第85話 月光姫の語る顛末

 目の覚めるような、美しい娘だった。思わず釣り込まれそうになる様な、妖艶な気配を持ながら、近寄る者は容赦なく払いのける、そんな気性の激しさを伺わせる、強い光をたたえた瞳が印象的だった。


 黄星王が、この女にのめりこんでしまったのも、分かる様な気がした。女に対して割と淡白な自分でさえ、ここまで心を揺り動かされる。彼女と向かい合う事に、藍星王の理性が拒否反応を示した。どこに連れて行かれるのか分らない。そんな怖さを感じた。


 そんな藍星王の心を知ってか知らずか、月光姫は口元に親しげな笑みを浮かべ、こちらに歩いて来る。それにつれて、初めは微かに感じた芳しい香の香りが、次第に濃密になっていく。空気が粘性を帯びて、藍星王の体を絡めとる様に、重く圧し掛かってくる。そんな感覚に囚われた。

 まともにものを考える事が、億劫に感じる。気持ちが否応なしにそちらに傾いていく感覚を、理性を総動員させて藍星王が打ち消した時には、月光姫はもう、彼の目の前に立っていた。



「この様な呼び出しに応じて頂き、感謝いたします、藍星王様」

 月光姫が言って軽く会釈をした。

「……この度の急な召喚、いささか腑に落ちず、面食らっております」

「そう、畏まらずとも宜しいのですよ。私は、公には何者でもない、ただの女なのですから。藍星王様、この度は、あなたにお願いしたき事があって、お出で頂きました。本来ならば、四天皇帝様が参るところ、お加減が優れず、僭越せんえつながら、私がその代理を承って参りました」

「四天皇帝様の?四天皇帝様は、如何なされておいでなのですか」

「四天皇帝様は、地上の乱れように、大層心を痛めておいでです。その心労のせいもあり、お体は見るも忍びない程に、弱っておいでです」

「ご病気……なのですか」

「それゆえ、四天皇帝様は、ご譲位をお望みなのです。ここに、覇王選定の詔があります。これをあなたに託すと、そうご伝言が」

「譲位を望むというというなら、天界の門を開き、我ら七星王を、天宮に召喚なさるべきでしょう。その上で……」

「まずは道理を通してからと。成程、智司様らしいご意見ですね」

 月光姫は、皮肉を込めた声で言う。

「それが出来ないから、こうしてお願いしているのだと察しては頂けないのですか」

「なぜ出来ないのです。その理由をお聞かせ頂けなければ、この様な道理に外れる事。到底承服いたしかねます」

「理由は……」

 月光姫が言いよどむ様に、唇を噛む。

 何かを思案する様に、少しの間があった。


「……鍵がないのです」

「鍵が……ない……?」

「天界の門を開くのに必要な、九星動王剣。それが今、天界にないのです」

「四天皇帝様が、九星動王剣を紛失されたのだと?」

「紛失ではなく、奪われたのです」

「奪われた?」

 話がどんどんと、深い淀みにはまっていく。そんな嫌な感じがした。

「九星動王剣は、今、冥府の王の元にあります」

「それはつまり……冥王が宝剣を冥府に奪い去ったという事なのですか。何故冥王がそんな事を」

「それは、かの者が、四天皇帝様を亡きものにしようとなさっておいでだからです」

 深みにはまった。その言葉を聞いた瞬間、藍星王はそう感じた。




 以下、月光姫の話を要約すると、こういう事になる。

 それは、月光姫が月白の宮に入ってから、しばらくしての事だった。何かの折に、天界に来ていた冥王が、立ち入りが禁止されている宮へ、興味本位に入り込んだというのだ。


 元々、黄星王とは仲が良かった黒星王である。だから、黄星王が四天皇帝となった時、黒星王は、その相方ともいう冥王を二つ返事で引き受けた。

 その親友が結婚したと聞いて、自分に花嫁の顔も見せないとは、友達がいがないとか、ともかくそういう乗りで、月白の宮には近づくなという四天皇帝の命を無視して冥王は月光姫の元にやって来た。そこで、冥王は彼女に心を奪われてしまったのだという。


 その事を知った四天皇帝は、問答無用で、以後、冥王が冥府の外に出る事を禁じてしまった。弁解もさせてもらえず、一方的に処断された冥王は、その事を恨みに思っており、地上に絶え間なく戦が起こり、多くの人の命が失われていくのは、冥王の四天皇帝に対する当てつけなのだ。また、そんな理不尽な行いを続けていれば、いずれ四天皇帝が業を煮やし、自分を天界に召喚して、文句の一つも言いたくなるだろうと、そんな思惑もあったのだという。


 果たして、その事を諌める為に、四天皇帝は、密かに冥王を天界に召喚した。

 そこで四天皇帝は、地上の混乱の責任を取り、共に役を退くべきだという様な話をしたらしい。


 その時の様子を、実は藍星王は目にしていた。

 天宮の庭園の外れに、気に入った場所があり、その日、藍星王は書物を携えてそこへ向かっていたのだ。そして、思いがけず冥王の姿を見掛けて、何故こんな所に、奴がいるのかと思った所で、藍星王の記憶は途切れている。


 後に他の星王に聞いた所では、自分は、その時に、最初に封印された様だという話だった。もしも自分よりも先に、他の誰かが封印されていれば、自分は宝剣が使われた事に気づいたであろうし、星王が揃って封印されるなどという不甲斐無い事にはならなかった。その時、たまたまその場所を通りかかったのが不運だったとしか言い様がない。


 手にしていた九星静王剣で、藍星王を封じた冥王は、白星王、紫星王、蒼星王を封じた後、天宮の武器庫から九星動王剣を持ち出し、更に残りの星王を封神球に封じてしまった。そして、七人の星王を封じた剣と引き換えに、月光姫を自分に渡せと、冥王はそう要求したのだという。


 四天皇帝は、その要求を飲む振りをして、冥王を罠に掛け、宝剣を取り戻そうとした。しかし、冥王は、交渉が決裂したと見るや、宝剣を地上へ投げ落してしまったのだ。

 そして地上で、四天皇帝の命を受けた四方将軍と、冥王の命を受けた羅刹の王による、宝剣の争奪戦が繰り広げられた。しかし、両者とも、それを見つけることは出来なかった。七人もの星王の力を封じた宝剣である。それが人の手に渡れば、その大きすぎる力は、人の世に災いをもたらす。


 それを危惧した四天皇帝は、封じられた星王たちを、地上に解き放つという決断を下す。九星王剣は、その後、羅刹よって冥界へ持ち去られたらしかった。


 冥王は、星王たちを天上界から追い出すことで、四天皇帝の譲位を阻止し、また剣を持ち去った事で、これを天上界に封じ込め、彼がただ現状に困窮するしかない様を見て、嘲笑っているのだ。そして、四天皇帝は、自分が星王を解き放ったせいで、地上が更なる混乱に陥った事を憂いて病に倒れた。


「そうして冥王は、四天皇帝様が力尽きるのを待っているのです。だから一刻も早く、新たな四天皇帝の登極とうきょくが必要なのです。藍星王、あなたのお力で……」

「しかし、私の宿主である周翼は、残念ながら覇王にはなれません」

「事情は、存じております。ですから、覇王選定の詔は、あなたが次期四天皇帝にもっとも相応しいと思う者に与えて構わないと仰せです。智司である、あなたの判断を信じると。この詔を携えて地上に戻り、天界四方将軍と共に、速やかに地上の混乱を収束せよ。それが、四天皇帝様のお言葉です」


 月光姫が藍星王に書状を差し出した。そこには確かに、四天皇帝黄星王の花押が記されている。それは、正式の詔に間違いなかった。


 話の辻褄は合っている。

 それでも、どこかに拭えない違和感を感じた。


 この女は、黄星王が足を踏み外す原因を作っておきながら、悪びれもせず、真実から、自分に都合のいい部分だけを選んで話を作っている。……そんな気がした。


……この女は信用できない……


 そんな思いを心に抱きながら、しかし藍星王は平静を装い、詔書を受け取った。

「分りました。必ずや、地上の混乱を収め、数多の逸脱を正してご覧に入れましょう」

 そう言い残すと、藍星王は玄武に伴われて、地上へ戻って行った。



 それを見送る月光姫が、僅かに笑みを浮かべて呟く。

「……どうだ、この私の役者ぶりは。満更でもなかろう……」

 そうきっと大丈夫だ。

 藍星王ならば、いずれ真実に辿り着く。


……黒星王を……きっと救ってくれるはずだ……


 答えの出せない問いを投げかけた事を、今は心底悔いている。

 黒星王は、全てと引き換えに、その答えを出そうとしている。

 そんな事をさせる訳にはいかなかった。


……この世界のどこかに……私たちの居場所はあるのかな……


……その答えは、破滅と共にあるのだから。



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