Chapter:2-2

 終業を告げるチャイムが鳴ったところで、本日の授業がすべて終了。HRが終われば、教室内は退屈な授業から解放された生徒たちで賑わっていた。

 

 そんな中、純一はいつも通り鞄に教科書を詰め込んで帰る支度をしていた。くだん御園生葵みそのうあおいがやってくる前にさっさとこの場を離れようという算段だ。だが、そんな考えを読まれていたのだろうか、目の前で誰かが立ち止まる気配を感じた。葵のことを考えていた矢先、ドキリとしたが恐る恐る顔を上げる。

 目の前に立つ人物、それは葵ではなく透音とうねだった。なにやら期待を込めた目で、肩を左右に揺らしながら立っていた。一瞬、純一にはその理由が分からなかった。


「あ……」


 間髪入れずに心当たりが思い浮かぶ。悟られないよう咄嗟に目を伏せてみたが、どうやら遅かったようだ。


「今、忘れてたでしょ?」


 透音の鋭い指摘に返す言葉が見つからない。今朝の透音との約束を完全に失念していた。あまり約束をすっぽかすことのない純一は、申し訳ない気持ちで多少なりとも心が痛む。


「……ごめん、完全に忘れてた」


 言い訳せずに純一は素直に謝る。ここは自分の非を完全に認めざるをえない。しかも先ほどの様子を見る限り、少なからず透音は期待していたようで、なおさら自分の行いは罪深い。

 純一のひと言で、透音は一目で不機嫌な表情に変わる。自分のことを見限られないか内心ひやひやしながら、透音からの言葉を待った。


「で、結局この後大丈夫なの?」


 透音からの言葉には返答次第では挽回のチャンスがあることが感じ取れた。


「ぜっ、全然問題ない」


「じゃあ何かおごってくれるなら、約束を忘れたことをチャラにしてあげる♪」


 最低だと言われても仕方がないとも思った純一であったが、透音の懐の深さに頭が上がらない。透音の提案を罪滅ぼしと思えば安いものである。


     ✝


 学校のある学術研究区画を離れ、繁華街のある商業区画に行くのは久しぶりな気がした。それが顔なじみの同性の友人とではなく、異性と一緒ということで自然と身が強張る。

 

 フロート内を巡回するシャトルの乗り場には老若男女を問わず様々な人びとが並んでいた。ただ、その待機列に並ぶ透音の姿は人目を惹きつけた。

 条約機構内で自由な移動ができる今、外国人はそこら中で見かけることができる。しかし、偏見とまではいかないが、今でも日本人は外国人物を珍しげに見てしまう癖のようなものが残っている。透音も、自身に注がれる好奇の視線には気が付いているのかもしれないが、気にしている様子もなかった。

 

 そんな異国の風貌を持つ美少女に付き添っている純一も、漏れなくその視線の的にもなる。純一の平凡な容姿と照らし合わせて、不釣り合いなカップルだなと首をかしげる者もちらほら。その時は純一も透音に倣って気にしないふりをした。

 

 しばらくすれば、通学の足に使うシャトルより一回りほど小さい巡回シャトルがやって来た。無機質な銀色の車体の表面に、ホログラムで《海月かいげつ巡回シャトル》と表示されている。

 シャトルに乗り込んだ純一たちはシャトル内で軽いおしゃべりに興じる。ふと窓に目を移せば、いつの間にか流れる景色は変わっていった。


 無彩色の白、または灰色に染まった殺風景な建物群は姿を消し、色とりどりの純色に塗れた繁華街が目前に迫ってくる。ここまで来ると純一の緊張も自然と消えていた。


「もう少しで商業区画に着くけど、何かリクエストはある?」


 時刻は三時半を過ぎていた。純一は何気ないふりを装いつつ、透音の出方を伺ってみた。透音は少し迷いながらもすぐに考えがまとまったようだ。


「授業の後だし、少しお腹が空いたかな? まずはお茶でも飲もうよ」


 悪戯っぽく笑う透音に少しばかり心が揺れる純一は了解と言い、軽く頷く。そして純一と透音は目的地の商業区画に降り立った。


海月かいげつ』の商業区画は百貨店や専門店の商業施設のほか、飲食店や各種アミューズメント施設の立ち並ぶ観光地でもある。夜になれば大人たちのための店もあり、俗にネオン街とも呼ばれる店も並んでいる。無論、高校生がそこに近づくことはないが。


 日本の各地に建造された巨大人工浮遊島メガフロートには他島と差別化を図るため、それぞれ独自のブランドを打ち出している。例えば、東京湾に浮かぶ浮遊島『大和やまと』は日本で一番最初に建造され、その規模も日本最大なことからメガの上、つまり〝ギガ〟フロートと呼ばれている。他には大阪湾上に浮かぶ『大黒だいこく』はそのほとんどが商業区画で占められ、浮遊島の中で最も活気に漲っている。


 他の例に漏れず、この『海月』にも特色がある。それは島の名前に因んで「クラゲ」をモチーフにしたマスコットキャラクターであった。そのクラゲのキャラクターのキモカワ要素が子供から大人たちに大いにウケて、コアなファンを持っているらしい。


 海月くらげゆえにマスコットもクラゲというのはいささか直球すぎる。もともと『海月かいげつ』は新円に近い形状をしており、夜の海上に輝くその姿を海面に反射する月になぞらえて命名された。

 

 繁華街はマスコットキャラたちがあちこちにホログラムで投映されており、奇っ怪な風景であるように思える。しかし、街を行く人々や純一の隣を歩く透音もそんな様子も楽しんでいるようだった。

 

 透音に奢るという約束をしているため、純一は手頃に入れる店を探した。そしてすぐに全国にチェーン展開しているコーヒーショップを見つけたのでそこに入ることにした。

 店の入口にあったパネルに人数を打ち込んであるので、あとは機械音声の案内されるまま席につくことができた。案内されたのはテーブル席で、テーブルの中央に小さなホロディスプレイが浮き上がった。そこにはメニューやおすすめの料理が表示され、タッチするだけで注文ができるシステムになっている。

 

 純一はしばらくメニューを眺めて悩んでいたが、テーブルを挟んだ向かい側にいる透音はすぐに決めていた。やがて純一にはカプチーノが、透音にはキャラメルソースがトッピングされたカフェ・ラテが各々の前に置かれた。それを皮切りに純一は透音との会話を始めた。

 

 純一は、個人的な話を他人にしたがるほうではない。ただ、どこに住んでいるとか、休日は何をしているのか気が付けば自分から透音に話していた。


洲崎すざきって普段は何して過ごしてんの?」


 悪い意味ではなく、純粋に気になった純一は透音に普段の様子を聞いてみた。


「今度はあたしの番ってことね? そうね、あたしは学校終わった後とか休日はバイトして過ごしてる」


「えっ、アルバイトしてんの⁉」


 高校生だし、もちろんアルバイトをしている生徒もいるだろう。だが、見た目も相相まって、庶民よりも良さげな生活を営んでいそうな印象を抱いていただけに、純一は少し驚いた。


「うん。地元で手作りの料理を出す飲食店で働いてるの」


 この時代、料理は基本的に機械がやるものになっている。あらかじめネットで注文しておいた食品、または食材を必要最低限の操作で調理することが現代における〝料理〟である。均一化された機械調理になった今、〝人の手で作られた料理〟には作り手の違いによる味のばらつきや、作り手の〝思い〟という実体のないものに価値が見いだされるという事態になっていた。そのため料理というのは茶道、華道のような一種の芸道と化している。昔の名残として、嗜む女子も少なくはないようだ。

 

 かつては〝家事〟というものが既婚女性の家庭の仕事などと言われていたそうだが、今となっては全て機械任せで済む。そのおかげで働く女性は増え、この国の就業率の男女比はほぼ同じ程度になっている。


「へえ、じゃあ洲崎は料理ができるんか。だったらその働いてる店を紹介してよ。時間があったら今度行くから」


「えー、どうしよっかなー。あんま働いてる姿をクラスの人たちに見られたくないんだよね」


 透音は渋い顔をしながら答えた。純一としては少し残念な気もしたが、透音に気を遣わせて仕事の邪魔になるのであれば仕方ない。


「うそうそ、お客さんが入れば給料も上がるかもしれないし、なんならクラスの人たちにうちの店を紹介しようかな」


 純一の残念そうな顔色を以外に思ったのか、透音は前言撤回すると、申し訳なさそうに笑った。整った顔立ちが発するその笑顔には誰もが息を呑むような魔力が宿っているように純一は思えた。


「そういえば今朝も話したけど、洲崎は超常現象とかが好きだったよな。WIDのアイコンだってUFOだったし、具体的にどこが好きなんだ?」


 惹きこまれそうな透音の笑顔から辛うじて目を離した純一は話題を変えてみることにした。


「じゃあ逆に聞くけど、山県はそう言うものは一切信じないの?」


 透音は手元にあるマグカップを両手で持ちながら、挑戦的な視線を純一に送った。その手の話に純一はあまり興味はなく、ほとんどがでたらめだと思っている。特に根拠のない噂話などは意固地になっても信じない質でもあった。その点においては、いま目の前にいる透音とは対極的な思考を持っている。


「全く信じないってわけでもないさ。確率的に考えれば、地球外生命体は存在するとは思ってる。どっかの天文学者は地球外生命体がいくつ存在するか推定する方程式を考案するほどだし」


「山県って何かと根拠がない限りは信じるつもりはないのね。あたしはその反対。幽霊や超能力って、ないと思われてるから逆に信じてみたくなるの」


 そう言うと、透音は手元にあるにマグカップに視線を落とした。透音の主張は、現実にはないものが存在するという子供じみた願いのようにも聞こえた。だが、純一にもその気持ちは多少なりとも理解できる。


「ないと思うから信じたくなる……か。でも、夢があってそれはそれでいいと思うよ。じゃあさ、洲崎的にアツいと思ってる超常現象とか教えてくれない?」


 相手の話を頭ごなしに否定するほど自分は狭量な人間ではない。何気ない気持ちで透音に超常現象のことを聞いてみる。すると目を輝かせた透音が今にもテーブルから身を乗り出さんとばかりに純一に迫ってきた。


「ほんとっ⁉ なにが聞きたい? ESP、霊界通信、フライングヒューマノイド……でもやっぱり一番はUFOかな!」


 透音はいつの間にかアイボリーに塗色されたWIDから普段見ていると思われる怪しげなサイトを表示させていた。そして今にも話したくてしょうがないといわんばかりに意気揚々していた。

 透音のテンションの上がり具合に若干引いてしまったが、話題を振ったこと少しばかり後悔した。もちろん、このまま話に付き合うのは悪くはないが、UFOのくだりだけでどれほどの時間がかかるのだろうか。絶対に一時間程度で済むとは思えない。

 

 ……そこから純一の意図しなかった透音の熱意のこもったUFO談義が開始。始めは純一も興味を持って聞いていたが、十分もしないうちに透音の話についていけなくなった。UFOの形についてから始まった談義は、目撃事例やロズウェル事件についての透音の見解を経て、アブダクションへと移り変わっていた。


「ちょっと、聞いてるの?」


 夢中になって話をしていた透音だったが、硬直したままの純一に気が付く。何度も透音の口から繰り返される「U」と「F」と「O」のアルファベットが純一の頭の中でゲシュタルト崩壊を起こしかけていた。


「え? あっ、ちゃんと聞いてる。ちょっと別のことが思い浮かんで……」


 その一言を聞いた透音の表情がみるみる曇りだす。純一がしまったと思ったときには手遅れだった。


「ふーん。今、あたしがしてる話よりも気になることがあるんだ?」


「ご、ごめん! そんなつもりじゃ――」


 痛恨の失言に純一は頭を下げて謝るなか、透音はテーブルの何かを操作しているようだった。そしてしばらくすると、純一たちのテーブルには色とりどりのケーキが置かれる。


「これぐらいで許してあげる♪」


 笑顔であるが無言の圧力を純一に加える透音に、ただ一言。「はい」と言うしかなかった。


「はあー、美味しかった。ごちそうさまでした、山県!」


 満腹からくる幸福感に包まれた透音とは対象的に、純一はWIDに表示されているクレジット残高をしかめっ面で睨んでいた。デザート代まで支払うことになるのは想定外だ。しかし、すべての原因は自分なのだから文句も言えない。


 これからは自分の一挙手一投足に気を配らなければならない。そう固く自分を戒めたところで、再び笑顔を取り戻してくれた透音が純一の前に立ちはだかった。


「さあ、お腹も満たしてことだし、思う存分楽しもうか!」


 透音の琥珀色の瞳に見据えられ、純一は内心ドキリとした。


「お手柔らかに頼むよ…… クレジット的な意味で」


 そのあとはすっかり、透音のペースに巻き込まれていた。本当は純一が商業区画を案内するはずだったのだが、気ままに歩き回る透音の後ろを付いてまわることが多かった。

 

 透音はオカルトチックなグッズを売る雑貨を見つけたりと自分の趣味を全開にしていた。そんな透音を一体型エンターテインメントに誘ってみたりもしたが、あまり好きではないと言われ、専ら付き人のようになってしまった。

 

 他にもホログラフと物理エンジンを用いたホロスカッシュで遊んだりもした。学校だと体育の授業は男女別なのでわからなかったが、透音は運動神経がいい。特に動体視力に関しては純一では到底見えないようなスピードのボールを軽々と打ち返してきた。最初は手加減していた純一だったが、すぐに追い詰められ途中から本気になっても透音には敵わなかった。

 

 上手く高校でやっていけるか心配したものだったが、純一はいまこの瞬間を全力で楽しんでいた。気が付けばスカイブルーと白い雲で色づいていた空は、いつの間にか燃え盛る焔のような茜色に変わっていた。


 そして今、純一と透音はフロート西部の岸壁そばの公園で休んでいた。

 

 肌に少し引っかかるような潮風の吹く公園で純一はベンチに、透音は海への落下防止柵にもたれながら朱色に輝く西日を眺めていた。会話はなく、一定のリズムで岸壁にぶつかる波音がその場をにぎわせていた。ただ、二人の間に漂う沈黙に気まずさなどは微塵も感じなかった。


「ねえ、山県」


 先に口を開いたのは透音だった。斜陽を背にして透音は純一のほうへと向きなおる。西日の逆行に眩しさを感じつつも、満足そうな彼女の表情がよく映えて印象的だった。


「今日は、あたしに付き合ってくれてありがとう。とっても楽しかったよ」


 透音は楽しげで、どことなく幸せそうな笑みを純一に向けた。


「そう言ってくれるとありがたいな。でも、あんまり案内できなくてごめん」


 約束すら忘れていた自分に感謝してくれて、純一は少し罪悪感を抱く。


「そんなことないよ。むしろあたしのほうこそ、いろいろと連れまわしたりして嫌じゃなかった?」


「嫌なんて全く思わない。むしろ今まで気がつかなかったところへ行ったり、興味のなかったものに触れられて新鮮な一日だったよ。こちらこそありがとう」


 純一は素直に思ったことを口にする。実際、嫌なことなど一つもなく、純粋に楽しかった。それを聞いた透音は、少しだけ俯いた。何か変なことを言ったのかと純一が焦りかけていた時だった。ふらりと透音は持たれていた柵から離れ、純一のほうへと近づく。


 何かが自分の右頬に触れた。


 いきなりの事態で茫然としていたが、すぐになにが起こったのか理解する。純一の右の頬に、彼女の唇が触れていた。


「え……」


 突然の出来事に戸惑い、思わず上ずった声が出た。甘い果実のような匂いと、頬から既に離された唇から漏れる透音の吐息が、純一の鼓動を加速させる。

 ゆっくりとした動作で離れていく彼女の顔は、夕日のせいではっきりとしないが、紅潮しているように思えた。


「今のが今日のお礼」


 そう言うと、透音は悪戯っぽく笑う。口を開けたまま唖然と固まる純一を見つめた。どう反応すればいいのか、頭の中で必死に考える。だが、空回りするその思考で、上手い返しなど思いつくはずがなかった。そんな純一に透音は更に言葉を重ねる。


「山県、あたしと付き合って――」


 突然の告白は、純一の頭の中を真っ白、もとい思考停止に追いやるには十分すぎた。だが、目の前にいる透音は悪戯ではない真剣な眼差しを純一に向ける。そしてその表情には冗談であるという希望的観測を一切寄せ付けない凄みがあった。彼女の言葉は本物と言わざるをえない。だが、どうしてこんな自分を好いてくれるのか純一にはわからなかった。

 

 女子からの告白など、妄想の中でしか経験のない純一は返答に迷う。あれこれ考えてみたものの、はっきりとした答えを見いだせないまま時は過ぎていく。そんな中、泳いでいた視線がたまたま透音と重なる。きれいな琥珀色の瞳は狼狽える純一を捉えていた。そんな彼女の瞳に心が波立っていた純一は不思議と落ち着きを取り戻す。同時にそのまま引き込まれていくような感覚が身を包んでいくようだった。


(このまま――)


 だが、透音ではない別の少女の顔が純一の脳裏をかすめる。途端、目の前の透音の吸い込まれそうな瞳に純一は怯えた。


「ごめん……」


 戸惑いに揺れながらも、純一は透音の告白を断った。

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