第5話 看板猫になりました。

「お、わったぁ〜」


 六畳の部屋にぱたりと倒れ込む。

 二十畳もある部屋の掃除は流石に骨が折れた。それ以前に階段の掃除もかなり手間がかかったけど。

 ホコリだけ取り払う魔法とか、壁だけ綺麗にする魔法とか、蜘蛛の巣を払う魔法とかないものかしら。

 ああ、掃除機が欲しい。

 ハタキで叩いたところで、ホコリが舞い上がるだけだもの。

 叩いた端から風で外に追い出して、なんとか息ができるようになった。

 ランチタイムが終わったあとに一度、アンヌがランチを手に様子を見に来てくれた。

 階段の掃除は終わってて、広い部屋の掃除に入ったところだったからお昼ごはんにした。

 そういえば、クロは出かけちゃったみたいでいなくなってた。まあ、裏の窓を開けておいたし、気が済んだら帰ってくると思う。

 うん、こっちの猫だもの、わたしの知ってる常識とはやっぱり違ってるんだろうな。

 クロはわたしがどこにいようとも必ずわたしのところに来た。だからきっと今日も普通に戻ってくる。

 お昼食べ終わって続きをして、ベッドとソファのカバーを外せたのは日がだいぶ傾いた頃だった。

 カバーの下に隠しておいた着替えはとりあえず隣の部屋へ持っていった。今日はお風呂入ったらあれに着替えよう。

 それから、戸棚やタンスを全部調べる。さすがに着るものなどは一切残ってなかった。残っててもきっと着なかったと思うからちょっとほっとする。

 ヤカンや鍋、ちょっとした食器は六畳の部屋の収納から見つけた。

 昨日探しておけばよかったな。そうすれば暖かいお茶は飲めたのに。

 そうそう、こっちのキッチンにもかまどはある。お湯を沸かすだけじゃご飯作れないしね。薪を使うタイプぽい。これは下の厨房も同じだからこれがこっちの世界では普通なんだと思う。火は点けられるから、薪を手に入れなきゃね。

 それからたらい。これも見つけた。顔を洗うのに使おう。

 クロはまだ戻ってこない。

 掃除用具を戻すのはあとにして、とりあえず風呂に入って着替えよう。

 服をぽいぽいと放り出し、湯を貯めて湯船に浸かる。

 昨日も思ったけど、やっぱりこうやって湯に浸るのが一番気持ちいい。体の疲れたところがほぐれていく感じがする。今日もまだシャンプーとか準備できてないから、体も髪の毛もざっと洗ってあがる。

 服は昨日と同様に洗い、乾かす。ズボンとシャツは替えができたけど、下着は替えがないんだよね。……どうやって手に入れよう。

 体と髪を手っ取り早く乾かし、下着を来て部屋に戻るとクロが帰ってきてた。

 ニャア、としっぽをピンと立てて擦り寄ってくる。

 お風呂タイムに間に合ってれば洗ったんだけど、まあいいや。


「おかえり、クロ。お腹空いてない?」


 ニャア、とやはり返事をする。お昼も食べてないもんね。


「着替えたら下行ってご飯もらおっか。ちょっと待ってね」


 乾かした服を畳んで、新しくもらった服を着込む。やっぱりウェストというかおしりが余りまくる。

 まあしかたがない。

 こっちの女性は子供でも十分ふくよかだし。ベルトで絞ってなんとかなった。

 クロがぽんと肩に乗ってくる。抱き上げる前に乗ってくるのはすごく珍しい。頬にスリスリしてくれるのも珍しい。


「じゃあ行こっか」


 クロが落ちないようにゆっくり歩きながら、掃除用具を手にわたしは下に降りた。


◇◇◇◇


「ああ、掃除終わったの?」


 掃除用具を戻してるとアンヌにあっという間に見つかった。


「はい、終わりました。今日からベッドで寝られます」

「そう、よかった。体疲れてるだろうけど、ちょっと手伝ってくれる? 団体客が来てる上にアミリが体調不良で休んでるのよ。悪いけどお願い」

「あ、はい。わかりました。……クロ、もうちょっとおあずけ。その辺りで遊んでくる?」


 肩から抱き下ろすと、嫌そうにしっぽを振る。

 うん、お腹が空いてるのはわたしも同じなんだけど、もうちょっと我慢してほしいな。


「ああ、その子なら店頭にでも繋いでおいたら? 看板猫になってちょうどいいし。何ならリボンでも結んでおく?」


 アンヌはニッコリ笑うと引き出しからピンクのリボンを取り出した。ケーキなどの持ち帰りでたまに使う細いリボンだ。


「えっと」


 クロを見ると耳を伏せて不機嫌そうだ。リボンが嫌いなのか、店のざわついた雰囲気が嫌いなのかわからないけど。


「少しの間だから、我慢してくれる?」


 ちょっとだけしっぽが揺れて、垂れる。

 アンヌが差し出してきたリボンを受け取ると、店頭の邪魔にならないところにクロを座らせて首にリボンを巻いた。どこかに引っ掛けて首が閉まらないように結んでおく。

 手を離そうとすると、クロはわたしの肩に乗ろうとシャツを登りかける。それを両手で押し留め、黒い毛並みを撫で、鼻先にキスをする。


「いい子だから、ね?」


 ようやく諦めてくれた。座り込んで身づくろいを始めたのを確認して、わたしは厨房に取って返した。


◇◇◇◇


 解放されたのは団体客が帰ったあとだった。

 どこかの騎士団が巡回してこの街に来ているのだそうだ。様々な相棒を連れた屈強な騎士たちは食べっぷりもすごかった。大体一人で三人前は軽い。だから料理を出しても一瞬で消え、追加注文が来る。

 わたしも、夜番のエミリーもクロエもサーニャもてんてこ舞いだった。

 三時間ぶっ通しでマラソンしてた気分。せっかくお風呂に入ったのに、シャツもズボンも汗でびっしょりだ。

 なによりお酒の注文がすごくて、ジョッキを一度にどかどか持っていかなければならない。

 こっちの世界のジョッキは一リットルは入るサイズのもので、それになみなみと液体が入ってる状態では持てても片手に二つまでだ。

 これを、わたし以外の女の子たちは一度に八つもって配る。

 唯一の(一応)男子(ということになっている)であるわたしは彼女たちよりかなり小さいので、子供が無理して手伝っている、と思われたようだ。

 騎士団の人たちにはなぜか気に入られ、大きな手で頭をなんどもぐりぐりと撫でられた。

 しまいにはチップまでもらってしまい、恐縮してしまう。

 連れてる相棒、つまり動物たちも騎士団の面々と同じようにわたしを扱う。

 髪の毛を引っ張られたりズボンの裾をくわえられたり。わたしにちょっかいを出す、というか遊ばれてる感じだった。

 あまりにひどいのでアンヌが助けに来てくれたほどだ。それ以降は動物たちに絡まれることは減ったと思う。

 あー、だからか。

 チップはもしかして彼らの迷惑料のつもりだったのかもしれない。

 アンヌにも言ったのだが、「あんたがもらったんだからあんたのものだよ」と言われたのでありがたくもらっておく。


「はい、おつかれさん。悪かったわね、急に手伝ってもらって」


 そう言ってアンヌが夜のまかないのプレートを渡してくれた。


「それと、猫ちゃんにもご褒美。お肉でよかったかな。炙っただけだから」


 別の皿にクロの分も入れてくれる。


「あ、あの、上で食べちゃダメですか?」

「そうねえ……今日は本来お休みだったものね。いいわ。でも、今日だけよ? 仕事の時はいつもここで食べてたでしょ?」

「あ、はい。……すみません」


 アンヌの言葉にわたしはうなだれた。

 そうだ、住み込みと言っても仕事は仕事だ。きちんと切り分けなきゃ。


「それに、他の子とも少しは仲良くしなさいって言ったでしょ? こういうまかないは仲間で食べるものよ。今後はそうなさい。猫ちゃんへの餌はあたしがあげとくから」

「えっ?」


 びっくりして顔を上げると、アンヌは表の方をちらりと見た。


「看板猫の仕事、ちゃんとしてくれてるみたいだからね。猫を気に入って入ってきたお客さんもいたし、結構注目が稼げてるみたいだからね。あんたさえよければ、あんたが働いてる間、ああやって看板猫をしてもらおうかなと思って。いつもでなくていいんだけど、平日昼間とか、休日の夜とか」


 クロの方を見る。あんなに嫌がってたのに、ちゃんとおとなしくしてくれてたんだ。


「えっと……本人と相談してみてからでいいですか?」


 今日のは突発だったし、なだめすかして我慢してもらった結果だし……クロに無理はさせたくない。


「いいわよ、もちろん。気が向けばで」

「分かりました。じゃあ、頂いていきます。お皿は明日返しますね」

「はいはーい。おつかれさま」


 他の子たちにも言葉をかけ、クロを迎えに行く。

 ちょうど店の外を通った女性客に可愛がられている最中で、声をかけるのをためらった。喉を撫でられてぐるぐる言ってるんだもの。


 ……そっか、他の人にも結構なつくんだ。


 ちょっとだけ妬けた。

 そのうちわたしに気がついたのか、ニャ、と鳴いてクロはわたしの肩に飛び乗った。

 かわいがっていた女性はびっくりしてたみたいだけど、わたしとクロを交互に見て、わたしの頭をなでてニッコリ笑って手を振っていった。

 えっと……どう理解したらいいんだろう。

 クロはわたしにしきりに頬ずりする。寂しかったのかもしれない。


「クロ、部屋に戻ってご飯にしよ」


 ニャア、と鳴くクロを連れて、わたしは部屋に戻った。


◆◆◆◆◆◆◆◆


 細い窓から部屋を伺うと、水音と、彼女の歌声が聞こえた。どういう意味の歌かは知らぬが、おそらく彼女のいた世界の歌なのだろう。風呂に浸かりながら鼻歌とは、機嫌がよい証拠だ。

 もう少し早く戻ればよかった。

 そうすれば今日も彼女の肢体を余すところなく鑑賞する時間が取れたと言うに。

 それにしてもあの女は何者だろう。

 俺をただの猫だなどとは絶対思っておらん。もともと油断のならない相手ではあったが。

 魔の匂いはしなかった。

 かといって神官や魔術師のような匂いもない。魔力量もそれほど多いようには見られなかった。

 あの目は、人の生死に慣れた目だ。存外元冒険者や元騎士であるのかもしれん。用心するに越したことはない。

 などとつらつら考えていたら、彼女が風呂から出てきてしまった。ほう、今日は下着のみの姿か。それもまたそそる。近くで眺めるために部屋に入る。


「おかえり、クロ」


 しっぽを彼女の足にこすりつけながら、至近距離から彼女を堪能する。

 風呂上がりの彼女はいい匂いがする。ああ、座ってくれればすぐにでも膝に飛び乗って舐め回すのに。

 さらりと黒髪を揺らして彼女は着替え始めた。

 うむ、今日の服は少しぶかぶかのようだ。腰も胸も余り気味。そのうちあの胸元から潜り込んでやろう。

 そういえば、夕べの睡眠学習が効いたようだ。さっきの温風の魔法はずいぶん魔力を抑えて発動できていた。疲れた様子もない。

 夢の中ではいつもの姿で動けたのは重畳であった。

 夢の中とはいえ存分に彼女に触れるのだからな。猫ではなく本来の俺の手で。

 どうせなら思いっきり弄り倒しておけばよかった。どうせ記憶に残らない夢であったしな。魔術指南と称して触るのには全く抵抗しなかったし。それともそこまで初心なのか、単に天然なのか。……そこまではわからぬが。

 食事だという彼女の言葉に、おれは嬉々として肩に飛び乗った。


◇◇◇◇


 ……実に居心地が悪い。


 今のおれは、なぜか首にピンクの紐を結ばれ、店頭の看板付近に座らされている。

 それもこれもみんなあの女のせいだ。

 忙しいから手伝えと彼女を引っ張り出し、俺に看板猫をしろと言いつけた。もちろん、俺は嫌がった。なんであの女のためにそんな馬鹿なことをせねばならんのだ。

 早く晩飯を入手してとっとと部屋に戻るのだ。


 ……と主張したところで、彼女には通じていない。我慢してくれと言うなら、我慢するしかない。こんなことならもう少し外で遊んでおくのだった。


 店の中は大盛況らしい。時折男どもの笑い声が響き渡る。

 ええい、男などどうでもよいわ。彼女に無体を働いておらんであろうな。

 じろりと睨みながら店の中を警戒する。

 奴らの連れた者らが彼女にちょっかいを出すのを見て、おれは立ち上がった。

 放ってはおけぬ。いかに昼間、やつらには一切手出しをせぬと誓ったとはいえ、彼女に手を出すのなら容赦はせぬ。

 と、視線を遮る者があった。

 顔を上げると、あの女がじろりとこちらを睨んでいる。


「看板猫の役目、ちゃんと果たしなさい」


 ぐい、と道の方を向かされる。なんて奴だ、と牙を剥こうとしたが、冷え冷えとした気を感じて思わず耳を伏せる。いかん、なんでこんな女に屈服しておるのだ、俺は。


「……心配しなくてもあの子はちゃんと守るから」


 頭を撫でられる。……まあ、撫で方は悪くなかった。

 その後は店の前を通る者たちに猫としての媚を売ることに専念する。

 要するに女どもの心を掴んで店に入らせればよいのであろう?

 男? そんなものは知らん。

 興味を持って近づいてくる女には体を触る許可を与えてやる。上手ければ喉も鳴らしてやろう。

 子供はお断りだ。どうせ客にはならん。背を丸めて威嚇して……くそう。あの女、どこまでおれを監視しているのだ。

 おれのおかげで何組かのカップルが店に入った。うむ、これぐらい店に貢献しておけばあの女も文句は言うまい。

 もちろん、連れの動物たちの嘲りはすべてシャットアウトだ。

 が、途中から嫉妬の混じった声が聞こえたのは愉快であった。通りすがりの女達にちやほやされるおれの姿が羨ましかったのであろう。

 女達から猫なで声で語りかけられ、思う存分褒めそやされるというのはなかなか悪い気はせぬ。

 今後も時々であれば、い、いや、ほんのたまーに気が向けば、暇で暇でたまらない時ぐらいは付き合ってやってもよいかもしれぬなっ。

 などと自慢げにしっぽを揺らしていたら冷たい視線を感じた。

 振り向けば彼女が食事の盆を手に、寂しそうにこちらを見ていた。

 なんということだ、彼女をそんな表情にさせてしまうとは。

 一生の不覚。

 ぽんと彼女の肩に乗り、柔らかな黒髪に頬に全身をこすりつける。

 おれの一番はお前だけだ。そんなつらそうな顔をするでない。

 これはすべてお前の言うままに看板猫とやらを務めた結果ではないか。

 頬を舐めようとしたが、その前に手が伸びてきた。先ほどまでおれを撫でていた女だ。その女は彼女を撫でると行ってしまった。

 一体何なのだ? 彼女の機嫌を取ろうとしたのだろうか。


「クロ、部屋戻ってご飯にしよ」


 彼女は片手で盆を持ち、おれの体をなでてくれる。

 やはりお前に触られるのが一番気持ちが良い。

 ニャアと返事をしてざり、と頬を舐める。せっかく風呂に入って良い匂いだったのに、汗でしょっぱい。

 あとで一緒に風呂に入ろうではないか。そうしたらじっくりと愛でてやろう。風呂で桜色に染まるお前の柔肌を思い出す。

 今日も用はないが彼女の夢に潜り込むとしようか。淫らな夢を見せるのは得意だ。どこまで耐えるか、それも楽しみよの。

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