Chapter:2-7

 気が付けば、純一は自室のベットにうつぶせに倒れ込んでいた。

 

 公園で守人と別れたあとの記憶が曖昧だった。こんな朦朧とした意識でよく無事に帰ってこれたものだと思う。

 今日は最悪の日だ。自分の知らない世界から来た得体の知らない者たちに命を狙われた挙句、その抗争にも巻き込まれた。

 

 唐突に、男に絞め落とされそうになった瞬間がフラッシュバックする。頭を振って嫌な記憶を忘却の彼方へと押しやる。

 

 2066年になっても世界にはまだ人間が知らないようなことがたくさんある。

 しかし、純一がこの目で見た、聞いた事実は自分が嫌いなファンタジーの世界そのものから飛び出してきたようなものであった。


(天使だって?それがなんで俺を襲ってくる?悪い冗談はよしてくれ)


 心の中で、今までの出来事が全部嘘であってほしいと受け入れることを拒んだ。しかし、それは虚しい祈りだ。

 

 気だるげに寝返れば、白い壁紙が張られた天井が一面、視界に広がる。天井を見上げる中で、純一は自分の左手を照明にかざしてみる。守人といたときに発せられていた光は既に消え失せ、いつもの様子に戻っている。

 だが、その〝いつも〟というのが純一には奇妙に思えた。何気なく十五年間を過ごしてきたが、ここまで自分の手をまじまじと眺めたことはなかった。やがて左手に何の異常を見いだせず、天井から視線を右に流すと、カーテンの閉められていない窓に目が止まった。

 

 窓から見える景色は昼夜を問わず目に焼き付いている。だが、その時ばかりは窓から先に暗闇が広がるだけで何も見えなくなってしまったような気がした。

 いた様子で立ち上り、カーテンを閉めると、純一は自分のデスクの上に置かれた物に気が付く。それは守人から手渡されて未開封のままだった缶コーヒーだった。


――だから山県純一、協力してくれないか――


 突然、守人の台詞が純一の頭の中で再生される。あの時はそれどころではなかったが、冷静になって考えてみれば、今この状況で頼れるのは守人しかいないのだろう。彼の本当の目的はまだ分からないが、少なくとも自分を窮地から救ってくれた。そのことについては感謝している。


 だが、協力して一緒に戦えというのであれば、話は別だ。

 できることなら、このまま自分の身の周りで何も起こらずに終わればいい。争いや殺人事件など、自分からは離れた遠い場所で起きる実感のないものであった。その渦中に自分から飛び込んでいく、自殺行為じみたことをする理由やメリットは純一に何ひとつない。


 それに、こんな〝普通の高校生〟になにができるというのだろうか。


 しかし、そんな悠長なことは言ってはいられない。守人が同胞たちと戦うのは彼の自由だ。だが、守人が戦いに破れれば、次に狙われるのは間違いなく自分である。現実逃避したって何も変わらない。


(こんな、ふざけたことがあってたまるかよ――)


 冷静に思考を巡らせているうち、天使などという得体のしれない存在に、人生を終わらせられることに対する強い憤りの念が湧きあがった。同時に、心の底から〝死にたくない〟と強く望む。

 

 自ら矢面に立つことはできないが、何か手助けすることはできないだろうか。しかし、守人に見せつけられた魔法やら剣などに普通の人間には到底太刀打ちできるものではない。特に魔法と呼ばれるあの力は、本当に空想の世界から飛び出してきたように道理を外れた滅茶苦茶なものだ。


 ……やはり自分にできることは何も無いか、と諦めかけたときだった。


『科学がいつか魔法を超える』


 あの時の父の言葉が純一の心にふと湧きあがった。


(……そうか!)


 純一の頭の中に一つの妙案が思い浮かぶ。同時にこれならいけるかもしれない、と暗闇の中に一筋の希望を見出す。

 

 思いつきを実行に移そうとしたとき、左手に軽い振動を感じる。慌てて確認すると、振動していた物の正体は今まで存在を忘れていたWIDだった。

 WIDを起動させれば、そこには守人から送られてきたIDの追加を伺うものだった。

 

 純一はベッドに腰掛けると、静かに目を閉じた。

 

 再び目を開けた純一はとうの昔に常温に戻った缶コーヒーに手を伸ばすと、蓋を開けて口へと運ぶ。人工甘味料の甘さとコーヒー本来の苦さが混じり合って、何とも言えない味が口の中に広がる。

 そして、空中に浮かび上がるIDの追加登録の〝許可〟という文字に空いていた手で触れる。そのあとに手早く守人へ向けてのメッセージを打ち込むと、迷うことなく送信の文字に指をあてた。

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