Chapter:2-5

 男が完全に動かなくなったことを見届け、佐治守人さじもりとは純一のもとへと歩み寄る。


「お、おまえ……」


 言葉を発そうにも、聞きなれない擦れた声が出る。目の前で起きた出来事が信じられない、いや信じたくもない。同時に、純一は自分の手が小刻みに震えていることに気が付いた。

 

 目の前で人が二人も死んだ。しかも、殺したのは自分と同い年の少年。ナイフを振りかざしてきたことへの正当防衛は成立するかもしれない。いや、それ以前に、あの剣は、あの光弾は一体何だったのか。頭の中で怒涛に湧きあがる疑問に、何一つ答えを導き出せず、頭が混乱する。


 乱雑な思考に苦しむ純一の目の前で、守人は立ち止まる。そして、特に何も気にする様子もなく、胸ポケットにしまったメガネを再び取り出すと、慣れた手つきで顔にかけなおした。


 「山県純一、話がある。聞くか聞かないかは自由だが、さっきのような目に会いたくなければ、聞くべきだな」


 人を殺してもなお、震え一つない淡々とした口調で守人は告げた。


     ✝


 明かりに照らされたベンチは公園に一つしかなく、そこに純一は座っていた。いや、正確には守人に座らされたといったところか。純一は茫然ぼうぜんとしながら守人の言うことに従った。

  助けてくれたとはいえ、守人はその手で人をあやめた。その一部始終を目撃していた純一が下手に抵抗すれば、かえって自分の身にも危険が及ぶ気がした。だが、本心では今すぐにでもここから逃げだして、警察に駆け込みたかった。


 純一をベンチに座らした張本人は何もせず、待ってろ、と一言だけ残すと少しの間だけ姿を消した。これから何が起きるのか、ざわつく神経を少しでもなだめようと震える手を固く握りしめる。やがて、守人が闇の中から再び姿を現す。その手には何かが二つ握られていた。


「少しは落ち着いたか?」


 純一を気遣う台詞は言うものの、その声音には感情がこもっていない。そして守人は手に持っていた缶コーヒーを差し出した。


「あ、ああ……」


 守人の想定外の行動に戸惑いつつ、コーヒーを受け取る。しかし、到底飲めるような気分ではない。


「運がよかったな」


 どうして運がいいなどと言えるのか? 守人の発言の真意を図りかねた純一はあからさまに怪訝な表情を浮かべる。そんな純一の様子を気にせず、守人は制服のポケットから何かを取り出すと、純一に放ってよこした。


 暗闇の中で何とか落とさずにキャッチしてみれば、それはグリップと刃を二つ折りにして収納できるフォールディングナイフであった。だがそれは純一には見覚えのないものである。ナイフといえば、守人が最初に殺した男も持っていた。しかしそれはグリップを縦に二分割して収納できるバタフライナイフだった。


「こいつを弾き飛ばしてなかったら、今頃は死んでいた」


 そういえば、口を塞がれて抵抗した時に何かを蹴りあげた感触がした。もしかして、こいつを弾き飛ばしたとでもいうのか。

 純一の全身に流れる血が一瞬で凍りつく。守人の言う通り、あの時偶然ナイフを蹴っていなかったら、既に死んでいたかもしれない。暗澹あんたんとした表情を浮かべながら俯く純一に、守人は口を開いた。


「いちおう、自己紹介をしておく。俺はお前と同じ星辰学園高校1年B組の佐治守人だ」


 何を今更、と純一は思う。しかし考えてみれば、今まで守人とまともに会話したことがなかった。


「知ってるよ」


 純一は素っ気なく答える。守人はそうか、と小さく声に出すと持っていた缶コーヒーの蓋を開けた。そんな守人のマイペースに、純一は得体の知れない恐怖を感じる。


「なあ、そろそろ教えてくれ。どうしてお前はあんなことをしたんだ? それにお前が持っていたあの剣や光の球は何だったんだ?」


 いつまでも落ち着いたままの守人に、もどかしく感じた純一は声を尖らす。しかし、守人は純一の質問の半分は理解していないようであった。


「『あんなこと』と言われてもな。ならお前はあのまま、あいつらに殺されたかったのか?」


「違う、そうじゃない。俺が言いたいのは、いくらなんでも殺すことはないだろう。確かに正当防衛といえるかもしれないけど、殺しは過剰じゃないか?」


 先ほど殺されかけたにもかかわらず、なぜこいつは犯人の肩を持つのであろうか。純一の問いに守人は理解不能とばかりに頭を掻く。

 純一にしてみれば、彼らは法で裁かれるべきであって、守人がわざわざ手を汚すことはなかったと思っている。それに、男たちの無残な殺され方を見せられたことへの嫌悪感も混じっていた。


「お前が崇高な精神の持ち主だということはよくわかった。だが、あいつらを放っておくのはこちらとしても都合が悪いかった。本当は……」


「待てよ、お前はあいつらを知ってたのか?」


 他にも聞きたいことは沢山あった。だが、一つひとつ丁寧に聞く余裕はなかった。


「……いいだろう。長い話になるから覚悟して聞けよ」


 守人はそう言うと、何かを決意したようにひとつ、大きな深呼吸をした。


「突拍子もない、にわかには信じられんかもしてないが、お前を襲った二人組は……〝天使〟だ」


「はあ?」


 守人の発言にたまらず絶句する。


(てんし? 頭に輪っかをつけてラッパを吹きながら、空を飛び回る平和のシンボルともいえるあの天使のことか? 一体こいつは何を言っているんだ)


 途端、眩暈を覚える。天使というのは純一が嫌いなファンタジー要素の主たるキャラクターでもあるからだ。


「おまえ、正気か?」


 苛立ちが隠せない言葉が思わず純一の口から突いて出る。だが、目の前に佇む守人は真顔で表情ひとつ変えない。


「まあ待て、そう早まるな。順を追って説明する」


 落ち着いた口調でなだめる守人とは対称に、純一は心に疑念が色濃く張り付くようだった。


「端的に言うぞ。俺を含めた奴らはもともとこの世界とは違う世界の地球から来た。いうなら……異世界人ってやつだ」


「だから、ふざけたことを言うな! そんな話信じるわけないだろ!」


 苛立ちを軽く通り越して、激高していた。ここまで荒げた声を出したのはいつ以来だろうか。それでも守人の顔色が変わることはなく、純一の神経をますます逆撫でる。


「そう思うのも無理がないし、当然だ。だから今から証明してやる」


(その自信はいったいどこから来ているんだ?)


 荒唐無稽ファンタスティックな守人の言葉を真に受けることをやめ、警察の事情聴取で話す内容を考える。そんな純一を気にすることもなく、守人はどこか一点にひとさし指を向けた。

 指を差したのは、守人が殺した男が倒れた場所だ。しかし、よく見てみれば奇妙なことに、男の死体は消えていた。代わりに、真っ赤に染まったスーツだけがその場に残されていた。


 純一はその光景に違和感をおぼえた。殺してから、守人は一度も男のむくろには触れてなどいない。何より、たった寸刻すんこくで衣服だけ剥ぎ、死体を隠すのは不可能だ。困惑する純一をよそに、守人は血に染まったスーツを相変わらず指を差し続ける。

 

――カテゴリー:エレメント、下位魔法ロワークラス〈炎のつぶて


 ふたりを包み込んでいた静寂は何の前兆もなく破られた。

 守人の指先から、先刻の戦いで男が出したのと同じオレンジ色の光球がひとつ、飛び出した。そして次の瞬間、男の衣服が閃光を上げて、火に包まれた。離れていても伝わる熱気、鼻につくような化学繊維が焦げる刺激臭。どれにしても幻ではない、本物の〝火〟だ。

 純一は音をたてながら燃え上がる炎を信じられないとばかりに見つめていた。人間の制御下に置かれていない炎を、間近で見るのは久しぶりのような気がした。


「これだけじゃ、まだ信じないだろ」


 唖然とする純一に語りかけ、守人は何かを取り出すために制服のズボンの左ポケットに手を突っ込んだ。彼がポケットから取り出したのは、ピンポン玉よりは少し小さいガラス玉だった。だがそれも、先ほどの例に倣い、そこらで手に入るガラス玉とは大きく異なっていた。


 守人の手の上にあるガラス球は、薄い黄緑色の光を放っていた。一見して、純一はそれをホログラム、もしくはプラズマボールの一種かなにかと思った。プラズマボールというのは、ガラス玉の中にネオンなどの不活性ガスを充満させて高電圧を流すと放電の光が見える実験道具である。


 だが、守人の手の中にある球は転がっていた。どうやら実体のないホログラムではないようだ。また、ガラス球には電子機器など一切繋がっていない。もしプラズマボールの放電現象にしても、球と接している守人の手に光の筋が寄ってくるはずだ。科学的な知識を用いた推測は見えない壁にぶち当たった。そしてさらに、守人は純一の想像を上回る現象を起こした。


「――うわっ⁉」


 ゆらゆらと放たれていた光が突如として消えたと思えば、球がいつのまにか形を変えていた。同時に、純一はベンチに座っていながらも大仰に後ろにのけ反る。もし、守人から貰った缶コーヒーを開けていたら派手に中身を被っていただろう。


 ……それは片手で扱えるくらいの大きさの片刃の剣だった。緩いカーブを描くように湾曲した片刃。そして非対称の形をとり、中心に薄緑色をした玉石が嵌めこまれ、黄金色の装飾があちこちになされたグリップガードと柄頭。だが、最も特徴的なのは積もりたての新雪のように汚れ一つない、純潔な白一色に染まった刀身であった。

 

 大きさといい、形状的にも間違いない。純一と守人を襲ってきた男たちを葬ったのはこの剣だと純一は確信した。だが、電灯の光を反射させる、混じりけのない純粋な白さを持った刀身に赤い血潮は一切認められなかった。


(目の前で起こっているのは本当に現実なのか? )


 整合性の取れない事実が次々と起こり、純一の脳の処理が追いつかない。


「少しはまともに話を聞く気にはなったか?」


 憔悴しきった表情の純一の目の前で、守人は今さっき出したばかりの剣を軽々と振ってみせた。刀身の色から材質を見極めることはできない。ただ、もし金属だったとしたらかなりの重さになるはず。それなのに片手で軽々と扱う守人こいつはいったい何者だろうか。


「……ああ」


 にわかに信じられないが、今は返事をするしかなかった。それを聞いた守人は握っていた剣を再びガラス玉に戻すと(もはや純一は考えるのをやめた)話を切り出した。


「最初に言った通り、俺はこの世界とは違う世界から来た。別世界、といっても宇宙人とか言われるような地球外の生命体ではないがな」


「それが、天使ってわけか?」


「あくまで俺らは自分たちをそう呼んでいるだけであって、お前ら人間の常識となっているようなイメージとは違うものだ。並行世界っていう言葉は知ってるか? ある地点で分岐し、併存する世界のことを言うんだが……」


 異世界、並行世界パラレルワールド。何て便利な言葉だろうか。


「知ってる。つまり、お前はこの世界と分岐した〝別の世界〟から来たって言いたいのか?」


「まあ、そう言うことだ。ただし、俺が知っている限り、世界が二つに分岐したのは人間や天使が生まれる遥か以前に起こったらしいんだがな。……で、俺らは自分たちが住む世界を『天上界』と謳っている」


 『天上界』そう聞いた純一は違和感を覚えた。


「お前らの世界が仮に『天上界』だったとしたら、俺がいるこの世界はなんて言うんだ?」


「分類するための呼称としては『地上界』と呼んでいる」


 純一は表情を曇らせた。天と地、それではまるで優劣があるみたいではないか。


「誤解しないでほしいが、俺は別に優劣をつけて言ってるわけじゃない。ただ、俺らの世界ではそう思っている連中は多いがな」


 難色を示すような面持ちの純一に、守人は取って付けたように弁解する。


「お前が言うように住む違う世界があるとして、さっきのおかしな芸当は何なんだ」


 急に物が燃えだす現象なら高出力のレーザーとか、科学的な説明がつくかもしれない。だが、質量保存の法則を明らかに破るガラス球の変形は純一には説明がつかない。奇術マジックにしては妙にリアリティがあるような気がした。


「俺ら天使は、姿かたちはお前たち人間と同じかもしれないが、決定的に違う部分がある。それは存在のあり方についてだ。」


「存在のあり方だって?」


 普段意識しないことに、純一は首をかしげる。それでも、守人は語ることをやめなかった。


「お前たち人間は細胞を基本とした物質的な要素から肉体が形づくられているだろう。それに対して、天使は霊素という霊的、つまり非物質的な要素で肉体、いわば霊体が構成されている」


 再び荒唐無稽な話に、純一は呆れた。常識、もとい科学の前提から外れた内容は中世の錬金術に似たような、うさん臭さを感じざるを得ない。


「霊素、なんだそれ? 仮にお前の体が霊体なんていうものからできているっていうなら、なんで俺はお前のことを見ることができるし、こうして触ることができるんだ?」


 試しに純一は目の前の守人の腕を掴んでみる。制服の袖越しに守人の腕と思われる固い感触が純一の手に伝わる。幻ではない、確かに守人は目の前に存在する。自分が重度の神経衰弱状態でもない限りは。


「まあ待て、一つ断っておくがこれは人間が用いる科学の概念に当てはめることはできない。なぜなら、天上界には科学の概念がほとんどないからだ。」


 純一の正論に対して、適切な答えを持ち合わせていない守人は困ったように純一の手を振りほどいた。


「俺は専門家ほどにはこの霊素というものに詳しくないから、どうして霊体を構成する霊素が質量を持っているかは説明することはできない。だが霊素を分かりやすく言うなら、それ自体が何かしらの力に変えることができる、例えるならエネルギーのようなものだ。無論、人間たちが思うようなエネルギーとは違うがな」


「何かしらの力に変えるっていうのは?」


 守人は先ほど男の衣服が燃えた場所を再び指さした。衣服は完全に燃え尽き、その場に残されたのはいくつかの燃えかすと、地面を焦がした黒い跡だけだった。


「さっき見せただろう。俺が放った霊素の塊があの服を燃やしたんだ」


 あっさりと純一の科学的な推測は破られた。なんという非科学的な方法だろうか。


「まるで〝魔法〟みたいだな」


 ファンタジーというものを極度に嫌う純一ではあったが、思わずため息のように言葉を漏らす。それは感嘆からではなく、一種の恐れから出たものだった。


「そうだな、俺たちもこの霊素を使った力を〝魔法〟と呼ぶ」


 否定もせず、あっさりと肯定する守人に、純一は意識が遠のいていくような気がした。


「……もういい、これ以上聞くと頭がおかしくなりそうだ。それより本題だ。さっきの連中はなんで俺を狙ってきたんだ?」


 別の世界からやって来た者たちに命を狙われるような心当たりは毛頭ない。『天使』ゆえになんらかの罪咎ざいきゅうを犯した覚えは全くないし、この世に自分よりも天罰が下るに値する人間がどれほどいるだろうか。

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