第12章 崖っぷちの恋心

第46話 副官のお仕事とは

  秋白湖しゅうはくこの西に位置する西畔せいはんは、帝国の北西にそびえる鳳凰山系ほうおうさんけいの裾に位置する小都である。


 険しい山脈が途切れ、不毛の砂漠へと至る僅かな大地の隙間を縫って、大陸を横断する交易路が通じている。その道は山岳地帯を縫うように進み、鳳凰山系を越えれば、目の前には緑草海りょくそうかいと呼ばれる大平原が広がる。そしてその平原の果てにも、様々の国が存在するという。


 しかし、大陸を東西に分かつ、この鳳凰山系を越える事は容易な事ではない。交易路といっても、ここを隊商が頻繁に行き来するという賑わいのあるものではなく、この山岳地帯に住む、幾つもの少数民族たちが、伝令のようにそれぞれ隣の集落へ荷を運ぶのみで、その細い道は辛うじて繋がれているに過ぎなかった。


 鳳凰山系の果ての、緑草海のそのまた果てより、異国の物品がこの地にまで流れてくることは、ごく稀なことなのであるが、それでも都では目にすることのできない物珍しい物が、露天のそこかしこで売られていたりもするのである。

 加えて、華煌の民とは明らかに生活様式を異にする山の民たちが、その細工物などをこの地にもたらすお陰で、この西畔の街には、どこか都とは異なる空気が漂っていた。




 その街中を、物珍しそうに眺めつつ進む騎馬が二つ。都を出てひと月余り。ようやく目的の西畔に辿り着いた、劉飛と華梨であった。


 都を出る時、劉飛は、華梨の身を案じて馬車をしつらえようとしたが、華梨が騎馬でも大丈夫だというので、揃って騎馬で来たから、予定よりは早い到着となった。だが、乗馬は苦手ではないが、ここまでの長い距離を移動したのは初めてだったので、実は、華梨はだいぶ疲労を溜め込んでいた。


 それでも、間違っても、疲れたなどと言う訳にはいかなかった。華梨には、劉飛が馬を進める速さをかなり加減しているのが分かっていたからだ。これが、自分ではなく、周翼と二人だったら、恐らく劉飛は、この半分の時間で来られたのだろうと思う。


 力不足が、しみじみと身に染みた。劉飛は、自分に対して、決して周翼と同じ事を要求している訳ではない。それは分かっている。勿論、華梨自身も、周翼と同じように出来るとは思っていなかった。だが少なくとも、足手まといにだけはならないという自負があった。


 ところが、だ。

 事の初めから、気を使われている。

 その事に気づいて、華梨は愕然とした。


 副官という肩書きを与えられてはいたが、そもそも華梨は兵士ではないし、護身術程度の武芸は使うことが出来るものの、戦闘訓練などを受けたことなどないのだから、現実に、体力的に致命的な不足があるのだ。それを、実際に体を動かして、ここまで旅をしてみるまで気づかなかった。それが又、情けなく感じる所でもある。


 本来、副官とは、隊長の護衛の役も負うものであるのに、どう考えても華梨は護衛される側であり、劉飛自身も当たり前の様に、そう思っている。


……それは、足手まといとは言わないのか……


 体の疲労感が募るにつれて、思考も後ろ向きな方へ傾いていく。華梨が落ち込んだ気分のまま、冴えない顔をしていると、前方を行く劉飛がふと駒を止めた。



 慌てて手綱を引いた華梨の見ている前で馬を下りた劉飛は、道に並ぶ露店の一つに顔を突っ込んで、何やら店の主人と話し込んでいる。ややあって、劉飛がひょいと店から顔を覗かせると、神妙な面持ちで華梨を手招きした。

 華梨が馬を下りてその側によると、劉飛が手にしていた物を、そのまま華梨の髪に挿しかけた。華梨が店先に目をやると、そこには、都で見た事のない様な、色とりどりの華やかな細工を施したかんざしが並べられていた。


「……あの……」

 困惑する華梨を他所に、その黒髪に揺れるかんざしを眺めやって、劉飛は、

「少し、派手かな……」

 などと呟いている。華梨は居心地の悪そうに、髪に刺さったかんざしを急いで抜き去ると、劉飛の手に戻した。

「こんなもの、挿していただいては……」

 華梨がそう言うと、劉飛はきょとんとした顔をしている。

「私は、あなた様の副官として供をしているのです。この様なお振舞いは……その……何と申しましょうか……困ります」

「……困る?」

 華梨の言う事が不可解だという様な感じで、劉飛は首を傾げた。

「困る……のか。そうか。それは済まない。副官だからと、気安く接し過ぎたかな。どうも……何ていうか。やっぱり難しいな」

 劉飛が頭を掻く。

「……?難しい?」

「いや、ほら、俺は、朴念仁だから、女の扱いが下手だってさ、よく周翼に言われてたんだ」


……女の扱い?……


「でも、華梨殿には、最初に、副官だから、その様に扱って欲しいと言われた」


……それは、上官にいちいち女だからと気を使われては、副官など務まらないからなのですが?……


「とは言っても、女の身を男と同じに扱うというのはどうかと思うし。体力的な事を考えれば、気を使わない訳にはいかないし……本音を言えば、いちいち気を使うのも、実は俺、面倒くさいし、そんな事をしては、お互い気詰まりだろうし……とかとか。まあ、色々考えた訳」


……ええと……話の趣旨が見えないのだけど……


「で、結局どうしていいか分からなくてさ、なら、普段どおりでいいやって事になってさ」


……普段どおり。それはつまり、気など微塵も使っていないという事?……


 だとすれば、周翼の後任ということで、自分が無意識のうちに気負っていただけなのか。

「でも。いくら副官でも、貴族のお姫様の髪をみだりに触るべからず、ってことだよな。済まなかった。ほんと、女の扱いは難しいな」

「……は?」

「だから、髪に触られたから、怒ってるんだろ?」


……論点は、そこ、なのか?……


 軽く眩暈を覚えた。要するに、劉飛の中では、華梨は間違いなく貴族のお姫様なのだ。

 かんざしなどを送られれば、単純に喜ぶ女だと、そう思っている。この認識は早急に改めなければならない。

「あの、劉飛様。私が申し上げているのは、そういう事ではなくて……」

「俺、かんざしなんて買った事がないからさ。璋家しょうけの奥方様に、何か見立ててくれると助かるんだけど」

 その台詞に、華梨は自分が大きな勘違いをしていた事にようやく気づいた。


……これって、私が、ものすごく自意識過剰だったという事になるのかしら?……


 そう思うと恥ずかしくて、顔が赤くなる。その気まずさを誤魔化す様に、華梨はきっぱりとした口調で言う。

「劉飛様、最初に申しました通り、女ではなく、副官として扱って頂いて構いませんわ。私は、髪のことなど、気にする性質たちではございません」

「そうか。怒っていないんなら、良かった」

 劉飛がにっこりと笑う。女の機嫌を損ねると、後が大変とは聞いているが、その対処法までは教わらなかったからな。と呟く声が華梨の耳に届く。これは――


……子供扱い……していればいいのかも知れない……


 ひとえに天才などと呼ばれる者は、その才以外の事となると、人間として成長が鈍い事がある。この者の純粋さは、そう理解すればいいのかも知れない。この者は見たままで裏がない。そういう事だ。こちらが先回りして考える事はすべて、杞憂にしかならない。そういう事なのだ。

「で?どれがいいと思う?」

 劉飛が、かんざしの列を指でなぞって行く。

「……恐れながら、そういうのも、副官の仕事になるのでしょうか?私が女だからと、そういう事をお聞きになると言うのは……」

「だって、周翼はこういうの、得意だったぞ」

 そう言われて、華梨は絶句した。つまり、劉飛の中では、こういう事までも、副官のお仕事なのだと認識されている。……そういう事なのか。


……あやつ、甘やかしすぎだろう……

 耳元で、白星王が可笑しそうに呟く声が聞こえた。

……これの子守りは、なかなか楽しそうじゃの……

 華梨はその声に顔をしかめて、手近のかんざしを、勢い良く数本掴み取った。

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