Chapter:2-3
日は既に沈み、晴れない表情の純一を乗せた高速輸送シャトルは、『
気の休まることのない一日だった。
とりわけ、先刻の告白にはどう対応すればよかったのか。無意識に何度もあの場面が頭の中で繰り返される。そんな気を紛らわすため、車窓からすれ違うシャトルを意味もなく数えていた。ふいに左手のWIDが軽く振動する。誰かからのメッセージを受信したようだ。
シャトルの座席間にはプライバシー保護のためのパーティションがあるので、純一は堂々と受け取ったメッセージの差出人を確認する。無機質な白色のスクリーンの中に【透音】という文字が浮かび上がった。その名前を見た純一は緊張した。少しの迷いを経て、透音からのメッセージを開く。
〈今日はお疲れさま、山県と遊べてあたしは楽しかったよ。それと最後のことなんだけど、いきなり驚かせちゃってごめん。あたしも勢いで言っちゃったっていうかなんていうか……とにかく、あたしは気にしてないから明日からも今まで通り仲良くしようね〉
緊張感に支配されながらも透音のメッセージを読み終えた純一は、シャトルの座席に深くもたれかかる。まるでしぼんでいく風船のように、全身の力が大気へ抜けていくようだった。ただ、勇気を出して告白してきた透音の気持ちを考えれば、素直に安堵することはできないような気がした。それでも、自分にそのような価値があると見出してくれた透音に純一は心の中で感謝した。
シャトルを降りれば、そこは慣れ親しみ、いささか見飽きた風景が広がっている。発着場前のロータリーには無人運転のバスやタクシーが循環し、ロータリーを取り囲むように商業施設と雑居ビルが建ち並ぶ。純一の家は
偶然、とでもいうのだろうか。純一のすぐ目の前を、同じ制服の生徒がふらっと横切った。その姿を見た純一は、朝に
『その人、
彼女はそう言っていた。うやむやながらも、たしかに後姿が同じクラスの佐治になんとなく似ているように思えた。だが、ちらり見ただけでは当人だか判別がつかない。ためしに声を掛ければすぐ済むのだが、もし別人だったら気まずいと思い、躊躇する。純一は積極的に前進していくような性格でもなく、どちらかと言えば慎重派である。少し迷った挙句、佐治を少しだけ尾行してみようとの結論に達した。あまりいいことではないと思いながらも、純一はいつもの帰り道とは反対の方向へ歩み始めた。
純一や緋依、恐らく目の前にいる佐治も住むこの天立市は、東西に向かって細長い形をしている。地形的な特徴として、市の北部は木々が生い茂る山々がそびえ立ち、南部は海岸線が続いている。夏休みは山と海を堪能できるのはいいことだが、交通の面では少し不便だ。
更に海月から大都市圏へと続いている国道が市を東西に分けるように伸びている。市の東部はなだらかな丘陵地帯で、人の居住も少ないことから、都市インフラは第二世代で止まっている。そのためか人々は《旧市街》と呼ぶ。反対に西部は平野かつ、インフラも最新式ということもあって《新市街》と呼ばれる。
防犯設備が古い旧市街の犯罪率は新市街に比べれば高く、その地価は三分の二にも満たない。だが決して治安が悪いという訳でもなく、もともと人が住んでいないため、件数自体はそれほど多くない。
この前の殺人事件が起きたのは新市街にあるマンションだった。どうも殺人のような凶悪な犯罪は防犯施設の良し悪しに係わらず発生するという結果が出たことを純一は思いだした。
……佐治の背中を追ってから二十分くらいが経っただろうか。シャトルの発着場付近のような喧騒は完全になりを潜め、明かりの少ない静かな住宅街を純一はひたすら進んでいた。
前を行く佐治の歩みが速かったため、純一は見失わないようにするのが精いっぱいだった。思えば、なぜ彼の後を
(クラスメイトのあとを
ふと我に返ってみれば、自分のしている行動がばかばかしく思えた。歩みを止めると、前を行く佐治の姿は、たちまち暗闇の中に消えうせた。
正気を取り戻した純一だったが、とりあえずと辺りを見回した。いま、自分がいるのは旧市街でそれなりに大きな公園のすぐそばということに気がつく。昔はここで遊んだりもしたが、最近はほとんど寄り付かなくなっていた。
このまま回れ右してもと来た道をふたたび辿っていくのもいいが、公園内を進むほうがちょっとした近道になることを純一は思いだす。時間と労力を無駄に費やしたことを苦々しく後悔しつつ、そのまま公園の中へと踏み入った。
夜の公園は、昼間の明るい雰囲気とは似ても似つかないほど寂しいものだった。公園内に設置された明かりは少なく、おどろおどろしい光景である。たまに社会からあぶれた者たちが
公園の半分を過ぎたところだろうか。背後の薄明かりの中に影がふたつ、朧げに浮かびあがる。もちろん旧市街は無人の町ではないし、さっき言った
だが、背後のふたつの影に純一は違和感を覚えた。
影の形からして背後の二人は横並びに歩いているようだった。しかし、その割には会話もなく静かすぎる。ましてや、足音さえ聞こえない。だが、決まってその移動速度は純一にピタリと合わせている。
気味がわるい。背中にうっすらと寒気が走った。これが幽霊というものか。などと冗談交じりに思いもしたが、
……何のことはない。そこにいたのは不審者でも、ましてや幽霊でもなかった。すこし離れた距離を二人組の男が歩いていただけだった。
ひとりはスラリと真っ直ぐに伸びた背の高い男で、チャコールグレーのスーツをきっちりと着こなしてしていた。姿勢正しく、一定のリズムを刻んだ歩みはいかにも仕事のできるビジネスマンという印象を抱かせる。もうひとりは対照的に、上は白と黒のツートーンのスウェット、下はジャージにサンダル。両手をポケットに突っ込み、猫背気味で肩を左右に揺らしながら、歩いていた。
公園の暗がりのため、どちらの男も顔まではよく見えない。ただ、身なりがかけ離れているせいか、アンバランスな二人組のように思えた。もしかしたら年の近い兄弟で、帰宅途中に偶然出会ったとかいう状況なのだろうか。だが、幽霊ではないと正体が分かれば、それまでの不安は彼方へ消え去った。ほっと胸を撫でおろした純一は元通りの道を往くべく、背後の二人組から視線を離した。すると、背後でジャリッ、という地面を蹴りあげる音が聞こえたような気がした。
ドカッ、背中から何かに突進されたような強い衝撃を受け、突き飛ばされた。
「――ッ⁉」
突然の出来事に訳が分からず、純一は目の前の地面に大きく前のめって倒れ込む。辛うじて地面に顔面を打ち付けるのは回避したが、その代わりに庇った手や膝は鈍く痛みだした。やったのは恐らく背後のふたり組のどちらかだろう。純一の頭に真っ先に思い浮かんだのはスウェット姿の男の方だった。
純一の頭の中では突き飛ばされたことへの怒りよりも先に、いわれのない暴力への困惑が広がった。しかし、現状について深く考える時間は与えられなかった。
立ち上がろうとする純一の横に誰かが駆け寄ると、いきなり脇腹に蹴りが入れられる。予想もしない追撃にノーガードだった純一は咳き込みながら、仰向けにひっくり返った。
「お前ら、いったいなん――」
むせ込みながらも、抗議の言葉を発そうとしたが、途端に何とも言えない革の匂いが純一の鼻の中に広がる。どちらの男がやったのか分からないが、革手袋を嵌めた手によって純一の口が塞がれた。
理解の追いつかない状況だが、純一は何とか口元にあてられた手をどかそうと、じたばたと必死に足掻く。だが抑え込む男の手は鋼のごとくびくともしなかった。
――ただの喧嘩ではない。
そう悟った純一は何とか逃れようと、抵抗する力をさらに強めた。すると、たまたま蹴り上げた自分の足が何かにぶつかるのを感じた。それが何であるか純一には分からなかったが、一瞬だけ自分を抑える力が弱まるのを感じた。
だが、男は慌てることはなかった。口を塞ぐことをやめ、素早く腕を純一の首元へとまわすと、そのまま一気に絞め上げた。頸動脈を圧迫され、頭に血が巡らず、純一は意識のスイッチが切れかかるのを直に感じた。
遠のく意識とぼやける視界の中、純一にはスウェット姿の男が徐々にこちらに迫ってくるのが見えた。視界が霞んでよくわからないが、手にはなにか光るものが握られている。にしても、なぜこんなことに巻き込まれたのだろうか。
(……そうだ、クラスメイトの後を追っかけていたんだ。でも、なんでそんなことをしていたんだっけ)
後悔したところで無意味というのは百も承知。だが、後悔しない方がおかしいだろう。もしかしたら、こいつらがあの事件の犯人なのか。だとしたら、明日には『公園で男子高校生が絞殺される』というニュースが流れるのだろうか。朦朧とした意識の中、心底どうでもいいことが頭の中を通り過ぎる。
ついには頭の中に両親と弟の顔がよぎりはじめる。これが走馬灯というやつなのか、と純一は悟る。克人や透音、そして緋依の顔が思い浮かんだところで、視界が暗転し、もはや抵抗する力もなくなった。
(もしかして、ほんとうに俺は死ぬのか)
――ああ、神様。
突如、純一の体が自由になる。昇天か、という予測とは裏腹に固い地面の上に叩きつけられた。
「ゲホッ……」
咳き込みながら、足りない酸素を欲するままに息をありったけ吸い込む。視界はまだモザイクがかったように何も見えないが、体が元の感覚に戻っていく気がした。理由は不明だが、首を絞めていた腕から解放されたのだろう。
体はまだ完全には回復していない。地面にへばりつくように純一は倒れていたが、上体だけは何とか起こした。視力を次第に取り戻していく純一が見上げた先、そこにはスウェット姿の男が背中を向けて立っていた。あの時は良く見えなかったが、右手には刀身が十数センチもあるバタフライナイフが握られていた。
凍えるような戦慄が純一の体を包み、地面についていた手は震えだす。
(こいつらは本気で俺を殺そうとしていた。あの殺人事件の犯人は本当にこいつらかもしれない)
様々な疑念が一瞬で純一の頭の中を駆け巡る。しかし、この場から逃げようにも回復していないこの体ではまた捕まってしまうかもしれない。
ひとり、動けない純一をよそに男たちはただ一点を注視していた。
――誰かがこちらへやってくる。
人影がぽつり、遠くから照らされた明かりによってその姿が浮かび上がる。そしてその姿を見た純一は思わず息を呑んだ。
濃紺の制服に、白のストライプと校章の入った群青色のネクタイ。ぼさっとした黒髪に、黒縁の眼鏡の中にある瞳はこの状況を少しも動じていない。いやむしろ面倒事とばかりに眺めるようだった。純一を含めた三人のもとへと、淡々とした歩みからは、何の意図も読み取れない。
目の前から歩いて来るのは、つい数分前まで純一が尾行していた当人、『
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