第13章 八卦師の村

第51話 師匠求む 

 初めて足を踏み入れた華煌京の、その賑やかさに、棋鶯子ぎおうしは圧倒されていた。河南も賑やかな街であったが、何しろその規模が違う。行き交う人の数が違う。道の広さから、家の数から、店の数から、何もかもが河南とは比べ物にならない程に、大きかった。

 これが帝国の都なのだ。

 その広大な街並みの果てに、霞がかった燎宛宮が、威圧感を伴って聳え立つ。自分達は、こんな大きなものを相手に戦っていたのか。こんなものを相手に、勝つつもりでいたのか。思わずそんな思いが頭を過ぎる。


……器は大きくても、その実は小さい。見かけに惑わされてはいけないよ、棋鶯子。我々は、華煌という国を相手に戦っているのではないのだから。我々が倒すべきは華煌という帝国ではなく、雷将帝という小さな皇帝にすぎないのだから……


 かつて、楊蘭はそんな風に言っていた。


……恐れる事はない。所詮は、見掛け倒しだ……


 楊蘭の言葉を思い出し、棋鶯子は自分に言い聞かせる様に呟いて、心の動揺を収めた。



 南大路門から、燎宛宮へ伸びる大路を北へ歩く。色々な出店の先を眺めながら、棋鶯子は当ても無く、街をさ迷っていた。


 楊蘭を殺した八卦師ならば、燎宛宮に飼われている者なのだろうと思う。貴族ならば大抵は、自分の家に八卦師を雇い入れている。だから、燎宛宮にいる八卦師というだけでは、数が多すぎて的が絞れない。それに、それほどの使い手ならば、通常はその力を隠し、人には見せないでいるものだ。 どうにかして、燎宛宮にもぐり込み、そこにいる者を片っ端から確かめていく必要がある。一時的に宮にもぐり込むのは簡単だが、相手が力を隠している事を考えれば、何かの拍子にその力の片鱗を見せるまで、長期的に観察する必要がある。


 だから、出来れば、何処かの貴族に八卦師として雇われ、燎宛宮に出入りできる様になるのが望ましい。それに、燎宛宮の奥まで探るというのであれば、なるべく位の高い人物が好ましい……


 棋鶯子は、様々な事を考えながら大路の雑踏を歩く。

 そうして歩いていると、ふと誰かに後を付けられている気配を感じた。その気配の感覚は、まさに八卦師だ。だが……


……ひよっこの八卦師が、何のつもりだ……


 その力量をどう測っても、そこから脅威は感じない。訝しく思いながらも、その気配を捕えたまま、棋鶯子は大路を反れて、人気のない裏道に入り込んだ。するとその気配も、律儀に棋鶯子の後を付いてくる。


……気配を消す力もないくせに、この私を尾行とは、いい度胸だ……


 少し懲らしめてやらねばなるまい。そう思って棋鶯子が背後を振り向くと、相手がいきなり八卦の術を仕掛けてきた。

嚆矢こうし流星陣りゅうせいじん

 光の矢が棋鶯子に向かって放たれる。


……陣の技で攻撃とはな。防御を先に考えた時点で、もうお前の負けなんだよっ……


九方包囲くほうほうい雷撃陣らいげきじん

 棋鶯子の前に、光の盾が浮かび上がり、光の矢は一つ残らずそこへ吸い込まれていく。その光が、今度は閃光となって、術を仕掛けた者へ襲い掛かった。

鏡面封縛きょうめんふうばく

 術者がそう言うと、その手の中に、鏡が現れた。


……羅刹の返し技……


 それは仕掛けられた技を、そのまま相手に返すやはり防御の技だ。

「……珍しい物を使う」

 鏡にぶつかった光は、反射してそのまま棋鶯子の方へ戻ってくる。その光を再び防御の盾で受け止めると、棋鶯子は徐に、その光を手の中で収束させて、そこから光の刀を作り出し、その鏡目掛けて勢い良く投げつけた。果たして、その鏡は粉々に砕かれた。


 術者が呆然としている間に、棋鶯子は、すかさず相手の手を後手にひねり上げ、そのまま地面に押し倒し、背中を膝で押さえ込んで、更にその首を締め上げる。こうなると相手はうめき声をあげて苦しそうにもがくばかりで、もはや身動きが出来ない。

「馬鹿かお前はっ。そんな子供だましの技で、相手の力量も測れずに喧嘩を売るなんて、命が惜しくないのか……」

 そこまで言って、棋鶯子は、押し倒した相手が子供だと言うことに気づいて唖然とする。

「……勘弁してくれ。子供の遊び相手をしている暇はないんだ」

 棋鶯子は、少年を締め上げていた手を緩めた。すると少年が、唐突にその足の下から言った。

「お願いします、俺を弟子にして下さいっ」

「何だって?」

 思わず聞き返した棋鶯子に、少年が顔を見せて改めて言う。

「鏡返しの技を破れる人がいたら、弟子にして貰おうと思って……」

「……まさか、お前……通りすがりの八卦師に、片っ端から術を仕掛けて回ってたのか?」


 馬鹿じゃなかろうか。

 棋鶯子は呆れて少年の体から手を離した。


「俺、もっと八卦が使える様になりたいんだ」

 体を解放されて、埃を払いながら立ち上がり、少年が棋鶯子を真っ直ぐに見据えて、凛とした声で言った。

 棋鶯子は、その言葉を訝しく思いながら、少年の纏っている着衣に目を止める。それは、燎宛宮の近衛このえ士官のものである。ということは、だ。この少年は、どこぞの貴族のお坊ちゃまということだ。それが何故、八卦などと……


「俺をあなたの弟子にして下さい。お願いしますっ」

 少年が勢い良く頭を下げる。

「冗談じゃない。通りすがりに、弟子なんか拾えるか」

 そのまま立ち去ろうとする棋鶯子の手を、逃すまいと、少年がしっかと掴む。

「……怪我をしないうちに、その手を離せ」

 棋鶯子が、少年に怒気を孕んだ目を向けた。が、その少年の真っ直ぐで曇りのない綺麗な瞳に、思わず引き込まれた。


……こいつ……指極しきょくを守護星に持っているのか……


 その星を守護星に持つ者は、棋鶯子の天暮星、それに最凶星と言われる天闇星と並んで、数が少ない希少な存在だ。もっとも、指極星の方は、瑞祥ずいしょう星であるのだが。天暮の凶気を弱めるのに、これ以上の星はない。棋鶯子はこの少年に興味を持った。と、そこへ通りの先から声が掛かる。

天祥てんしょう様、何をなさっているのですかっ?」

 路地の向こうで、従者とおぼしき青年が、少年を呼んだ。棋鶯子は、その青年の顔を知っていた。



「……梗琳こうりんどのか」

 名前を呼ばれて、青年が訝しげな顔をして、棋鶯子を見る。男のなりをしているのだから、まあ、当然である。

「ええと。もしやうちの若様が、何かご無礼な事を……」

 困惑ぎみの梗琳を見ながら、棋鶯子は思考を巡らせる。確か、梗琳は、広陵公の元を去った後、都の天家の管財人になったと聞いた。天家の当主といえば、帝国宰相天海、その人である。つまり、この馬鹿は、その息子である、ということか。


「私を覚えておらぬか、梗琳どの。そう……三年ぶりになるか。私だ、棋鶯子だ」

「棋鶯子……って、まさか、あの棋鶯子か?」

 梗琳が思わず目をしばたかせる。棋鶯子と言えば、楊蘭の側にいつもくっついていた、小柄で大人しい少女の印象しかない。


「女っぷりが上がった故、見違えたか?」

「女っぷりって……」

 そのいでたちを見て、梗琳が苦笑する。

「男っぷりの間違いじゃないのか?」

「何だよ、梗琳、この姉ちゃんの知り合い?なら、話は早いや。俺を弟子にしてくれるように、お前からも口ぞえしてくれよ」

「……姉ちゃんって、天祥様。これで、よく女だって分かったものですね」

「だって、結構あるし……ここ」

 天祥が、胸の丸みを両手で示す。

「男装すんなら、もっとちゃんと胸締めとかないと。そんなんで、抱きついたりしたら、ふんにゃり、ふかふかで、もうバレバレ」

「ふんにゃり……ふかふか……」

 先刻、首を締め上げた時の事を思い出して、棋鶯子は思わず赤面する。

「天祥様……そういう下世話な物言いは……」

 半ば呆れながら、梗琳がたしなめる様に言う。

「それで、棋鶯子、お前、あれからどうしていたんだ……」

 梗琳の何気ない問いに、棋鶯子は一呼吸置いて、頭の中で組み立てていた話を話し始めた。


「……星陵城が落ちてから、母方の縁者の元に身を寄せていたのだが、そこも暮らしぶりは楽ではなくてな。私ももう十五ゆえ、自分で身を立てなくてはと思って、都へ出てきたのだ。どこかに八卦師の口が無いかと思ってな。梗琳、ここで会ったのも何かの縁だ。もし良かったら、天家のご当主様に、口を利いて貰えないだろうか?」

「口を利くと言っても、うちのお館様は、今や宰相閣下だからな……そう簡単には」

 言い淀んだ梗琳の横から、天祥が身を乗り出した。

「利く利くっ。口なんかいくらでも利くから、俺を弟子にしてくれ」

「天祥様っ」

「いいじゃないか、梗琳。お前の知り合いなら、身元は確かなんだろうし、義父上だって、有能な八卦師が欲しいって、いつもぼやいてるんだから。紹介してやればさあ」


 実際のところ、天家の家人の手配は、ほとんど梗琳に一任されている。梗琳が推挙すれば、ほぼ話は通る。だが、何となく、このまま話を進めてしまって良いものか……と思わないでもない。この三年をどう過ごしていたものか、棋鶯子のその変わり様は、梗琳に僅かだが警戒感を抱かせた。


「……棋鶯子、この若様を弟子にするという条件付きだが、いいのか」

 こんな条件付きでも、受けるものなのか。と思いながらも確認すると、

「……まあ、仕方あるまい」

 と、あっさりと返された。


 天海が使える八卦師を探しているのは本当だ。帝国宰相ともなると、手足はいくらあっても足りない様子なのだ。その忙しさを垣間見る梗琳は、その判断を天海に委ねる事に決めた。


……帝国宰相の眼力ならば、間違いはなかろう……


 棋鶯子が八卦師として、天海に仕えるとなれば、天海自身がその人となりを見るのであるから、天海が不都合があると思えば、この話はそこで終わるだろう。


 天祥に八卦の手ほどきをしてくれていた蓬莱が、劉飛と共に西畔へ行ってしまってから、天祥は、新しい師匠探しをするとばかりに、街中で八卦師を捕まえては、覚えたての術を掛けまくっていた。危ないから止める様にと、口を酸っぱくして言っても、その所業は止まず、正直、梗琳は頭を抱えていた。


 新しい師匠に嬉しそうに纏わり付いている天祥と、ちょっと迷惑そうな棋鶯子の姿を見ながら、その問題から解放されるのであれば、大分気苦労が減るのだが……と思う。


……そうなれば有難いのだがな……


 この時、梗琳はそんな事を考えていた。それが、新たな災いの種を生む事になるなど、予想だにもしていなかった。

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