、次の台詞を導き出すキーワードを教えてあげるべきだ。

「……表記。」

リリアの耳が隆人の言葉に反応する。

確認の為か、指で掌をなぞり「あっ!」と声をあげた。そして何事も無かったかのように続けた。

「それでは表記はどう致しましょうか?」

「…全て漢字で頼む。」

「かしこまりました。」

リリアは丁寧にお辞儀してから、天に伸ばすように一生懸命に両手を広げる。

すると、リリアの周辺に〈あいはら〉〈たかと〉で変換された漢字が幾つも出現した。

「ご希望の文字は、この中にありますか?」

「えーっと、左隅の…そう、それと…あれだ。」

隆人が指した漢字をリリアは〈藍原〉と表記されたウィンドウに触れる。

そして次に〈隆人〉と表記されたウィンドウに触れようとして、リリアの動きが止まった。


高くて届かないらしい。


隆人からすれば、全く問題の無い位置にあるのだが、リリアに届かない場所にある。

現に、爪先で立ち手を伸ばそうとも届いていないのだから。

「…俺がしようか?」

隆人は遠慮がちに声を掛ける。

「結構です!自分で、で、出来ますから!」

「…あ、そう。じゃ、がんばれ。」

リリアは返答することなく、手を必死に伸ばし続ける。

隆人は苦笑した。


時計は今、手元に無いため現在時刻はわからないが、それなりに時間は経っているだろう。シンは新規プレイヤーだから隆人と同様に時間が掛かるから良いとしても、佐伯は今もArcadiaで待っているのだ。

待たされる側の体感時間はとても長く感じるもの。出来る限り早く行きたいものだが―


隆人はリリアを眺める。

リリアは唸りながらも、ピョンピョンと跳び、必死に手を伸ばしている。

だが、それでも届かない。まるで、そうなるように仕向けたような配置だ。

運営側はある種の受けを狙ったようだが、隆人にはそういう趣味などない。それに、少しの時間も惜しい隆人にとっては、その設定は悪意すら感じられた。


隆人はリリアまで近づくと、脇に手を差し込み持ち上げた。

リリアは「キャァッ!?」と短い悲鳴を上げ、隆人を睨み、暴れだす。

「な、なんですか急に!? 下ろして下さい!」

「ちょ、暴れるなって!ほら、これで届くだろ?」

リリアを落としてしまわないように注意しながら、ウィンドウの目の前に上げる。

リリアはしばらく暴れていたが、観念したかのように〈隆人〉と書かれたウィンドウに触れた。


すると、他の候補が消え、〈藍原〉そして〈隆人〉と書かれたウィンドウが大きくなった。

隆人は溜め息を吐きつつ、リリアを下ろす。

ようやく名前の登録が終わるのだ。


「…こちらでよろしいでしょうか?」

「ああ。」

リリアは隆人が頷くのを確認すると恥ずかしそうに顔を背け、カンペを盗み見てから続けた。


「藍原隆人様ですね。ようこそArcadiaへ。それでは藍原隆人様のことを教えて下さい。」

口調が棒読みだが、そのような事をいちいち気にはしていられない。まだ、プレイヤー名しか決まってないのだから。


リリアが手を叩くと、隆人の前に縁を金で装飾された姿見が現れた。

一見すると普通の姿見だが、これはただの鏡ではない。

鏡は隆人を写してはいなかった。

それは何も写らない鏡―なのではなく、何も写さないようにしてあるような黒。真っ黒に塗り潰したかのような鏡面だった。


「では、藍原隆人様の性別を教えて下さい。」

隆人はその問いに、苦笑いを浮かべた。


Arcadiaもそうなのだが、仮想世界において性別を偽ることに制限などかかってはいない。

女として生きたい。男になってみたい といった願望や夢を求めている者もいるのだ。それに制限などかかるはずもなかった。

そのための質問だ。

ちなみに一度登録した性別の途中変更はArcadiaでは出来ないらしい。隆人にとってはどうでもよい―本当にどうでもよいことなのだが。


「男。」

隆人が言うと鏡面に変化が起きた。鏡面一杯に広がっていた黒が人の形をとり始めた。

体型から見るに男を模したのだとわかった。

以前に調べた情報の通り、キャラクターの要素を入力するたび、鏡の中の自分が変化するようだ。

「それでは次に―」

「ちょっと待ってくれ。」

隆人はリリアの言葉を遮る。

次の台詞も、その次の台詞も、それより後の台詞もリリア以上に隆人は熟知している。そして、キャラメイクに掛かる時間も。

隆人が遮ったのは、時間が惜しいという理由もあったのだが、それだけではなかった。

「個人IDで頼めるか?」

「かしこまりました。では、IDを教えて下さい。」


個人IDとは政府より各個人に交付された十六桁の番号と四桁の全角英字のことだ。

現在では役所に出生届けを出してから三日後には個人IDカードが交付される。

個人IDカードには、性別、血液型、身長、体重、病歴そして学歴や社歴まで、その人の情報全てが随時更新され入力される。免許証と保健証と学生証と証明書を合一させたものと言えばわかりやすいだろうか。

個人情報の塊といったIDだが、隆人はそれなりに重宝させてもらっていた。

仮想世界におけるキャラメイクに―だ。


ゲームのキャラメイクにはかなりの時間が掛かる。自身の夢や願望を詰め込むキャラクターの顔や髪型、体型、それに色。そのようなものを詰めて創っていると、いつの間にか数時間が経過している―なんてことは度々あること。

だが、隆人が造るのは他人ではなく藍原隆人―自分だった。

別に隆人は自己愛が強いというわけではない。

そのゲームの中に入れるというのなら、他の誰かではなく藍原隆人自分として入りたいタイプの人間というだけのことだ。

主人公の名前を自身で選択出来るゲームは全てタカトと入力するぐらいに。


そして、キャラクターを造るたびに思うことだが、自分を造るというのは思いの外難しい。

こうだ。と思って創ってみても、似ていないと言われることの方が多かった。

時間の短縮、そして隆人のような者を手助けする機能の一つとして個人IDを使用する。

個人IDにある膨大なデータを基に、藍原隆人に一番近い外装をコンピューターが勝手に造り上げてくれるのだ。


隆人がIDを告げると鏡の中の黒い塊が現実世界の藍原隆人そのものに変化した。

「こちらがID検索によって作成された藍原隆人様です。」

リリアは鏡の横に来ると鏡と隆人を交互に見る。

「いかがですか?」

「まあ、こんなものじゃないかな?」

自分の顔を見て、どうだ と問われても困るというのが本音だが。

「ではこのままでよろしいでしょうか?」

隆人は鏡に写る藍原隆人を見る。

足先から頭のてっぺんまで眺め、満足そうに頷く。

「では、こちらで構いませんね。それでは―」

「ちょっと待て!」

鏡を見ていたリリアの体がビクっと跳ねた。

隆人が急に声を荒げたことに驚いたのだろう。伺うような視線で見上げてくる。

隆人は少しばかりの罪悪感を胸の奥にしまうとなるべく優しく問いかけた。

「……身長はどうなっている?」

「身長ですか?」

リリアは首を傾げつつ答える。

「えーっと、入学時の身体測定のデータを基にした数値―164,3cmとなっておりますが。」

「なるほど。では変更を頼む。」

リリアは目を瞬かせる。

「身長は167cmだ。」

「……かしこまりました。」

そう言うとリリアは鏡の方へと向いた。その際、チラリとこちらを見てきたのを隆人は見過ごさなかった。

口には出さないが「それぐらい足したとしても変わらないのでは?」と言いたいこともわかった。


リリアにはわからないかもしれないが、3cmの差は大きい。大差だ。

ちなみに、フィリア・ハーストンの身長は164cmぐらいでないかと隆人は視ている。彼女は主装備に鎧を纏っているのでヒールの低い鉄靴サバトンしか履かない。

男としてフィリア・ハーストンより高くありたいという気持ち、彼女を守る大盾として大きく在りたいというプライドだ。

本当は一気に170cmまで上げてしまいたいが、これ以上身長を伸ばすのはシンに気付かれる可能性がある。

シンの性格上、笑われる心配は無いが 背伸びしているのだと気付かれたくはない。

それに、装備によって身長は変えられるのだ。

今は急ぐ必要はない。



「身長は167cmだ。」

念のため、もう一度言っておく。

そうして、ようやく鏡の中の藍原隆人が動く。

「こちらでいかがでしょうか?」

「これ本当に上がってる?あまり変わってない―」

「上がってます!大丈夫です!」

続く言葉はリリアによって遮られた。

表情には決して出さないが、リリアの口調は若干、荒い。

リリアに圧される形で隆人は呟く。

「……まあ、こんなものかな。」

リリアはホッと安堵の息を吐いた。

その仕草は仕事が一段落した時のサラリーマンのようだが、これを口にすると怒るだろう。

隆人は喉元まで顔を出した言葉を唾と共に嚥下した。


「では、これで藍原隆人様の設定は終了とさせていただきます。途中変更は出来ませんが、本当によろしいでしょうか?」

「ああ。」

隆人が頷くと目の前の鏡は姿を消した。

それと同時に隆人の視界が少しだけ上がった気がした。


そして、リリアが両手を合わせると、何も無かった足元に一つの街の映像が浮かび上がった。

薄い雲が流れ、扇状に並ぶ鳥の背が見える。その遥か下方に街が見えた。

それは、遥か上空から見下ろしている、まるで神になったかのような視点の変わり方。

あまりに距離があるため、街を覆う外壁ぐらいしか見えないのだが。


「ゲームの説明をお聞きになりますか?」

カンペを一瞥するリリアを見て、それで本当に説明を出来るのか不安になる。

「いや、必要無い。」

隆人はぞんざいに手を振り、答える。

ルールは頭の中に完璧に入れて置いたので今更聞く必要は無いのだ。

それに、リリアがゲームの説明をすることが出来るのか わからないというのも一つの要因でもあるのだが。


リリアの頬がぷくっと膨れる。

もしかしたら、説明したかったのかもしれない。まあ、案内人としての仕事が減れば良い気はしないだろうが。

そのようなこと隆人には関係が無い。


隆人の目がリリアから移り、街に固定される。

見覚えがある気がするのだ。森に周囲を取り囲まれるような視界の悪い地形。川も鉱山も無く採れる産物は作物だけのような痩せた土地。


隆人の脳内で答えが導き出されるよりも早く、リリアが肯定した。

「藍原隆人様は初めてプレイなさるので、ホームタウンは 始まりの街“ワールドエンド”に設定されます。次の村や街を拠点にするまで―」

「やっぱり、あれがそうか!!」

言葉を遮られ、リリアの表情が曇る。


始まりの街“ワールドエンド”Arcadia攻略を目指すプレイヤーが最初に送られる街として有名だ。

プレイヤーは手に入れた土地を自由に使うことが出来るのだが、ワールドエンドだけは、その周辺地域全てがプレイヤーが手を加えることが出来なくなっている。唯一、運営が完全に管理する街なのだ。


それは新規プレイヤーを配慮してのことだろう。

自らの土地に家やギルド、ダンジョンを造ることが出来るということは、そのプレイヤーの支配領域が出来るということ。

モンスターを配備したり、道を通れないように壁を造ることも――妨害行為、言ってしまえば、嫌がらせをすることが出来るのだ。


この権利を悪どい方向に最大限活用されたなら、新規プレイヤーの人生など 即行で詰んでしまう。


―最初はスライム。

RPGなどで最初に相対するモンスターだ。レベルの低いモンスターと戦い、成長し強くなる。そして、未だ見ぬ地へと向かうというのがRPGの醍醐味であり、一種のお約束だ。


だが、この土地を造り変えられるというシステムを使うと、

――最初でドラゴン。

ということも有り得るのだ。

街を囲い、逃げられないように高レベルモンスターが出現する土地に変えてしまえば初期装備プレイヤーなど一撃で沈む。


そうはさせない為に、最初の街ワールドエンド周辺では、新規プレイヤーが楽しめるように運営が管理し、スライム設定をしてくれているのだ。



「……そうです。あれが我らが神が御手により創られた街“ワールドエンド”です。その説明も必要無いようですね…。」

リリアの口調が冷ややかなものに変わる。

隆人は、そこでようやく自分のミスに気がついた。

別にリリアに特別 何かをしたわけでは無いと思うが、気に障ったようだ。

案内人としての矜持か、やはり、リリアは説明をしたかったらしい。それが出来なくて怒っているらしかった。


(面倒くせえ…。)

隆人は内心 呟く。

別にリリアの機嫌をとる必要はゲーム進行上、問題は無い。

だが、そういう細かな点が後々、重要となるのがArcadiaなのだ。

Arcadiaには運営が製作したキャラクターが数多く存在する。

彼らは店主や町民、傭兵として暮らし、一般プレイヤーを援助する為に設定された行動を取るのが常だ。それは現在、リリースされている大抵のゲームがそうだろう。

だが、Arcadiaでの一般キャラクターの彼らにはある要素が組み込まれている。

それは人格だ。

Arcadiaのキャラクターは自ら考え行動する。

役職、性格、能力、種族などの初期設定を終えたNPCは各地に派遣され、その地で生き、赤子のように周囲から情報を集め、自分という一種の生命として存在を形成していくのだ。


このシステムを好む者は多い。

プログラムでは無い、キャラクター本人の生きた行動は現実のようなリアルさがある。

一般的なゲームでは設定されたイベントをこなし、彼らとの関係をストーリー通りに深め、攻略していくという単調なものだがArcadiaのキャラクターが相手になるとそうはいかない。


彼らには相手を選り好みすることが出来るのだ。


従来のゲームのようにイベントだからと話しかけてくる者全てに情報を教えるということはしなくて良いのだ。

自分が気に入った相手、金払いが良い相手だけに情報を与えるようにも出来る。全てはそのキャラクター次第。

たとえ、必要な情報を誰一人として教えなくてもシステム上は問題は無いということにもなる。まあ、そうはならないように運営が行動するだろうが。

一例だが、自分からプレイヤーに貢ぐようなキャラクターや野盗化し、プレイヤーを襲うキャラクターだっている。嫌味を言えば当然嫌われもするし、優しく接することで友人、または恋人にもなれるらしい。


教科書通りの攻略法など、何の役にも立たない。このゲームに一番必要なのは人心掌握術と人を引き付ける生来の魅力―カリスマ性だ。


確かにリアリティはあるとは思うが、仕様はかなりグロテスクだ。現実世界同様のドロドロとした人間模様と土地の権利書を片手に大手を振るうプレイヤー達を相手にしなければならないのだから。


そして、リリアは超初心者向けのキャラクター。Arcadiaにダイブすると、最初にプレイヤーを出迎えるのがリリアだ。

これは初心者プレイヤーも玄人プレイヤーも同様で、プレイヤーをホームタウンへと案内するのが彼女の仕事。

その際、更新された情報や危険なモンスター情報などを噂話程度だが誰にでも教えてくれる良心的なキャラクターだ。


そのリリアに初見で嫌われようものなら、他のプレイヤーより情報戦で数歩後退することになってしまう。


「すまない。初めてのことでつい、興奮してしまった。許してほしい。」

隆人が軽く頭を下げると、リリアは短く息を吐いた。まるで怒りを吐き出すように。

「まあ、貴方は初心者ですし…今回は許してあげます。」

(相手は子供だ、気にするな俺!)

隆人は顔に走った亀裂が無くなってから定評のある姿勢を崩し、顔を上げる。


リリアの頬は膨れたままだが、先程よりも口調が柔らかい。

全てを許した訳ではないが、もう怒ってはないようだ。

初心者向けのキャラクターとはいえ、かなりチョロ―もとい低難度の設定、ありがたいことだ。



「ありがとう。リリアは優しいな。」

素直に対応難度への感想を口にすると、リリアの顔が真っ赤に染まった。

なにか勘違いしたらしい。

「そ、そういうお世辞は言わなくていいんです!」

ぷいっと顔を背けるリリアを見て隆人は直感する。

イケる―と。

「いや、お世辞なんかじゃない。リリアは本当に優しい。案内人がリリアで良かったと思う。そう思っているのは俺だけじゃないしな。皆リリアに感謝してるってこと、もっと自覚してくれ。」

隆人はリリアを攻めた。すると、リリアの顔が益々赤くなる。

「うぅ…。そんなこと…ないです。」

隆人の直感は確信に変わった。


(コイツ…チョロいぞ。)

「優しいな。」ただその一言で赤面するほどに誉められたことに対しての耐性が無いのだろうか。

もしかしたら、リリアはかなり酷使させられているのかもしれない。確かに、Arcadiaへとダイブする際、プレイヤーを案内するのはリリアただ一人だ。

同時処理とはいえ、全てのプレイヤーを一人で案内させられるのだから、ねぎらわれたいと思うのも仕方ないだろう。

隆人は『リリア―褒め殺せ』と脳内の『隆人直筆―Arcadia攻略 虎の巻き』にそっと綴った。



リリアは仕切り直すように咳払いをしてから、どこからか取り出した小さな宝箱を隆人へと押し付ける。

照れ隠しなのだろう。ゲームの雰囲気まで、しっかりと楽しみたかったが、これぐらいは目を瞑ろう。

(これが噂の初回ガチャか、聞いてたのと渡し方が違うけど…。)

普通なら案内人によるゲーム説明の後、宝箱が出現する。

それを開けることで上位確定の高位武具が手に入るはずなのだが、今回は何故か手渡しだ。

これは情報に無かった。

まあ、武具さえ貰えれば文句は無いからそこは良いとして、問題はこの宝箱のサイズだ。


Arcadiaの宝箱は他のゲームのように異次元化されてはいない。

その為、宝箱の大きさはその中身に比例する。もし、2mの大剣が入っているなら、宝箱の大きさはその武器に応じたサイズになるはず。小さい武具なら小さい宝箱 という風に。


隆人は両の手で持てる宝箱を見る。


今、渡された宝箱は小箱ほどの大きさしかない。

ガチャという名の通り、出現する武器はランダムだ。世界観に合わせ、カプセルではなく宝箱に仕様が変わっただけのものなのだから。

上位武具確定のガチャとはいえ、箱が小さいと期待値が半減するものだ。出来れば交換して欲しい。


しかし、ここで我が儘を言ったところで、嫌われこそすれ、交換に応じてくれることは無いだろう。

(初回だし我慢するしかないか。それにしても、軽い。一体何が入ってるんだ?)


隆人が珍しげに箱を振っていると、リリアから信じられない一言が放たれた。

「とにかく、貴方には説明なんて不要のようですから、さっさと街に行ってもらいます!」

隆人は慌ててリリアに詰め寄る。

「えっ!? いや、まだ進呈アイテムと軍資金を貰ってないから!それに一つ、いや二つほど聞きたいことがあ―」

「―えい!」

リリアが腕を振るうと隆人の足元に風が吹き始めた。

「えっ?」

隆人の視界が動く。色々な意味で見下げていたはずのリリアを見上げるようになっていた。

落ちている と気付いたときには最早 遅い。

手に持っていた宝箱を無くしてしまわないよう慌てて抱え込む。風に煽られ始めた隆人が出来るのはそれだけだ。


背中から降下を続けながら、恨めしげに隆人はリリアを睨む。

が、その目に写ったのは風に揺られるワンピースの裾を押さえたリリアの姿。

「―あ、いちご…」

聞きたかった疑問もリリアに対する避難の声も全てソレに掻き消された。









「おーい、生きてるか?」

ぺしぺしと頬を叩かれ、隆人は瞼を開ける。

焦点の合わない視界には、ぼんやりとしか世界が写らない。それでも目の前にいる人物が誰なのかは直ぐにわかった。

「シン…か?」

見覚えのある顔に聞きなれた声。それがここまで安心するものだとは思わなかった。

「急に落ちてきたから、びっくりしたぞ。」

シンのいつもの口調に安堵の息を吐きながら隆人は頭を動かす。


簡素な―というか何も無い部屋だ。

木製の壁に外を写していない窓に外へと繋がる扉。まるで壁紙を貼り付けたかのような味気の無さ。幾つものランプが照らす部屋にシンと隆人だけが居た。


どうやら自分は床に寝ているらしい。

シンの「落ちてきた」という言葉から察するに、あのまま街に転移―いや、落とされただけのことだ。

背中に痛みが走るのも そのせいだろう。

「お前、リリアちゃんに何かしたのか?」

冗談めいた口調での あり得ない問いかけに些かの殺意が浮かぶ。

「するかそんなこと。ちょっと話を聞かなかっただけで落とされたんだよ。あー薬草と聖水とポーションを貰い損ねた。あと金も。」

「ははっ、そういうおっちょこちょいなとこ お前らしいな。ま、寝ててもしょうがねぇし、行こうぜ。」

隆人は差し出した手を掴もうと手を伸ばす。

シンの手を掴むと一気に引き上げられた。その衝撃が背中に伝わり、痛みが走る。隆人は思わず顔をしかめた。

「もう少し優しくしてくれ。」

「我慢しろ、男だろ。」

そう言って 笑うシンの目が隆人の持つ宝箱へと注がれていることに気付き、宝箱を振ってみせる。

「これが、俺の武具らしい。まだ、開けてないけど。」

「……小さいな。このサイズの武器ってなんだろうな?」

「知らん。…まあ、開けてみるか。」

「おっ!」

覗き込もうとするシンから逃げるように体ごと反らす。

シンが何を貰ったかは知らないが、箱が小さすぎて見せるのが気恥ずかしいのだ。

「早く開けろって。」

「うるさい!今開ける!」

必死に隠そうとも、隆人を遥かに凌ぐシンの体躯の前にはどのような抵抗も意味を成さない。

隆人は半ば諦めつつ、宝箱を持ち替える。

「何が入ってるんだろうな?」

興奮を隠せないシンを無視し、隆人は眼前の箱に神経を注ぐ。


このサイズの武器となると、防具では無いだろう。

目測だが、15×23cmぐらいの箱に入る武器は多くない。

中身にもよるが、本来、宝箱の目的として価値ある物品を守る為に造られた宝庫だ。それは持ち主以外の者に奪われないように頑丈に造られている。その為、箱を形成する金板は厚いものばかりだ。


隆人が強引に渡された箱は、サイズはともかく、見た目はイメージ通りの普通の宝箱だ。と、すると、一般的な宝箱と造りは同じはず。

そうなると、箱の中身は箱よりも一回りか、二回り小さくなる。


ダガーなどの片手武器が妥当だろう。サイズ的に。


「…そういえば、お前は何貰ったんだ?」

シンを肩で牽制しながら、話を振る。

シンは腰へと手を回すと隆人へと、それを降り下ろした。

隆人の顔を影が覆う。それが武器によるものだと気付くのに時間は掛からなかった。


隆人は生じた風圧に押され、数歩後退した。

シンとの距離が開き、その武器の全容が明らかとなった。


それは片口型の戦鎚ウォーハンマー

鎚頭は朱殷。柄は黒く、鎚頭の大きさを支えるだけの太さはあるが、鎚頭の大きさと比べるとかなり短い。

鎚頭先端は恐ろしいほどに尖っていた。角のように先が小さく曲がり、一匹の蛇の装飾が蜷局を巻いている。

まさに穿つという語しか相応しい言葉はないと思えるほどの鋭利さだ。

反対側の鎚頭は平らな作りになっている。だが、ただの平面では無い。ミートハンマーのような細かい凹凸があった。

そして、その凹凸は深い。大型の肉を効率良く潰せる深さがある。

まさに 穿ち、叩き潰す。その為だけの武器だ。


この戦鎚を降り下ろされたなら、防具など着ていないかのように、簡単に潰される。

モンスターであれ、人間であれ、瞬時に肉塊と化すのではないだろうか。


隆人が戦鎚から放たれるオーラに圧倒されている、その目の前でシンが額に手を当て、苦しそうに呻く。

「ミョンミル、ミョンニル。いや、違うな……ミョ―、ミョン―なんとかっていう武器らしい。」

シンは「忘れたわ」と言いながら、清々しいとすら思える笑みを浮かべた。

隆人は陸に上げられた魚のように口を開閉するしかなかった。

「それって…も、もしかして…ミョルニルっていう武器?」

「あー!それ、ミョルニル!そうそう。」

片手でミョルニルを振り回すシンは、それがどういう武器なのか全くわかっていないようだった。

「お前、それがどれだけスゴい武器か知ってんのか?」

隆人が震える声で問いかけると、シンは不思議そうに首を傾げた。

「え、これ?ちゃんと、リリアちゃんが教えてくれたぞ。トールさんのトンカチだろ?」

「トールさん…。」

シンの返答に隆人の顎が落ちた。


宝の持ち腐れ―その言葉が隆人の脳内で反響する。

シンは知らないのだ。

その戦鎚がどういった武器なのか。決してトンカチなどという日曜大工用具などでは無いことを。

シンは知らないのだ。

ミョルニル―それはトール神の戦鎚。

数ある漫画、ゲームに登場し、武勲を立ててきた伝説の神鎚だということを。



Arcadiaでの武器・装備品ランクは最下位ランクDから最高位ランクSSに分類される。これはアイテムも装備品も同様で、その性能に合わせてランク付けされる。


相手プレイヤーから装備品を譲渡、強奪する以外で、プレイヤーが通常入手することが出来る武器・装備は最高でSランクまでだ。

アイテムやその元になる素材はSSランクのものを宝箱やその生息地などから入手することが出来るが、武器や防具といった装備品は必要な素材を集め、鍛え上げることによって初めて、最高位SSランクにすることが出来るのだ。


では、シンが初回ガチャで入手した戦鎚ミョルニルのランクはというと――武器ランクS。

プレイヤーが手にすることが出来る最高ランク武器だ。


初回ガチャは上位確定のガチャとはいえ、それはBランクからSランクまでの武具を手に入れられる確率があるというだけのこと。

ランクが上がるにつれ、武具の入手率は格段に落ちる。

これは低ランクの武具でもSSランクまで鍛え上げられることが出来る為の低倍率らしい。

だが、幾ら武具が鍛え上げられるからといっても、元々の性能の差は埋められない。Aランク武具をSSランクにまで引き上げようとも、Sランクの武具をSSランクに鍛え上げたほうが遥かに強い武具となる。


たしか、ガチャで出現する Sランク武具入手の確率は僅か0,004パーセント。

Bランクが出るのが当たり前。Aランク入手で幸運の持ち主だと言える。それがSランクになると、もはや神引きレベルの豪運だ。


ミョルニルを手に入れようと多くのプレイヤーがガチャをぶん回した。それでも手に入らないと嘆く者は多く、隆人はアップされた『10連回してみた』動画で「当たらねぇ…」と嘆く者を見てきた。

もう一度言うが、決して日曜大工工具などではないのだ。


「お前、やったなぁ…。」

隆人はシンを霞む瞳で見つめる。

仲間としては喜ぶべきことなのだろうが、内心は複雑だ。

はっきり言って羨まし過ぎる。

「一週間だけのテストプレイヤーにSランク武器は要らねえだろが‼」と奇声を上げたいぐらいに羨ましかった。

「サンキュ!まあ、いらなくなったら売るから、金が集まるまでトンカチで我慢するわ。」

隆人自身でも信じられないほどの速度でシンとの距離を詰め、両肩を掴む。

「いいか、絶対売るなよ!というか、売ったら殺す。盗られたら、もっと殺すからな。」

凄む隆人に圧される形でシンは頷く。

「何故、そこまで言われなければならないのか」と表情に出てはいるが、反論する気は無いようだ。


「とにかく隆人も開けてみろよ。小さいけど、案外いい武器入ってるかもしれないぜ?」

シンのナチュラルな嫌みが刺すように襲ってくるが、隆人はなんとか耐える。

シンがチート性能を持っていたのは知っていたが、それは現実世界での話だけだと思っていた。

天は二物を与えずという ことわざがあるが、あれは真っ赤な嘘だ。元々持っている者に 二物も三物も与えているのだから。世界は不公平で満ちている。


だが、いつまでもこうして、妬み続けていても始まらない。

どのような武具であれ、鍛え上げればSランクにもなるのだ。長い目で見るしかない。

「……そうだな、開けるか。」

隆人は短く息を吐く。

そして、指を差し込むように宝箱を開けると隙間から光が漏れ出し、部屋を包む。

口を完全に押し上げると、やがて光は消えた。


隆人とシンは我先にと中を覗き込む。


視界に写ったのは、雪のように白い毛髪と光を受けて輝く虹色の羽根だ。人形のような整った顔立ちにうっすらとピンク色に着色された頬。

人間とは違う先の尖った長い耳には星を象ったピアスで飾り、エメラルドグリーンのマーメイドドレスを着ている。


隆人の脳内で今まで培ってきた情報を元に瞬時にその存在を検索し始めた。

そして、一番近いと思われる答えを導き出す。

それは妖精ピクシーだ。


しばらく固まっていた隆人とシンだったが、どちらともなく口を開いた。

「…………これは武器なのか?」

「…………俺に聞かないでくれ。」

シンと隆人は顔を見合わせ、同時に視線を落とした。

スヤスヤと寝息が聞こえてくる。どうやら見た目通り生物ナマモノらしい。

「妖精か?スゲェな、こんなのも出るんだ。」

妖精のことは、シンでもさすがに知っていたらしい。

確かに見た目はお馴染みの妖精そのものだ。


それはさておいて―

「武器ですらねぇじゃないか‼」

隆人は込み上げてきた怒りのまま天に向かって叫ぶ。

「リリアめ!余計な時間をとらせるわ、アイテムを渡し忘れるわ、本当いい加減にしろよ!」


さすがに、Sランク武具が出るとは思っていない。まあ、出たら嬉しいなとは思うが、そこまで高望みはしない。Sランクがでる確率が低い為とりあえず、Aランク武具狙いだったのだが。

コレはさすがにどうかと思う。

防具でも武器でも無い。


「クソ運営!仕事しろ‼」

「隆人、とりあえず落ち着けって。」

シンは宝箱を握り潰しかねない勢いで悶える隆人を宥める。

「なあ、コレはアイテムなのか?普通の妖精っぽいけど。」

「知らん!だが、武器じゃないだろ。ああ、なんでこうなるんだか。」

「…あっ!」

シンの声につられるように隆人は視線を落とした。


隆人の声が騒がしかったのだろう、妖精は眉間に皺を寄せ、身を捩る。そしてゆっくりと体を起こすと羽を張るように伸ばし、広げた。

「隆人、起きたぞ。」

「見たらわかる!とりあえず落ち着け!」

ワタワタと慌てふためく二人を余所に妖精は羽を忙しく動かし始めた。

ビビビビと羽音を鳴らし妖精が飛び立つ。


「おおーっ!」

シンと隆人は気持ち良さそうに空中を舞う妖精を追う。

あまり速くは飛べないのか、頑張れば素手でも掴まえられそうな速度だ。


初めて見る場所が珍しいのか、部屋の端から端まで往復している。それから妖精は壁に掲げられた西洋ランプを指でつつき始めた。

(いつ降りてくるんだ?コイツは…。)

妖精はランプに夢中になっているようだ。

今もランプをつついては、口元を押さえ笑っている。


あれは本当に道具なのだろうか。

武具として渡されたのだから、装備品の扱いとなるのだろうが、こうやって見ていると、ただの装備品とは思えなかった。


やがて妖精は満足したのか、キラキラと羽を輝かしながら隆人の元まで降りてきた。

そのまま、隆人の頬に頬擦りする。

「お、おい!」

「良かったな、好かれてんじゃん。」

「いや…まあ、それはそうなんだが…。」

隆人は手で妖精を遮り、掌に乗せた。

「言葉はわかるか?」

妖精はニコリと笑いつつ、頷く。

「お前に名前はあるか?」

隆人の問いに妖精は悲しそうな表情を浮かべ首を振った。


(おかしい…。普通、キャラクターなら名前が付いてるはず、アイテムだってそうだ。)

一般キャラクターは自らで生き方を選択出来るが、名前は運営から与えられているらしく、本人が変更しない限り当初のままのはず。

名前すら付けられていないキャラクターやアイテムなんて聞いたことが無い。

最近はアップロードも行われてはいないし、その予定も知らされてはいないはずだ。

( ――なら、この妖精は一体なんなんだ?)

頬擦りされた時、確かに熱を感じた。

ほのかに温かく、気持ちが良い熱量。生きた人肌の感触を、ここまで再現されたものがアイテムと言えるのだろうか。

とにかく、確認はしなければならない。


「システム使用。」

言葉とともに、隆人の目の前に『システム』と書かれたウィンドウが浮かぶ。

『ステータス』『現在地』、半透明化して触れることが出来ない『ギルド』と表記された文字をスクロールして、目的の『アイテム』欄を探す。

『アイテム』と表記された文字に触れると、ピコンと機械音が流れた。

隆人は『アイテム総数0』『所持金0$』と表示されていることを確認する。

本当なら、現時点で薬草に聖水。そしてポーションと軍資金500$が入っているはずなのだが、リリアに貰い損ねた為にアイテム欄には何も表示されていない。

隆人は思いだし顔を顰める。


(アイテムじゃないってことは…やはり装備品ってことか。)

隆人は次に『装備』画面を開く。


藍原 隆人

頭―『無し』

胴―『村人の服D』

腕―『無し』

右手―『無し』

左手―『無し』

足―『村人のズボンD』

靴―『村人の靴D』

飾り―『無し』

特殊―『 』


特殊の欄に空白がある。

もしかすると、この妖精は特殊装備品扱いになのかもしれない。

だが、今の段階で確実にそうとは言えなかった。バグが発生している可能性だってゼロではないのだから。

「シン、お前もシステムを開いてくれ。」

「ああ、わかった。」

まず、同じようにアイテム欄を開かせ、シンの手持ちアイテムを確認する。


『アイテム総数 10』

『薬草D 5』

『ポーションD 3』

『聖水D 2』

『所持金500$』


(シンには、しっかり渡してるじゃないかリリアめ……。)

隆人は舌打ちを打つ。

今はどうすることも出来ないので、この件については置いておくが、後でしっかりと賠償を要求しようと隆人は心に決めた。

「じゃあ、次は装備画面にしてくれ」

「了解。」


シン

頭―『無し』

胴―『村人の服D』

腕―『無し』

右手―『ミョルニルS』

左手―『無し』

足―『村人のズボンD』

靴―『村人の靴D』

飾り―『無し』

特殊―『無し』


シンの特殊装備の欄には『無し』と表示されている。やはり武具を装備していない箇所は通常『無し』と表記されるので間違いは無いらしい。

ということは、この妖精は特殊装備品扱いということだろう。

空白なのが気にはなるが、名前が無いと言っていたことから考えると、名前を付けてやれば欄が埋まるのかもしれない。


隆人は掌に乗る妖精を眺める。

「俺が名前を付けてもいいか?」

隆人の言葉に妖精の羽がピクリと跳ねた。目を輝かせコクコクと勢い良く頷く。

この反応を見ると隆人が名前を付けることに異論は無いらしい。

「そうだな…、名前か…。」

言ってはみたものの、良い名前というものは急には浮かばないものだ。

らしい名前は幾つも浮かぶが、どれもしっくりとこない。ありきたりな名前だと他のプレイヤー名とかぶる可能性だってある。だからといって、和名は似合わないだろう。


隆人は掌に座る妖精を眺める。

先程は予想外の展開が続いたこととシンへの嫉妬で あまり観察出来なかったが、こうしてじっくりと見てみると、妖精の可愛さがわかる。

小さい顔だ。それに二重の大きい瞳に長いまつ毛。桃色の頬にかかる白い髪がとても似合っている。仕草も女の子らしく、上目使いにこちらを見つめてくる様は男心にクルものがある。

なかなかの―いや、かなり美人だ。

(結構…可愛い…な。)

隆人がぼんやりと眺めていると、妖精はニコリと微笑む。

隆人は気恥ずかしさで一杯になり、目を逸らす。

(俺にはフィリアさんがいるのに何を考えているんだ!?)

心に決めた人がいるというのに、他の女に見とれてしまった事実に怒り、そして呻く。

(もう、名前なんてなんでも良い!さっさと決めよう!)

目に入った輝く羽を見て、隆人は決断する。それは思い浮かべた候補名の中で最も単純で、最も被る可能性が高い候補名をそのまま呟いた。

「……アイリス。」

シンも妖精も首を傾げる。隆人の声があまりにも小さかった為だ。

わざとらしく耳に手を当てるシンに蹴りを入れ、隆人は仕切り直す。

「アイリスだ!お前の名前はアイリス。いいな!」


アイリスは勢い良く頷くと、七色に輝く羽を広げ隆人の頬へと飛び付き、頬と頬を擦り寄せる。

話すことが出来ないから、行動で感情を示しているらしい。

寄せ上がった頬肉が死角になる為、直接見ることは出来ないがアイリスの喜びは伝わってくる。

「お、おい、もう止めろって!」

制止の声がかかるも、アイリスは止めようとはしない。離れるのは嫌だと言うように頬を掴む両手の力が強まる。

「名前付けてもらったのが嬉しいんじゃね?」

「それぐらいわかる。でも、そろそろ行かないと会長待ちくたびれてるぞ、絶対。」

シンは目を見開き「あっ!」と短く声を出した。

完全に忘れていたらしい。

「あー、じゃあ、急がないとな。」

笑顔で誤魔化そうとしているが、目が泳いでいる。この演技でバレないと思っているのが驚きだ。

まあ、シンらしいと言えるのだが。


「はぁ……アイリス、いい加減に止めろ。」

未だに頬に抱きついたままのアイリスに隆人の冷めた声がかかる。

アイリスは悲しそうな表情を浮かべる。そして名残惜しそうに離れると、隆人の肩に腰を下ろした。

隆人は「羽があるなら自分で飛べ」と言おうとして、さすがに可哀想かと思い直す。

きっとアイリスの態度は親に向ける感情に近いのだろう。初めて見た者を親と思い込み慕う。刷り込みのようなものだ。

この場合、持ち主である隆人が親もしくは主人として関知してあるのだろう。

感情があるというのは道具としては使い勝手が悪いとは思うが仕方ない。それが役に立つような使い方をすれば良いのだ。


装備画面を開いたままのウィンドウに目を向けると、空白だった欄が『アイリス』と書かれてあった。

(特殊武器…か。どんな効果かあるか、後で調べないとな。)

シンを見ると、意気揚揚とミョルニルを振り回している姿が目に入った。

準備は出来ているということだろう。それ以外に意図は無いとは思うが、Sランク武器をこれ見よがしに振るう様は、妙に嫌みっぽく見えてしまう。

隆人はシンから重くなった右肩へと視線を動かす。重くなったというのは物理的にではなく、精神的にだが。

少し言い過ぎたらしく、アイリスは目に見えて落ち込んでいる。

普段なら無視するところだが、今日は旅立ちの日だ。低級装備は仕方ないので目を瞑るとしても、表情ぐらいは相応しくありたい。


隆人はアイリスを指先で撫でて笑い掛ける。

「恐がらせて悪かったな。お前を嫌ったりしてないから。」

その言葉に安心したのか、アイリスは強ばっていた顔を少し緩めて微笑む。

まだ、固いがこれで十分だ。


隆人は拳を握りしめ、この部屋唯一の扉の前へと立つ。


この扉をくぐれば直ぐにワールドエンドの街だ。

ワールドエンド。それは始まりであり終わりの街。Arcadiaの世界を攻略し、この街が運営が支配する最後の土地になるということを願って付けられた名。


一体、何人のプレイヤー達がこの扉をくぐったのだろう。

仲間を集め、ダンジョンを攻略し、ホームを立てる。憧れたその世界に隆人はやっと、足を踏み入れることが出来るのだ。


隆人の体に興奮が走る。

意思のこもった視線の先にあるのは絶対王者フィリア・ハーストンの背だ。

今はまだ遠くとも必ず追い付き、肩を並べてみせる。そしていつかは彼女を守れる存在になりたいとさえ思う。

その為になら、なんだってする覚悟が藍原隆人にはある。


隆人はもう一度強く拳を握り絞める。

「行くぞ!!」

「おう!」

隆人はシンとアイリスと共に、始まりの地ワールドエンドへと続く扉を開いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君主論《マキャべリズム》の村人A @NABI2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ