-第39訓- 女子は男の筋肉を触りたがる

 楽寺さんと倉高さんのいじらしい復讐もひと段落したところで、みんなが集まり、本格的に仲良く男女混ざって夏の海を満喫していた。


「一九七五円になりまーす」


 しかし男女何人夏物語的な空間がどうも苦手な俺はしれっと抜け出して、一人近くの海岸線にあるコンビニで買い出しをしていた。ほら、あいつら何も買い出ししないで直で海行きやがったからよ。

 というか、みんなのもとに戻った時にどこ行ってたんだなどとどやされるのも嫌なので、こうして言い訳材料こしらえているとも言える。一応バイトの給料入ったし、懐には余裕がありおりはべりいまそかり。

 ……しかし、さっき人数分の飲み物かごに入れてる時に気づいたけど、俺含め9人もいたんだな。意外と高くついた。

 両手にビニール袋を携え、国道一三四号線の横断歩道をまたぎ、海へ戻る。あつー。ずっとコンビニにいてぇ。


「あー! 七里クンいたー! もー、どこ行ってたの!」


 みんなのいるパラソルのもとに戻ると、倉高さんに予想通りすぎる言葉を浴びせられる。


「ん」


 俺はそれだけ言って両手の袋を彼女に差し出す。


「重っ! ちょっと女の子に荷物持たせないでよ~……って」


 ふん。関係ないね。この俺を誰だと思っていやがる。ミソジニストだぞ? 女なんぞにそんな気遣うかよ。


「これ、買ってきてくれたの!? やだぁ、かっこよー♡」


 袋の中身を覗き込んで倉高さんはわーっと声を上げる。知ってる知ってる。俺はかっこいいんだぞ。そこにひれ伏せ腹黒女。

 ともあれ、これで俺が抜け出したことを責めるやつはいない。


「みんなー! 七里クンが飲み物とか買ってきてくれたよー」


「えー! ありがとー!」


「七里イケメンかよー。あざましー」


「わー! ごめんなさい気が利かなくて」


 倉高さんに続き、楽寺さん、腰越さん、岸さんの順にお礼を言われる。おう、だからお前らもそこにひれ伏せよ?

 買ってきたものは女子たちに任せ、男子連中のもとへ向かおうとしたが、


「ちょっと。いくら」


 女子の中で唯一、礼の一つも言わないやつが俺の横に来た。

 後ろでまとめられた長髪、感謝のかの字も感じない三白眼、締まった体に黒ビキニ……鵠沼だ。

 よく見ると、片手にはブランドものの財布を抱えている。


「……金なら要らん。女に金せびるほど落ちぶれとらんしの」


「アタシも男にたかるほど腐っちゃいない」


 めんどくせーなこいつ。ああ言えばこう言いやがってよ。そういえばこの間の祭でもきっちり自分の分は払ってたな。


「じゃあ五万。よこせ」


「……はぁ?」


「あ? 払えねぇのか? だったら要らね。じゃあの」


 俺は鵠沼を無視し、くるっと踵を返して男子たちのもとへ向かった。

 彼女はしばらく俺を見て立ち尽くしていたが、諦めたのか、はん、とため息をついて戻っていった。


「ななっちゃーん。粋なことすんじゃん。みんなの分奢るなんてよー」


 その様子を見ていたのか、長谷がひゅーひゅー言ってくる。


「いや、お前らは払え。女子の分と、あと俺の分も含めて」


「えー!?」


「嘘だよバカ。まぁあれだ、祝勝祝い的な、の」


 そう言いながら俺はシートに腰を下ろし、稲村の方を向く。


「できだんだろ? 仲直りとやらは」

 

 俺は男女が集まったのを見てすぐコンビニに行ったから実際どうだったのかは知らない。


「まあね。おかげでこの通りだ」


 そう言って稲村は自分の体を見せるように両手を広げる。そんな彼の体を見ると、砂まみれだった。

 え? どういうこと? ってかよく見たらいつの間にか服脱いで男子全員水着姿になってるし、江島も長谷も稲村と同じように砂まみれだ。


「さっきまで女子たちに砂に埋められてたんだよ。俺もエトも長谷も」


 ……それ、仲直りできてんのか? 相変わらずイジメられてね? ってかナメられてね? まったく、少しは男の威厳を見せろよな。

 でもよかった、俺買い出し行ってて。砂まみれにされるなんて御免だし、水着の中に砂はいるとじゃりじゃりになってちんこ気持ち悪くなんだよ。


「つーか七里も上脱げば? 暑いだろ」


 そういえばさっき楽寺さんに急に連れ出されたせいでTシャツ脱ぎ損ねていた。


「そうだな。汗かいて気持ち悪ぃわ」


 もう一度立ち上がり、言われるがままにシャツを脱いで、鞄にそれを仕舞おうとした時、腰越さんと目が合った。

 派手なピンクの生地に花柄があしらわれた水着にヘソピアスといういかにもなコーディネートの彼女。

 何の気なしにお互いすぐ目を逸らしたのだが、彼女は「んん?」と訝し気な表情でこっちを二度見してきた。

 え、なに? やだ。あんまり見ないで恥ずかしい。

 なんとなく自分の乳首を両手で隠すと、さらに彼女は言った。


「七里……ヤバくない!?」


 ヤバいって何がだ。乳首か? 乳首のことか? そんな変なの俺の乳首。マジかよ超ショック。


「ほんとだ! やばっ!」


 続いて楽寺さんまで言う。ちょっと待て。お前らデリカシーなさすぎだろ。俺が言うのもなんだけど。


「やだぁー。七里クン私に見せるからって鍛えてきたのー?」


 ニタニタしながらムカつく口調で倉高さんまで言ってくる。ん? 鍛える……? 乳首を? どうやんのそれ?


「いや、ななさん昔からこうだよ。すごいよね」


 江島がよくわからないフォローをする。乳首がすごいって何だ? ってかお前今までそんな俺の乳首見てたのかよ。引くわ。ちょっと今後距離置こ。


「七里、体の話な。お前のか・ら・だ」


 と言いながらペシペシペシと俺の腹筋に軽く裏拳をかましてきた。痛っ。

 あ、そゆこと? さすがは稲村。俺が勘違いしていることをよくぞ気づいてくれた。よかったー乳首のことじゃなくて。

 確かに俺は人よりガタイが良い。七里組で仕事をしているせいってのもあるが、もともと筋肉質で一度筋肉がつくとなかなか落ちない体質らしい。他の人がどんなか知らないからあまり自覚はないんだけど。

 それを言うとよく羨ましいとは言われるが、筋肉がついても運動部みたいに動かさないから体が硬い。あと細身のファッションが似合わない。スキニーとか足の形出ちゃってタイツみたいになる。結構コンプレックスよこれ?

 今思えば裸を女子に見られたことないか。うちの学校はプールないし。童貞だし。

 逆に男子は体育の着替えの時とかで見ているだろうし、ちょくちょく「鍛えてんの?」とかつっこまれることもあった。


「こいつ実家のバイトで体使うんだよ。しかも一度筋肉つくとなかなか落ちない体質っていうね。帰宅部のくせに」


 俺の代わりに稲村が説明する。ほんとお前俺のとことよく知ってんな。引くわ。ちょっと今後距離置こ。


「へー! ねねね七里、触ってい?」


 腰越さんが言うと「触りたーい」「わたしもー!」と倉高さんと楽寺さんも名乗りを上げる。やだ、この子たちイヤラシイワ。


「はい。ワンタッチ百円なー」


 稲村がそう言って手を差し出すと「えー」「たかーい」と女子から不満の声が漏れる。

 稲村と女子のこういうノリ、久々だな。どうやら仲直りとやらは本当にうまくいったようだ。


「私、七里クンと仲良しだからタダー」


 意味のわからない理由で倉高さんが俺の許可なく胸筋を触ってきた。あっ……。

 心の中でそっと喘ぐと残りの二人もお構いなしに触れてくる。


「すごーい! 腕グッてやって!」


「胸に力入れて力! わ、ピクピクしてる!」


「わー! 腹筋かたーい!」


 女子三人にベタベタと上半身をまさぐられる。ああ……こーこちゃん、僕は汚れさてしまったよ……。

 どんどん体を侵されて貞操を失っていく悲しみに暮れる俺など露知らず、楽寺さんが「きっし―も触りなよ。げぬーも!」と史上最大に余計なことを言う。


「え? いいのかな……」


「やだ。ばっちい。そろそろやめないとそいつ勘違いするよ」


 どっちがどっちの発言かわかるだろう。お前らちょっとは岸さんの遠慮した態度見習え。そして鵠沼、テメーは死ね。


「げぬー相変わらずー。じゃあほらほらきっしーおいで」


「う、うん」


 少し困ったように岸さんは楽寺さんに従い、立ち上がって俺の元までくる。


「わたし、七里くんとほぼ初対面なんだけど……」


 岸さんは「ね?」と俺に尋ねてきた。うむ、そうですね。


「大丈夫大丈夫! ちょっと怖いし、性格は悪いけど! ほらほら手ぇ貸して!」


 どんなフォローだそれ? いやフォローどころかただのディス。

 

「わ、かたーい」


 岸さんは無理やりなかたちで俺の腹筋に触れさせられる。

 黒髪ボブの彼女は女子の中で唯一、水着の上に薄手のパーカーを羽織っており、その華奢な体形とも相まって、なんとなく比較的大人しいタイプなのが垣間見えた気がした。他と比べても背が低いってのもあるかもしれない。


「…………」


 この身長に、妙な既視感があった。

 見下ろさないと見えないくらいのこの背丈は……あ、そういうことか。

 無邪気に絡んでくる時も、帰り道が一緒になった時も、が嫌いを直せと説教する時も、俺は彼女に目をやっては小さい体だなと、そんな風に感じていた気がする。

 そう、それだけ。それだけだ。岸さんを見て思ったのは、ただそれだけ。

 そんな風に俺が女子たちから体をまさぐられてる右横で、その様子を見ていた長谷が腕を組んで女子たちに一言物申す。


「おまえらよー、ななっちゃんにそんな触らせてもらってんだから代わりに乳のひとつくらい揉ませてやれよー?」


 長谷さぁ……お前やはり天才か? 今までちょっとバカにしたりしてごめん。見直した。

 いやほんとそれな、マジでそれ。ひとつくらいいいよな、どうせふたつもあるんだし。


「えっ……」


 長谷の言うことをマジで受け取ったのか、岸さんが俺からサッと離れる。


「ちょっと長谷ちん! 変なこと言うな! きっしー引いてんじゃん!」


 腰越さんが諭すと楽寺さんも俺の腹筋を触るのを辞め、「マジきもい」とゴミを見る目で長谷を追撃する。

 こんな流れになると思っていなかったのか長谷は慌てて「えー、ごめんごめん! 冗談よ? 冗談!」と謝っていた。

 何だよ、冗談かよ。見損なった。これからも長谷のことはちょっとバカにすることにする。

 すると長谷とは逆方向で俺の左胸筋をまさぐっていた倉高さんが小声で囁いてきた。


「……触りたい?」


 ……え?

 思わず振り向くと彼女は上目遣いできょとんとした視線を俺に向けていた。


「いいよ? ちょっとだけなら」


 マジ? ……いや違う! これは罠だ! っぶねー危うく犯罪者に仕立て上げられるところだったぜ。

 気持ちをうまく抑え、俺はミソジニーモードに心を入れ替える。


「てめぇ、下手なこと言ってっとマジで揉みしだくぞ……!」


 俺は冷静さを取り戻し、文字通り倉高さんを見下して言い放った。

 決まった。と思ったけどすぐさまこいつにはこういうのあんま効果ないんだと思い出した。


「揉みしだくて。できないくせに~。ってか胸見すぎー」


 ほらな。相も変わらずムカつく女だ。ってか、


「は? 見てねぇし」


 見て……ねぇし。

 本当に見てなかったのに後追いで見てしまった。いやだって視界には入ってたしすぐそこにそれがあったし。そしてやはり真実はいつも二つだった。


「あ、見た。えっち」


 このアマ……ハメやがったな……!


「……はい終わりじゃ。もう触んな。二度とな!」


 そう言って俺は倉高さんを振り払い、彼女から離れる。


「照れちゃって可愛い~」


 倉高さんが後ろでなんか言っていたが俺は無視して男子たちがいるところへ向かった。クソ女め……いつか泣かす!


「ななっちゃーん。モテモテじゃん羨ま!」


 野郎どものエリアに戻ってくると長谷がウザめに絡んできた。


「まぁよ。稲村の時代はもう終わった」


 なので俺もウザめに返した。すると稲村から「おい」とツッコミが入り、長谷と江島が笑う。


「なんだ? まだモテたいのかお前? こんだけ揉めたくせによ」


 すると稲村は「いやもうマジで勘弁だけどさ……」とそこはマジトーンになる。が、


「岸さんまでお前に絡むとはね。ちょっと嫉妬したわ」


 おいおいおい。と思っていると江島と長谷も同じように感じたのか、


「ちょっとちょっと。何か更に関係性がややこしくなってない?」


「イナっちー、もういいってー」


 さすがに二人ももう稲村のいざこざに巻き込まれるのには辟易してるようだ。

 それに対し稲村は「別にどうにかなろうとは思ってないって」と笑う。


「あーでもお前、岸さんみたいなタイプ好きそーじゃの」


 なんだっけ? 二軍女子的な、ちょっと控えめな子が好きなんだっけか。


「そう、結構タイプ」


 すると江島が「イナっちの元カノあんな雰囲気だった確かに」と言う。あーそうかも。


「岸さんと絡みあんの?」


 稲村も岸さんにはさん付けだったしあまりなさそうだが。


「ん~……よっ友ってくらいかな。別に知らない仲ではない。だから嫉妬した」


 なんだそれ。


「でもあれだろ。身内だから付き合わないんだろ?」


「そうな。可愛いなーと思って終わり。でも彼氏できたらたぶんちょっとショック受ける」


 それに「きも」と返すと「んだとー?」絡まれるが、そこで江島が「あーそれちょっとわかる」とつぶやく。


「可愛いと思ってたタレントの熱愛報道出た的な感覚あるよね」


 なるほど。なんちゃらロス的なやつか。わからんでもないな。


「そんなん俺学校の全可愛い女子に感じるわ!」


 大変だな長谷。俺は学校の女子が誰と付き合おうが知ったこっちゃないわ。というか学校の女子をあんまり知らん。


「いやー俺もななっちゃんみたいに体鍛えよ! そしたらちょっとはモテんべ!」


 長谷の言葉に「モテるモテないはともかくかっこいい体にはしたいよね」「わかる。筋肉付くと何か謎の自信も湧くしなー」と皆口々に述べる。別に俺鍛えてはいないんだけどな。

 

「そうだ。こうなりたかったらよ、俺の代わりにうちでバイトしろ。死ぬほどキツいけど」


 そして俺は休む。紹介料として三割ほどいただこうかな。

 と、半分冗談で言ったのだが、


「え、七里んちのバイトって部外者でもやらせてくれんの?」


「っていうか俺全然知らないんだけど、ななさんちって何か仕事やってるの? サラリーマンじゃないってこと?」


「そーそーさっきイナっちがななっちゃんは現場でどうのとか言ってたよーな?」


 意外とみんなノッてきた。


「簡単に言うと土建屋よ。バイトは頼めばイケんじゃね? 地元のツレとか短期で入ったことあるしの」


「なるほどキツいってそういうことね。俺無理かも……」


「へー。時給いくらよ?」


 長谷の質問に対し少し思案する。そういやバイトの人にはいくら払ってんだろ。特にちゃんと確認したことないわ。ま、俺の貰ってる額言えばいいか。


「二千円」


 そう答えると、全員の目の色が変わったのがわかった。


「二千!? 高校生で!?」


「マジ!? やば! 全然やりたいんだけど!」


「えー! キツくてよ二千円ならデカいなー」


 稲村は目を見開き、長谷は手を挙げて早速入社希望してくる。最初は諦めムードだった江島まで再考してるし。


「いや、未経験者だと最初は千五とかかも」


 と補足を入れるがそれでも皆いやいやいやと食い気味に入ってくる。


「全然いいわ! 千五でも十分やべーわ!」


「マジかよ七里お前めっちゃ恵まれてんな!」


「いいよねー実家で雇ってもらえるって」


 などと勝手にわいわいと盛り上がっているが、


「わかってねぇな。マジでめちゃくちゃキツいんだぞ? 地元の隣町でブイブイ言わせてたごっつい先輩が一週間持たずに辞めてったの中学ん時見てるからな俺」


 うちにはそういう人が流れてくることがままあるが、格好ばっかで根性ないやつは軒並み辞めていく。大ちゃんとかあんな感じだけど何だかんだでちゃんと根性だけはある。あと結局どの仕事でもコミュ力は大事。

 これにはさすがのこいつらにも結構堪えたようで、


「うお……マジか」


「やっぱヤンキーとか多いんだ……」


「ななっちゃんのそういう感じはそこからも来てんのねー」


 長谷が続けて「すげー納得」と言う。何がだ。育ちの悪さのことか。まぁそれはそうかもしれん。でも普通の人も結構多いぞ? 結局は仕事よ。遊びじゃないんだから半端もんは生き残れない。

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