第47話 小さな許嫁

 西畔の街を進むと、丘陵地帯の終わる辺りに、焼け落ちた城の残骸が目に入る。二年前に三大公の乱で皇帝軍に攻め落とされた星陵城せいりょうじょうの残骸である。

 都から一番遠いこの城の再建の目処は、まだ立っていなかった。帝国の現状では、恐らくその費用を捻出する事すら容易ではないのだろう。華梨はそんなことを考えながら、駒を進めた。


 この城は、そもそもは、鳳凰山系の交易路から侵入する外敵に備える為に作られた砦である。その砦が機能していないという事は、今の帝国は、西からの侵入者に対して無防備だということだ。璋翔しょうしょう車騎兵軍しゃきへいぐんを演習と称してこの地に駐屯させているのには、そういう訳があるのだという。そして星陵城なき今、その軍の司令所となっていたのは、璋家の屋敷であった。


 広陵こうりょうの璋家といえば、始皇帝以来続く名家である。

 そもそもは、李燎牙りりょうがの天下統一の遠征の折に、早くから服従を誓った豪族だったという。時代の変遷の中で、常に勝者の側に立ち、家を守り存続させてきた武家の血統であった。しかし、先の内乱では、当主璋鎧しょうがいが広陵公の側に立ち、家名断絶の危機に陥った。その璋家が存続を許されたのは、璋鎧の弟である璋翔が、星陵城攻略の先陣に立ち、自ら兄の首を取ったからだったという話である。



 さて、その璋家の屋敷である。

 元々は広大な庭園を兼ね備えた、静かな邸宅だったはずのその屋敷は、今では、多くの兵が出入りする騒々しい司令所となっており、どこか落ち着かない空気に包まれていた。


 その雑然とした雰囲気の中、屋敷の門をくぐり、騎乗のまま進む劉飛たちの前に、突然小さな子供が走り出てきた。驚いた驪驥りきが、前足を振り上げたのを劉飛が慌ててなだめる。子供は、目の前で馬が地を足を踏み鳴らすのを、びっくりした様な顔で、ただ見上げている。


鳳花ほうかどの、馬を驚かせてはなりませぬよ」

 一人の女が、慌てた様子で飛び出して来て、子供を抱きすくめた。

「兵の出入りが多く、危のうございますから、こちらに来てはならぬと申しましたでしょうに」

黄梅おうばいの枝に、春告鳥はるつげどりがおったのじゃ。今年、初めての春告しゅんこくぞ。それを追うておったのじゃ」

 子供がたどたどしいながらも、大人びた口調で言う。それを聞いて、女が顔を綻ばせる。

「おや……それは運のよろしい事。ようございましたね」

 その年最初の春告鳥を見た者には、良い事がある。そんないわれがあるのだ。

「……茉那まな様……ですか?」

 劉飛が女が誰であるか気づいて、慌てて馬を下り、そこへ膝を付いて頭を垂れた。華梨もそれに倣って馬を下りる。


「あら、劉飛様。お帰りなさいませ」

 璋家の女主人は、来訪者が劉飛であると知ると、明るい笑顔を見せた。

「ご無沙汰いたして……」

 劉飛の挨拶も半ばで、茉那の明るい声がそれを遮った。

「あらっ?お連れの方は、女の方?まあ、どうしましょう。陵河りょうかさまにお教えして差し上げなくては……」

「……茉那様?」

「あなたが、女の方を伴っていらっしゃるなんて、まあ、初めてですもの。宜しゅうございましたわね。陵河さまも、さぞかしお喜びになられますわ」

「あのっ……茉那様……」

「もうねえ、それはそれはご心配しておりましたのよ。あなた、全然女っけがないでしょう?このままでは、私たち、何時までたっても、孫の顔が見られないのじゃないかしらって」

「……茉那様……いえ、母上様」

 劉飛がそう言うのを聞いて、茉那が満足そうに微笑む。

「ふふ。やっと、母と呼んで下さいましたね」

「勘弁して下さいよ。お戯れは……こちらは、私の副官で、華梨殿です」

「ええ。勿論、存じ上げておりますわ。先の宰相様のご息女でございましょう?」

「茉那様……」

「あなたより私の方が、ずっと長く都にいたのですよ。陵河さまのお供をして、燎宛宮りょうえんきゅうにも良く参ったものです。それが宰相閣下の姫君を、知らずとお思いですか」

 茉那が口元を押さえて笑みを殺す。


「母上さま、この方は、兄上さまでございますか?」

 茉那の腕の中から、劉飛の顔を興味深そうに見て、鳳花があどけない口調で言った。

「茉那様、お子をお産みになられたとは……存じ上げませんで……これはお祝いが遅れまして……」

 劉飛の言葉を遮って、茉那が言い含める様に、早口で鳳花に告げる。

「鳳花どの、私のことは、母ではなく、茉那様とお呼び下さいまし。それから、このお方は、あなたの兄上さまではなく、許婚となるお方なのですからね。お間違えになってはいけませんよ。それから、劉飛様、懐妊もせずに、子供が生まれる事はございませんよ」


……何か、今、とんでもない事を聞いた様な……


 一瞬、劉飛の思考が凍結される。

「……許婚……?」

 考える間もなく、知った声がその思考を中断させた。

「お〜、劉飛、やっと帰って来たな」

 二人のやり取りを聞いていたのか、璋翔が面白そうな顔をしながら、こちらに近づいてくる。

「……璋翔様、ただいま戻りました。あの……」

 二の句を継ごうとした劉飛に、その暇を与えず、畳み掛ける様に璋翔が話し掛ける。

「遠路ご苦労だったな。そうか、お前、西畔は初めてだったな。中々、珍しいものがあって面白い街だぞ。後で、街を見回ってくるといい」

「はい、あの……」

「おおそうだ、天海のおやじ殿から、預かりものがあるだろう?はよう出せ」

「ああ……」

 言われて、劉飛は、懐から天海より預かってきた書状を差し出した。それを奪い取る様に取り上げると、璋翔はその書状を指で数回弾いて、大仰にため息など付く。

「お前、これが何か知っているか?」

「……いえ」

「何と、西畔領官の任命書だ」

「西畔領官?」

「あのじじい、皇騎兵軍元帥代理の首位大将を引き受けてやった恩を忘れて、また厄介ごとを押し付けて来るとは、全く油断がならぬ」

「璋翔さまを西畔領官にと?」

「そうだよ。全く」

 不服そうな璋翔に、話を聞いていた茉那が横から口を挟む。


「西畔領官は、ここが大公領となる以前は、代々璋家が努めていたのですから、大公領がなくなって、璋家の人間がこれを努めるのは、至極当然なことかと思いますわ」

「……お前、俺がこれ以上忙しくなったら、家で寝る暇などなくなるってこと、分かって言ってるか?」

「まあ。それは嫌ですわ。ようやく戦が終わって、陵河さまとご一緒の時間が持てると、喜んでおりましたのに。何か良い手立てはないものかしら……」

 言って、茉那が意味ありげに、劉飛に視線を送る。

「まあ、俺が西畔領官になれば、次の領官を指名できる権限を得る訳だから、な」

 璋翔の視線も、何気に劉飛に向けられている。その視線の意味に気づいて、劉飛が慌てて口を開いた。

「……冗談じゃありませんよ。ダメですって。ていうか、絶対に、無理っ! 俺に行政官なんか務まるわけないだろうがっ」

「……いや、だって、だから、お前ごときに、こんなに優秀な副官が付いて来たのだろう?なあ、華梨殿?」

「……そういう事になるのでしょうか?」

 華梨が苦笑しながら答える。


 璋翔という人物、天海の信任厚く、三十半ばで帝国三軍の元帥だというのは、やはり伊達ではないのだろう。まだお子様の劉飛になど、到底太刀打ちできる相手ではない、という事だ。だから、自分が付き添いに選ばれたとも言える。

 西畔滞在は、最長で三月みつき。天海からはそう言われている。この璋翔を上手く納得させて、劉飛を都に連れ帰る。実はそれが、華梨の役目なのだ。


「まあ、こんな所で立ち話も何ですから。あちらに、お茶の用意をさせておりますわ。詳しい話は、そちらでと言う事で、いかがかしら?ね、鳳花どの」

 茉那に名を呼ばれると、鳳花が嬉しそうにして、劉飛の着物の裾を掴んだ。その邪気のない顔に、劉飛は優しい笑みを返したが、次の瞬間に、この面子でお茶を飲んでいる自分の姿を思い浮かべて、その笑みはたちまちに引っ込んだ。


……これ以上、許婚とかややこしい話は、ちょっと……


 この養い親に対して、舌戦で勝つのは至難の業なのだ。このまま一緒にお茶なんか飲んだら、間違いなく言いくるめられてしまう。この子供が許婚。どこをどうするとそういう話になるのか、知りたくない訳ではないが、劉飛が事情を知った時には、もうその話は既成事実になってしまうのは目に見えていた。

「……副官殿」

 劉飛が小声で華梨に耳打ちをした。

「俺はここで抜けるから、後は頼む……」

 すでに逃走体勢になっている劉飛の腕を、華梨は慌てて引き止めて、同じく小声で抗議する。

「お待ち下さい、劉飛様っ。そういうのも、副官の仕事になるのですかっ?」

「……だって、茉那様のお相手は、いつも周翼の担当だったから……」


……周翼様ったら、本当に甘やかしすぎですわ……


 華梨はまた軽く眩暈を覚える。そのせいで、劉飛の腕を掴んでいた手が少し緩んだ。戦上手な劉飛が、そういう機を捉えるのは、上手い。

「ここに来る途上で、気になる店などありましたので、私は街中の散策などして参ります。華梨殿は、女同士、茉那様と話も合うだろうから、お茶をご馳走になるといい。供は不要だ。では、私はこれでっ」

「りゅ、劉飛様っ」

脱兎だっとの如し……という言葉は、こういう時に使うのだろうな」

 その走り去る後姿を見て、璋翔が笑った。

「私もまだ仕事の中途だ。済まないが、茉那、華梨殿のおもてなし、頼んだぞ」

 そう言って、璋翔もその場を離れていく。

「畏まりました、陵河さま」

 茉那は頭を下げて、少し寂しそうな顔をしてそれを見送った。

「茉那様……私ごときに、お気使いなど不要ですから……」

 言いかけた華梨を、茉那が笑顔で制する。

「一人でお茶を飲むのは、つまらないものですわ。お疲れの所、申し訳ないけれど、お嫌でなければ、お相手頂けないかしら」

「滅相もございません。私もお茶は好きですから、喜んでお呼ばれいたしますわ」

「あら、嬉しい。周翼どのには、そうしてよく愚痴を聞いて頂いていたのよ」


 どこをどう取っても、明るいという形容しか浮かばない璋家の奥方にも、その心に何か思うところはある様だった。

 華梨の手に、ふと、小さな手が触れた。驚いて下を見ると、鳳花が心配そうに華梨の様子を伺っている。このぐらい小さな子供は、その場の空気の変化に敏感なのだ。華梨は鳳花に笑顔を見せると、その小さな体を抱き上げた。不意に目線が高くなって、華梨の顔のすぐ側に抱き上げられたことに、鳳花は無邪気に歓喜の声を上げた。


……この子が、劉飛様の許婚……


 その理由ぐらいは、聞き出しておこうかしら。そのぐらいの代償は、貰っても構わないだろう。歩き出した茉那の後に従いながら、鳳花の楽しげな様子に目をやって、華梨はそんな事を考えていた。

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