第19章 混迷の底

第81話 冥王府召喚

……この世界のどこかに……私たちの居場所はあるのかな……


 ポツリと呟く様な声を聞いて、冥王は目を覚ました。

 玉座でうたた寝をしていた様だ。耳に残った言葉の余韻を噛みしめて、その問いに答える様に呟く。

「……居場所がないのなら、作ればいい。私がお前のために、必ず作ってやる……そう約束しただろう」

 

 何度問われても、答えは同じだ。

 今でも変わらない。

 その思いは、今も……この先もずっと変わらないのに。


「何故……それを信じない……」

 呟く声は、誰の元に届くこともなく、静まり返った広間に、吸い込まれて消えた。



 彼方から、その静けさを破る反響音が聞こえた。

「来たか」

 冥王は口元を綻ばせると、玉座を立った。広間を抜け、露台へ出ると、遠くの森に土煙りが立ち上っているのが見えた。見ている内に、その方向に、続けざまに破壊音が上がる。その音は、虚空に反響しながら、冥府じゅうに広がっていく。

「宴の準備をしなくてはな」

 冥王は腰の九星王剣を抜くと、広間の中央に立ち、それを勢いよく床に突き立てた。柄には、白と紫、二つの封神球が輝いている。冥王の手が、その球面を撫でる様な仕草を繰り返して動く。意識を集中して、封印を解く為の文言を口の中で唱えた。すると、球からふた色の光が立ち上り、大きく弧を描いて床に落ちると、その場所に光の柱が伸びていく。その光の中から、白、紫、二人の星王が姿を現した。


「もう、お前の言うことなど、信用はせぬ」

 開口一番そう言った白星王に、冥王は苦笑した。そこへまた、先刻よりも大きな破壊音が響きわたり、白星王は顔をしかめた。

「死者が現世のけがれを落とし、抱えた恨み辛みの類を浄化して、魂を癒す場所にしては、随分と騒々しいのだな、ここは」

「橙星王が、大掃除をしてくれているのですよ」


 冥府には、妖魔が棲む。

 人が現世より持ち込む憎しみや悲しみ、あるいは苦しみといった負の感情が蓄積する事で、そこに妖異を生じる。それを浄化せずに放っておくと、妖魔に変じる。また、浄化しきれない程の負の感情を抱えて冥府に落ちてきた者は、転生の輪から外れて、強い妖力を持つ妖魔と化す。


 冥府の門を抜けて、冥王のいる冥王府へ至る道行は、そのほとんどが、そんな妖魔が跋扈ばっこする、迷路の様に入り組んだ場所になっている。かつては、羅刹たちが定期的に妖魔退治をしてくれていたお陰で、割と安全な道筋が確保されていたが、羅刹がその任を解かれて以降、冥王府の外では、妖魔が溢れ返っている。恐らく、橙星王は、それらの化け物をなぎ倒しながら、この冥王府へ向かっているのだ。


 ここに来てもらうついでに、少し妖魔の数を減らしてくれれば有難い……ぐらいには思ってはいたものの、こうまで思惑通りにはまるとは思わなかった。全く、直行型の橙星王らしいなと思う。


「とんだ貧乏くじを引かされたものだな、橙星王は」

 紫星王が気の毒そうに呟く。

「苦には思わないだろう、これしきの事は。奴には朝飯前だ。問題はなかろう」

 白星王が事もなげに言い、戦司の話題に終止符を打った。

「……で、我らを冥王府に呼び出したのは、如何な理由じゃ。盟約者との盟約をいきなり打ち切られたのだ。それ相応の理由を聞かせて貰えるのだろうな」

 白星王は、冥王に鋭い視線を向けながら、単刀直入に聞いた。

「そうですね……」

 ゆっくりと、言葉を選ぶ様に少し逡巡しながら、冥王は話し始めた。

「覇王選定において、あなた方は根本的な所で、間違っている。それをよく話し合う必要があるのではないかと。そう考えてここに来て頂いた」

「間違いだと?」


「そうです。あなた方は、事の始めから、間違っている。覇王選定を行うには、四天皇帝から、そのみことのりを得なければならない。詔を持たぬ者には、覇王選定を行う事は出来ない。それが天のことわりなのだという事をお忘れなのではないかと思いましてね」

「その様な道理が通るのは、天界がまともに機能していればこそだろう。そもそも初めに詔が出ていれば、この様な厄介な状況にはなっておらぬだろうに」

「では、あなた方が、有能な人間を覇王にすべく選び出し、その力を尽くしてもなお、未だ目的を果たせないのは、どうしてだと?」

「我らが揃って地上に降りてしまったせいだろう。藍星王は良くやったと思うが、七人全員の意思統一を図るのは難しい故な」


「では、藍星王のいう様に、七人の星王がその目的を一つにし、たった一人の覇王を選ぶことが出来れば、目的を果たせると言われるか?」

「それは……そうとは言い切れぬが……」

「私も初めは、それが叶えば、地上に覇王が現れると、そう考えていた。だが、それは出来もしない前提条件の上に成り立つ、机上の空論だと気づいたのです」

「机上の空論……だと?」

「詔を持たずに地上に降りたあなた方が、覇王選定を行ったという事が、そもそもの間違いだったのですよ」

「……ならば、我らはあの状況で、訳も分からず降臨させられて、どうすれば良かったと言うのだ」

「多分、待つべきだったのです。四天皇帝が、その考えを改めて、あなた方を天界に呼び戻されるのを」

「……今更、言われてもな。戻ってやり直せるでもなし」

 白星王が肩をすくめる。そこで、今まで二人のやりとりを黙って聞いていた紫星王が、口を開いた。

「それはつまり、仕切り直しをしろと、そういう話か?初めからやり直せという……」

 紫星王の言葉に、白星王が驚いた顔をして、冥王を見る。


「そう。もうじき橙星王がここに持ってくる九星動王剣は、天界へ通じる門を開く鍵でもある。だから、冥王である私ならば、天界へ赴き、四天皇帝に会って、詔を出すよう説得する事が出来る。そこで、一つ提案なのだが……」

 冥王がそう言いかけた所で、冥王府の外壁が崩れる派手な音がした。ひゅっと風が鳴る音がして、彼らの眼前を掠めて、何かが冥王の元に飛来する。冥王は左手を掲げて、頭上でそれを掴んだ。そこに、問題の剣があった。剣の柄には、封神球が緑の輝きを放っている。


「届け物はしたからな。とっとと劉飛の居場所を教えて貰おうか」

 崩れた壁の向こうから、橙星王が不機嫌そうな声で言った。

「わざわざ壁を崩さずとも、入口というものがあるだろう。修理代は出してもらうぞ」

 冥王が言う間に、橙星王は城門から、ひと飛びに広間に移動した。

「馬鹿を言うな。そんなもの、妖魔退治の報酬で相殺に決まっているだろうが。劉飛は、どこだ」

 その台詞を聞いて、白星王が呆れの混じった表情で、冥王を見た。

「……貴様、懲りずにまた地上に干渉を行ったというのか」

「事態収拾の為に、止むを得ず、という理由は通りませんかね」


詭弁きべんを申すなと言っている。その様な言葉遊びは、藍星王がいる時にせい。そなたと話していると、頭がおかしくなりそうじゃ……」

「おい、こっちの質問に答えるのが、先だぞ。劉飛は無事なのだろうな」

 橙星王が冥王に詰め寄る。

「ご褒美は、私の話を聞いてから、だよ」

 言って、冥王が緑の封神球を開封した。


 現れた少女は、めずらしく不機嫌そうな顔をしていた。それを見て冥王が少し苦笑する。

「その様なお顔は、癒しの君にはお似合いではありませんよ」

「誰のせいじゃと思っている」

 緑星王が、冥王を睨みつけた。

「これは手厳しい」

 言われて冥王は、自嘲するように笑った。


 純真無垢を絵に描いた様な容姿は、その気性を如実に物語っている。その潔癖な性格は、不正や過ちをひどく嫌う。言うなれば彼女は、自分とは対極にいる星王なのである。だから、自分と顔を合わせている限り、緑星王の機嫌が良くなることはないのだろう。そう見切りを付けて、冥王は話を先に進める事にした。


「……四天皇帝が妃を娶ってから、その政務が疎かになったのは周知の事だが……」

 そう言って冥王が語り始めたのは、星王が地上に落されるに至った経緯だった。


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