Chapter:4-1 救出作戦 

「あまり人目につきたくないからな。旧市街を歩いて行くぞ」

 

 相変わらず明かりのない旧市街、純一と守人は闇に紛れるように歩いていた。純一の頬にひやりと冷たい夜風が、幾度となく当たる。時刻は既に午後十時を過ぎている。そんな夜中に高校生が歩いている姿を警邏けいら中の警察官に見つかりでもしたら目も当てられない。


「それにしても不可解だな」


 敵地である廃港に向かう道中、守人は言った。


「なにが?」


「朝霞をさらった理由だ。人質にするならもっと他にも〝適任〟なのがいるだろう」


 それを聞いて純一は、はっとする。自分に対する人質として緋依以上にもっとふさわしい人物がいるではないか。


「……俺の家族、か」


 吐き捨てるように純一は言う。


 思い出してみれば、母は朝方に外出していたし、弟には部活がある。どちらも誘拐することは可能であったはずだ。それなのに、わざわざ学校のクラスメイトを選んだ基準がいまいちよくわからない。純一と親しい関係がある人物という基準であれば、克人や透音だって人質の対象となりえよう。


 だが結果として、緋依のことを〝想う〟純一にとってはこの上ない選択でもあった。

 

 もしかしたら、天使はそのことを知っていたのか? 

  ……そんなわけがない。誰にも打ち明けたこともないし、そういう素ぶりは表に出してはいないはず。だいたい、それこそ自分の傍で見ていない限り、思いもしないだろう。


「どちらにしろ、見捨てるわけにもいかない。旧市街の廃港というのはどんなところなんだ?」


 天立市の地理に関しては当然、純一は熟知している。


「その名の通り、今はもう使われていない港だ。二十年前に『海月かいげつ』の建造が開始され、その資材を運ぶためにできた港で、海月の外郭が完成してその役目を終えたんだ。急造の港だから防犯設備もなく、金網で封鎖されていて、簡単に人が立ち入ることはできない。だけど、廃棄された鉄製のコンテナの墓場みたいなところだから、身を隠すならもってこいの場所とも言える」


「そいつは厄介だな。どこに潜んでいるか分からないとなると、朝霞を救出するにも一筋縄ではいかないか」

 

 固い面もちのまま、守人は開いたWIDの天立市のマップに目を落とす。対して、純一は緋依を攫った天使が映した映像を思い浮かべた。あれほどコンテナが積み上げられている港内を一つひとつ探していくのは骨の折れる作業だろう。


「とにかく、奴の根城に入り込む前に何かしら作戦を決めておかないと大変なことになる」


「ちょっと待て。なんで朝霞を攫った犯人が一人みたいな言い方をするんだ? 俺にコールしてきた天使も自分のことを『我々』って言ってたし。それともこの前、お前が《電子擬態デジタル・ミミック》を使って倒した相手から聞き出したのか?」


 疑問に感じた純一は前を歩く守人に詰め寄った。


「言わなかったか? この町に潜む天使は多くても四人だ」


 詰め寄る純一に、守人はマップから目を離さずに言い切った。


「そんなこと言ってたか? それで、どうして四人なんだ?」


「俺は聖紋の力が引き起こす奇跡、『天穴てんけつ』という穴を通って天上界からこの世界にきた。そして、天穴に入れるのは一度に〝四人〟までだ」


 今更になって守人は重大なことを純一に言う。


「でも我々って……」


「わざわざ敵に向かって自分が単独であることを明かすわけがないだろう。情報の攪乱だ。多数であることをお前に錯覚させたのさ」

 

 それを聞いた純一は面食らう。《電子擬態》に誘いだされた天使を倒したときから、刺客たちの組織はほぼ壊滅していたのだ。それでも純一は今の今まで警戒心を最大限に尖らせた生活を送っていたのである。純一は少しだけ眉根を寄せる。


「そういうことはもっと早く言って欲しかったな。常に不特定多数に狙われていると思ってたから生きた心地がしなかったぞ」


「それは悪かった。だが、残りが一人になったと思って下手に楽観的になられても困るからな」


 素直に謝る守人の言うことも一理あると思い、純一はそれ以上の追及をしなかったた。代わりに別の疑問が頭をよぎる。


「その天穴ってやつに通れるのは四人までというのは分かった。でもだったら、その天穴を何度も開けばいいんじゃないか?」


「〝奇跡〟ってのは、そうそう起きるもんじゃないからそう呼ばれている。何度も起こるようだったら、とっくの昔に人間たちも天使の存在に気が付いてるはずさ。それに一度天穴を開いて再び聖紋が奇跡を起こせるほどの力を蓄えるまでどれくらいの時間がかかるのかまだ分かっていない」


 純一は身が締まる思いだった。もしこの戦いに勝利して緋依を救出できれば、暫くは安心して生活できるかもしれない。

 淡い期待を純一は胸に抱く中、目的地は目前に迫っていた。


     ✝


「ここか」


 錆びついた金網とその上に有刺鉄線が張り巡らされた、厳めしいフェンスを守人は見上げる。

 フェンスは純一と守人の身長を優に越しており、高さはおよそ三メートルといったところか。よじ登って侵入するにはすこし厳しい。


 純一たちの背後にある街灯がフェンスを照らしていたが、そこから先は文字通り、漆黒が広がっていた。電気が断たれ、明かりが一切ないその闇は静寂に包まれていた。純一はその不気味な光景に身震いした。


「入口のゲートに行くにはもう少し歩かないといけない。それともこのままフェンスをよじ登って中に入るか?」


「入口から侵入するのはやめたほうがいい。もしかしたら見張られているかもしれない。だが、ここでフェンスをよじ登るのも変に目立つ。明かりのない場所から静かに侵入するのが得策だろう」


 冷静に守人は言うと、西に向かって歩き始めた。

 埠頭の金網と海岸線に沿って建設されたコンクリート製の防潮堤の境目までやってきたところで、純一は暗闇の中から聞こえる波音に耳を澄ましていた。時折、沖合から吹きつける潮風が心をざわつかせる。


 真っ黒な海の上に、月がそこにあるのではないかと錯覚させるほど煌々と光を放つ建造物が浮いていた。それは巨大人工浮遊島メガフロート海月かいげつ』。今なら純一にも『海月』と名前を付けた理由が納得できた。


 天立市の旧市街にあるこの廃港は海岸を埋め立てて、陸から突き出た埠頭になっている。守人たちはその埠頭の西端にやって来た。


「フェンスのあの部分、完全に錆びついて穴が空いている。あそこからなら気付かれずに侵入できそうだ」


 そう言って守人は、フェンスの一点を指さす。

 埠頭を取り囲むように設置されたフェンスであるが、海沿いに立てられたものは海水に含まれた塩分で完全に腐食してしまっている。守人が見つけた穴も、長年晒された潮風で一部が崩壊してできたものであった。


 肝心の守人であるが、防潮堤の上から身を乗り出すと、WIDの明かりをフラッシュライト代わりにして堤の下を覗き込んでいた。真っ暗な闇を照らすWIDの光の先には、フジツボがこびり付いてもはや原型を留めていない消波ブロックたちが群がっていた。その醜悪ともいえるような団塊を見て純一は思わず嫌忌する。


「この下に降りてからあそこを通る。足元に気をつけろよ」


 そう言って守人は防潮堤を越えると明かりに照らされる消波ブロックに降り立った。


「おいっ、待てよ」


 純一も慌てて守人についていこうと、歪な形をしたブロックに着地した時だった。ずる、と自分の足元が滑る感覚が純一の中を駆け抜けた。


「あ――」


 そのまま闇の中に体が吸い込まれていく。このまま、夜の海に放り込まれでもしたらただでは済まない。だがそう思っても、もうどうしようもない。消波ブロックに打ち付ける波の音が頭の中で鳴り響く。


 間一髪、純一の右腕が強く引っ張られる。


「……しっかりしろ、こんな情けない理由で怪我でもされたら困る」


 純一の腕を掴んでいたのは、守人であった。暗闇でよく見えないが、その声音からして呆れているようである。


「悪い、助かった」


 守人に引き上げてもらった純一は、這いつくばるように両手でしっかりとブロックを掴む。心臓はまだ早鐘を打っていた。何と情けないことであろうか。緋依を助けに行くと決意した手前、その道半ばで斃れるわけにはいかない。


 純一がひやりとしたのはその時だけで、その後は順調にフェンスの空いた穴にたどり着くことできた。


 そして純一と守人は旧市街の廃港に侵入に成功する。


 廃港と言ってもその面積は、純一が最初に天使に襲われた公園よりも遥かに広大だ。守人と純一は手始めに港の地形を知るため、建物を探すことにした。

 敵に見つからないように、守人は明かりをつけるのは最小限にとどめながら前へと進む。厚い雲間から時折差し込む月明かりと、海上で過剰に輝く『海月』の光が頼りであった。

 息を潜ませながら、純一は自らの神経が研ぎ澄まされていくように感じた。こんな感覚を経験した高校生がこの日本にどれだけいるのだろうかなど考えもする。


 侵入したフェンスからふたりは東に向けて歩み始めて数分、二人の目の前に大きな倉庫上の建物が現れた。

 純一の体が緊張感に包まれる。息が詰まるような時の中、守人はゆっくりと錆びまみれの倉庫の壁面に描かれた番号を確認する。


《1》


 純一が指定された倉庫は「6」番である。単純に考えれば、このまま倉庫が連なって並んでいる可能性は高いと思われる。


「中に入って倉庫の様子を確認する」


 そう言って守人は、倉庫へと入る扉へと向かっていった。純一もそれに続く。

 純一の身長の二倍を超える大きな両開きの扉に鍵はかかっておらず、僅かに空いていた。倉庫の中にはコンテナもなければ、もぬけの殻。床面は厚い埃によって覆われていた。特に何も保管する物がなければ当然だろう。

 空の倉庫の中をきょろきょろと落ち着きのない様子で見回す純一に対して守人は静観していた。


「あったぞ、この港の案内図だ」


 背後から声をかけられた純一が振り向くと、守人は倉庫の内壁をWIDの光を使って照らしていた。


『天立市臨時貨物港・案内図』と書かれたパネルに純一は目を通す。


 現在、純一と守人がいるのは「1」番倉庫である。倉庫は東に向かって「2」、「3」、「4」、「5」と続いてそこで終わっている。


「あれ、6番は?」


 あるはずの倉庫の番号がないことに、純一は面食らう。いくら見ても倉庫は1から5番までしかない。もしかしたら天使の言っていた廃港は別のものではないかと疑心暗鬼になりかけたときだった。


「ここだ」


 純一のとなりにいた守人はパネルの一点に指を向ける。


 1から5番倉庫が埠頭の根元・陸側にあるのに対して6番倉庫は埠頭の半分をこえた海側にポツリと建てられていた。そこは船から積み下ろされたコンテナを一時的に置くコンテナヤードのど真ん中に位置している。

 それを見た純一は天使からのビデオチャット内の映像で大量のコンテナが映っていたことを思い出す。


(間違いない、ここに朝霞がいる)


 純一は確信した。


「場所と、倉庫内の造りはだいたい分かった。あとはどう朝霞を救出するかだな。映像の中で朝霞はどう映っていたんだ?」


「今はどうなっているかは分からないけど、特に縛られている様子はなかったな。周りの様子については明かりがなくてよく見えなかった。けど、この倉庫みたいに中身は空っぽだった気がする」


「情報が少ないな。こうなるとこの前みたいに《電子擬態デジタル・ミミック》を使って、天使を倉庫から誘い出すしかないか」


 守人は、左手にある装置を持ち上げながら言った。どうやら、装置に対しての抵抗感はもうなくなったようだった。

 しかし、それを聞いた純一は申し訳なさそうに守人へ切り出す。


「すまない……今回は《電子擬態》に頼ることができなさそうだ」


「どういうことだ?」


「《電子擬態》は特殊な磁力を身に纏い、あらかじめ取り込んである姿を映しだす技術。それにはまず、人の目によく見えるくらいの明るい光に当たらなければ意味がない。薄暗いと中にいる装着者の姿が透けて見えてしまうんだ。ここは光が少なすぎる。港に電気が通っていれば、倉庫の照明をつけて発動することもできるんだが……」


 そう言って純一は倉庫の扉から顔を出す。恨めし気に空を見上げると、月はすでに分厚い雲に覆われており、この後顔を出すことは期待できそうにない。


「そうか……なら仕方ない」


 歯がゆさを滲ませながら、守人は言う。お手上げとまではいかないが、最善の方法がない以上、リスクのある方法をとらざるをえないと守人は対応に苦慮する。


「ここで悩んでいたってしょうがない。遠目でもいいから倉庫の造りだけでも見てから対応を考えても遅くはないだろう」


 これ以上、地図を眺めて考えていても情報は集まらない。そう判断した守人は実際に緋依が捕らわれている倉庫に向かうことにした。純一も黙ってそれに同意する。


 倉庫を出て南下し始めた二人の前に、放置されて錆びついたコンテナの山が姿を現す。中身はもちろん空だ。そんなコンテナの間を縫うようにして進んでいるうちに映像で見た光景とシンクロするようで純一の表情が強張る。

 

 積み上げられたコンテナの山はまるで巨大な迷路を形成するようであった。コンテナが崩れて進めない場所や、代わり映えのない景色に純一たちの方向感覚が何度も惑わせられる。

 それでも、うっかり本命の倉庫の前に姿を出さないように慎重に錆びた鉄の迷路を突き進む。WIDで何度も方角を確認し、やっとのことで迷路を通り抜けることができた。


 海に張り出た埠頭の先端に近いせいか、より強い磯のにおいが辺りを漂う。岸壁にはもうフェンスは設置されていない。もしこのまま夜の海にでも落ちたりしたら、這い上がることは絶対にできないだろう。


「あれだ」


 聞き取るのがやっとというくらいの囁き声で守人は言う。言われた通りの方向に純一は静かに目を向けた。


 コンテナターミナルの真ん中に位置する6番倉庫は他の五つの倉庫と比べると少しだけ規模が小さかった。南北に細長く、どちらにも両開きの扉があるという点では他の倉庫と同じである。しかし天井はそれほど高くはなく、東西にある壁面にはコンテナがぴったりと横づけするように積みあげられていた。

 

 純一たちは南側から倉庫を見ていたが、その南側の扉の隙間から微かな光が漏れていることに気がつく。誰かがあの中にいることは一目瞭然であった。


「どうする? 誰かがあの中にいるのは間違いないぞ」


 はやる気持ちを抑えながら、純一は守人に尋ねる


「人質がいる以上、こちらから無鉄砲に飛び込んでいくのもまずい。どうしたものか……」


 有効な一手が出せずに守人は思い悩む。

 だがその時、守人は倉庫の真上に一筋の光が空に向かって伸びていくのが見えたような気がした。それを見た守人は一つの結論を導き出す。


「山県、お前の覚悟を見せてもらう」


「え?」


 驚いた純一は真意を知るため、守人へ顔を向ける。闇の中に溶け込んだ守人の表情はよく見えない。だが、僅かな光の中でもその鋭い眼光の中には、強い意思が宿っていた。


(いつだって、こいつは本気だ。それにこんな時に場を和ませることを言う奴でもないか)


 純一は守人の言ったことを疑わずに受け入れる。そして大きく深呼吸をした。


「いいぞ。で、どんな作戦なんだ?」


 純一の瞳の中にも、守人に負けず劣らずの強い意思がそこにはあった。

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