-第06訓- 女子は化粧を心にも施す
「ここか……」
由比さんの家は割と新築な二階建て庭付き一軒家だった。
俺は少し躊躇ったが、呼び鈴をピンポーンと押す。
するとインターフォンを介さず、家の中から「はいは~い」という声が。
ドアを開けて出てきたのは由比さんのお母さんらしき中年の女性。似てる。
「えっと、由比さんのクラスメイトで七里という者なんですが」
そういや由比さんの下の名前って何だっけな……思い出せない。
下の名前といえば、俺は自分の下の名前が嫌いだ。理由は……どうでもいいか。
「あらあら男の子! お見舞い? ただの熱なのにわざわざすみませんねー」
由比さんママは俺を歓迎してくれた。ってか熱って……確かに俺にお熱ではあるらしいが……やかましいわ。
「さぁ、どうぞ上がって」
と由比さんママはわざわざ俺の前まで来て門を開けてくれる。
「どうも。えっとこれ、つまらないものですが」
手ぶらで行くのもなんだったので、俺は途中で買ってきたお菓子を手渡す。
「あらあらいいのよー、気ー遣わなくても。あ、それじゃああの子と一緒に召し上がってくださる?」
「あ、はい」
そのまま彼女に導かれて玄関に入り、用意してもらったスリッパを履いて二階へ昇る。人んちの匂いって独特。何かこう、妙な異世界感がある。
由比さんママはとある部屋の前まで来るとコンコンとドアを叩いた。
すると「はいー?」と中から由比さんの声が聞こえた。思っていたより元気っぽい。
「またお友達来たわよー」
……また? と疑問に思っていると由比さんママはそのままドアを開けた。
「えー? げぬーたちなんか忘れ物でも……な……ななななさとくん!?」
そうです、僕がなななななさとくんです。
由比さんは想像を遥かに超えて元気な様子だった。
普段のゆるふわしたお下げの髪型しか見たことなかったので、寝癖のついたぼさぼさな髪はなんだか新鮮だ。
そんな彼女はパジャマ姿のままベッドでスマホをいじっていたようだが、それをほっぽり、赤くなった顔を慌てて掛け布団で隠した。
「うそっ! やだっ! 聞いてないよぉ~……」
由比さんは布団に包まったまま涙声を出す。
ああ、事前に家行くのを伝えるべきだったか。連絡しようにも連絡先わからんけど。
「ほらあんた! 七里くんせっかく来てくれたんだからちゃんとしなさい!」
「だって~……すっぴんだし~……昨日お風呂入ってないし~……」
由比さんはお母さんの注意に対して子供みたいに言い訳する。
「……俺、帰りますね。なんか思ったより元気みたいですし、ご迷惑みたいですんで」
なんだかこれ以上この光景を見ちゃいけない気がした。家に行ったという既成事実はもうできたし。この様子ならたぶん学校来るだろ。
「いいのいいの! ごめんね~面倒くさい子で。それじゃ邪魔者はいなくなるから」
何か勘違いしている由比さんママはそそくさと部屋を後にした。
「…………」
「……ぅぅ……」
すると、部屋にはスクールバッグとお菓子を抱えた俺と、丸まった布団だけが残される。なんだこれ。
「……えっと、やっぱ俺帰ろうか?」
俺も居心地悪いし帰りたい。俺が唯一観ているテレビ番組『奇想天外! ダーウィンどうぶつ園』再放送の録画見たいし。俺、動物が好きなんだよね。ただし霊長類ヒト科のメス以外な!
「見た?」
「……はい?」
由比さんが布団の中から急に変なことを聞いてきた。『奇想天外! ダーウィンどうぶつ園』ならまだ見てないけど……。
「すっぴん、見た?」
ああ、そういうことか。見てないと答えるべきなんだろう。
「見てないよ」
「うそだっ!」
知ってるなら聞くなよ……。
「大丈夫だって。すっぴんでもそんな変わらないじゃん」
「やっぱり見たんだ! ふえぇぇぇん!」
や、やられた……。めんどくせぇ帰ろ……。
「じゃあ用件だけ。明日は学校来てくれ。頼んだぞ。じゃあ」
「わわ! 待って!」
と彼女は片手で目元を隠しながらも布団から顔を出した。風俗嬢かな。
そして「す、座って!」とベッドの前にある純白のラグの上を手の平で指す。
それに俺は大人しく従い、スクールバッグを横に置いて腰を下した。
「あ、これ食べて」
俺はさっき買ってきたお菓子を目の前のローテーブルの上に置く。
しかし由比さんは俺の背を向けて窓辺に置いてあるポーチをごそごそと漁り始めていた。
そして小さい手鏡と睨めっこし、「大丈夫かな……?」とか「やばいかな……?」とか小さく独り言を呟いたあと、前髪を指でくしくししながら恐る恐るこちらを覗いてきた。
「あんまり、見ないでね……」
なにその初エッチの時みたいな発言。いや、そんな経験ないけども。
と思って見ると由比さんは赤縁の眼鏡を掛けていた。おそらくすっぴんの目元を隠すためだろう。
「あ! これうち大好き! 美味しいよね! はっ……ご、ごめんなさい……」
由比さんは俺の買ってきたお菓子に気づくと顔を綻ばせ、手を伸ばしかけたが辞めた。
「そういう変な気遣わなくていいよ。食べようぜ。これ、好きなのか」
俺は箱を開け、その中の一つを由比さんに手渡す。
「あ、ありがとう。うん、好き。なんていうか、お菓子だけじゃなく、食べること全般好きなんだよね。あはは」
へぇ。俺も飯を食うのは好きだが、甘いものはあまり得意ではないかな。
「……ごめんね。心配して来てくれたのかな?」
由比さんは少し嬉しそうに聞いてきた。しまった、今ちょっと優しくしてしまったか。
なので、俺はあえて突き放すように、
「いや、鎌ティーに頼まれただけ」
と答えた。少し冷たかったかもしれないが、期待されても困るのでこれでいいだろう。
「頼まれた?」
意外にも由比さんはそれに落ち込むことなく、平然と聞き返してきた。
「ああ、由比さんがこのまま不登校になられちゃ困るからって」
しかし彼女はピンとこなかったのか、
「不登校? 明日は学校行くよ。熱下がったし」
と首を傾げる。
「え? 一昨日の件でヘコんでたんじゃないの? あ」
いきなりこの話題はマズったか。その原因作った張本人が言うことじゃないというか。
「はは。そのくらいで不登校にはならないよ」
……意外と平気だった、かな?
「じゃあ熱ってマジなんだ」
「うん……でもそれが原因の知恵熱、たぶん」
ああ、だから昨日風呂入ってないのね。なるほど。
ともかく、要は俺のせいで体調を崩したのか。
「そうなのか。なんか……すまんの」
「あっ……今……」
「え?」
「ううん。何でもない。こっちこそごめんなさい」
由比さんは茶を濁した。何か言ったように感じたが、気のせいだったのだろうか。
「…………」
「…………」
その後、お互いお菓子を食べるだけで、無言。あー、何かこういうの、イヤ。
「あ、そういえばげぬーたちが七里くんに酷いことしたみたいだけど大丈夫?」
その沈黙を破ったのは由比さんだった。
げぬーとは鵠沼のことだろう。野球選手専門のドイツ人外科医の助手とかやってそうなあだ名だ。彼女らは俺の前に由比さんのお見舞いに来ていたらしい。
「ああ、大丈夫」
あんなの屁でもねぇ。倍にして返してやったぜ。
「よかった……。あれね、なんていうかうちのためにやっちゃったことだからその……げぬーたちのこと怒らないであげて。ほんとはみんないい子なの。お願い、もうしないでって言っておいたから」
やっぱりあれは由比さんの知らないところでやっていたことなのか。
まぁ……彼女らが友達思いで悪いやつじゃないことはなんとなくわかる。ただ、お節介がすぎるけどな。
「……わかった」
そしてまたも沈黙が続いたあと、由比さんは落ち着かない様子で周りをキョロキョロしながら
「あ……のさ……」
と口を開いた。
「一昨日のこと……訊いてもいい?」
「…………。うん。いいよ」
俺は少し考えたが、それを了承した。
「えっとなんだっけ。あ、別れる時にどうのこうの、っていうのはどういう……」
「そのまんまの意味だよ。もし別れることになった際は後腐れ無しにしてくれってことだ」
「うん、と……?」
由比さんは気まずそうに小首を傾げる。そら言及し辛いわな。
でも……アレはあまり人に話したくない。
「……。ていうかさ、なんで俺なんかに告ったの?」
そこで俺は質問に質問で返した。話題を逸らす際に有効な手立てだ。
「あ……うん、いきなりでびっくりしたよね」
由比さんは頭をくしくしと掻いてから、
「何かさ、七里くんって……可愛いじゃん?」
「……は?」
か、可愛い……? 俺って可愛いの? マジ?
確かに女子の言う「可愛い」は時と場合によって億千万通りの意味合いを持つ。それは文字通りの素直な賞賛から、裏をかいた格下への侮辱まで様々。
今回のこれは素直な賞賛の部類に入るのだろうか。だが惚れた理由が可愛いとはこれいかに。
「七里くんって普段、女子には何か素っ気無いっていうか、適当に笑顔向けてあしらっとけ、みたいな感じでしょ?」
き、気付かれてたのか……。まぁ女子ってそういうのよく見てるからな。それが好きな男相手にならなおさらか。
「でも、男子とつるんでる時は子供みたいにすっごい楽しそうに笑ってるじゃん? 何かそういうのいいなーって。可愛いなーって。うちにもああやって笑ってくれないかなーって……」
やべぇ、それのどこが可愛いのか全然わからねぇ……。
野郎同士で戯れてる時なんて基本クソみたいなことしかしてないぞ。会話の内容なんてくだらないギャグと、女子には聞かせられないような下ネタと、あとロックンロールな話しかしてない。ロックンロールな話って何だよ。
「あとね、たまに出る方言好きなの! あれ男子の前で素になってる時しか出ないんだもん」
「あ、ああ……ありがとう」
妙に熱っぽく俺への想いを喋ってくるのに、つい気圧されてしまった。
惚れた理由はいまいちよくわからないが、ギャップ萌え的なことなんだろうか。
「ちなみに、いつから……?」
何か聞いててもよくわからないので、俺は質問を変えた。
すると由比さんも我に返ったのか、はっとすると顔を赤くして俯く。
「えと……一年の時から面白い喋り方する人いるなーってちょっと気になってたんだけど、四月からクラス一緒になって『あ、あの方言の人だ』って」
え、方言の人とか思われるくらいそんなにあのエセ広島弁出てる? できるだけ出さないようにしてるんだけどな……。
「その時は別に全然好きとかじゃなかったんだけど、偶然委員会まで一緒になっちゃったじゃん? そしたら七里くんうちにすごい素っ気無くてもっと気になっちゃって、気付いたら……その……好きに、なってた、というか……」
恥じらいながらも、彼女はもじもじと経緯を教えてくれた。しかし、
「えっ……そん、だけ?」
ラブコメ漫画じゃあるまいし普通そんなんでまともに話したこともない奴を告白するほど好きになるもんか?
俺なんかより由比さんと愛想よく接してくれる見た目も性格もいい男なんてごまんといるだろうに。
たとえ俺が気になってたとしても普通ならそっちに流れるだろうよ。
「いや! それ以外もあるよ! 七里くんちょっとイケメンだしまあまあおしゃれさんだし目ぇ細いし!」
「ど、どうも……」
お褒めに預かり光栄なんのだが、その取って付けたように褒めている部分が全部見た目ってのはこれいかに。
あと「ちょっと」とか「まあまあ」とか別に言わなくてもよくない? 目細いに限ってはもはや悪口じゃね?
……まぁ、とっさに出したお世辞なんだろう。そんなこと言われたこともないし。
「でもわかったでしょ? 俺、性格が壊滅的に悪いってことは」
内面はどう頑張っても褒められたもんじゃねぇし、そりゃ無理にでも外見褒めるしかないわな。
「ああ……別れる時にうんぬんのことは……確かに意地悪だなぁ、と」
由比さんは「そんなことないよ!」などと社交辞令な否定はせず、気まずそうながらも俺の性格の悪さを認めた。
「…………」
さっきから思っていたが、結構物事をはっきりと言う子なんだな、由比さんは。
そういう部分は好感が持てる、ちゃんと腹を割ってくれているようで。ちょっと突き刺さるものがあるけれど。
……だったらまぁ、もういいか。
「――俺、『女嫌い』なんだよ」
唐突に俺は言った。
「え、え? 女……嫌い……? 女の子が嫌いってこと?」
急に何を言い出すんだというような彼女に対し、俺は小さく首肯した。
言っておくが俺はモテない理由を「女嫌いだから」ということにしてかっこつけているタイプの悲しい男などではない。……モテない男なのは事実なんだけど。
「でも、なんで女嫌いになっちゃったの?」
なぜ俺が唐突なことを言い出したのかというと、さっき自ら逸らした話題をあえて戻すためだ。
「……あんまり人に話したいことじゃないんだけどの」
女というのは男と違って〝化粧〟というものを施す。
目にはシャドーを、頬にはチークを、口にはグロスを。
そして――――心には嘘を。
『人の内面は外見に滲み出る』というのであれば、化粧で素顔を隠す女はみんな心を隠していることになる。『外見は内面の一番外側』だとも云う。
当たり前だが、由比さんも女だ。普段は化粧をし、髪を整え、服を着飾って外に出ている。
――けれど今日、彼女は俺に素顔を見せた。
見せてくれたような、気がする。もともとそういうタイプなのかもしれないが。
だからといって俺は彼女に心を許したわけではない。由比さんがここまで人の良さを醸し出していてもなお、俺はどうしたって女を信用しきることなどできない。ミソジニストとはそういう生き物だ。
けれど、心の奥にしまいこんだアレを話すくらいは、してやろう――――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。