Chapter:3-2

 明かりの乏しい旧市街の街中。

 

 一人の男が足早に道を往く。黒いフード付きのパーカーを着て、ジーンズをはいたカジュアルな姿。フードを被った頭からは明るい茶髪が見え隠れしている。

 彼はこの町の住人ではない。いや人間でもなかった。

 天使、クラウディオ・ノイマンは気配を殺しながら街を歩く。

 昨日、聖紋をその身に宿した重要目標、〝山県純一〟をいつも通りに監視しに行ったロマリオとグリッドの両名が未だに帰還していない。それは今までにない由々しき事態である。

 

 そのためクラウディオは一日中、天立市内を歩きまわって、行方不明の二人の足跡を追っていた。もちろん〝対象〟の住む家を中心として徹底的に捜索。このことはリーダーも把握済みである。

 しかし、リーダーは訳あって、日中はその活動が制限されている。だからこうしてクラウディオ自身が骨を折ることになっている。


 だが、その苦労をクラウディオはいとわない。なぜなら、消息不明となっているロマリオとグリッドと共に一年もこの地上界を過ごしてきた。いわば、かけがいのない仲間である。仲間の異変を何とも思わないような奴は、はじめからここにはいない。


 新市街をほぼ探し終えたクラウディオは現在、明かりのと人気ひとけの少ない旧市街の北部をうろついていた。ここら一帯は空き地と廃屋が立ち並び、市内に住む人間は滅多に寄り付かない。

 

 思えば、この世界にやってきてそれなりに時間が経った。物寂しい景色のなか、クラウディオはしみじみ思う。人間の社会に慣れるには時間がかかったが、今では周囲に疑われることなく振る舞うこともできる。それにこの町もそれなりに長く暮らしてきた。特に旧市街には人間たちが施した監視の目も緩いうえ、自分たちが潜伏できるような拠点の候補がいくつもある。


 ――それにしても、人間は恐ろしい奴らだ。


 天上界では魂の力を用いて薪に火を着けて生活しているのに、人間は機械で瞬時に火を起こす。初めてみたときの衝撃は今でも覚えている。そして驚くべきことに自分はこの世界に来てから、燃え盛る〝自然な炎〟を未だに見ていない。自身の魂の力を対価として様々な恩恵を受ける天使に対して、人間はその対価を自分以外の自然の中に求める。


 科学という概念は魔法とは別の可能性を秘めているようにも思えた。


 だが、なによりも恐ろしいのは、クラウディオ自身が人間の科学的な生活に適応し始めているのだ。

  魔法の使用により自身の霊素を消費することで、負荷のかかった魂はより強い輝きを持つ。だが、魔法を必要としないこの世界に居続ければいずれ魂は錆びつき、輝きを失う。そしていつか、天使としての存在が保てなくなるといわれている。


――天使としての自身の存在を守るためにも、地上界には長居できない。


 しばらく旧市街を歩きまわったところで、仲間につながるような有力な手掛かりは残念ながら見つからなかった。そのため、クラウディオは自信とって辛い決断を下さなければならなかった。それは二人の仲間は裏切り者の凶刃に倒れたという結論。

 天上界から逃げ出した裏切り者が、こちらの世界に下ったという話には大いに驚かされた。そしてその裏切り者の名前を知った時は驚きを越えて、その場にいた者全員を震撼させた。


 そのため、聖紋の保持者を全員特定してから対応するという当初の計画も大幅にはやめることとなる。この前の早瀬俊樹はやせとしきに仕掛けた作戦は上手くいき、第八紋である『栄光ホド』は無事取り戻せた。その矢先の出来事である。


(……隠れ家に戻ったら、まず、二人のために祈りを捧げよう)


 そう思い、拠点へと帰還するために踵を返そうとしたときだった。

 春草の生い茂る空き地の中にゆらりと、人影が浮かび上がる。気がついたクラウディオは身を強張らせた。人通りのほとんどないこの土地を歩きまわるのは大抵、人間のなかでもろくでもない奴に決まっている。面倒ごとになるのは御免だ。


 警戒しつつも、クラウディオは人影に注意を向ける。

 たまたま月が雲にかかっているため、暗くてよく見えないが中学、もしくは高校生だろう。濃いネイビーのブレザーに群青色のネクタイを身に着け、しきりに公園の茂みの中を気にしているようである。おそらく、何かを探しているのだろうとクラウディオは思った。


 だが同時に、年端のいかない中高生がこの夜更けに外を出歩くものだろうかとクラウディオは疑問に思う。そのときだった、雲間から漏れた一筋の月明かりがその顔にふと差し込まれた。


(な、なぜ……?)


 その顔を見たクラウディオは驚きに我が目を疑う。なぜなら視線の先には聖紋をその身に宿し、それ故に天上界から回収、場合によっては殺害すら致し方ないとされた対象、〝山県純一〟がいたのだから。この世界に来てからその顔を何度も見て、行動も監視してきたから間違いない。山県純一、本人である。


(なぜ奴が今ここに?いくらなんでも都合が良すぎる)


 目の前の山県純一は相変わらず、空き地の中をうろついている。気のせいか、その目はどこか遠くを見ていて、焦点のあっていないように見えた。何を探しているのかは分からないが、もしかしたら、仲間が行方不明になったのもあいつの仕業なのだろうか。


 しばらく監視していたが、対象の無防備な様子を見せつけられ、クラウディオは無性に腹が立つ。


 罠である可能性は十分に高い。だが、空き地ゆえに例のが潜んでいそうな場所はほとんどない。気が付けばクラウディオの拳は固く握りしめられ、身は怒りに震えていた。罠への疑念に耐えていたが、それもう限界だった。


(ただの人間だ、俺らに敵うはずがない虫けら同然の存在。今すぐ、終わらせてやる)


 クラウディオは己の右手をそっと、山県純一がいる方向へと向けた。


 カテゴリー:エレメント、下位魔法ロワークラス〈炎のつぶて

 

 向けた右手の先から、大きさもまちまちの砂礫されきのような炎がいくつも飛び出した。炎の塊は一直線に純一へと飛んでいく。

 

 この世界に来るにあたって、リーダーから一番最初に言われたことがある。それは人間を殺す時は必ず、〝人間が用いる方法〟で殺さなければならない。

 なぜならこの地上界に天使の痕跡をむやみに残してはならないからだ。実際それはこの世界に来てから分かった。この世界は想像以上に命を落とすような〝危険〟がない。


 天使の使う魔法は人間たちの目を大きく引くことになるだろう。早瀬のときの作戦ですら、あんなに世間を賑わしているのだ。

 

 だが、今はそんなことはどうでもいい。あの目の前にいる憎い人間が炎に焼き殺される姿が見たい。そして、その苦痛に悶える断末魔をもって、死んだ仲間の魂の慰めとしよう。

 これから起こる出来事を想像して、唇をいびつに曲げる邪悪な天使の顔が闇の中にひとつ、浮かび上がる。

 

 だが、炎の礫が山県純一に着弾する一秒前、突如クラウディオの魔法は何かによって阻まれた。薄い黄緑色の光を放つそれは独特の魔方陣を描き、クラウディオの攻撃を完全に防ぐ。


(〈遮断領壁アイソレート・フィールド〉だと⁉)


 それは天使の中で唯一の防御魔法。それが降りかかる魔法から完全に山県の身を守ったのだ。すぐさまクラウディオは周辺を警戒する。〈遮断領壁〉は発動者から離れても五メートルまでしか展開できない。考えられるとすれば、あの裏切り者が近くに潜んでいる。だが、辺りを見回しても空き地の中に人が隠れていそうな場所は何もない。


「……まさか本当に現れるとはな」


 何度も観察していた山県純一ではない、聞き覚えのない声がクラウディオに向けて投げかけられた。一体どういうことだと、必死になって周囲を見回すクラウディオの前には、いるはずの山県純一はいつの間にか消えていた。


 代わりに、天上界の裏切りの天使モリト・ヴィナ=ノークスがそこにはいた。


 制服という格好はそのままに、突然の変貌ぶりにクラウディオは驚きおののいた。確かに自分の目の前には人間の山県純一がいたはずだった。見間違えるはずがない。なのにそれが突如としてに変化した。


 天使の魔法には様々な種類があるが、他人に化ける魔法は限られている。しかし、それ以前に天使の操る魔法には大前提があった。


 それは天使には魔法の発動を〝感知〟できるのだ。仮に守人が魔法を使って山県純一に化けていたとしても、それが魔法であると見破れる。だが今目の前に起きた現象にクラウディオはそんな感覚を一切感じられなかった。


「それにしても、お前たちは魔法を人間に使うこともいとわないのか」


守人は別段驚いた様子もなく、強い非難の色を浮かばせながら静かに言う。


 そんな守人を目の前にしてクラウディオは慌てふためいた。

 リーダーはともかく、工作員として送り込まれた自分が一対一で奴と戦うのはあまりにも分が悪すぎる。そう思ったクラウディオはその場からの撤退を決意。

 

 カテゴリー:エレメント、下位魔法ロワークラス〈炎の礫〉、〈旋風の刃〉

 カテゴリー:スピリット、中位魔法ミドルクラス〈超速の歩〉

 

 四大元素エレメント系の魔法を守人に、そして自身には霊体強化スピリット系の高速移動魔法をかけ、クラウディオは守人とは反対方向へ大きく踏み出した。霊体強化独特の重くのしかかるような負担が肉体にかかるも、クラウディオは気にかけることはなかった。

 

 この場から逃げ切れば、こちらの勝ちである。人間の目がある以上、そこからはただの追跡劇にならざるをえない。そして、この町の地理においては自分の方が長けている自信がある。


 通常の倍以上の足の速さで移動するクラウディオは必死にそう考えた。だが、高速移動の狭まる視界のなか、まばゆい光が自分を横切るのが見えた。そして自分を追い抜いた光は、目の前で立ちふさがるように停止ししたかと思えば、目の前に守人が立ちはだかっていた。

 思わずクラウディオは舌打ちをする。そのまま自分の考えつくありったけの魔法を守人に向けて放った。


 下位魔法〈旋風の刃〉、〈氷柱の槍〉、〈炎のいわお

 中位魔法〈火天の氷霰こおりあられ〉、〈旋風大氷刃〉

 

 手から色とりどりの四大元素系魔法を放ちながら、クラウディオは守人めがけて突っ込んでいく。だが立ちはだかる守人は動じることはなかった。

 ふう、と一息ついてから自分に向けて降り注がんとする光へ向けてゆっくりと左手を上げた。


 カテゴリー:エクストラ、上位魔法アッパークラス〈遮断領壁〉


 守人の前に再び巨大な魔法陣が広がると、クラウディオが放った魔法の全てがぶつかった。

 閃光と共に空き地に現代では聞きなれないような爆発音が広がる。地面から巻き上がった土煙と魔法によって生みだされた水蒸気が守人とクラウディオの周囲を包み込む。

 

 望ましい結果は守人にダメージを与えることだが、せいぜい視界を悪くするのが精いっぱいだろう。そう思ったクラウディオは立ち込める煙の中を突き進んだ。

 にもかかわらず、悪くなったはずの視界は突如として晴れる。守人の背後に抜けたかと一瞬期待したクラウディオの表情は凍てついた。

 

 目の前の、クラウディオの一歩先には守人が純白の剣を右手に構えながら待ち受けていた。そしてその瞳には揺るぎのない冷酷な殺意に満たされていた。それは、クラウディオが抱く儚い希望の介在をゆるさない。


「くそがあああぁぁぁっ‼」


 進行方向を変えることのできないクラウディオはどうすることもできず、ただ怨嗟の声を上げることしかできない。だがせめて、最期に一矢報いようと手を前にかざす。


 カテゴリー:エレメント、上位魔法〈到天の大――


 クラウディオの決死の魔法の発動の直前、守人は身を低く屈ませるながら、前へと思い切り踏み込む。

 そして躊躇いなく振るわれた白刃は、クラウディオの胴を真一文字に断ち切った。

 

 守人とすれ違うクラウディオは大地に吸い込まれるように倒れこむと、勢いそのままに地面の上をうつぶせのまま滑っていく。彼の滑った跡には流れ出た血潮が地面を無残に赤く染めていた。


「がはっ――ち、ちくしょう……」


 無念と言わんばかりに力なく横たわるクラウディオは、致命傷を受けて虫の息だった。


(リーダー……自分の失態をどうかお許しください。ロマリオ、そしてグリッド……仇を討てなくてすまない。すぐにそっちへいくからな――)


 徐々に生気が抜けるように顔が白むクラウディオは心のなかで悲しみに呻いた。


「どうかその魂に、永久の安らぎがあらんことを」


 目の前の天使が事切れていく光景を守人は静かに見守っていた。

 そしてクラウディオ・ノイマンが完全に絶命したのを確信すると、守人は大きくため息をつく。おもむろに左手を軽く持ち上げると、WIDのほかにもう一つ、無骨なデバイスがそこに嵌められていた。

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