第2話

寝違えた。首の筋がつるように痛んでいる。私は起きがけからどうにもよくならない首を、そこに痛みがあることを確かめるかのように伸ばしたり縮めたりする。右、左、右。

「おはよう、祥子」

首をぎゅっと左に曲げておかしな姿勢になったその瞬間、後ろから声をかけられる。存在を確かめられていた首の痛みが急に存在感を失い、私は首の位置を元に戻し振り返った。

「おはよう。あれ、愛ちゃん髪切ったの?」

私は少し後ろに下がり、愛ちゃんの横に並ぶ。彼女からほんの少し美容院の香りがして、作られたような毛先のカールが途端に目について仕方がなくなった。

「うーん、切っちゃった。もう長くて鬱陶しかったのよね、毛先も痛んでたし」

愛ちゃんははにかむように首を斜に傾け、毛先を右手の指先で持ち上げた。誉めたてられるために巻かれたような、少し傲慢な感じのする毛先は全く形を変えない。

「そうなんだあ。どっちも似合うけど、私短い方が好きかも」

私は愛ちゃんの右手薬指をちらりと見てから愛ちゃんに向かってにこりとしてみせた。薬指の指輪がなくなっている。

「本当?私もいざ切ってみたらさ、短い方が気に入ってるんだよね」

「うん、なんていうかね、今の愛ちゃんは清潔感と美しさが同居してるカンジ」

ナニソレ、と愛ちゃんに肩を突かれながら愛ちゃんと少し前にお手洗いで交わした会話を思い出していた。

今付き合っている人が長い髪が好きだから、この前私の誕生日に彼が指輪をくれた。そういう話をしながら愛ちゃんは口紅を直していた。丁寧に整えられて縦じわひとつ目立たないような唇が言い切るといつも少し照れくさそうに歪んでいた。

ねえ、本当に短い髪の方が気に入ってるの?指輪がない指で短い髪を持ち上げたら、少し感触が軽すぎたりしないの?

そんな言葉を全部飲み込み、私は笑いながら愛ちゃんの毛先につんつんと触れた。やっぱり私も、長いほうがいいような気がしたが

「すごいかわいい」

と言葉をかけることでその気持ちの入った容器にきゅっと蓋を閉めた。

「ありがと」

愛ちゃんは少し寂しそうに微笑んだ。


「おはようございます」

「ああ、おはよう」

私は鞄を静かに机の上に置いて隣にいた広瀬先輩に声をかけた。

「笠田さん髪切ったんだね」

「そうみたいですね。短いのも似合ってますよね」

私は少し遠くにいた愛ちゃんの方に顔を向ける。少し遠く離れると、さっき少し違和感を感じた愛ちゃんの毛先もむしろ美しいくらいだった。

「うーん」

広瀬先輩は愛ちゃんの方に顔を向けて、表情を変えないまま手元の資料をとんとんと整える。

「私長い方が好きだけど。なんで切っちゃったのかな、かわいかったのに」

広瀬先輩は手元に視線を落とし、また資料を整え直した。

私は鞄からクリアファイルとボトルガムを取り出しながら顔を先輩の方に向けて、にへらあ、と笑ってみたり難しい顔をしてみたりひとしきり色々な表情をした後でどんな顔をしたらいいのかわからず口元を歪めた。

「野口はどう思ってるわけ、親友のイメチェンにさあ」

私の百面相を至極不審そうに見ながら広瀬先輩は尋ねる。私は自然に口元が、もっと歪みそうな気がして意識的に唇をぎゅっと持ち上げた。

「私は」

失恋したんじゃないかと思ってるんです、イマドキそういうイメチェンて珍しいとは思いますけど愛ちゃんは多分失恋ですね、私も本音を言うと長い方が好きです。そういうものを全部ぐっと喉の奥に押し込んでから、

「短い方が好きですかねえ。なんかさっぱり清潔感あって」

と、親友のイメチェンに関する感想を述べた。

広瀬先輩はあまり興味もなさそうに、ふーんと唇を少しとがらせた。

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