-第33訓- 女子は失恋すると誰かに泣きつく
夏期講習も来週はお盆のために休みだ。
その前に国、数、英の各教科、これまでを締めくくるテストがあり、今日はその答案の返却があった。
「うお! ナナリーすげっ! 九十五点ってやばくね?」
「すごぉい。これクラスで一位じゃないのぉ?」
その休み時間、ミネと柳小路さんが俺の机の周りで大袈裟に反応する。
俺は今までの努力が功を奏し、全教科九十点以上をマークした。見たか、この俺様の実力を。
「ほら、げぬーも見てみなよぉ」
柳小路さんは呼ぶが、案の定鵠沼は無視。……ふん。
「ま、うちの高校ならこんなテストできて当然だけどな!」
俺は大人げなく、そんなことを言い放つと「うわぁ、嫌味ぃー」「ナナリーうぜー」と二人から笑われる。
それに対し鵠沼は……未だ無反応。
「で、げぬー何点だったのぉ?」
自分の席に戻った柳小路さんは鵠沼に訊く。それな。
「ん? ほらよ」
「……あらやだ」
やたらとババ臭い反応をする柳小路さん。なんだなんだ。何点だったのか超気になるんですけど……。
「いやナナリーマジすげーわ。勉強できるんだねー、そんな風には見えないのにー」
俺の隣の席に座るミネが笑いながら言う。
「なんだとー? この間フォローしてやったこの恩人に対して失礼な」
「え? フォロー?」
そうだ。この俺の天才的誘導によりお前は今、命を繋いでいるのだぞ。
「前にあいつらと飯食ったじゃろ? あん時柳小路さんに彼氏いるって聞いて落ち込んでトイレ行っただろミネ。あれ、あからさますぎてあの後お前の秘めた想いがバレそうになったんだよ。それフォローしといたの。感謝せい」
別に恩を売りたいわけではないが、感謝せい。うん。感謝せい。
「そうなの!? マジか! さんくす。でも……あの時はマジで腹痛かっただけだけどね。いやー俺結構腹痛持ちでさ、割とよく腹下すのよ」
……え?
「まーショックっちゃショックだったけど、別に好きにまではなってなかったし、全然平気よ? 残念だなーってくらい。変な気ぃ遣わせて悪い」
マジで腹痛だったんかい! んだよ取り越し苦労かよ……。まぁええけどの。
「いやでもほんと早目に知れてよかったー。下手にアプローチした後とかだったらすげー気まずくなっちゃうし、それこそ好きになってたらマジでショックでかいだろうし、あっぶね」
好きな人に恋人がいたらショック、ね……。
「……それって、実際どれくらいショックなんかの?」
なんとなく、和田塚くんを思い出した。
彼は一年くらいずっと好きだった由比さんに恋人……ではないけれど、好きな人がいると知って、どれくらいショックだったのだろうか。まぁそれ俺なんだけど。
よく考えたら、それが俺にはいまいちピンと来ない。ショックなのはわかるが、どんな感じなのだろうか。
「そりゃーもうメシも喉通らないくらいよ。風呂とか寝る前とか一人になった時は悶絶よ。そういう経験、ない?」
そこまでヘコむもんかね。しかしそれはまるで……、
「……まぁ、あるかな」
うん。あるな。ある。あるけれど、事情が少し違う。
俺の場合は恋人に裏切られて似たような感じになったことがある、というものだ。
正直、それに比べたらあまり大したことないことのように思えてしまう。こちとら付き合うところまでいってる分ダメージでかいというか、そういったショックなんぞ感じる前に元カノへの怒りで全てを支配されていたし。
……だからか、あまりピンとこないのだろうか。
「ならわかるでしょー。失恋はキツいよなー。男はかっこつけて気にしてないフリするしねー」
確かに。男は失恋ごときで誰かに泣きついたりはしないし、そもそもそれができない……いや、してはいけないのだろう。
これも男のプライド。
男は張りぼてでもハッタリでも、強く逞しくいなければならないのだ。ましてや恋愛絡みなんぞで弱さを露呈するとか、もっての外。
俺もあのクソ女に出し抜かれた当時、そんな情けない自分を周りにはどうにか隠そうと必死だった。
こういうの、女には理解できないだろう。なんたってやつらは失恋ごときですぐお友達の胸を借りて泣きじゃくる。
いいよな、失恋した女の泣き顔は絵になるからよ。男のそれなんて目も当てられやしねぇ。
というよりそもそも、男は……少なくとも俺は、失恋した程度で泣きたいという感情に至らない。当時も泣くという選択肢があるのさえ思いつかなかったくらいだ。
しかしあれだな。俺の周りの失恋した女は面白いようにみんな泣いてんな。楽寺さんしかり、倉高さんしかり。逆に泣かなかったやつなんていな……。
そう思いかけてふと、一人の女子の顔が目に浮かんだ。
「…………」
――由比さんは俺に振られて、どうだったのだろうか。
俺は、彼女の失恋した直後を知らない。会ったのは告白の二日後だ。
その際はとても男に振られたようには見えなく、その後もご覧の様子だ。
でも――――彼女は二日間、学校を休んだのだ。
それは本当に熱があってとのことだったが、よく考えたらそれは定かではない。俺に気を遣った方便だという可能性も、彼女の性格的にありうる。そもそも俺が原因の知恵熱だとも言っていたような。
「……失恋って、辛いのか」
何の気なしにそんな当たり前のことを呟くと「ナナリー急に何言ってんの?」とミネに笑われたが、それに対して俺は何も答えなかった。
そういえば彼女とはもう、一ヵ月弱顔を合わせていない――――。
×××
午後九時、講習は終わった。
ミネはトイレ寄ってから帰るということで別れ、俺は一人で予備校の階段を下る。本当に腹弱いんだなあいつ。
結局、鵠沼に勝ったのかどうかは分からず仕舞いだった。あいつに直接聞くのは嫌だし、柳小路さん経由で確認するのも何か……。
「俺の苦労は、一体……ま、怒りのエネルギーを勉強に向けられたし良しとするか」
そんな風に独りごちり、俺は予備校の自動ドアをくぐると、
「あー、ナナリーだぁ」
甘ったるい声で話しかけられた。
顔を上げると柳小路さんと鵠沼が予備校前で立ち話をしていたのか、そこにいた。
「あれぇ? ミネくんはぁ?」
「ウンコ」
俺が即答すると鵠沼は小声で「……きも」と呟いた。うっせ死ね。
「やだぁ、お下品~。あ、ナナリー電車だよねぇ? 駅まで一緒行くからお話しよぉ」
……え。嫌なんだけど。
「いや、俺寄るところあるから……」
脊髄反射的に適当な理由を作って即刻断る。
するとそのタイミングで柳小路さんのスマホから着信音が響く。
「もしもしぃ? どうしたのぉ? んん、んん……えぇ? 今からぁ? わかったぁ」
「……ごめぇん、やっぱ先帰っててぇ~。ヨシく……彼氏に呼ばれちゃったぁ」
ふぅ。なんか知らんが無事解決した。やったね。
マジどうでもいいけど柳小路さんの彼氏の名前はヨシくんらしい。ヨシくん最高。やはり男は頼りになるぜ。
「ナナリー、げぬー一人になっちゃうから家まで送ってあげてくれるぅ。げぬーん家ここから歩いて行けるとこだから」
「……は?」
マジふざけんな何で俺が……。柳小路さん最悪。やはり女は頼りにならねぇな。
どうでもいいがこいつらのこのへんがマジな地元なのか。大ちゃんと同じだ。
「夜道に女の子一人は危ないからねぇ。よろしくぅ」
「ちょっ……」
俺が制止しようとする手に背いて、そそくさと行ってしまう柳小路さん。おい、マジか……。
「…………」
「…………」
二人して横並びになったまま黙り込む。き、気まずい……。
え? マジで送っていくの? 嫌だ、マジで嫌だ。何でこんなやつを……。
けど、さすがの俺も夜道を女の子一人で帰らせるほど外道————なんだなこれが!
ミソジニストなめんなよ。普通にお断りさせていただきまーす。
「じゃ俺、帰r」
「アタシ喫煙所でタバコ吸ってから帰るから」
俺が言う前に鵠沼は既に俺に背を向け、信号を待っていた。
「……そうかよ」
それだけ言い残し、彼女が向くのとは反対にある駅前へと向かう。
うーわ、喫煙者なのかよあいつ。引くわー。学校にチクって停学にしてやろ。
しっかし何でそんなやつが勉強できんだよ。ふざけやがって……世の中どうなってんだ。
タバコ吸ってる女とか終わってんだよ。それだけで大多数の男から恋愛対象外にされるくらいだ。ましてや未成年でそれとか、もうどうしようもねぇ。
けっ、無謀にも例の好きな人とやらとうまくいきたいってんならな、まずは禁煙外来でも通いやがれ。
×××
「…………」
燃え尽き症候群というやつなのだろうか、お盆休みでバイトも予備校もないため、俺はぐうたらな日々を過ごしていた。
時計を見るともう十時過ぎ。
意識は覚醒しきっているというのにベッドから一歩も出ず、アホみたいに口をあんぐり開けて半分開いた目で天井を見つめていた。
扇風機の風を強にして浴びているとはいえ、汗が首筋を伝う。
腹はそれなりに減っていつのだからさっさと起きて朝食、いやブランチを摂ればいいもののなんとなく起き上がる気力が湧かない。
今日も、暇だな……。
毎年この時期になると嫌でも夏休みの終わりを意識させられ、妙な焦燥感に駆られる。
何かしたい。何かしなくては。夏の思い出になるような何かを。そんな焦りだ。
今後の予定といえば、地元のツレと遊びに行くくらいしかない。
「…………」
思い返せば、思いっきり遊び倒した夏休みなんて小学生以来ない気がする。
中学一、二年は毎日部活で忙しかったし、三年の時は受験で今以上に塾に通っていた。
高一の時は周りがみんな部活で大して遊べず暇を持て余し、バイト漬け。
ちなみに俺が高校で部活をやらなかったのは、自分の金は親からの小遣いではなく、バイトして全て自分で工面したかったからだ。結局今は親父の会社で働いているからアレだが……直に辞めてやる。
話を戻すと、中高生の夏休みなんて青春を謳歌しまくるためにあるものだと思われがちだが、意外とそんな過ごし方しているやつなんていないのかもしれない。
いや、違う。いる。
なんたって今回は高二の夏だ。人生で一番青春を謳歌できる夏だと言っていい。
童貞の大学生が「お前初体験いつ?」と友人に訊かれたら大体は「こ、高二の夏、かな……」と嘘ついて見栄を張ることで有名なあの『高二の夏』だぞ。
俺の周りのみんなはどうなんだろうか。
江島は例のD組の彼女と一夜を共にしたりするのかね……でもあいつヘタレだから無理そう。初体験で勃たなくなっちゃうタイプ。
長谷は彼女作るとか息巻いてたけど、どうなんだろ。あいつはそういう行為を求めすぎて嫌われるタイプ。
稲村はモテるからまぁ何かあるだろ。と思ったけど一学期にあんなことあったし、しばらくは彼女作らないだろうな。無駄に真面目なあいつの性格的に。
あとは、もう一ヵ月近く会ってないけど元気にしてるかな…………和田塚くん。
すると突然ヴーヴーと常にマナーモードな俺のスマホが震える。電話だ。おっと噂をすれば稲村だ。
「もし?」
『おーう、久しぶり。元気か?』
「暇すぎて死んでたところだ」
『羨ましいな帰宅部。こちとらやっと部活休みだよ。あ、ちなみに俺キャプテンになっちったわ。ってことで十九日、海行くぞ』
「ああ、おめでとう。ってかおい、文脈おかしすぎるだろ何だそれ」
『まあまあ。あ、ちなみに海な、うちのクラスの女子たちも来るから。話は聞いてんだろ? 仲直り会? とかいうの』
「……ああ。あれか。てっきりもうやらずに終わるのかと」
夏休み前に由比さんに言われて以降まったく音沙汰なかったからつい。
しかし仲直り会ってネーミングどうなの? 小学校の帰りの会的な幼稚さを感じる。
ってかわざわざ海行くのかよ。適当に飯でも食って終わりでいいだろ。めんど。
『いやー俺も腰越に急に言われてさー、何か夏休み前に俺の知らないところで話進んでたんだろ? で、七里お前また何かやらかしたらしいじゃん』
なぜか笑う稲村。こいつ実は結構いい性格してるよな。
稲村の知らないところでって例のファミレスの一件か。
「やかましいわ。あとあれ俺も行くとは言ったけど、ほんと俺が行く意味あんのか? というか俺が行かない方がいいまであるじゃろ」
『いや絶対来て。七里来ないなら俺も行かない。今回の件絡みでは七里ありきじゃないと俺は動かないって一貫して女子に伝えてる』
「何でだよ……」
『だって頼りになるもん七里』
「……意味わかんね」
と言いつつ、そう言われるのは悪い気はしなかった。
「何だろこう、俺の弁護人的なね。集団の女子相手に強く出れるやつって稀有なんだよマジで」
そうかそうか? ま、これもまたミソジニストのなせる技よ。
「まぁ俺がブレーキかけないと暴走しがちではあるけど」
要らねぇ、その一言要らねぇ……。
『でもさ、仲直り会とか言ってるけど、また女子同士揉めたりしない……よな?』
稲村は不安げに問う。確かにな。
「夏休み前の時点では、見た感じ楽寺さんと倉高さん、たぶん仲良くはなってないぞ」
夏休み前のファミレスでの感じを見ても、あの二人が仲良くなっているとは到底思えない。倉高さん、楽寺さんのことディスってたし。
例の稲村の猿芝居により二人は結託するかとも考えていたが、現実そんなにうまいこといかないようだ。
しかしここクリアしてないとなると、この仲直り会とやらがいつ修羅場になってもおかしくはない。稲村もそれを危惧しているのだろう。
『やっぱそうだよな? 鵠沼さんも来るらしいしそっちも不安だなぁ……あ、そうだ! 由比も来るって!』
「……。いや、知ってるけど。何でそこ強調すんだよ」
『いやだってお前、由比とは仲良いじゃん』
だからそれは……もういいや。
「で、他の男子はどうなん? 江島と長谷は来んのか?」
否定するのも面倒になり、俺は話題を変えた。
『エトはわからんって。彼女が厳しいからとかで』
相変わらずだな、ほんと。
『長谷は来るってよ。女子の水着姿拝みたいからって』
相変わらずだな、ほんと。
『でも長谷の気持ちわかるわー。俺行くの怖いけど、女子の水着姿は見たいってのはある』
電話越しに稲村はうんうんと頷く。あーそう。
「んだよお前。クラスの女子は女友達になっちゃうみたいなこと言ってなかったか?」
そういう目で見れるなら適当にどっちかと付き合えばいいじゃん。俺が言えたことでもないが。
『それとこれは別でしょー。七里だってそうだろ?』
……まぁ確かに、そうか。
俺は女嫌いだが、エロいのは大好きだ。俺が嫌いなのは女の中身であって外見ではない、って前もこんなこと思ったな。
同級生の水着姿ねー……つか結局誰来んだ? えーっとまず楽寺さんに倉高さんだろ? で、腰越さんにー……鵠沼と由比さんか。他、俺と関わりない女子とかも来んのかな。
「由比とか結構胸あんぞ。ロリ巨乳!」
……こいつの由比さん推してくる感じうざ。
「お前、おっぱい好きな」
『まぁよ。つか嫌いな男いないでしょーよ』
「そうね。音楽で世界は救えないけど、おっぱいで世界は救える気がするし」
『なんだそれ』
そこからは男子特有の下らない下ネタ談義が続いた。結局最後まで下らないまま、電話は切れた。
「海、か……」
まさに地元が海街の俺だが、久しく行っていない。行こうとも思わないし。海が近くの地元民あるある。あんなとこサーフィンおじさんか海釣りおじさんか観光客しか行かん。
「……あー、だる」
やっとこさ起き上がって、ベッドに胡坐をかいたまま壁に背を預ける。
夏休み前のファミレスで由比さんに了承したとはいえ、何でそんなもんに付き合わなくちゃならないん……、
「…………」
よく考えたら、何で俺はあの時、了承をしたのだろう。
冷静に思い返してみれば、あの場で断ることなど簡単にできたはずだ。
確かに倉高さんの策略による由比さんの挑発に乗ってしまったのはあるが、そんなものはある程度見抜いていたし、いなせる状態ですらあった。
それと不可解なことがもう一つ。
――なぜか少し……高揚していた。
窓を覗けば入道雲。外からはセミの鳴き声が響き、部屋では安物の扇風機がゆっくりと左右に首を振る。
夏という季節は好きだ。何かこう、どの季節よりも前向きな気分になれる。寒いの嫌いだし。そんな夏の高揚感にでもあてられたのかもしれない。
内容はどうであれ、やっと夏休みらしい予定を入れられたと安堵したからなのか。
なんにせよ、女子たちの水着姿を見られることに内心歓喜したからなのか。
それとも、性格悪く稲村の修羅場を見たいという野次馬精神が働いたからなのか。
……わからない。どれも間違いではないのだろうけれど、何かしっくりこない。
ただただ妙に――――その日に対して少し高揚している自分が、確かにそこにはいたのだ。
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