Chapter:3-1 電子擬態

 普段と何も変わらない通学路を、山県純一はふらふらとおぼつかない足取りで歩んでいた。

 

 昨夜の事件のこともあり、おちおち落ち寝ることもままならず、おまけに徹夜で作業をしていたため、心身共に疲れ果てていた。学校を休もうかとも考えたが、放課後にができたため休むわけにはいかない。

 

 いつもと変わらない様子の街であったが、神経を尖らせながら通学するのは気が滅入る。防犯システムで守られていると分かっていても、安心はできなかった。昨夜の襲われた恐怖がまだ体に染みついているせいか、グレーのスーツを見るたびに背筋がひやりとする。シャトルから降車し、周りの生徒たちに紛れたところで、純一の心はやっと落ち着きを取り戻した。そして、学校へと続く大通りを進んでいたときだった。


「純一くーん、おっはよー!」


 背後で自分の名前を呼ぶ声が聞こえたが、もう驚きはしない。やはりというか、声の主はあおいである。昨日と同じで、明るい声を響かせながらこちらに走り寄ってくる。


「……先輩、おはようございます」


 いつもと数段低いテンションで葵に挨拶をする。そんな純一の調子の低さに葵は違和感を覚えた。


「どうしたの? 元気なさそうだし、目の下にくまができてるよ」


 体のだるさといい、目に隈ができていてもおかしくはないだろうと思った。

 気が抜けたような純一の顔を葵は気に掛けるように覗き込んだ。整った顔にある大きな葵の瞳の中に、くたびれた純一の顔が鏡のように写し出される。

 いつもの純一なら慌てて飛び退いたかもしれないが、反応する気力がほとんどなかったため、顔を背けることしかできなかった。


「いえ……ちょっとしたトラブルに巻き込まれただけですよ」


 ちょっとしたトラブル、それは異世界からきた者たちに命を狙われていること。それを他人にいえるわけもないし、信じてもらえるはずもない。


「本当? ちょっとっていえる風には見えない様子だけど、もし私にできることがあれば何でも相――」


御園生みそのう先輩」


 葵の話を遮るかのように、いや実際は遮るために純一は葵に話しかけた。


「先輩は魔法とか、ありえもしないことを信じたりはしますか?」


 意図の読めない純一の質問に、葵は困惑した様子で首をかしげる。


「魔法って……いきなりそんなこと聞いて本当にどうしちゃったの?」


 あまりに脈絡のない話題に葵は戸惑う。しかし、目の前の後輩の思い詰めた表情は、冗談などなどではなく、真剣だということがひしひしと伝わった。ここはあまり問い詰めたりせず、素直に自分の思ったことを言うべきだと葵は感じた。


「魔法……ね。私はあんまりそういうものを本気で信じるほうではないかな。でも、その存在を思い描くことが大事じゃないかって思うの」


「どういうことですか?」


「私に言わせれば魔法っていうのは、人間の想像力の一つの指標よ。現実に存在するかしないかよりも、そんな風に想像を働かせられることの方が大事じゃないかな?例えば自由に空を飛ぶ魔法を思い描いたとする。そんな空想をいつまでも持ち続けた人類は、長い年月をかけ、ついに動力飛行を完成させたじゃない。要するに人間にとって魔法というのは前に進むための動機の一つでしかないの」

 

 それが目の前にいる後輩への葵の何一つ偽りのない魔法に対する考えだった。

 

 どこか父の言ったことに似ている。そう純一は思った。何となくだが、肩の荷が少し取り払われたような気がした。昨日、思いついたことを実行へ移す自信はあまりなかったが、葵のひと言に純一は勇気をもらったような気がした。

 

 ふふ、とそれまで暗かった純一の表情に再び笑顔が戻る。それを見ていた葵も一安心していた様子でほっと一息つく。


「じゃあ純一くんはどう思っているの?」


 葵はそっくりそのまま同じ質問を返す。純一はしばらく考え込んでいたが、やがて何かから吹っ切れたように葵に言う。


「俺も同じです。この世界に魔法なんてありませんよ」


 純一は知っている。この世界には魔法はない。だが、別の世界にはそれが存在することを。それでも、魔法が使えないことが人類にとっては悲劇ではないと信じている。


 何かから解放されたような様子の純一に葵は満足していた。そして、葵はいつも通り入部の催促を純一にしようとしたが、見慣れた建物の入口がすぐそこまで迫っていることに気が付いた。学年が違う彼らは校舎が違うため、ここからは別々に分かれなければならない。


「ありがとうございます。なんだか少し気分が晴れました。それじゃあ」


 純一は葵に礼を言うと、背を向けて一年生の校舎へと向かう。葵はその美貌に穏やかな微笑みを浮かべながら、段々と小さくなっていく純一の背中を見送った。


     ✝


 多少、気分は晴れはしたものの、徹夜の影響で集中力を欠いた純一は授業をほとんど上の空で聞いていた。ついつい教壇から離れる視線を何度か戻しているうちに、ふと右斜め前の栗毛の少女に目がとまる。


 ――洲崎透音の告白。


 今朝、教室に入って自分の席に着いたと同時に、透音は純一におはようと言ってくれた。だがそれまで、昨日の夜の事件のことばかり考えていた純一は表情に出さないようにしつつも、動揺してしまう。それでも彼女は不愉快な表情ひとつ浮かべることなく、昨日と同じように接してくれた。

 透音から送られたメッセージ通り、彼女は身をもってそのことを実践したのだった。純一は己の情けなさを味わいながら、透音の気遣いに敬意を払う。

 その後は、気後れすることなく彼女と裏表のないやり取りをするまでに関係は回復した。


 だが、純一が抱えた問題はまだ解決していない。

 それはこの教室の中でただひとり、人間とは異質な存在である「佐治守人さじもりと」に大いに関係することだ。

 授業中であるため純一の席からは振り返らないとその様子を伺うことはできない。自らを天使と名乗り、奇妙な能力を使う少年は昨日、純一を襲ってきた二人の天使を抹殺した。


 にわかには信じられないような出来事だが、純一の目の前で起きたのは紛れもない現実だった。そして守人は『聖紋』と呼ばれる天上界における至高の存在が純一の体に宿っていることを告げたのだった。

 そして肝心の守人であるが、どうやらクラスにいる人間とは一歩距離を置いているようである。純一を窮地から救ってはくれたが、学校内では目立たない地味なキャラを貫いていた。


 ふと、純一はおもむろに自分の左手を見つめる。昨日もこんなことをしてみたが、何も変わらない。いつも通りの自分の手がそこにはある。

 しばらくぼーっとしていると、突如、純一の頭の上から、ゴホンという誰かの咳払いが聞こえる。


「えー、山県君。何か左手がそんなに気になるところがあるのかね?」


 純一があわてて顔を上げると、怪訝そうな顔つきで純一を見る中年の教師がそこにいた。


「す、すいません……」


 教室内の生徒の注目を浴びることになったが、その場は笑ってごまかすことにした。その様子に中年の教師は眉をしかめ「ちゃんと集中しろ」と言い残すと、また教壇に戻っていった。それでも周りの生徒は、純一に好奇的な視線を向けていた。しかし、それとは違う視線がいくつか混じっていたことに純一は気付くことはなかった。


     ✝


「いきなり呼び出すとは、どういう用件だ?」


 放課後の学校の屋上。少し遅れて姿を現した純一に向かって先に来て待っていた守人は言う。守人は昨日の深夜、純一から受け取ったメッセージによって呼び出されていた。


「そんなに警戒するなよ。……きのう、あのあとよく考えたんだ。お前ら天使に殺されるなんて、理不尽すぎるってな。だから、俺はお前に協力することにした」


 睡眠不足からか、おもやつれ気味の純一であったが、はっきりとした声で自分の意志を告げた。

 突然の申し出に、守人は僅かばかり瞠目する。それは守人にとって、予想外の回答であり、膠着しかけた現状を打破できる可能性を秘めたものであった。しかし、一日も経たずしてその考えの変わり方は少し異様にも思えた。


「そうか、それは俺にとってもありがたい。で、お前に協力してもらいたいのは――」


「その前にまず、見てもらいたいものがあるんだ」


「?」


 意図が読めずに不審がる守人を尻目に、純一は鞄の中を探っていた。やがて、中から小さな箱をとりだすと守人にそれを手渡す。いきなりの純一に行動に仏頂面を保ったままの守人は黙って箱を受け取った。それほど大きくない箱であったが、持ってみると意外に重く感じる。


「開けてみろよ」


 純一に言われた通り、守人は箱のふたを開けてみる。すると中にはWIDと同じ、リストバンド型のデバイスが収まっていた。だがそれはWIDとは全く違う雰囲気を放つ外形であった。WIDは人間工学基づいて手首につけていても負担にならないような形状と重み、そして表面のコーティングが施されている。

 

 対してそれは無骨と言っても過言ではなかった。形状や大きさは今では超高級品のアナログ式の機械時計より少し大きい程度だ。しかし、金属製のベルト部分はあちこちに隙間があいており、その中に基盤がちらほら見える。


 だが何より目を引くのは腕時計で例えるなら、時刻を告げるインデックスの部分だった。真っ黒で、穴が開いているようにも見えるそれは謎に包まれていた。


「これは何だ?」


 初めて見る怪しげな装置に、相変わらずその仏頂面を崩さない守人は純一に問うた。


「口で説明するより、実際に見てもらった方が早い。それを腕につけてみろ、大丈夫だ。ちゃんと事前に〝動作確認〟は済ませてある」


 純一の意図は不明だが、とりあえず守人はその装置を箱から取り出して左手に通してみる。手首にひんやりとした金属特有の冷たさを感じた。


「その黒く見えるところの右側にスイッチがあるから押してみてくれないか」


 指示通り、インデックス部分の右側にあるスイッチを押す。すると、黒のインデックスの中に黄色で〈Digital Mimic〉という文字が浮かび上がった。この部分は2D表示の画面であるらしい。


 だが、スイッチを押したところで守人に感じられるような変化は何も起こらなった。何かが起こることを期待していた守人は心の中で軽く失望する。だが、その様子を純一は満足そうに見ていた。


「今、何か起こることを期待しただろ?」


「…………」


 意地の悪い純一の質問に、無駄なことをさせられたと思った守人はため息をつく。そして、左手の装置を外そうと手を掛けたときだった。


「まて、待て。とりあえずこれを見てみろよ」


 守人の行動を慌てて静止する純一の手にはどこから持ってきたのか、手鏡が握られている。それを見た守人の手がピタリと止まった。


「⁉」


 鏡の中には見慣れた自分の顔ではなく、その鏡をもっている純一の顔が映しだされていたのだった。しかも、鏡の中の純一は守人がいつもしている伊達メガネもかけてもいた。


 目を大きく開いて、驚く守人(顔は純一)を見ていた本物の純一はしたり顔になる。しかしながら、表情に乏しい守人が大きな反応をすることを期待していたため、少し残念だった。


「驚いたか? 言っておくがこの鏡はさっき理科実験室から借りてきた物で、何も仕掛けはないぞ」


 素直に守人は首肯する。


「こいつはホロアバターの一種、俺は《電子擬態デジタル・ミミック》って呼んでいる」


「ホロアバター?」


 純一の言うことに、全く理解が追いつかないメガネをかけた純一(守人)は首をかしげた。


「順を追って説明しよう。お前は3Dホログラムの構造については知っているか?」


「全然知らん」


 どうやらこの天使は人間の技術には疎いということを純一は確信する。それと同時にどこからともなく自信が湧いて来た。


「まあ、詳しく説明すると日が暮れても終わらない話だからかいつまんで言うぞ。俺たちがものを見ることができるのは、物に当たった光が反射して目に入るためだ。それは理解できるよな?で、3Dホログラムっていうのは何もない空中で光を反射させる技術のことなんだ。もちろん、遮る物のない空中では光はただ真っ直ぐ進むだけで、俺たちの目には一生届かない。だけど俺たちが生まれる前、ある特殊な磁力によってその中を通る光を僅かに遮ることに成功したんだ。それを用いた技術がこれだ」


 そう言って純一は自身のWIDを操作し、空中に学校のトップページを投映させた。3Dホログラムはホロディスプレイの根幹をなしている技術である。


「なるほど。大して考えずに利用していたが、WIDこいつにはそんな技術が使われていたんだな。このホロアバターってやつもその技術を応用しているのか?」


「それは少しちがう。ホロアバターというのは、特殊な磁力の及ぶ領域内に入った人間に対して光源を全方向から照射させないといけない大掛かりな装置が必要なんだ。だけど俺の《電子擬態デジタル・ミミック》は特殊な磁力そのものに手を加えることにした。3Dスキャナーによってあらかじめ取り込んでおいたデータをもとにして磁力発生装置に……」


「????」


 メガネをかけた純一は難しい顔つきをさせる。それを見ていた本物の純一は普段の自分を鏡で見ているような気分だった。どことなく気味が悪い。


「これ以上は流石に厳しいか。とにかく、この装置を起動すると発生した磁力が装着者の体の表面を満遍なく覆う。そして体を覆う磁力に可視光が当たるとあらかじめ設定しておいた人物の像が映るようになっているんだ。それによって、周りから見たら別人に化けることができるのさ」


「……仕組みはよくわからないが、効果については理解した。つまり、これを使えば他の誰かの姿に似せることができるんだろう」


 守人はまだ完全に理解してはいないようだったが、大体のところは合っていたので純一は頷く。


 ……実を言えば、まだこの装置の完成度は七十パーセントほどのだ。四年前に純一と父、純章すみあきが協力してつくりあげた夏休みの課題がこの装置の源流となっている。父と作ったのは体験者の被服の着せ替えができるという簡易的な機能であったが、それなりに大がかりな装置であった。

 だが、展覧会のあとに父が残した言葉に触発され、純一はこの装置を更に発展させる。


 ――それも〝三年〟の月日をかけて。


 そう、純一は中学時代のほとんどをこの装置の開発のために費やしてきたのだ。ティーンエイジの青春の半分をつぎ込み、何かに憑かれたように純一は毎日せっせと装置の設計や難しいプログラミングを行ってきた。

 もちろん、学校には毎日通わなければならない。だが、授業を受けていても純一の頭の中は電気工学や電磁光学、果ては量子工学でほとんど占められていた。それは同年代の子供たちとは全く違う世界を生きていたと言っても過言ではない。その時からか、純一はファンタジーという空想が嫌いになった。


 変わった奴だと最初の頃はクラスの生徒たちに思われていたが、部活も遊びもしない純一に周りもあまり関心を持たなくなっていた。たまに興味本位で何を作っているの? と尋ねるクラスメイトいたが、純一の説明の一パーセントも理解できない。

 

 そして中学三年の夏についにこの《電子擬態デジタル・ミミック》に完成のめどが立つ。当初の純一の予定とは少し違うものの、その効果にはおおむね満足できた。しかも開発する過程において、想定外といえる偶然の産物としていくつか別の効果を持ったデバイスも出来上がった。

 

 それらのデバイスはどれも2066年の今において、未だ類がない効果を持つものばかり。かくして、空想の世界の魔法を越えるという純一の当初の目的は達成される。純一はそれらのデバイスたちを自らの知恵の結晶だと自負している。


 ――だが、《電子擬態》が完成したところで、純一はあることに気がついた。


「……で、お前のいう協力とはこいつのことなのか」


 空を見上げ、どこか遠い所に視線を送っていた純一に守人は声を掛ける。中学時代のことを思い出すと、いつも言いようのない寂寥感せきりょうかんに息苦しさをおぼえる。


「……あ、ああ悪い、ちょっと昔のことを思い出してた」


「こいつを使って何をするつもりだ?」


 いつの間にか守人の顔はもとに戻っていることに純一は気がつく。また例の仏頂面と、感情を読み取らせない瞳がそこにはあった。

 守人は左手にある《電子擬態》を純一に見せるように掲げていた。


「そいつを使って、天使を〝誘いだす〟んだ」


「誘いだすだと?」


 純一の言うことに耳を疑う守人は思わず聞き返した。その慌てぶりは《電子擬態》を見たとき以上の反応であった。守人が想定していた協力とは、このまま長期戦になることを見越しての意思統一と情報の共有を図るものである。しかし、純一の考えは守人のそれとは真逆のものであった。


「一体どうやって――」


 そう言いかけたところで、守人は気が付いた。


「そうだ」


 はっきりと肯定する純一。


「《電子擬態》を使って〝お前が俺に〟擬態するんだ――」

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