第48話 男装の少女

 西畔の街の城門を抜けて、街道を東へ、都へ向かう人々の流れの中を、一人の少年が歩いていた。実は、少年のなりをしているが、彼女はまだ十五の少女である。


 名を棋鶯子ぎおうしと言った。

 子供の一人旅というだけでも剣呑であるのに、女のなりなどしていては、どうぞ攫って下さいと言っている様なものなので、手っ取り早く、男装をしている。そういう訳である。


 棋鶯子は、城門の辺りに目つきの悪そうな男たちがたむろっているのを横目にちらと見て、関わりにならないようにという風に、足早に門をくぐって行った。


……一つ、二つ、三つ、四つ……


 棋鶯子は歩きながら捕らえた気配を、心の中で勘定していく。その数は、十を少し越えた。それは、八卦師だけが感じる事のできる気配。つまり、自分と同類の、八卦師の気配だった。


……八卦師が集団で、何をしている。気配を消しもせずに……


 単独で行動する事の多い八卦師が、複数――しかもこんなにまとまって一つ所にいるなど、通常ならありえない。

 門から少し行った所で、棋鶯子は人目を避けて、木立の中に身を潜めた。しばらくそうやって、街道を行き来する人々の流れを観察している。程なくして一人の男が東の方から走ってきて、城門の向こうへ消えて行った。その後で、そちらの方に、大きな気の変化を感じた。


……飛空術ひくうじゅつか……


 棋鶯子が右手を返すと、その掌の上に、小さな占術盤が浮かび上がる。東の方に、先ほどの八卦師たちが移動した痕跡が伺えた。その中に、一つ、とりわけ大きな力の気配を感じて、棋鶯子の鼓動が早まった。そこに、かなりの使い手がいる。


……よもや、楊蘭さまの……


 棋鶯子の左手が翻り、その指が占術盤の上の一点を指す。

「飛空術……」

 その声と共に、棋鶯子の姿はそこから消えていた。




 瀟洒しょうしゃな馬車が、街道を西へ進んでいた。その正面には、河南の杜家とけの紋が刻まれている。その馬車を、数人の騎馬の護衛がこれを守るように取り囲んで進んでいる。


 楓弥ふみは馬車に揺られながら、この状態は、果たしてどうなのかしら、と考える。楓弥の感覚では、この様な旅は、もっと目立たない様に、身分も隠していくものだろうと思っていた。

 これ見よがしに家紋入りの馬車で、街道を練り歩く。これでは、その辺の盗賊どもに、狙って下さいと言っている様なものではないのか。いくら、腕の立つ護衛を連れているとはいえ、河南の大商人の杜家の馬車と見れば、盗賊どもには、格好の獲物になるのではないか。


 出発前にそう言った楓弥に対し、河南の杜家の名を聞けば、盗賊など寄って来ないのだと、一笑に付された。盗賊が万が一、杜家の馬車を襲おうものなら、河南の軍が、その盗賊を地の果てまでも追いかけて、必ず根絶やしにする。そういう羽目になるのだからと。杜狩としゅは笑ってそう言った。

 河南あたりでは確かにそうだろう。まあ都でも、杜家の名は知られている。だが、この広い帝国で、例えば西畔の様な辺境で、その理屈は通用するものなのか。


……そこまで考えるのは、杞憂ということなのでしょうね……


 旅の間中、どう見ても、物見遊山でずっとご機嫌な若様の顔を見て、楓弥は軽くため息を付いた。


……人の世の理の外を知らぬ者には……


 楓弥の視線を感じたのか、杜狩がこちらを向いて、愛想の良い顔をして言う。

「もう間もなく、西畔に入る。ここまで来れば、岐水はもう、目と鼻の先だ」

 言われて頷きながら、楓弥は少し前から、胸の辺りに感じている気分の悪さを紛らわす様に、覗き窓から、馬車の外に目をやった。


 自分たちが、盗賊に狙われているというのであれば、多分、杜狩の方策に誤りはないのだろう。しかし、そうではないのだ。それを杜狩は理解していない。だが、八卦師と街の占術師の違いの分からぬ者には、恐らく説明しても、その感覚は分からないのだろう。


……何かが、近づいてくる……


 それは、間違いなく自分の元へやってくる。どんなに優れた剣の腕をもってしても、退けることは叶わぬもの。その力に、自分はもう捕捉されている。術師としての自分がそう感じていた。ここにいては、関わりのない者にも危害が及ぶだろう……


「若様……」

「どうした?」

「これまで、さまざまのお心遣い、ありがとうございました」

「……なん……だ。……藪から棒に」

「短い間でしたが、楓弥は楽しゅうございました。若様には、この先も、ご壮健であられます様……」

「楓……」

 只ならぬ気配を感じて、杜狩が楓弥の肩に手を掛けようとした所で、楓弥の姿が、煙のように消失した。

「楓弥……おいっ、楓弥?」

 驚いて杜狩が立ち上がった所に、何か大きな衝撃が来て馬車が軋み、強風に煽られる様して、あれよと言う間にひっくり返った。何も分からないまま、頭をしたたか打った杜狩は、すでに気を失っていた。




 逃げる小鳥を追うのと変わらない。覡紹げきしょうは、口元に余裕の笑みを浮かべながら、周囲に散っている仲間に合図を送る。それに呼応する様に、幾つかの気配が、獲物を包囲しながら、その間合いを詰めていく。覡紹が茂みの途切れた場所に着いた時には、すでに仲間に取り囲まれて、そこに一人の女が立っていた。


「お迎えにあがりました、楓姫ふうき様」

 その眼前に控えて頭を垂れた覡紹の頭の上から、毅然とした女の声が言う。

「私は、その様な名ではありませぬ」

「成る程、名と共に、過去をお捨てになられたと。そういう事ですか。過去を手放されるのは、あなたのご自由ですが、しかし過去にあなたが持ち去ったものは、返していただかなくてはなりません」

 足元から自分を仰ぎ見る男を、楓弥は冷めた目で見据える。

「そなたが、宝の継承者か」

「この私があなたを連れ帰る事が出来れば、そうなりますね」

「……そなたの顔を私は好かぬ」

 楓弥の言い様に、覡紹は苦笑した。

「これは、手厳しい……」

 言いながら覡紹が立ち上がった。その眼光から発せられる気は、威圧的で不快感を伴っていた。その手が伸びて楓弥の肩に触れる。そこから氷のように冷たい気が入り込んできて、楓弥の背筋に悪寒が走った。

「ここで継承の儀をして差し上げてもいいのですよ。長老様のお許しは得ておりますから」

「……離しなさい、無礼者」

 手を振り払った楓弥に、覡紹は嘲る様な笑みを向けた。

「お連れしろ。後始末は、私一人で足りる」

 覡紹がそう言うと、他の者は無言のまま会釈をして、地に方位陣を書き、楓弥と共に何処かへ飛び去っていった。その場に一人残った覡紹は、先刻からこちらの様子を伺っていた者に、言葉を掛けた。



「子供が覗き見るには、ちと刺激が強すぎるのではないか?お姫様を守る正義の味方でも、やってみたかったのかな。だとしたら、願いが果たせず、残念なことだったが……」

 言って覡紹が振り向くと、そこに少年が立っていた。自分に挑むような目を向けているその少年――棋鶯子を、覡紹は興味深げに見る。

「私は、お前に用がある」

 棋鶯子が言った。

「ほう……」

 覡紹が次の言葉を言う暇もなく、棋鶯子が八卦の術を仕掛けて来た。すんでの所でかわした覡紹だったが、その力の計り知れなさに、思わず眉をひそめていた。

光樹こうじゅの陣、九方包囲くほうほうい、捕縛」

 棋鶯子の声と共にその手から、光の筋が無数に伸び、覡紹に覆い被さる様に迫ってくる。


……捕縛術だと?何だこの子供は。この私を捕らえようとでも言うつもりなのか……


 覡紹は両手を向かい合わせにして、そこに占術盤を出すと、別の場所へ飛んだ。細かな場所を指定する余裕はなかったから、西畔の街中に戻ってしまったが、とりあえず棋鶯子を撒く事には成功した。

 と、安心しかかった所に、八卦師の気配を感じた。あの棋鶯子が、覡紹の背後に立っていた。そう確認する間もないうちに、大きな気の塊が飛んでくる。それを覡紹が辛うじて避けた。と同時に、背後にあった小屋が派手な音を立てて破壊された。その騒ぎに、道行く人々がどよめきの声を上げて、何事かと足を止める。

「何のつもりだ」

 覡紹の抗議を棋鶯子は聞いていない。続けざまに、手加減なしの気の塊を飛ばしてくる。


……この様な街中で、正気か、こやつは……


 覡紹は気の塊を避けながら、右手に気を集中させる。

火焔かえんの陣、爆雷」

 その手から炎が生じ、渦を巻いて、棋鶯子を巻き込んだ。炎に巻かれ、その足元から立ち上る火の勢いに、棋鶯子の動きが止まった。棋鶯子はその炎を見据えたまま、そこに立ちつくしている。


……火の司の領術。こやつは水司の系者ではないのか……


 棋鶯子が考える横から、思いがけず女の声がした。

「氷龍の舞、水華天舞すいかてんぶ!」

 間髪を置かず、棋鶯子の上から水が降ってきて、火を消し去った。

「おやまあ、鶯子どの。こんな所で、何してますのん?」

 消えた炎から立ち上る白い煙の向こうに、見覚えのある羅刹らせつの娘の姿があった。

蓬莱ほうらい……か?」

 気が付けば、件の男の姿は、跡形もなく消えていた。

「何だよ、お前、ずぶ濡れじゃないか」

 羅刹娘の後ろから、若い男が呆れた口調で言いながら、棋鶯子に乾いた布を差し出した。

「そやかて、劉飛様。火を消すには、水でっしゃろ」

「理屈は分かるけどさ……お前、うちはこの近くだから、来るといい。着替えを貸そう」


……劉飛……封魔球で蓬莱をしもべにしたという。こいつは、その男か……


「……蓬莱、伽羅からはどうした?」

 棋鶯子が聞くと、蓬莱は首を傾げて、少し考えて言う。

「多分……姫さんのとこやから。今は、東の離宮やったかな」

「多分?」

 棋鶯子が怒った様な顔をして、蓬莱の腕を掴んだ。

「お前達は、二人で麗妃様をお守りすると誓ったのでは、ないのか?その誓いあればこそ、自由の身にしてやったっものを。それを、この様な男に付いて、のこのこと、この様な所にまで……」

 棋鶯子の言葉を聞き止めて、劉飛が割って入る。

「おい、こいつがここに居るのは、こいつの意思じゃなくて、俺が封魔球で……」

「そんな大昔の話をしているのではない。封魔球の契約など、とうに切れているのだろうが!」

 棋鶯子の言葉に、劉飛が驚いた顔をする。

「契約が……切れている?え?それって、どういう事だ?」

「そうなのだろう、蓬莱?」

 棋鶯子の鋭い視線を逸らすように、そっぽを向いて蓬莱が頷く。

「なっ。だって、お前、そんな事一言も……」

「そういう事だから、蓬莱は返してもらう」

「ちょい待って。あたしは、劉飛様のお役に立ちたい……だから」

「お前が側にいないければ、伽羅はどうなる?知らぬ訳ではあるまい」

「そりゃ、伽羅のことは分かってるけど……」

「なら、これ以上の問答は不要だ。封魔球!」

 棋鶯子が右の手を開くとそこに、封魔球が現れた。

「ちょ……待ってや、あたしは、まだ……」

 蓬莱が怯えた顔をして、後ずさり、劉飛に救いを求める様にその顔を見る。そこに、棋鶯子の容赦ない声が響いた。

「汝、蓬莱。魔に属するもの、天光の契約に従い、我が結界に戻れ」

 蓬莱の姿が、棋鶯子の手の封魔球に吸い込まれる様にして消えた。

「ちょっと、待てよ、お前……」

 状況が飲み込めない劉飛が、棋鶯子に詰め寄る。

「お前、ではなく、棋鶯子だ」

「ああ、棋鶯子?蓬莱をどうする積りだ」

 言われた棋鶯子が、劉飛に不機嫌そうな顔を向ける。

「この羅刹は、元々私のものだ。それを、お前が横から掠めたのだろう」

「掠めた……って、まあ、そう言う事になるのかも知れないが……それにしたって、助けてもらった恩を仇で返すっていうか……そういうのは、どうかと思うぞ、お前」

「助けてもらった?お前、寝言を言っているのか」

 棋鶯子が哂う。

「この私が、羅刹ごときの力などを、頼みにすると思うのか。ふざけるなっ」

 言い捨てて、棋鶯子が劉飛を睨み付ける。劉飛は、その瞳に思いがけず足がすくんだ。


……こいつ。何て目をする……


 戦場で、数多の命のやり取りをして来た劉飛である。それでも、こんなに迷いのない、憎悪に満ちた目に出会った事はなかった。こんな子供が、幾つもの修羅場を潜り抜けてきた武将の自分を、圧倒する。それ程に、禍々しい目だった。劉飛がその場に立ち竦んでいると、白い霞が渦を巻くように、冷たい風を伴って棋鶯子の体を包み込んでいく。

「待……て……」

 劉飛が伸ばした手は、そこに残った冷気を掴み取っただけだった。棋鶯子の姿はもうそこにはなかった。

「棋鶯子……」

 少年の名前を呟く。蓬莱の元の主だと言っていた。ならば、あの者は……


……麗妃様の所縁ゆかりの者か……


 左手に握っていた封魔球が、軽い音を立てて爆ぜて、その欠片が足元に散らばった。劉飛がそれを拾い集めようとする間もなく、雪が溶けるように、その欠片は消えていった。

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