Chapter:1-3

(ええっと、地学室は……西校舎の三階か)

 

 放課後。純一はいくつか部活を見てまわってみたが、収穫は芳しくなかった。

 最後に、今朝の事件で一躍有名になった天文研究同好会を軽く覗いてから帰ろうと、純一は校舎内を移動していた。もちろん、同好会の活動に多少は気になる。だが目下のところ、学校の有名人と称される御園生葵みそのうあおいへの興味が強かった。

 

 今朝流れた宣伝動画を思い返していたが、廊下に人だかりが出来上がっていることに気が付く。訝しむ純一の頭の中にひとつの悪い予感がした。

 集団のほとんどは一年の男子生徒ばかりである。何かを悟ったように教室の表示板を見れば案の上、そこには『地学室』と書いてある。


(参ったなあ……)


 予想以上に集まりすぎた人だかりに気後れし、この集団に加わることを躊躇う。無論、自分もここにいる以上、何も言うことはできない。帰ろうかと考え始めていたときだった。突然、純一の両肩に重みが加わる。


「うわあ、ずいぶんと人が集まったねー」


 聞き覚えはないが、底抜けに明るく柔らかな声が背後から聞こえた。

 驚きつつも振り返るとひとりの女生徒が純一に向けて嬉々とした笑顔を振りまいていた。


 明るい色の若干ウェーブがかったショートヘアーに大きな瞳。男子高校生の平均と同じくらいの純一に迫るくらいの身長だった。

 純一のクラスの女子とかではない、面識のない顔である。だが純一はあっと声を出して驚いた。


 今朝の大爆発の後の動画の中に映っていたあの美少女。そして騒動の張本人『御園生葵みそのうあおい』が、そこにいたのである。


「君も天文研究同好会の見学に来たの?」


 呆気にとられる純一をものともせず、葵は純一に問いかける。目の前にいる葵は写真や動画以上にとてつもない美貌と蠱惑的な雰囲気の持ち主である。が、やはり性格は動画の通りである。


 予想だにしなかった状況を純一は何とか飲み込んで、「え、ええ」と実のない返事をする。


「うれしいなー」


 葵はニコニコと楽しげに笑いながら、思ったことがそのまま口から出たようだった。有名人かつ、美少女の葵と言葉を交わせて純一の心が浮く。


「君、名前はなんていうの?」


 葵は面識のない男子の後輩と話すことに全く抵抗なく、純一の名前を尋ねてきた。


「一年B組の山県っていいます」


「山県くんね。私はこの天文研究同好会で部長をやってる二年の御園生です! 驚いた?」


 葵は悪戯っぽく笑ってこちらの反応を伺っているが、部長が現れた云々どころではない。その性格に純一は圧倒されっぱなしだった。


「先輩は有名人ですよ、特に今日の朝から昼にかけて。あの宣伝には誰もが驚かされましたよ」

 

 嫌味の一つでも言ってやろうかと思ったりもしたが、そんな思考は彼方へと追いやられていた。


「よかった、それなり効果があったみたいね。でも本当はビッグバンは平面じゃなくて立体投映ホログラムにしようとしてたの。でも、備え付けの機材では到底扱えない容量に膨れちゃって……仕方ないから音声で驚かせるようにしたわ」


 純一は内心、ヒヤッとした。

 不意打ちであの爆発を立体で投映されたらたまったもんじゃない。下手したら実害が出てもおかしくないレベルだった。


 相変わらず絶えることのない笑みを浮かべている葵だったが、どう対応すればいいのか純一は困った。もちろん、上級生ということもある。それよりも葵の物怖じ一つしない堂々とした振舞いにはどことなく真意が掴みづらい感覚がした。


「ところで御園生先輩、部活の見学会はどうされるんですか? 結構な人数が集まっていますけど……」


 流石に応答一方だと、ばつが悪い。そう感じた純一は、葵に見学の話を振ってみた。葵の明るい性格には圧倒されるが、不快に感じることはない。だから純一にしても話しかけやすかった。


「いやー私もここまで人が集まるとは思ってなかったな。これじゃあ全員入りきらなそうだし……」

 

 微笑み続ける葵もこれには少しばかり困った表情をする。今朝からの宣伝効果は抜群のようだ。

 すると葵は左腕を豊満な胸の下に通し、右手を口元に当てて考えるようなしぐさをする。隣でその様子を見ていた純一は自然に生唾を飲み込んでいた。

 葵は美貌だけではなく、そのプロポーションも高校生とはかけ離れているレベルである。その溢れんばかりの魅力から目を離すことは困難を極めた。


「はは……なんか、講堂のような広い場所とかがあればいいですね」


 何の考えもなしに、純一はこぼした。これが後で痛い目を見ることになるのだが。


 葵との至福の間は長くはもたない。

 地学室の前には御園生葵を一目見んとする男子生徒たちが群がっている。その中の一人が純一と話し込む葵本人を見つけてしまったのだ。

 気が付けば、目の前から欲望たぎらせた男どもの波が一気に押し寄せてくる。波は驚いていた純一を意にも介せず弾き飛ばすと、葵を中心として鉄壁の壁を作りだした。


 握手やサインを求める男子生徒の黒山の人だかりの中で、葵は怯む様子もなく堂々としていた。嫌な顔ひとつさせず要求に応じていたが、このままでは埒が明かないと判断したのだろう。「静かに!」と声を高らかに発すると、その場は一斉に静まり返った。


「みんなー、このままだと部の見学会なんて出来そうにないから講堂に行って! そこで同好会のことを紹介するよ。席は早い者勝ちだからね。それじゃあ、よーい……どん!」


 葵の合図と同時に、壁をなしていた生徒たちは最前列を狙うために我先に講堂へ走ってゆく。再び人の波が形成され、そのまま視界から消失していった。

 このまま自分も講堂へ行くべきか多少、純一は悩んだ。だが閑散とした地学室の中へ入っていく葵に顔を覚えたと言わんばかりに手を振られてしまった。


(名前も名乗ったことだし、このまま帰るというのはなんだか申し訳ない)

 

 そう思った純一は、今いる西校舎の向かい側、東校舎へ向けて歩み始めた。


 予想するまでもないが、講堂内は人でごった返していた。しかも明らかに地学室前でたむろしていた人数の倍以上に膨れ上がっている。

 さしずめ講堂へ移動していく大集団を見て、何があるのか分からないままに便乗したのだろう。その証拠に上履きの色が純一とは違う、上級生であることが一目瞭然でわかる。

 

 とんでもない状況になっているなと思いつつも、純一は空いている席を探す。

 当然、ステージ前から半分ほどの席は既に埋め尽くされている。やっとのことでステージからかなり離れた後方に空いている席を見つけることができた。

 講堂内はまるでアイドルのライブ前かというくらいの熱気に包まれていた。誰もがステージを見つめ、何が始まるのか今か今かと待ち焦がれていた。


 しかし、講堂が最初から使えるなら、どうして地学室で見学会を開こうとしたのだろうか?

 喧々けんけんたる講堂の中、純一はひとり考える。

 

 考えられる理由があるとすれば、見学会に使う機材の都合だろうか。天文研究同好会ということもあるし、望遠鏡やその他の観測機器を壊してしまうのを避けるため。と言われれば納得がいく。

 

 しかし、なんとなく腑に落ちない。

 少し言葉を交わしただけで断定はできないが、葵の性格なら最初から講堂で見学会を計画するはずだ。単純に思いついて講堂の使用などはありえないだろう。現に講堂の入口に電子ロックはかかっていないから、許可は下りているはず。


 あれやこれと考えているうちに、不意に視界が闇に包まれる。誰かが講堂内の照明を落としたようだ。もっとも、誰がやったかなんて問いは野暮だろう。

 誰もが固唾を呑んで待っていると、天井に備えられているスポットライトが一斉にステージに集められる。暗闇に慣れかけた目に眩しさを感じながらも、またあの底抜けに明るい声が耳に飛び込んできた。


「こんにちはー!」


 威勢のいい挨拶と共に、葵がステージの脇から現れる。右手にはマイク、左わきには小さな携帯コンソールが抱えられていた。

 それと同時に興奮したギャラリーが一斉に沸き立つ。葵はマイクを片手に持ったまま、ステージの中央まで移動するとぺこりと深く一礼した。


「今日は我らが天文研究同好会の見学会にお集まりいただき、深く感謝しています。……っていう堅苦しい挨拶はここまで! ということで、これから我らが同好会の紹介をしていくけどみんな心の準備はできてるかなー?」


 葵が聴衆の反応を伺うと、講堂は嵐のような拍手に包まれた。

 葵は携帯コンソールを用いて、聴衆たちの頭上にミニチュアの太陽系を投映した。

そこから葵は真面目に(といってもほとんど面白おかしく)太陽系の星々を紹介していった。

 葵の饒舌な話には誰もが知っているような話題でも聴衆を飽きさせることはなかった。逆に常に笑いを巻き起こす。例に漏れず、純一も葵の弁舌に惹きこまれていた。天体の話が一通り終わり、閑話休題。葵が生徒たちの質問に応じていた時だった。


「あっそうだ。よく聞かれるんだけど、この際だからはっきり言っておくね。わたし、彼氏はいません!」


 話の途中でなんの脈絡もなく、彼氏がいないことを漏らした。


 一瞬の静寂。


 そして間髪入れずに葵の激白を聞いた男たちは歓喜の雄叫びをあげ、講堂内はさながら猛獣の檻と化す。だが、葵は相変わらずニコニコと表情を崩さず、その反応を見ていた。


「た・だ・し! 私のために新しい星を見つけるとか、それぐらいのことができる人としか付き合う気はないから注意してね」


 講堂内に響き渡る獣の咆哮は熱が冷めていくように次第に弱まっていった。葵と付き合うには新しい星の発見と同じくらい険しいものだと知った獣たちは、再び人間へと戻っていった。


「でもひょっとしたら、このチャンスを一番つかめるのはこの天文研究同好会だけ! ……かもしれない。と、言いたいところなんだけど、この天文研究同好会に入るためには、まず私と面接してもらいます。面接といっても堅苦しいものじゃないから安心して。みんなに『ある課題』にチャレンジしてもらうだけだから」


 その場にいた全員が葵がどのような課題を出すのか気になっていた。張り詰めた空気のなか、葵の発表を待つ。


「課題はただ一つ、『この私を驚かすこと』簡単でしょ?」


 いったいどんな難題をつきつけられるのか、固唾を呑んで発表を待っていたがあまりに単純な課題に拍子抜けする。純一としては竹取物語の蓬莱の玉の枝でも持って来いと言わんばかりの難題を期待していたのだが。


「期限は今週中まで。自身のある人は是非、私のところに来てチャレンジしてみてね。公序良俗に反しない限りはジャンルはなんでもOK。物理的に驚かせたり、怖い話で心理的に驚かすのも、勿論ありよ。一番最初にできた人には特別なプレ――」


 突然、講堂の扉から中から数人の男女が流れ込んできた。

 突然の出来事に講堂内は静寂に包まれた。押し入ってきた者たちの左腕には緑色の腕章が付けられている。

 不穏な雰囲気の中、純一は腕章に記されている文字を読み取った。


《生徒会・風紀委員会特別選任委員》


 講堂内に突如現れたのは、生徒会と風紀委員の中から選ばれた特別な生徒たちだった。この選任委員会は学校行事等のイベント時に混乱のないよう取り締まるために結成・活動し、その権限は期間限定であるがゆえに強い。また生徒の懲罰や部活動に置いては活動停止を命じることもできる。


(おいおい、嘘だろ……)


 まさかの展開に純一は唖然とする。

 〝特任〟がここに来たということは、この見学会の中で重大な規約違反があったということになる。


「この講堂の使用許可は出されていないはずだが、いったい誰が使っているんだ!」


 腕章を掲げた集団を先頭で率いる男子生徒が講堂に響くような大声を張り上げた。純一は内心ひやひやしながらも大声を上げた生徒の顔をちらりと見てみる。


 その顔に純一は見覚えがあった。それは去年の学校案内で葵の隣にいた美男だった。

 高い身長とその立派な風采、そして精悍な目つきは講堂内に集まる男子生徒とは格が違う。そして今、その瞋恚しんいに燃える視線はその場にいた者たちを震え上がらせた。


「あら、榊田さかきだくん。講堂を使っているのは二年の御園生よ!」


 ステージ上でやっぱりというか、講堂の無許可利用をしでかした葵は何も気にしていない様子で、きっぱりと言い放った。


「御園生、また君か! いったい君は何度言われたらこの学校のルールを守れるようになるんだ?」


 榊田と呼ばれる生徒は当然のように葵をよく知っているようだ。

 それよりも今の榊田の台詞から察するに葵は学校でこの手の問題をよく起こしているようでもあった。純一はとりあえず事の顛末を見守ることにした。


「いいじゃない、誰も使ってないんだし」


「また君のお得意の技か……。 今朝の出来事といい、本当に君は人騒がせだ。この講堂だって部員数が足りない〝同好会〟じゃあ本来使えない決まりだ」


「そう? ならもっとセキュリティのレベルを上げた方がいいわね。そこのロックを解除するのに二分もかからなかったわよ」


(学校の電子ロックを自分で解除した?)


 葵はとんでもないことをさり気なく言ったような気がしたが、純一は気にしてはいられなかった。


「とにかく解散だ。ここにいる君たちも反省文を書かされたくないなら、今すぐこの場を去った方がいいぞ」


「ちょっと待ちなさい! 解散させるんだったら、最後までやってからにして」


 だが葵の抵抗虚しく、講堂内の生徒は次々と退散していく。反省文という至極面倒なリスクと引き換えに、葵の話を聞くのは天秤にかけるまでもないだろう。

 純一も周囲の流れに身を任せようと、席から立ち上がった時だった。


「一年B組の山県くん! ちょっとここまで来てくれないかな?」


「なにっ⁉」


 何の脈絡もなく突然自分の名前を葵が口にしたことに純一は驚きを隠せなかった。しかも、学年と組まで言われて。

 その場にいた生徒たちも誰だ? という微妙な空気になっていた。

 葵はまだ純一を見つけてはいないらしく、ステージ上できょろきょろしていた。


(このままステージに行ったら確実に厄介なことになりそうだな……)


 何事もなかったようにその場を立ち去るのが賢い選択かもしれない。だが純一は次々と退出していく生徒の波を掻き分け、敢えてステージに近づいていった。


「御園生先輩?」


「あっ、山県くん! よかったー、来てくれて」


 ステージの下から声を掛けた純一に葵は、安堵した表情を浮かべながらステージから飛び降りる。そして着地をしたかと思うと、垂れていた純一の右手を強く握った。

 不意を突くような葵の行動に純一は驚愕し、どきまぎする。


「山県くん、下の名前教えて?」


「じ、純一っていいます」


「そう。じゃあ純一くん、中学時代は何の部活やってたの?」


「中学時代ですか? なんも入ってなくて帰宅部だったんですが……」


「それならもう部活は決まった?」


「まだ決めかねていますけど……って、さっきからいったい何の質問ですか?」


 意図の読めない尋問まがいの問いに純一は戸惑いを隠せない。


「じゃあさ、天文研究同好会に入ろっか!」


「は?」


 純一からの問いに一切答えることなく、葵は天文研究同好会の入部を強引に勧める。


「お願い、今は私に協力してほしいの。純一くんもこのままだと入部届の提出期間が過ぎて、また暗い三年間になっちゃうの目に見えてるんだよ? だったらここは入部しておいて、保険を作っておくのがいいんじゃない?」


「いやいや、中学時代が暗かったなんてこれっぽっちも言ってませんよ。あと、それらしいこと言ってるように思えますけど、他の部に転部しようとしたら絶対反対しますよね?」


 葵に握られている手を振りほどこうとも、意外に強い力で掴まれていて逃げようがない。


「まあまあ、固いこと言わずに。今ならさっき出した課題にチャレンジしなくて済むんだよ? だから一言だけ、『入ります』って言うだけでいいの」


「課題にチャレンジするも何も、そんな気ないですから!!」 


 なかなか承諾を渋る純一に葵はしびれを切らしたのか、


「この手はあんまり使いたくないんだけどねー」


 とつぶやくと、掴んでいた純一の手を思いっきり引き寄せた。


「なッ――」「あっ……」


 純一の右手が柔らかい何かに触れる。それと同時に葵が艶のあるため息を漏らした。

 制服の布地の上からでも伝わる柔らかい感触、純一は今までにない感じだった。そして気が付けば純一の右手は葵の胸に押し当てられていた。


 一瞬で理解した純一は全身に衝撃が駆け巡る。


「ちょっ、なっ、何してるんですか⁉」


 純一は慌てて葵の手を振りほどくと、自分の右手にした感触を振り払うために、手を開いたり閉じたりした。純一の頭の中では先ほどのシーンが繰り返し再生しそうになるが、今は何とか押しとどめた。


「さあ、これでもう逃げられないよ」


 自分の胸を触らせても相変わらずニコニコしている葵に、純一は軽く恐怖を覚える。


「本気ですか?」


「これが私の覚悟よ。さあ、純一くんも男なら堂々と覚悟をみせてちょうだい!」


「そんな無茶苦茶な!!」


 葵と押し問答すること寸刻、その様子を見ていた誰かがしびれを切らしたのか、純一の背後から咳払いが聞こえた。


「……それで御園生。後輩との取り込み中に悪いんだが、講堂の無許可の使用についてはどう弁解するんだ? 特に理由がなければ、天文研究同好会の活動停止処分もあり得るぞ」


 葵とのやり取りにすっかり忘れていたが、講堂には葵と純一が残されていただけではなかった。榊田とそのメンバーも講堂に居合わせていたのだ。幸運なことに純一が葵の胸を触った現場を見た者はいないようである。

 冤罪であると分かっていても、誰かに変な噂を流されでもしたら学校生活が破綻しかねない。


「待って榊田くん。これはちょっとした間違いなの」


 榊田のひと言に葵は純一の手を離し、榊田へ許しを請うように両手を合わせる。


「ほほう、それはどういう了見だったのか説明してもらおうかな」


 榊田は葵を威圧するかのように腕を組んだ。解放はされたものの、純一は葵が言おうとしていることに気が気ではなかった。


「天文研究同好会は同好会じゃなくなったのよ。この見学会が開かれる前にそこの彼が入ることになったから部に昇格する予定になったの」


「⁉」


 葵は当然のように純一を指さした。突然の話に純一は驚きの色を隠せないまま、その場で凍りつく。


(まだ一言も入部するとは言ってない!)


 純一は混乱した頭の中で葵に対して抗議する。

 だがここは余計な面倒事を巻き起こして、帰る時間を長引かせるのを避けたい。


「たしか、部であれば空いている講堂を使うことは許されているはずだったわね?」


「くっ、確かに……正式な部であれば講堂を使用するには構わない。だが前もって使用するという申請は必要だ。その点については?」


「ごめんなさい、その点については謝罪するわ。これからは、といってもあと数日しかないけど新入生勧誘には気を付けるから活動停止だけは勘弁して」


 なんと狡い先輩だろうか。天文研究同好会の活動停止を避けるための免罪符として純一は利用されたのだ。葵のしたたかさに純一は半ばあきれていた。


「何度も問題を起こしている御園生にしてはなかなか素直じゃないか。まあいい、今回の件は大目に見て活動停止の処分は取りやめにしてやろう。無論、何の咎めもなしということにはならないぞ。明日の朝早くに登校して生徒会にこの件を説明すること」


「ありがとう榊田くん! やっぱり次期生徒会長は榊田くん以外にはいないわ」


 葵は目を輝かせて、榊田に誰が聞いてもわかるようなお世辞を連発した。榊田も葵の言葉を真に受ける様子もない。


「で、彼が天文研究〝部〟に新しく入る新入生か?」


 榊田はその場で硬直していた純一のことを葵に尋ねた。

 免罪符という役目を終えたんだから、これ以上ややこしくなるような発言はやめてほしいと純一は葵に切に願う。


「ええ、新しく入った山県純一くん。覚えておいてね」


 悪い夢だと自分に言い聞かせる純一は全身から力が抜けていくような感覚に襲われた。茫然と立ち尽くす純一に、榊田は容赦なく忠告を加える。


「山県君。もし君がこの学校で青春を謳歌おうかしたければ、そこにいる御園生葵とは手を切ったほうがいい。なぜなら昨年の一年間で謹慎十三回、訓告七回、停学二回もの処分を受けた学校屈指の凶悪な問題生徒だからだ」


「凶悪とは失礼ね。自宅謹慎は四回で、それ以外は別の教室での授業受けるだけの処分だったでしょ? あと訓告の三回と、停学の一回は取り消しになったわ」


 榊田の発言を遺憾だと言わんばかりに訂正する葵は、怯む様子など微塵も見せない。傍から聞いていた純一は葵が今まで何をやってきたのか気にせずにはいられなかった。

 葵の壮絶な経歴を聞かされ、純一はそんな問題児に目をつけられたことを不運に感じた。朝の騒動だって葵の起こしてきた出来事の中ではかわいい方なのかもしれない。


 絶句する純一をよそに、榊田は葵を睨みつけると、委員たちと共に講堂から去っていった。


「…………」


 純一は晴れて、生徒会・風紀委員会の『要注意人物リスト』に加わることとなった。


     ✝


 純一は精根尽き果て、帰宅の途を辿っていた。

 葵を何とか振り切って学校を脱出できたが、明日のことを考えると頭が痛い。


 だが、高速輸送シャトルの発着場を出た途端、ただならぬ町の雰囲気に気が付いた。具体的に言えば、やけに警備ドローンが道路を行きかっている。人通りも少なく閑散としていた。

 何度かパトカーともすれ違い、いよいよ何かあったなと確信したところで自宅に着いた。


「あら、純一。おかえりなさい」


 いつもより早く帰宅していた母、山県小雪やまがたこゆきが純一を出迎えた。疲れた表情の純一だったが、リビングのホロディスプレイに目が留まる。

 毎日自分が利用している駅、大通りに面した商店街、何度か通ったことのある道。純一が良く知る場所が次々とスクリーンに映し出されていたのだ。


「あれ、なんでこの町が映ってんの?」


「知らないの?」


 小雪は驚いたような声を上げた。


「殺人があったのよ。ほら、三丁目に最近建った高層マンションがあるでしょ? あそこで男の人が殺されてたんですって、物騒な話よね」


 小雪が言った通り、ニュースには純一にも見覚えのある高層マンションの映像が流れていた。興味を持った純一はソファーに座ると、報道されている事件の詳細に耳を傾ける。


《殺されたのはこのマンションの二十六階に住む早瀬俊樹はやせとしきさん、二十八歳。職業は古物商で、業界では名の知れた青年実業家でした》


《早瀬さんは数日前から会社を無断で欠席し続けたため、不審に思った知人がマンションの管理会社に連絡。確認のために部屋を訪れた管理会社の社員が浴室で亡くなっていた早瀬さんを発見しました》


《警察の発表によると早瀬さんの死因は首を鋭利な刃物で刺されたことによる失血死の可能性が高いとのことです。また、遺体の右手が切り取られ、持ち去られているという情報もあります。警察は持ち去られた右手と殺害に使用された凶器の発見とともに、犯人の行方を追っています。以上、現場から……》


(知らない名前だ)


 殺された人物が自分の知人ではないと知るなり、不謹慎だと思いつつも純一は胸を撫で下ろした。ただ、ニュースからは犯人が未だに捕まっていないことに一抹の不安を覚える。背後で同じニュースを見ていた小雪も同じことを思ったらしく、暫くは用心しなきゃねと呟いた。


「あれ、章悟しょうごのやつはまだ帰ってないの?」


「章悟くんなら、春の大会に向けて遅くまで練習してるみたい」


 章悟というのは純一の二つ下の中学二年の弟のことである。サッカー部のレギュラーメンバーに選ばれたらしく、ここ数日は気合の入り方が違っていた。不毛な三年間を過ごした兄とは違い、健全な中学生活を送っているのはなによりである。


「ふーん。で、父さんが次に帰ってくるのはいつだっけ?」


純章すみあきさんなら、帰るのは一ヶ月後になりそうって言ってたわ」


 父である山県純章やまがたすみあきは自宅を開けることが多い。なぜなら父は環太平洋条約機構の熱核融合炉【プロメテウス】の制御システム管理部門に勤めている。そのため、平日のほとんどは太平洋上の科学研究プラントで過ごしている。会えないとは言っても、毎週のように母とは常にディスプレイ越しで連絡を取り合っているが。

 純一は科学プラントに努めている父を素直に尊敬している。単身赴任で家族と離れ、隔離されたような地で働いていることに加え、当の純章の性格も面白いのだ。


 小学生六年の夏休み、自由研究の課題で悩んでいた純一はたまたま休暇中だった純章すみあきに相談した。適当に済まそうと考えていた純一に対して、純章はあまり会えない息子からの相談に大いに喜んだ。

 そして純章は小学生には理解できないようなIT用語を、ひたすら純一に説明してから作業に取り掛かった。乗る気のない純一だったが、普段の家では見かけぬ父の熱心な姿に心を動かされ、自身も課題の中に組み込むシステムの設計を行った。


――その時の夏休みの日々を純一は今でも忘れられない。


 課題の設計も大詰めを迎えたところで、純章は科学プラントに戻らねばならなかった。作業はまだ残っていたが、純章が記した設計書をもとに純一が引き継いだ。

 そして迎えた新学期、自分の課題を持っていった純一は学校で一躍有名人になった。小学生の技術を遥かに超えたその作品は、瞬く間に市の作品展で最優秀賞を受賞。さらには国立科学技術展覧会の小学生部門でも優秀賞に選ばれた。


 そのことを純章に報告すると大いに喜び、


『いいか純一、人間は決して立ち止まることはない、常に前へと進んでいく生き物だ。そして人間が生みだした科学が、いつか魔法を超えるときが必ず来る。お前はその一歩を踏み出したんだ』


 という言葉を残した。この言葉は純一の生きる上での道標になると共に、暗黒の中学時代をもたらすことにもなったのだが。


 純一はいつの間にかあの夏の思い出に浸っていたことに気が付いた。目の前で流れる番組はいつの間にか芸能人のスキャンダラスな話に変わっている。

 スクリーンに流れるニュースに興味を失った純一は明日提出しなければならない情報処理の課題が出されていたことを思い出す。そして何事もなかったように、自分の部屋へと向かっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る