恋踏み2

 朝、教室に入った僕にまず向けられたのは「おはよう」の挨拶ではなく、クラスのみんなからの刺さるような目線と一瞬の沈黙だった。それに驚き、たじろいだ僕は「お、おは、よう」なんてどもりまくりの不細工な挨拶しかできなかった。でも、それをきっかけにみんなはどこか必死に「おはよう瀬良!」「おはようー!」なんて明るく元気に返す。ちょっとやりすぎなくらい。不自然なほど大きな声と笑顔の同級生たちの机の間を縫って、僕は自分の席に鞄を下ろした。すると珍しく早く来ていたらしい有馬が僕のところまで駆け寄ってきて、すこし眉を下げて口を開く。


「瀬良、みんなにもう、広まってる」

「……あー、うん、そうみたいだね」


 僕が手紙をもらった、という話はどうやらもうクラス中に広がっているみたいだった。


 僕が来たことによってなんとなくよそよそしくなったクラスの雰囲気。いつもの賑やかさの中で何人かがこちらの様子を伺っているような。どこかで僕の名前が出てきているような。そんな気配がする。自意識過剰かもしれない。かもしれないけど、落ち着かない。


「ちょっと、トイレ」


 僕の机の前にいた有馬と僕の様子を気にしながらもそこにいた他数人にそう言って席を立つ。


「あ、俺も」


 その後有馬が続いてきたのは予想外だったけど、有馬だったからそんなに嫌ではなかった。居心地が悪くなった教室を出て、僕たちは少し黙って歩いた。足を進めるほど遠くなる同級生の声に、詰まっていた呼吸も少しずつ正しいリズムに戻っていく。僕も有馬もトイレを素通りして、なんとなく階段を上っていた。どこに行くでもなく、ゆっくりと一段一段を踏みしめて上っていく。人気のない階段にはどこよりも濃い朝の空気があった。高い位置にある窓の奥の薄い空、そこから漏れる光は空中の埃とか何かをキラキラと照らして。


「ごめんな、瀬良」


 僕が光る埃や何やらを数えていると急に有馬が口を開いた。


「俺が教室で渡したからだよな、あんなに広まっちゃってさ」


 手紙のことだってすぐにわかった。有馬は僕と目を合わさず、足元を見て一段、階段を上る。


「別に……有馬のせいじゃない。有馬のせいだったとしたら噂が広がるのはもらったその日か次の日だよ」


 本当は少し有馬のせいもあると思ったけど。いつもと違ってしょぼくれる有馬をみたらそんな少しはどうでもよくなってきた。僕の言葉に有馬はふっと口元を緩める。


「……瀬良くんは、やさしーなあ!」

「ちょっ、おい!」


 急に背中に重みが乗っかる。どうやら有馬が背中にのしかかってきたらしい。ハハハ、と明るい笑い声が狭くて高い階段の壁に反響して、さっきまで感じていた朝の静かな空気をぶち壊す。その感じは何か、悪くなかった。「重い」と抗議しながらも僕は有馬をおぶるように支えて階段を上る。階段に響く笑い声は気付けば2つになっていた。


「なあ、……聞いてもいい?」

「何?」

「あの、結局どうした?あの返事は」


 少し緊張ぎみの有馬の声。それがなんだか可笑しくって、僕は思わず吹き出して笑ってしまう。


「断ったよ。丁重にね」


 有馬は僕の答えに少し間を置いて、ただ静かに「そっか」と一言だけを声にした。意外だった。「もったいねー」とか「真面目かよ」とか冗談めかして騒ぐって思ってたから。そうしてくれるって思ってたから。驚いた僕が首を回して振り返れば、背中にいた有馬はすごく真剣な顔をしていて。しかし、僕と目が合うとパッと一瞬にしていつもの明るい表情で有馬は笑った。


「よかった〜、『女子なんて興味ないぜ』ってクールぶってる瀬良なんかに先越されちゃ悔しいもんな」

「そんなこと言ったことないけど」

「そういうところ!そういうスカしたところから滲み出てんの!」


 また僕と有馬は明るく笑い合う。僕は安心した。真剣な有馬は、有馬じゃないみたいだったから。


「……けどさ、なんで断ったんだよ」

「え?」


 また有馬の声が真面目になったように聞こえる。僕はどきりとしてそっと有馬の方を見た。有馬は僕が振り返るより先にいつものように明るく笑っていてくれた。


「……いやさ!あの子悪くなかっただろ!見た目もそこそこよかったし、性格も……奥ゆかしくて?いいんじゃん?ほら、いまどきラブレターって!」

「……うん」

「だからさ、うーん、だからってわけじゃないんだけど……なんか理由があるのかなってさ……いや、なんとなく、そう思って」


 ゆっくり上ってきた階段も、もう少しで終わりそうだった。もう一度踊り場を曲がったら、封鎖された屋上の扉が見えて行き止まりになることを僕達は知っている。


 僕は考えた。あの子の告白をどうして断ったのか。「付き合う」ってことがよくわからなかったから?……それもある。ラブレターに書かれていた内容と現実とのズレ?……それもある。でも、どれもなんだかしっくりこない。全然違う気がした。それじゃあ、どうして僕は、


「……クズ」


 「えっ」と有馬の驚く声が階段にこだまする。


 最後の踊り場、僕達はそこまで来ていた。続きの階段を上ろうとして僕達が見たのは、あと10数段ある階段の頂点、封鎖された屋上の扉の前に膝を抱えて座る葛貫だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る