第3話

広瀬先輩は、いつだって正直だった。自分の気持ちを間違えることがないような人だった。

社内の飲み会の時、太ももや二の腕を触られてもへにゃへにゃと笑うことしかできなかった私を見つけ、助けてくれたのも広瀬先輩だった。

「お酒にかこつけて若い子触って楽しいですか?プライベートで触れないからって会社で後腐れ作るのやめたらどうです」

と言った広瀬先輩の大きな声は、飲み会のざわついた中でも一際通って、場をしんとさせた。顔を真っ赤にしてうつむく当該の上司、あーあやっちゃった、という顔で口元をにやつかせる同僚、どちらかというと弾劾した広瀬先輩の方に厳しい目を向ける部長。そんなふうに色々な感情が渦巻く空気に私は耐えられなかったのか、もしくはお酒が回ったのか、目線の先の地面がぐるぐると回って吐き気がした。ぐるぐる、ぐらぐらと揺らぐ自分をつなぎとめるようにジョッキの持ち手を握りしめる。そんな情けない自分を恥じる反面、まったく自分とは対照的な広瀬先輩のことを心の底からかっこいい、好きだ、と思った。

けれど、

(私には生まれ変わってもそんなふうには生きられないな)

と思う。そんなふうにまっすぐ生きられたらいいのに。言いたいことを言えたらいいのに。愛ちゃんの髪型も、長いほうが可愛いよって正直に言えたらよかったのに。

だから私はいつだって誰かの一番にはなれないのだ。いつだって二番目、三番目、四番目...


「嘘ついてんじゃないよ」

突然、そんな声が聞こえてきてびくっとする。声の方に顔を向けると同僚同士が小突き合いながら就業前の準備をしていた。会社にいたことをはっと思い出し、寝違えた首をゆっくり伸ばした。

「野口、今朝の会議のレジュメ、私の分も出しといてくれない?」

まだ半分ぼんやりした私に広瀬先輩が立ち上がりながら声をかける。

「承知しました。じゃあ会議室に持っていきますね」

「ごめんね、よろしく」

広瀬先輩のスッと伸びた後ろ姿を横目に、頬をぺちぺちと叩いてから会議資料を揃え始めた。

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